演習室09 WTO体制とは

Seminar09 WTO

12/22/00 第1稿(要約のみ)

 

【テクスト】

 

小寺彰『WTO体制の法構造』東京大学出版会、2000年。

 

【目次】

 

序章 問題の所在

第1章 WTO体制

第2章 WTO紛争解決手続

第3章 レジームの国際法上の意義

第4章 WTO紛争解決手続の機能

第5章 WTO紛争解決手続の基礎

第6章 WTO体制の客観化とその限界

終章  結語

補論  多数国間投資協定(MAI)

 

【内容】

 

 

序章

 

ここでなされているのは視座の設定。

 

まずWTO体制の「国際法上の革新性」の特徴として、@規律の拡大、A規律の強化をあげている。前者における革新性としては(1)国際経済全体の自由化の促進、(2)個々の分野の自由化規律の強化という「二重のドライブ」が働いていることを指摘し、後者についてはWTO紛争解決手続に「いわば国内社会に匹敵する紛争処理の仕組み」である強制的管轄権が設定されたことを指摘している。

 

さらに、ベロとジャクソンの論争を足がかりに、WTO研究の視角として、「紛争処理手続と法的権利義務と一体的に分析」し、WTO体制の特色を「一般国際法秩序との関係で」明らかにすることが必要である。そしてWTO体制が何であるかを理解することの意味として「将来の経済分野、さらには非経済分野の国際規律のあり方を考える際に、どのような点が重要なのか」予想する作業へと接続されると述べている。

 

第1章

 

ここで行われているのは、GATT体制(ガット以下の諸協定+GATTによって構成される国際的な規制体系)からWTO体制(WTO以下の諸協定+WTOによって構成される新たな国際的な規制体系)への流れの整理とWTO体制成立の意味についての検討。

 

第1節では、GATT→東京ラウンドウルグアイラウンド→WTOという歴史過程が概観されている。「GATT体制の一体化と司法化(legalization)の促進」(20ページ)がポイントであろう。

 

第2節では、WTO設立の意味が検討される。まず、国際組織としてのWTOが成立したのは、「WTO体制の論理的要請以外」の理由によることが確認される。WTO設立の意味はWTOの国際組織性を明確化したことによって法人格や特権免除といった問題を解消したことにあるが、GATTを超国家的な国際組織に改変したということは意味しない。つまり、「純粋に法的な観点」から見ると、「GATTの国際組織化にそれほど大きな意味はない」(1,2,3の前半)。

 

しかし、ジャクソンの設立提案からも看取し得ることとして、WTO設置の直接効果が「バルカン化」の解消(補助協定ごとの委員会の理事会への吸収、紛争解決手続の一本化など)にあること、つまり「WTOWTO体制一本化の鍵となる制度」であることが示される。すなわち「一体的性格を持つWTO体制の強化の程度を体外的に示すものとして、正式の国際組織としてのWTOが設立された」ということになる。

 

第2章

 

ここではWTO紛争解決手続の総論と、そこで問題となり得る論点を提示している。

 

第1節は小委員会手続、「利益の無効化侵害」、上級委員会手続、対抗的措置、勧告・裁定の法的効果などの概観。

 

第2節は東京ラウンドの話とウルグアイラウンドの話。ウルグアイラウンドのところでは、一方的な対抗措置の禁止と、アメリカの対抗措置の国際法上の合法性との関係についてふれている。ここでは、(1)「WTOが国際社会の諸制度から独立した、閉ざされたシステムであると考え」る場合(否定論)と、(2)「WTOは高度に完結性のあるシステムではなくて、経済分野の中の一つだと理解す」る場合(肯定論)とで異なった見解が得られる。小寺先生は後者の方が「国際法的には」説得力があるとみなしているが、この段階では確定的な結論は控えなければならないという。

 

第3節では、WTO紛争解決手続の目的として@秩序維持機能、A紛争解決機能をあげている。司法化の進展、第三国の扱いからすると、@を「第1の目的とするものだということを示しているのかもしれない」と述べているが確言は避けている。両者は相互補完的な関係である場合と、相互に矛盾する関係である場合が考えられる。この論点と関係して、WTO紛争解決手続を全能の紛争処理手続であると理解する向きがあるが、それが誤りであることが確認されている。

 

