研究ノオト42 人道的介入

第1稿 2003/02/01

 

【テクスト】

 

最上敏樹『人道的介入』岩波新書、2001年、序および1018、116124ページ。

 

【目次】

 

1(序)

 はじめに

 人権の剥奪と平和

 人道のための武力行使

 「絶対平和主義」対「絶対倫理」

 武力行使が唯一の課題ではない

2(1018)

 一応の定義

 国際法体制の明晰さ

 合法性回帰への圧力

3(116124)

 武力行使違法化までの道のり

 「正当な例外」か

 人権か国家主権か

 

【内容】

 

1(序)

 

はじめに

 

 平和の意味は、「戦争をしないこと」という伝統的な意味合いに加えて、国際連盟登場以降は、集団安全保障の考え方によって、侵略した国を鎮圧すること、という意味も付け加えられることになった。平和は国家間の問題に限られ、またいかなる場合でも武力行使をしないという絶対平和主義の立場がとられていた。いっぽう、内戦は国際法では禁止されていないが、国際社会の規範意識として、内戦が起きてはならないと言うことが浸透していることも事実である。

 

人権の剥奪と平和

 

 内戦ではなく、人種差別など、民衆の人権侵害が行われている場合、国連が「国際関心事項」と見なすのであれば、国連による介入や制裁が法的に可能である。しかし、その際に武力行使を含んでよいかどうかは、その事態の深刻さによって決まる。国連による軍事的措置は、国連憲章に定められているとおりで、「平和に対する脅威、平和の破壊、および侵略」と認定されていれば、それが非人道的な状況であるかどうかとは無関係に武力介入が可能である。

 

人道のための武力行使

 

 やっかいなのは、国連安保理が強制行動を起こさない場合に、加盟国が軍事介入をすることが可能かどうか、という議論である。これを狭義の人道的介入(《人道的介入》)と呼ぶ。この問題が改めて問われるようになったのは、1999年3月から7月に行われた、NATO軍によるコソボ空爆がきっかけであった。

 

 狭義の人道的介入だけが人道的介入の問題ではないが、そこには《複雑化した平和》をめぐる問いが凝縮されており、それを肯定するにせよ否定するにせよ、さまざまなことを考えなければならない。

 

「絶対平和主義」対「絶対倫理」

 

 《複雑化した平和》とは、第一に、平和のために他人に武力や暴力を含む強制をどこまですることができるのか、ということであり、第二に、平和のためにどこまで危険を引き受けることができるのか、引き受けなければならないか、ということである。特に第一の問題は、これまでの「絶対平和主義」が避けて通ってきた問いであり、しかも、なんとかして答えなければならない問いである。

 

 「人の苦しみはそれを見たものに義務を負わせる」というポール・リクールの言葉は、絶対倫理の要請を表現している。なぜなら第一にそこでは「生の絶対性」が前提され、第二にそれが「定言命令」であるためである。こうしたリクール的状況においては、力が平和や正義を実現すると考えるのではない場合、絶対平和と絶対倫理とが緊張関係をはらんだ問いを人に突きつけることになる。

 

武力行使が唯一の課題ではない

 

 では、狭義の人道的介入を認めればすれですむのか、というとそうではない。むしろ、何をなすべきかをとことん突き詰めて考えていくプロセスを経ていくことが重要なのである。

 

 そして、介入するとしても、なにをどこまで行うか、またその際にどの程度の危険を誰が引き受けるのか、ということが重要になる。特に、「非人道的状況におかれた人々を救うためのあらゆる行為」という意味での広義の人道的介入を考える場合、この問題は大切な論点となる。これに関してもさまざまな選択肢があり得、そこから何を選んでいくかに関しては狭義の場合と同様に難しい問題が存在する。人道的介入の問題は、人権や人道と平和の関係を考える上で我々に深い示唆を与えるものである。

 

2(1018)

 

一応の定義

 

 アダム・ロバーツの定義は「ある国において、住民に対して大規模に苦痛や死がもたらされているとき、それを止めることを目的として、その国の同意なしに軍事力を持って介入すること」である。それ以外の様々な定義を含めて、人道的介入の一般的な定義としては、

 

 (1)極度の人権侵害、人道に対する罪と呼べるような甚だしい迫害の存在

 (2)当該国の政府が迫害を行っている、もしくは当該国政府が迫害を止める意思や能力を持っていない。

 (3)他の国、または軍事同盟を含める国々が介入する。

 (4)軍事力を用いた「武力介入」である(そうでない場合もある)。

 

 ブラウンリーの議論が代表するように、国際法においては人道的介入は支持されるよりも懐疑的な議論が多かった。それは国際法における人道介入の両義性を示している。

 

国際法体制の明晰さ

 

