演習室20 冷戦後のテロリズム

Seminar20 Terrorism after the Cold War

09/29/2001 第1稿

 

【テクスト】 

 

 加藤朗「冷戦後のテロ」東海大学平和戦略国際研究所編『テロリズム 変貌するテロと人間の安全保障』東海大学出版会、1998年、31−51ページ。

 

 今回は米国での同時テロ事件を受けて、テロリズムを取り上げることにします。ただし、イスラム復興運動やパレスチナ問題といった中東情勢に引きつけたかたちではなく、あくまでテロリズムという国際関係現象一般を考察する、ということで考えたいと思います。現在の論調は、アフガニスタン、ビンラディン対アメリカ、というハンチントン流の構図でイスラムに対する関心を高めていく方向に若干傾きすぎており、テロリズム=イスラム原理主義、的なおさえ方ではテロリズムという現象をつかみきれないと思うからです。

 

 本論文の著者加藤朗氏は、『現代戦争論』(中公新書、1993年)というなかなか興味深い本の著者でもあります。同書も非常に有益です。他にテロリズム関連の和書としては、佐渡龍巳『テロリズムとは何か』(文春新書、2000年)、ブルース・ホフマン『テロリズム』(原書房、1999年)などが出ています。ちなみにアマゾンでは、テロリズムやビンラディン関連の洋書のランクが急上昇しています。

 

 加藤論文が収録されているこの本は、なかなかバランスがとれていると思います。

 

【目次】

 

はじめに

1 近年のテロの趨勢

2 冷戦後のテロの背景

3 冷戦後のテロの場

4 冷戦後のテロの手段

 

【内容】

 

はじめに (略)

 

1 近年のテロの趨勢

 

 近年のテロには3つの大きな波がある。第一、第二の波は冷戦期、第三の波は冷戦後に訪れた。

 第一の波は左翼テロで、70年代以降、反米・反帝を掲げて行われた。これは米ソ冷戦の一環として展開され、テロはゲリラと共に低強度紛争(LIC low intensify conflict)の手段として利用されたのである。

 第二の波はイスラム・テロで、80年代以降、反米・反ソを掲げて行われ、親米・親ソのイスラム権力者も標的となった。この時期には、イラン革命以降、イスラム原理主義勢力による反政府テロが激化した。

 第三の波は原理主義テロで、90年代以降、反近代を志向して行われている。原理主義は基本的には西洋近代を否定し、共産主義終焉以後の唯一のカウンター・イデオロギーとして昨日している。原理主義には、宗教、民族、環境といった種類があり、反近代、もしくは脱近代のテロリズムと呼ぶことができる。

 

2 冷戦後のテロの背景

 

 表面的には共産主義イデオロギーの終焉という要素が背景となっているが、より根本的には西洋近代合理主義が限界に達し、それに対する異議申し立てとしての意味を持っている。

 西洋近代合理主義の限界とは、具体的には思想面におけるリベラリズムの限界(フクヤマの「歴史の終わり」、ハンチントンの「文明の衝突」論など)、政治面では国民国家の限界(民主主義と少数派の権利、エスノ・ナショナリズム)、経済面では市場経済の限界(貧富の差の国内・国外における構造的拡大、開発と環境の関係など)として現れている。

 

3 冷戦後のテロの場

 

 冷戦後の国際社会のイメージとしては、(1)ホッブス的、国家中心的イメージ、(2)グロティウス的、多中心的イメージ、(3)カント、人間中心的イメージ、(4)文明中心的イメージがある。(2)や(3)は世界市民、世界社会といった未来へのアイデンティティを志向し、統合へのベクトルを持っている一方、(1)や(4)は民族、文化・文明といった、過去へのアイデンティティを志向し、反統合のベクトルを持っており、国民国家システムはその間に引き裂かれるようにして存在している。

 第三世界=周辺=発展途上地域は、反近代・前近代・前国民国家地域とも言うことができる。ここでは、国民国家が限界を迎えており、原理主義的テロリズムが盛んになる。第二世界=準周辺=新興工業地域は近代・国民国家地域ともいうことができ、ここでは国民国家形成に対して抵抗する反政府テロが盛んになる。第一世界=中心=先進地域は超近代・超国民国家地域ともいうことができ、宗教・環境原理主義による反近代テロが起こる可能性が高い。

 

4 冷戦後のテロの手段

 

 第一の波においては、ハイジャックが常套手段であった。第二の波に置いては、爆破、襲撃、爆弾テロが常套手段であった。第三の波においては、ABC兵器、サイバーテロ、インフォテロなどが懸念される。

 

【コメント】

 

 全体的に短いこともあり、具体例をカットして話をぎゅっと詰めてしまえばだいたいこのような流れになります。国家を守る安全保障だけでなく、環境・疫病・テロ・難民・人権・差別など、人間の安全保障(human security)が新たな安全保障の課題となっているという文脈の中、旧来の戦争ではなく、LICという形態を取る(国家主体対脱国家主体の)戦いが今後の「戦争」の中心になっていくという変化が基本にあります。

 こうした安全保障観・戦争観の多様化は、国際社会における平和と安全を守るシステムをどう作っていくか、というグローバル・ガヴァナンスの問題として、国際政治・国際法双方の従来の考え方の変更を迫るものであると同時に、国家間関係のあり方自体にも影響を与えると思われます。

 本論文では、「3」の部分がやや図式的に過ぎる気がします(たとえば地域によって起こるテロの性質が異なる、というのは、グローバリゼーションが進行する中今回の事件のようなことが起こることをやや考慮の外に置いているようにも思います)。それにしても今回のことで改めて、アメリカが特に冷戦後、イスラムの人々を国内に大量に受け入れてきたという事実が露わになったように思います(ヒトの国際移動!)。

 

 

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