研究ノオト18 国際社会論:アナーキカル・ソサイエティ

Seminar18 The Anarchical Society

2001/08/21 第1稿

 

【テクスト】

 

 ヘドリー・ブル、臼杵英一訳『国際社会論 アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店、2000年、第2章(Hedley Bull, The Anarchical Society: A Study of order in world politics, Columbia University Press, 1977, 1995, Ch.2, pp. 23-52.)、31−70ページ。

 

【目次】

 

 第2章 世界政治秩序は存在するか

  (はじめに)

 1 国際社会観

  (1)キリスト教的国際社会

  (2)ヨーロッパ的国際社会

  (3)世界的国際社会

 2 国際社会の現実

  (1)社会的要素

  (2)無政府社会:アナーキカル・ソサイエティ

 3 国際社会の限界

 

【内容】

 

第2章 世界政治秩序は存在するか

 

(はじめに)

 世界政治秩序は、国内秩序と国際秩序に分類することができる。本書は、「秩序とは、国際関係の歴史記録の一部であり、とくに、近代国家は、主権国家システムばかりか国際社会をも形成してきたし、今も形成し続けている」という前提に立つ。世界政治秩序が永在していることを主張するのが本性の議論であるが、その議論は次のように構成されている。

 すなわち、第一に、近代主権国家システムの歴史を通して、国際社会という観念が常に存在してきたことを示す。第二に、国際社会という観念が国際的現実に少なくとも部分的には反映され、現実の国際的実行に重要な基礎を有していることを示す。第三に、国際社会観の限界とその不安定で不完全な秩序の性質を示すこと、である。

 

 

1 国際社会観

 

 国際社会観には、大別して(1)ホッブス的(現実主義的)伝統、(2)カント的(普遍主義的、理想主義的)伝統、(3)グロティウス的(国際主義的)伝統が存在する。

 ホッブス的、または現実主義的伝統とは、@国際関係は万人の万人に対する闘争であり、分配的なゼロ=サム=ゲームに似ている。A国際的活動の典型は戦争であり、平和とは戦争で失われた国力回復と次の戦争の準備期間に過ぎない。B国際行為規則の面では、国家は、自ら以外のいかなる道徳的・法的制限にも従属することなく、自己主張し、自己の目的を自由に追求する。以上の特色を持つ。

 カント的、または普遍主義的・理想主義的伝統の特色は、@国際関係は国家横断的な社会的きずなによって作られており、人類共同体におけるすべての人間間の関係であり、協力的なノン=ゼロ=サム=ゲームである。Aすべての人民の利害は同一であって、国際的活動の典型は個々の国境を横断し、人間社会を二つの陣営に分割している水平的なイデオロギー衝突である。B国家の行動を制限する道徳律は存在し、最終的には主権国家システムは転覆され、世界市民社会に置き換わるべきである。という3点である。

 グロティウス的、または国際主義的伝統には、@国際関係は主権国家からなる社会(国際社会)によって構成されている。国際政治は、国家間の完全な利害の衝突を、あるいは完全な利害の一致を表すものでもなく、部分的に分配的であるが、部分的に生産的でもある。A国際的活動の典型は戦争でもイデオロギー衝突でもない通商、もしくは、ある国と別の国との間の経済的並びに社会的交流である。B国際的な行為規則としての道義や法は存在するが、それは普遍的な人類共同体への置き換えを目指すものではなく、主権国家からなる社会における共存と協力の要件を受け入れることである。という特色がある。

 ブルの議論にとって重要なことは、グロティウス的な国際社会観が、歴史的に様々な形で変容してきたにせよ、常に主権国家システム思想に内在してきたということである。

 

 (1)キリスト教的国際社会 (略)

 

 (2)ヨーロッパ的国際社会

 

 18世紀から19世紀における国際社会は、キリスト教的国際社会からヨーロッパ的国際社会への変容によって特徴づけられる。それは同時に、自然法思想が実証主義を生んでいったこと、政治理論と法理論に加えて歴史家の思想がかかわってくること、と軌を一にしている。

 ヨーロッパ的になっていくことによって、外部との文化的差異の意識が発達していく。キリスト教的国際社会観が根強い時代においては、自然法的思考の影響によって、文化的な差異に基づく排他性の意識はそれほど発達しなかったが、自然法的思考が衰退することによって、ヨーロッパ国際社会の時代においては国際社会イコールヨーロッパの結合体であって、文化を異にする非ヨーロッパ諸国は「文明」というヨーロッパ人が定めた基準を満たさない限り仲間入りを許されなくなった。

 また、国際社会が主権国家あるいは国民からなる社会であるという原則が確立していった。そのことによって、構成員はすべての同一の基本権を持ち、構成員が負う義務も相互主義的なものであり、国際社会の規則と制度は構成員の同意に基づいているという観念と、国家と呼ばれる特定の種類の政治的実体を持たない王国や首長国や族長国は構成員から排除されるべきである、という観念が、承認されるようになった。

