研究ノオト40 「潜在能力の欠如としての貧困」

第1稿 2002/10/28

 

【テクスト】

 

アマルティア・セン「潜在能力の欠如としての貧困」石塚雅彦訳『自由と経済開発』日本経済新聞社、2000年、第4章より。

 

【目次】

 

00 イントロ

01 所得の貧困と潜在能力の貧困

02 何の不平等か

03 失業と潜在能力の欠乏

04 医療と死亡率アメリカとヨーロッパの社会的態度

05 インドとサハラ以南アフリカにおける貧困と欠乏

06 性による不平等と消えた女性達

07 結語

 

【内容】

 

00 イントロ

 

社会正義や貧困の分析は,単に所得の欠如のみによってではなく、「その人が自ら生きる価値があると思うような生活をするための本質的自由」としての潜在能力を基準にして分析することが必要である。なぜなら、(1)貧困を正しく説明できるからであり、(2)所得のみの要因を考慮に入れることができるからであり、(3)所得と潜在能力の媒介的関係の可変性を理解することによって,貧困に関する様々な要因を理解することができるようになるためである。

 

01 所得の貧困と潜在能力の貧困

 

所得の貧困と潜在能力の貧困との間には密接な関係があり、どちらかの改善がもう一方の改善につながることがある。しかし、所得の貧困を軽減するだけでは,人々の実際に持っている自由の程度から貧困や欠乏が改善されたかどうかを判断することは難しい。こうして、潜在能力を基盤におくことで、貧困の性質や特徴をより根底から理解することができるようになる。

 

02 何の不平等か

 

不平等を除去しようとする試みは、社会的正義の実現という意味では肯定されるが、社会の総意としてそれが常に受け入れられるとは限らない。集合的要件と分配的要件との間には対立があり、それをどのようにバランスするかは困難な問題である、しかも、不平等の有り様は領域によって異なるのであり、それらの領域を集合的に扱おうとしても、個々の領域の実相をそのまま反映したものになるとは言い難い。

 

03 失業と潜在能力の欠乏

 

西ヨーロッパでは軒並み失業率が高いが、失業者は福祉国家政策に基づく社会保障を受けているので,所得の不平等はそれほど大きくならない。しかし、失業は単に所得の喪失だけではなく,精神的な傷や働く意欲の喪失をもたらし、いわば潜在能力の欠如が生じるのである。

 

04 医療と死亡率アメリカとヨーロッパの社会的態度

 

翻ってアメリカでは失業率は低いが、所得の不平等は大きい。特に、アフリカ系アメリカ人と白人のアメリカ人との間の貧富の差は非常に大きい。しかも、死亡率の高さという観点では他の多くの貧しい国々の多くを上回っている状態である。

 

ヨーロッパは失業と言う観点から見ると状況は暗く,アメリカでは生存能力の観点から見ると驚くほど不平等である。そこに、福祉国家ヨーロッパと、自助の国アメリカという、政治的社会的な性格の相違が看守できる。

 

05 インドとサハラ以南アフリカにおける貧困と欠乏

 

 インドとサハラ以南は、世界の最貧地域の大多数を占めており、同時に平均寿命60歳以下の国の大多数をも占めている。しかし、両地域の貧困の性格は微妙に異なる。

 

 インドにおいては地域ごとの格差が極めて大きく、地域によってはサハラ以南の最悪の地域と肩を並べている。成人識字率や乳児死亡率で見ると、両地域の差はそれほどないが、インドの方が平均寿命が長いにもかかわらず、サハラ以南よりも栄養状態が悪い。インドにおいては食料の配分が公平で泣く、特に児童の食糧事情がよくない。しかしサハラ以南は数々の災害や戦争によって、社会的なインフラストラクチャーが完全に機能しなくなることが多く、それが平均寿命の短さを物語るのである。

 

06 性による不平等と消えた女性達

 

