演習室13 地球システムの中の人間

Seminar13 Human being in Global system

2001/05/13第1稿

 

【テキスト】

 

竹内啓「総論−地球システムのなかの人間」『岩波講座科学/技術と人間』第8巻、1999年、1−44ページ。

 

【目次】

 

01 人間の置かれている条件

02 物理化学的システムとしての地球 (略)

03 生物システム或いは生態系

04 社会的システム

05 現在の世界システム

 

【内容】

 

今回は竹内啓氏の著作です。氏の論文をとりあげるのはこれが2本目になります。前回と同じ岩波講座からえらびました。

 

01 人間の置かれている条件

 

ここでは、人間がこの世界においてどのような位置にあるのか、人間がすむ地球システムを考察する場合にどのような論点が重要かを論じています。

 

最初に、人間が生活している地球システムが、宇宙>星雲系>銀河系>太陽系>地球、という構造の中にあるということ、そして現段階では、地球システムを考察するときには地球システムの外部について考察する必要はないということが確認されます。

 

次に、「人間の置かれている条件を理解することを目的とする」科学を次のように分類しています。

 

(1)普遍的科学 (universal or cosmic science):宇宙全般に当てはまることを原則とする。物理学、化学など。

(2)局所的科学 (local or global science):地球上の条件だけを対象とする。地球科学、生物学、すべての社会科学、人間科学。

 

本論文の構成から分かるように、地球システムは、(1)物理・化学システム、(2)生物システム、(3)社会システム、という3層構造をもっています。これらの層は、それぞれに複雑な構造を持ち、またそれぞれに独自の論理を持ち、また相互に影響を与え合っています。(1)>(2)>(3)という上位・下位関係がありますが、上位システムの論理によって下位システムの一切を説明できると考えるのは誤りです。

 

ここまでで、社会科学という学問が持つ位置がわかると思います。すなわち社会科学は局所的科学であり、社会システムを対象とする、というわけです。

 

さて、こうした地球システムについては、3つの基本的な論点があります。

 

第一に、地球システムが多様なシステムの多層構造を形成していること。

第二に、地球システムは地球独自のものであって、局所的科学はそれを前提としなければならないこと。

第三に、地球システムは歴史性を持つので、その変化は普遍的科学の一般法則からは導かれないこと。

 

以上が、以下の議論の前提です。

 

02 物理化学的システムとしての地球 (略)

 

ここは省略しますが、読んでいてとても面白い部分です。

 

03 生物システム或いは生態系

 

ここではまず、生命の起源、および地球上の生命の基本的な特徴についてまとめています。地球上の全ての生物の遺伝情報はDNAと呼ばれる同一の「言語」で表現され、同一の「文字」で表現されていること、このこと、すべての生物が単一の祖先に由来するということ、生物においては情報による構造の維持と再生が行われていること、などです。

 

次に、そうした生物が構成する生態系の特徴と意義が簡単にまとめられています。「生態系」とは、異なる種の間に存在する相互依存関係の全体をさします。そして、生態系の存在から必然的に導かれる結論は、生物の進化は個別的なものではなく、生態系全体が複雑な相互依存関係を保ちつつ進化してきたに違いないということです。

 

また、生態系の相互依存関係は、進化論においてはまだ十分には解明されていないこと、いずれにせよ生物の進化の過程は直線的ではなく、何度化の断絶を繰り返してきたこと、などが指摘されています。

 

生態系の概念、あるいは生態学から導き出されることが多い世界観、自然観、あるいは倫理的な結論が大別すると二つあります。それぞれ、事物を客観的の理解する科学の立場から見ると誤りを含んでいます。

 

第一の結論は、生態系とは生物間の生存競争の場であり、種間、個体間では常に闘争が行われており、進化はそうした闘争の結果生じる、というものです。

 

こうした結論からは、そこから「力こそ正義である」という優勝劣敗の論理がうまれた。その代表的な思想が社会的ダーウィニズムであり、そこからは自由主義経済思想や白人優越論、人種主義を生み出されてきた、ということになります。

 

しかし、これは生態学の命題に倫理を持ち込んだ、誤った理解であり、闘争を常態と見なし、進化と進歩を同一視しようとするのは科学的ではない。人間の文明を肯定する議論の根拠を自然の論理の中に求めることは間違いであると竹内氏は述べています。

 

第二の結論は、生態系は生物間の共存と調和の表現であり、生物は結局は互いに協力して一つの調和の取れたシステムを作っている、というものです。

 

