研究ノオト32 21世紀の資本主義とは

第1稿 2002/7/6

 

テクスト:岩井克人「二十一世紀の資本主義論 グローバル市場経済の危機」岩井『二十一世紀の資本主義論』筑摩書房、2000年、第2章のうち、34−53ページ。

 

今回は経済ということで、今までなぜか不思議と取り上げなかった岩井克人さんの議論を呼んでみることにします。彼の書き物の中でも、今までの議論の集大成とも言え、またわかりやすさや目配りの点でも出色の出来である本論文の骨の部分です。

 

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 21世紀にも金融危機は繰り返し起こるであろう。というのも、金融危機のような危機は市場経済にとって本質的な現象であるが故に、今後決して消えてしまうことはなく、くりかえし起きるのである。

 しかし、金融危機はグローバル市場経済にとっては真の危機ではないということ。真の機器は、基軸通貨としての「ドル危機」である。基軸通貨とは、世界中の貿易取引や金融取引において、その通貨を発行している国が介在する必要なく使用され、どのような国のどのような商品とも交換しうるものである。

 なぜそう言いうるかを考えるためには、「貨幣」とは何かという考察が欠かせない。

 

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 従来、貨幣とは何かという疑問に対する答えとしては、貨幣商品説と貨幣法制説とがあった。

 貨幣商品説とは、貨幣が貨幣である理由は、その貨幣がモノとしての商品価値をもっているからであるという主張である。貨幣商品説が誤りであることは、硬貨・紙幣・電子マネーなどは、どれをとっても額面に等しいモノとしての商品価値を持っていないことからも明らかである。

 貨幣法制説は、貨幣が貨幣として受け入れられるのは、それが共同体的な申し合わせや政府の命令や国家の法律によって貨幣として指定されたからである、という主張である。貨幣法制説が誤りであるのは、民間の企業が発行する電子マネーの存在や、皇朝十二銭の失敗、などといった事例からも明らかである。

 では貨幣とは何か?貨幣とは、商品がそうであるように、他人が将来それに価値を与えると予想しているが故に、貨幣として受け入れられる。しかし、商品の価値がモノに対する人々の欲望を実体的な根拠としているのに対して、貨幣は人から人へ永遠に受け渡されていくだけである。すなわち、それを貨幣として他人が受け入れてくれるであろうという「予想の無限の連鎖」が存在していて初めて、貨幣が貨幣足りえるのである。

 

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 人が自分のモノを相手の貨幣を交換する時、それは、「モノを売る」という行為であると同時に、「貨幣を買う」という行為でもある。一方、ある人が自分の貨幣をモノと交換する時、それは「モノを買う」という行為であると同時に、「貨幣を売る」という行為である。以上のことから、「貨幣とは、他人に売るために他人から買うモノなのである」とは、人はモノを売って貨幣というモノを買い、その貨幣というモノを売ってモノを買う、ということである、ということができる。

 こう考えてみると、貨幣と「投機」(第1章参照)との関係が明らかになる。

貨幣は、他人に売るために他人に買うモノである以上、広い意味での「投機」としての性格を持っている。そして、貨幣が貨幣としての価値を持っている根拠は、投機と同様に「予想の無限の連鎖」である。しかも商品と異なり、貨幣はモノとしての価値を持たず、その分だけ「予想の無限の連鎖」により全面的に支配されてしまっている。つまり、貨幣は他のどのモノよりも純粋かつ強力に、投機の根源的な無根拠性が実体化された存在なのである。

 市場経済において、短期的な価格の値上がりによって利益を得ようとする、狭い意味での投機は切っても切り離せないものであり、さらに、市場経済は貨幣なしでは成立せず、その貨幣自体が本質的に投機の性格を持っている以上、狭い意味での投機に限らず、広い意味での投機が市場経済を根底から構成しているのである。

 

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 貨幣とは何か、貨幣と投機、といった考察を経たことで、資本主義の真の危機がどこにあるかが明確になる。資本主義の危機は「恐慌」ではなく、「ハイパーインフレーション」なのである。

 「経済全体の商品に対する需要がその総供給を上回る状態が長く続くこと」という意味での恐慌は、確かに深刻な事態を引き起こす。しかし恐慌は、貨幣の存立基盤そのものである「予想の無限の連鎖」事態を脅かすことはなく、むしそそうした連鎖の存続に対する信頼に裏付けられている。したがって、恐慌はむしろ、その試練を乗り越えるごとに市場経済がますます強靱なモノとなっていったのであり、真の危機とはいえない。