 通常、男の子の方が女の子よりも5%多く生まれるが、同等の保護を受けた場合は女性の方が生存可能性が大きい。しかし、世界の多くの地域で女性の死亡率が高く、生存率が男性に比べると不自然に低いという状況があり、世界的に見て女性の潜在能力が欠如してしまう状況を物語っている。いわゆる「消えた女性達」は、統計次第では6000万〜1億人以上にのぼると考えられている。

 

 その原因としては、母親であることが原因による死もあるが、より重大な原因は、明らかに子供時代の女性の健康と栄養が不当に無視されるような状況が存在するためである。インドはもちろん、「一人っ子政策」を採用する中国においても、そうした状況が悪化する可能性がある。

 

07 結語

 

 経済学者達は、不平等の問題を所得の不平等という観点からのみ分析しがちであったが、経済の不平等と所得の不平等とは分けて考える必要がある。そのためにも潜在能力の欠如として貧困を捉えるアプローチが必要になる。むろん、所得の不平等と潜在能力の不平等との間の関係は一意的に決まるものではないが、その複雑な関係に依拠した分析を試みることが重要である。そして潜在能力の向上を達成する上で、公開の論議と社会的参加の拡大を核とした民主的な政治制度の確立が欠かせない。

 

【コメント】

 

 確か一昨年にこの本の第1章をやり、去年は絵所さんの論文を取り扱いました。ということで、すくなくとも私にはだいぶお馴染みになったセンの潜在能力(capability)アプローチのお話です。この章では、比較的有名な、統計データを用いた貧困の状況の分析と,そこからそれぞれの社会の特質を説明していくなかなか見事な議論を読むことが出来ます。もうひとつの中心概念である、権原(entitlement)は出てこないですが、センのアプローチを生で読む上ではなかなかよい部分だと思います。

 

 経済学における主体としての人間もまた、政治学における主体としての人間同様とい直されていく、という方法論的な論点としても、いろいろな意味で取り上げる価値のある議論だと思います。

 

 センの解説としては、絵所さんの仕事のほか、鈴村・後藤本がもっとも包括的です。後藤さんという方は、ロールズとセンのアプローチを総合しようとする博論を書かれているようです。

 

【参考文献】

 

(センの著作)

杉山武彦訳『不平等の経済学』日本経済新聞社、1977年。

鈴木興太郎『福祉の経済学』岩波書店、1988年。

大庭健、川本隆史訳『合理的な愚か者』勁草書房、1996年。

池本幸生, 野上裕生, 佐藤仁訳『不平等の再検討』岩波書店、1999年。

黒崎卓、山崎幸治訳『貧困と飢饉』岩波書店、2000年。

石塚雅彦訳『自由と経済開発』日本経済新聞社、2000年。

鈴木興太郎、須賀晃一訳『不平等の経済学』東洋経済新報社、2000年。

志田基与師監訳『集合的選択と社会的公正』勁草書房、2000年。

大石りら訳『貧困の克服』集英社新書、2002年。

徳永澄憲、松本保美、青山治城訳『経済学の再生』麗澤大学出版会、2002年。

 

(関連著作)

世界銀行編、西川潤監訳、五十嵐友子訳『貧困との闘い(世界開発報告)』シュプリンガーフェアラーク東京、2002年。

鈴村興太郎、後藤玲子『アマルティア・セン』実教出版、2001年。

絵所秀紀、山崎幸治編『開発と貧困』アジア経済研究所研究叢書第487号、1998年。

絵所秀紀『開発の政治経済学』日本評論社、1997年。

絵所秀紀『開発経済学』法政大学出版局、1991年。

西川潤『人間のための経済学』岩波書店、2000年。

高木保興『開発経済学の新展開』有斐閣、2002年。

 

スーザン・ジョージ、小南祐一郎、谷口真理子訳『なぜ世界の半分が飢えるのか』朝日選書、1984年。

見田宗介『現代社会の理論』岩波新書、1996年。

 

(芝崎厚士)

 

 

(芝崎厚士)

 

 

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