こうした結論からは、生態系やそれを構成する種は全て価値のあるものであって、人間は生態系を撹乱したり、種を滅ぼしたりしてはならないし、あるいは人間を特別な存在と考えるのは間違いであるという発想が生まれてきます。

 

しかし、これらの考え方も科学としての生態学を誤解している。生態系は予定調和を示していないし、均衡が成立するのは偶然でしかない。生態系は数学的な意味でのカオスのようなものであって絶えず変化しているし、その変化は人間によっても引き

起こされているのである、というのが竹内氏の主張です。

 

ここは非常に重要な部分です。竹内氏の批判の立脚点となっているのは、第一に、科学的な観察の結果わかったことから、倫理的な命題(でなければならないこと)を引き出すことはできない、ということです。以前の演習室で扱った竹内論文を参照してほしいのですが、アプローチと論と主義を混同してはいけないわけです。しかしこれらの世界観はそうした混同を引き起こしているわけです。

 

第二に、上位システムである生態システムで観察される論理によって、下位システムである社会システムを一貫して説明し尽くすことはできない、ということです。このことは前にも書きました。

 

その他、第二の結論を支持する人々の中には、極端な人間中心主義批判を行う人がいるのですが、そういった人々に対して竹内氏は、人間中心主義を批判する人々は、人間が全ての生物を完全に人間の支配下においており、人間が全ての生物の権利を保護することができる、と言ったような思い上がりの持ち主であると批判しています。

 

結局のところ、「生態系の論理の中には、人間中心主義の善も悪も存在しないのであって、単に人間は人間中心主義的に行動せざるを得ないというだけであり、このことはすべての種が自己(自種)中心主義であるのと何ら変わりはないのである。生態系の調和なるものはこのようなすべての種の自己中心主義の衝突の結果として生ずる不安定な均衡に過ぎないのである。明確なことは、天体の運動から人間の運命を知ろうとしても無意味なように、生態系の論理からは人間行動の倫理的規範を導くことはできない、ということである。」というわけです。

 

04 社会的システム

 

次はいよいよ社会システムです。まず社会システムは(1)非美の個体的な再生産と、(2)生殖による次の世代の再生産という、二重の社会システムをもっていることが確認されます。

 

次に、言語の獲得、火の使用、農耕と牧畜、国家の形成という世界史でおなじみの過程が実に的確かつ簡潔に要約されています。

たとえば言語の獲得については、人間の言葉は動物の情報伝達手段に比べて格段に精巧であり、また言葉が言葉の意味する対象から離れてもその意味を保つことができるため、事物からの独立性を持ち、人間の直接的経験に対して外部化されているという特徴がある。そのため、言語によって人間の個体間の情報システムが完成し、それに基づいて社会システムが状況の変化に応じて存続し、発展できるようになった、というようにまとめています。

 

近代以降の世界の人類を構成する基本単位は国民国家ですが、それは基本的には政治単位であり、一定の地域とその地域内の人々に対する排他的支配権である主権を持っている。経済的には一つの国民経済を形成しており、文化的には一つの民族によって形成されていると考えられる(つまり仮構される)とまとめられています。

 

また、そうした国家の中には帝国となるものが現れ、また諸国家が国際社会を形成することに成ります。さらにそうした帝国や国際社会が文明を形成することもあります。

 

文明とは、相互に交易し合い、政治制度、或いは法律や社会制度を共通にし、また文化とくに文字や、相互交渉のための言語を共有することによって形成される一つの世界であり、中心と周辺部分からなり、中心は周辺を支配し従属させ、同時に周辺の社会の発展を促進しました。このような文明は、繁栄期と衰退・過渡期を繰り返しながら、旧文明、古代文明、前期中世文明、後期中世文明、近世・近代文明と展開してきたわけです。

 

このあと、文明の展開について詳述していますが、ここで竹内氏は、(1)ひとつの文明の中における覇権の争いと、(2)異なる文明の衝突、を区別しなければならないと述べています。前者は覇権が交代しても文明の枠組みは存続しますが、後者においては一方が他方に完全に従属すれば、その文明は滅んでしまうわけです。

 

こう考えてみると、かつて議論の的となったハンチントンの「文明の衝突」論は正しくないのではないか、と竹内氏は述べます。近代西欧文明の産物である科学技術を採用しないで政治的・経済的・軍事的な力をもつことは不可能であり、「西欧化」なしのそうした力を身につける「近代化」は不可能だからです。

 

05 現在の世界システム

 

現在の世界システムは、近代以降成立した国際社会を構成しています。国際社会は近代ヨーロッパにおいて、16世紀の宗教改革以降、ローマ教会の宗教的権威、およびハプスブルク帝国の力が衰退し、主権国家を単位とする社会として誕生し、1648年のウエストファリア条約以後定着しました。