 そして、国家の構成原理が王朝的なものから国民的・民衆的なものに変化するという流れも手伝って、当時の論者は、中世以来の普遍主義的・連帯主義的な諸前提から脱却して、無政府的な社会に特有な特徴を考察に含めるようになってきた。紛争の原因の正当性は国際社会には解決不能なものであるから国際法から一掃すべきであるという考え方、政府によって締結された条約がその承継政府を拘束すること、それらの条約が、たとえ強迫によって締結されたものであっても、有効であることを承認するという考え方、主権をすべての国家の属性として承認し、主権の相互承認を主権国家システム内での基本的な共存の規則として承認する考え方、国際社会とは、その構成国間の協力を反映する一定の制度の中に具体的に表現されているものであるという考え方などは、その代表的な例である。

 

 (3)世界的国際社会

 

 20世紀に入ると、ホッブズ的・現実主義的な解釈が強められると同時に、カント的・普遍主義的解釈も強められた。それによって、18世紀・19世紀と異なり、それ以前の議論に近い国際社会観が強くなっていった。

 20世紀の国際社会観の特徴は次の三つである。第一に、国際社会は、とくにヨーロッパ的なものとはみなされなくなり、地球規模の社会、あるいは世界大の社会とみなされるようになった。第二に、国際社会の構成員は国家と国民だけではなく、国際機構や非国家集団や個人が加わり、主権国家のみを構成員と考える国際社会観が非難されるようになった。第三に、国際社会理論が、自然法的な原則にもとづく方向へ回帰していった。と同時に、普遍主義的、連帯主義的な規則の定式化がなされるようになってきた。

 

2 国際社会の現実

 

 (1)社会的要素

 

 国際社会的要素は、近代国際システムに常に存在し続けてきたし、今も存在し続けている。ただし、この要素はシステム内の諸要素の一つに過ぎないので、不安定なものでもあり得る。近代国際システムには、ホッブス的な要素(権力を追求する国家間の戦争と闘争の要素)、カント的な要素(国家への分断を横断する国境を越えた連帯と衝突の要素)、グロティウス的な要素(国家間の協力と規律ある交流の要素)のいずれもが存在しているのであり、時代の状況に応じてどれかの要素が顕著になるにせよ、ほかの要素が全く失われるわけではない。

 戦争や衝突が起きたとしても、国家の共通利益、国家によって受け入れられた共通規則、国家の手によって機能している共通制度といった観念が、影響力を及ぼすようになったとは考えられない。近代国際システム内における国家関係は、社会的要素が全く存在しない独立政治社会間の関係とは決定的に異なり、国際政治がホッブス的な戦争状態やカント的な連帯状況の様相を呈しているときでさえも、国際社会という観念が妥当性を失うことはなかったのである。

 

 (2)無政府社会:アナーキカル・ソサイエティ

 

 アナーキーであれば社会を構成していない、という議論は誤っている。それらの議論には以下の三つの弱点がある。すなわち第一の弱点は、近代国際システムが、完全にはホッブス的自然状態に類似していたわけではないということ。第二の弱点は、個人、および国家以外の集団の間の秩序条件に関して、誤った前提の上に立っていること。第三の弱点は、「国内類推」の限界を見落としていること、である。

 第一の弱点は次の通りである。ホッブスの理論は国際関係を直接的に議論しているに過ぎない。人を畏怖させる共通権力を欠いたままで人が生きている状況としてホッブスがあげる、(1)いっさいの生活の改良がありえなくなること、(2)いっさいの法的・道徳的規則が存在しないこと、(3)戦争状態であること、という3つの条件は、近代国際関係における「無政府状態」においては(3)以外は当てはまらない。

 第二の弱点として以下のような批判が成り立つ。ホッブスが考えるような最高政府の唯一絶対性は正しくなく、社会的秩序は相互的利益、共同体意識、一般意思、習慣や慣性といった要因によっても支えられている。また、ロックの「政府なき社会」という意味の自然状態をあてはめようとしてみても、未成熟ではありながら社会的要素が存在することは否定できない。

 そして第三の弱点に関しては次のようなことが言える。人は確かに政府なくして社会を達成することはできないが、ある程度の秩序は個人間でも達成されうる。それに、人に当てはまることをそのまま国家に当てはめることはできない。国家は人間よりも脆弱ではないものであって、無政府状態であることをある程度受忍することができるのである。

 

3 国際社会の限界

 

 近代国際システムは常に、同時に、国際社会である。しかし、国際社会的要素が常に存在しており、また国際的無政府状態が存在しても否定し得ないとしても、その要素は近代国際関係の一要素に過ぎないのであって、ほかの要素を無効化したり、国際社会的要素を絶対化することはできない。また、現実に存在する国際社会的な要素だけが正しい要素だと考えることも誤りであり、新しいほかの社会的要素に置き換えられる可能性をあらかじめ否定してはならない。

 

【コメント】

 

(芝崎厚士)

 

 

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