 第二次大戦後は、国連憲章2条4項が(1)国際関係における武力行使と武力による威嚇を禁止し、(2)他国の領土保全や政治的独立を尊重すべきであることを定めたことで、他国への武力介入が明確に禁止されるようになった。さらに、1970年の友好関係原則宣言や1966年の「介入の不許容に関する宣言」などによって、武力行使の違法性が明確になった。しかし、両義性が消えてしまったわけではない。

 

合法性回帰への圧力

 

 第一に、国連憲章51条が明記するように、自衛の場合は武力行使は認められており、また2条7項においても国連の国内問題への介入が可能であることが定められているため、国連憲章体制においても武力介入が正当化される可能性が残っている。第二に、パキスタンによるベンガル人虐殺などの惨事や悲劇が起き、人権や人道の保証を目的とする国連体制にとっては無視し得ない事態が起きてきた。これらのことから、人道的介入に合法性を付与する可能性は残っているのである。

 

 こうしたことを考える場合に、第一に人道的介入自体の合法性と、ここの介入の手段の合法性は別の水準で考えなければならないし、また第二に、合法であることと、介入するべきであることとは同一視するべきではない、という点に注意しなければならない。特に第二の点は、狭義の人道的介入に関して重要な問題となる。

 

3 (116124)

 

 人道的介入の法的な難しさは、国連の不干渉原則との兼ね合いの問題と、武力不行使原則との両立可能性の問題の2点にある。第一の点は既に論じてきたとおり。第二の点に関しては、武力不行使原則は強行規範(ユス・コーゲンス)、すなわち、他の規範よりも強いものであり、それから逸脱してはならないような規範であることに注意しておく必要がある。

 

武力行使違法化までの道のり

 

 17世紀頃までは、国際法においては正戦論が主流であったが、18世紀頃から無差別戦争観に転換した。20世紀に入って無差別戦争観に対して、一定の範囲の戦争を違法化しようとする動きが国際連盟規約や不戦条約などによってなされたが効果はあまりなかった。

 

 国連憲章においては、武力行使と武力による威嚇の禁止、という、国連憲章2条4項によって、戦争よりも広い概念での正戦論の否定がなされた。ただし、諸国家の武力行使が禁止されたのであって、国連の武力行使は強制行動として認められており、国連に関しては正戦論が認められることになった。その意味では狭義の人道的介入のような諸国家の合法的な武力行使が国連体制下において認められる可能性はきわめて少ないことになる。

 

「正当な例外」か

 

 しかし、狭義の人道的介入を認めるとすると、それが原則に対する「正当な例外」としての根拠を持つ必要がある。その根拠として主に3つの考え方がある。第一は、国連の安全保障体制が機能不全に陥っている場合は許される、という考え方、第二には、人権の保障のためには武力行使の禁止は解除されるという考え方、第三には、他国の領土保全や政治独立を犯すようなものでなければ許される、という考え方である。

 

人権か国家主権か

 

 こうした例外設定は、国際司法裁判所の判決に見られるように、基本的には否定されてきた。しかし、近年の国際社会の変化から考えると、人道介入の是非に関して武力不行使原則を優先するような判断は、人権よりも国家主権を重視するようなことになる、という批判を受けることにもなる。武力行使を伴わない人道的介入がありえる以上、こうした批判は不介入原則に対するものであっても、厳密には武力不行使原則に対するものであるとはいえない。

 

 人権か国家主権かという問題設定をされたばあい、多くの場合人権をとる人が多い。しかしだからといって武力を行使してよいとは自動的にはなり得ない。武力を行使してよい場合、武力行使の違法化が台無しになり、また人道を名目とした介入を正当化してしまう可能性もあるのである。

 

【コメント】

 

(後日掲載予定)

 

【参考文献】

 

(国際法)

松井芳郎『国際法から世界を見る 市民のための国際法入門』東信堂、2001年。

奥脇直也、小寺彰編『国際法キーワード』有斐閣、1997年。

松井芳郎ほか編『国際法』有斐閣Sシリーズ、2002年。

 

(最上敏樹)

スタンリー・ホフマン、最上敏樹訳『国境を超える義務 節度ある国際政治を求めて』三省堂、1985年。

『ユネスコの危機と世界秩序』東研出版、1985年。

『国連システムを超えて』岩波書店(21世紀問題群ブックス)、1995年。

『国際機構論』東京大学出版会、1996年。

『人道的介入 正義の武力行使はあるか』岩波新書、2001年。

 

(人道的介入)

エリ・ウィーゼル、川田順造編、廣瀬浩司、林修訳『介入? 人間の権利と国家の論理』藤原書店、1997年。

日本国際連合学会編『人道的介入と国連』国際書院、2001年。

『国際問題』20014月号(焦点:「人道的介入」の争点)。

藤田久一『戦争犯罪とは何か』岩波新書、1995年。

藤田久一『国際人道法』有信堂高文社、2000年。

ロニー・ブローマン、高橋武智訳『人道援助、そのジレンマ』産業図書、2001年。

 

(芝崎厚士)

 

 

 

 

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