 ハイパー・インフレーションとは、「ひとびとが貨幣を貨幣として受け入れることを拒否し、先を争って貨幣から遁走している状態」を指す。多くのひとびとが貨幣よりもモノを欲するようになると、総需要が総供給を上回り、インフレーションが起きる。そこでさらに、インフレーションが将来さらに加速するという予測が強まることによって、ハイパー・インフレーションが起き、貨幣を貨幣として受け入れること自体が拒否され、貨幣が単になる金属片や紙切れや電磁波にすぎなくなる。その結果、人々は物々交換を始めるほかなくなり、市場経済が崩壊してしまうのである。

 市場経済には、「効率性と不安定性の二律背反」が存在する。すなわち、効率を高めれば高めるほど、市場経済の不安定性が高まる、ということである。貨幣を導入することによって「売り」と「買い」を分離することで、物々交換という非効率な経済形態から脱することができた結果として効率化した人間の交換活動は、時間的・空間的・社会的に飛躍的に発展することができた。しかし、「売り」と「買い」の分離は、売りと買いが同時に行われなくてもよいが故に、何らかの理由で「セーの法則」が破綻するような事態が容易に起こりえるのである。ハイパーインフレーションは、そうした文脈で起こりうるのである。

 

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 現代世界のグローバル市場経済に、ハイパー・インフレーションを防ぐことのできる制度的な歯止めは存在しない。グローバル市場経済におけるハイパー・インフレーションとは、具体的には基軸通貨であるドルが機能不全に陥ることを意味することになる。

 第二次大戦直後のアメリカは、圧倒的な経済の支配力を誇っていた。戦争によって生産能力を大きく失った西ヨーロッパや日本は、復興するためにはアメリカとの貿易や、アメリカからの援助に頼らざるをえなかった。1950年代の後半以降、アメリカの経済力は徐々に低下していったが、それでも金兌換が保証されていることに支えられて、基軸通貨としてのドルの地位は揺るがなかった。

 しかし、1971年8月以降は、ドルと金の交換可能性は放棄されてしまう。その後、アメリカの経済力や生産性は相対的に落ち続けたが、人々はそれでもドルを基軸通貨として使い続け、現在はその地位を逆に強めている。このことからわかるように、世界経済を支える基軸通貨としてドルが流通している根拠は、もはや実体的な保証にではなく、「予想の無限の連鎖」にしかないのである。

 したがって、いったんその予想が成り立たなくなってしまうと、ハイパー・インフレーションが訪れ、ドルは基軸通貨として機能しなくなりかねない。そしてそのドルを基軸通貨とするグローバルな市場経済も、同時に崩壊しかねないのである。

 

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 世紀末の金融危機は、非基軸通貨国の経済に対する不信や不満の表明としてとらえることができる。しかし、金融危機の際に、それらの国から引き上げられた資金の多くは、ドルの形で保有されることになり、アメリカの株式市場は大ブームを迎えることになった。このことからわかるように、金融危機においてみられたのは、グローバルな市場経済の否定ではなく、それに対する信頼の表明であり、それを支える基軸通貨としてのドルに対する信頼の表明に他ならない。その意味で、金融危機はグローバルな市場経済にとっては真の危機とはいえない。

 「ドル危機」とは、ハイパー・インフレーションが起きて基軸通貨としてのドルの価値が暴落することである。一時的にドルに対する過剰感が生まれ、ドルの価値が下落し、その下落が将来も続くであろうと言う予想が支配的になる結果、ドルは基軸通貨として受け入れられなくなり、そのドルがアメリカ国内に流れ込み、ドルは大幅に価値を失った一国通貨に成り下がってしまうのということである。こうした「ドル危機」がひとたび起こるならば、グローバル市場経済が解体しかねないというのが今の状況なのである。

 

コメント

 

 なお、グローバルな中央銀行の設立が唯一の解決策であるが、それは主権国家体系を基礎として分割された現代の世界において実現することは容易ではない、というのがこの後岩井さんが書いていることです。

 

 貨幣は、それが貨幣であると人々が信頼しているから貨幣であり、そうした「予想の無限の連鎖」が貨幣を貨幣たらしめている。もともと『現代思想』に連載されたこの『貨幣論』のエッセンスの部分と、資本主義に関する岩井さんの議論の核になる部分がひととおり読める「おいしい」箇所を選んでみました。

 

 こうした「予想の無限の連鎖」が社会を構成してしまう、というのは、ソシュール、ウィトゲンシュタインからフーコー、あるいはポパーなどの議論をはじめ、言説行為や真理、合理性といったものが持たざるを得ない帰結として広く知られていることだと思います。岩井さんは自分なりの思考からこうした議論に到達していったようで、理屈を現実にとっかえひっかえ当てはめて操作するだけの思考とは一線を画す知的誠実さを感じることが出来ます(あるいは確信犯的なのかも?)。

 

参考文献

 

岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫。

岩井克人『貨幣論』ちくま学芸文庫。

 

(芝崎厚士)

 

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