第4節では、WTO紛争解決手続が@裁判手続なのか、A調停手続なのか、という点について検討している。国内法との同質性としては、(1)強制的管轄権の実質的な成立、(2)強制執行力の獲得とも解釈可能、(3)規制範囲の拡大と拡大傾向、(4)委員会手続の司法化があげられている。異質性としては(1)請求原因、(2)勧告・裁定の拘束力(遡及的拘束性はないと小寺先生は判断、仲裁との相違)、(3)現行の協定の枠内のみ、全般をカバーしていないし、そうなることはありえない、(4)審理期間の限定性、などがあげられている。で、結局「紛争解決了解を超えてWTO体制の内部構造に立ち入った分析が必要」であるということで、ここでは結論は出ない。

 

第3章

 

 ここではレジームの話。

 

第1節では「基本となる多数国間条約が締結され、場合によってはそれに基づいて、それを補足する条約や加盟国間の了解が作成され、また国際組織が設置され、当該組織が決議などを作成して運営に当たるというダイナミックな規律体系」を「多数国間条約体制」と呼ぶ。小寺先生曰く、WTO体制は典型的な「多数国間条約体制」である。また「多数国間条約体制」は、「国際関係の特定の分野における明示的、あるいはインプリシットな、原理、規範、ルール、そして意思決定のセットであり、それを中心として行為者の期待が収斂していくもの」としての国際政治学における「レジーム」と一致するという。

 

ここでのテーマは、「多数国間条約体制の法構造」と「国際法の基本構造との関係」、具体的には(1)一般国際法上許される・許されないことがWTO体制で許さない・許されることがあるのはなぜか、(2)WTO体制で妥当する議論は他の多数国間条約体制にも等しく妥当するのか、(3)一般国際法規律と多数国間条約体制内の法規律が食い違う場合、両者はどのように関係づけられるのか、ということが問題になるみたい。

 

第2節では多数国間条約体制の構造として「共通利益・基本原則・原則」という階層構造が存在すること、WTO体制は「入れ子」状の多数国間条約体制であることが確認される。さらに共通利益の意味として(1)個別利益とは異なる、(2)国際社会の一般的利益とも異なる(発展する可能性はある)、(3)規律が自己発展する傾向を持つこと、があげられる。そして「その規律の強さの程度は、対象分野の性質とそれを斟酌して採られた履行確保措置についてのアプローチの差異によって、それぞれ異なること」を指摘している。

 

第3節では、国際法における「レジーム」概念について判例から分析を進め、結局「多数国間条約によって形成されたシステム」を「レジーム」と性格付けること、そしてレジームは共通利益の増進という目的が、一般国際法が通常の形で適用されることを排除する(「レジームとしての性格を持つ多国間条約体制の、一般国際法秩序からの一定程度の自律性を根拠付ける」)ことが指摘される。

 

第4節では、国際立法とレジームの関係を考察している。結論的には、まず第一に、「多数国間条約体制の設定は、必然的に国際立法といえるような性格を持つものではなく、むしろ本来的には、国際法秩序の多元化を促進する契機を有している」という。その理由は、(1)法典化条約以外は多数国間条約体制が一般国際法になることはないし、目指されてもいない。そもそも一般国際法秩序は「規律の遵守を担保する仕組みが不十分」であり、そうした「構造的な脆弱性」をもつ一般国際法にすべての国際規律を委ねることは出来ない、(2)多数国間条約体制はアドホックに、また相互に関係づけられるとは限らない状態で増加しており、国内法のような法規則相互間のヒエラルキーが存在しない。

 

とはいえ、「多数国間条約体制が融合して国際法秩序の一元化に向う可能性も否定できない」のであって、「WTO体制の規律に服している事項については、一見多元的に多数国間条約体制が並存しているように見えても、自由化を軸に一元化への方向性が潜んでいることを見逃すべきではない」と結んでいる。

 

第4章

 

 ここは国際コントロールの話。第1節は基礎的な点の概観。国際コントロールは、「共通利益の存在とその擁護」を「レゾンデートル」にしており、@義務の実施に関する事実の確定、A義務の解釈適用、B必要な場合に紛争当事国に是正措置の勧告を行うものである。そして、「国際コントロールを備える条約体制自身が固有の共通利益を基盤としている、すなわちレジームとしての性質を持っている」ことが重要である。

 

第2節ではWTO/GATT紛争解決手続が国際コントロールであることが示されている。第3節では小委員会の権限について、第4節ではその判断の効力について見当がなされ(詳細は省略)、第5節でまとめとして、WTO/GATT紛争解決手続の国際コントロールの特徴が、@厳格な法準拠性、A強い効果をもつという認識の存在、にあるとしている。最後に、そうした厳格な法準拠性が紛争処理機能を損なう可能性があるかどうかを検討する必要があると述べている。