 

その後19世紀までに、国内においては民族や国民という単位によって政治的権力が主権国家のレベルに統合され、ヨーロッパ以外に対してはそれらの国は「帝国」として植民地支配を行ったわけです。

 

その後の展開についても的確な要約がなされていますが、ここでは省略します。

 

竹内氏によると、20世紀の世界史は、以下の二つの「表面的には矛盾する二つの流れ」によって特徴づけられるとのことです。

 

(1)科学技術の大きな進展によって特徴づけられる西洋近代文明の世界全体への普及、つまり人類史上初めて世界全体が一つの文明世界に属するようになったこと。

(2)その中における西洋の覇権の衰退

 

そして、先ほども少し出てきましたが、現在の世界は多数の文明ではなく、一つの文明(西欧近代文明)に属していると考えるべきであると氏は述べています。

 

なぜなら、(1)世界各国にはそれぞれの歴史や伝統に基づいた文化や慣習があるが、それは文明と呼びうるものではない。(2)社会全体の基本的枠組みを規定するものという意味での文明は、現在では西洋近代文明のみを数えることができる。(3)文化大革命や一部のイスラム原理主義のような、それに対する挑戦は失敗に終わったし、今後も成功しないことは明らかである、からです。

 

21世紀へ向けて、現在政治的・経済的・文化的な一体化、いわゆるグローバリゼーションが進行しつつあります。「しかしそのことは21世紀になって調和のある世界の統一が実現することを予想させるものであるとはいいきれない」と竹内氏は述べます。それは、政治的、経済的、文化的に世界は一体化に向かっているが、その一方で政治的には地域レベルでの民族紛争や宗教対立が強まっており、また経済的にも貧富の格差は必ずしも縮小していないためです。

 

また、「21世紀になって世界が一体化を進めるとともに経済発展が続いたことにより、世界全体としての格差が縮小し、対立が緩和する方向に向うであろうか」と述べ、簡単にそうは行かないと氏は言います。

 

それは、

 

(1)地球規模で貧しい人々を統合して貧富の格差や階級対立を減らすような運動は存在せず、それどころかかえってそうした連帯は少なくなっているため。

(2)世界全体を支配するような統一的権力が存在しないので、一部の国の既得権益を抑制することはできないため。

(3)資本の力は分配をさらに不平等化させる方向に働くが、格差を解消する方向へは働かないだめ。

(4)再分配ではなく貧しい人の所得を豊かな人々の水準まで引き上げることは、地球の環境的・資源的な限界のために不可能であるため。

 

です。こうなると、豊かな人々の経済水準を下げる以外の選択肢はないのですが、それはとても難しいことです。したがって、貧富の格差や矛盾はそう簡単には解消されず、それが原因で世界は不安定な状態に陥る可能性があると氏は警告しています。

 

また、自然資源の枯渇、資源破壊といった問題も深刻で、これは地球システムを構成する3つのシステム間に矛盾が生じていることの表れです。これを考えていくときには、「社会的システムは極めて強いそれ自体の発展の論理を持つのであって、それが物理化学的システム及び生物システム、すなわち自然的条件によって一方的に決定されるものではない」ということを理解しなければならないと竹内氏は言います。

 

これはつまり、地球上のシステムには、物理化学的システム>生物システム>人間社会システムという順番での上下関係があり、上位システムは下位システムを基本的に規定している。しかし、下位システムが上位システムに大きな影響を与えて、上位システムを変えてしまっていることも事実であり、現実には社会システムが、システム間の相互作用のダイナミズムという、独自の発展の論理を持っている、ということを意味しています。

 

【コメント】

 

以前とりあげた論文(「第一論文」としておきましょう)が科学の方法論を、人間の知のあり方一般から入れ子状に説き起こしていったものであるならば、こちらは人間の置かれた条件一般から、科学の対象となる地球の構造を入れ湖上に説き起こしていったものだという気がします。そういう意味で、この論文と第一論文は姉妹編といえるでしょう。

 

私が注目したいのは、(1)科学の分類の仕方、(2)システム間の独立性と相互作用性、(3)、生態学的観察と世界観、倫理的命題を剥離する必要性(ひいては、上位システムの論理による下位システムの論理の一方的かつ一貫した説明の試みが持つ「誤解」)、(4)現在の文明は単一の西欧近代文明であるという判断、といったところでしょうか。

 

それぞれ重要な論点なので、時間を見て追加でアップしたいと思います。では今回はここまでにしておきます。

 

(芝崎厚士)


 

 

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