 

第5章

 

この章はWTOが完全にカバーしていない次項に関する紛争処理の話。GATT時代とWTO時代における変化が、「環境と貿易」の話などを出しつつ明らかにされる(詳細は省略)。

 

要するにGATTの紛争解決手続が加盟国間の権利義務のバランスの維持を正統性の根拠としていたのが、WTOでは非通商的な条項を含め(ここでは環境)たより包括的な法的評価を行うことが可能となったということになる。小寺先生はそうした変化を「加盟国間の権利義務のバランスの維持に最後の正統性の拠り所を求めるという態度に決別したことを意味するのか」()と、問うだけで判断は留保している。

 

第6章

 

 第1節では歴史過程の分析から、GATTの前身の通商協定がもともと権利義務のバランスを維持するために創られたものであったこと、そしてGATTにおいては関税譲許と通商条項が対等の位置を占めるようになり、いわばGATTは、「二国間の交渉によって相互に与え合った輸出利益に関する取極が、多数の国の間でなされることによって形成されるネットワーク」となったこと、そして多数国間条約であるが故にGATTにおいては相互性が無差別性のなかに埋没していることなどが指摘される。

 

WTOにおいては規律が拡大強化された結果、「規律の客観化」がもたらされた。そのことはWTO紛争解決手続が「(a)加盟国間の権利義務のバランスを支える手続から、(b)純粋に協定上の義務を遵守する手続に変化していく」ことを示しているということになる。その際に問題になるのは紛争が第5章でも扱ったような本来的にはWTO体制外の分野にかかわる場合で、こうした紛争の場合、「(1)WTOがレジームとしての性格を持つ部分的な規律であること」と「(2)WTO規律が客観性を持つこと」との間の「緊張」が垣間見られるという。

 

第二節ではそうした緊張についてGATSSPSを例に分析が行われる(詳細省略)。WTOでは、「規律を客観的な法秩序として捉えよう」「協定上の義務は遵守するのが当然だ」という見方が増えて、司法化が促進された。しかしWTO体制は国際経済に関連する事項を網羅していない以上、WTO規律の客観性を過度に協調することは出来ない。そう考えてみると、WTOの紛争解決手続においても、権利義務のバランスの確保という話は有効であると考える余地もある。

 

とすると、対抗的措置の位置付けとしては、@WTOの客観性を重視する場合、勧告実施を迫るための制裁となり、AWTOの規律の正統性を協定上のバランスに求めざるを得ない場合を想定する立場の場合、対抗的措置によって権利義務のバランスが回復されればそれで目的は達成されたと考えなければならない、という。

 

結語

 

 ここでは論点を4つにまとめている。

 

 第一の論点:国際法「レジーム」としてのWTO体制。レジームという固有の法構造により強く規定され、共通利益の増進を目的としており、権利義務が客観化されていて、一般国際法適用の一部制限がなされる。

 

 第二の論点:国際コントロールとしてのWTO紛争処理手続。規律の拘束性が著しく高く、規律が客観化されている(共通利益としての通商規定の遵守、対象範囲の拡大)。その結果、他の政策目標との調整が必要となり、(1)インターフェイス(例外)、(2)他分野の規律の取り込みなどがなされている。とはいえ完璧には調整できない。したがって、国際コントロールとしての限界を見極めが必要(つまり、代償や対抗的措置の積極的な解釈の余地が存在する)。MAIの例から言えることとして、共通利益が「真の共通利益」たりえない場合、「それが共通利益であることを停止する、すなわち多数国間条約のレジーム性を失わせることが、多数国間条約に柔軟性を与え、また逆説的ではあるが、それによって通常の状況でレジーム製が確保されることを保証する」。

 

 第三の論点:レジームであることが一般国際法の適用を制限するのだから、「WTO体制への一般国際法の適用をア・プリオリに前提として、他の国際法上の制度との表面的な類似性によってWTO体制上の問題を考えることが、基本的な誤りである」。

 

 第四の論点:国際法上の義務には多様なバリエーションがある。義務の性質の変化と紛争処理メカニズムの変化を関連付けて理解するべきである。

 

補論

 

補論では、1998年に失敗に終わったMAIMultilateral Agreement on Investment)(多数国間投資協定)の交渉過程を検証することを通して、それが失敗した原因を、「多数国間協定が、経済分野における国際規律の発展の中でどのように位置付けられるかを明らかにすることによって」分析している。

 

MAIは投資自由化、投資保護、紛争処理を三本柱とし、投資の自由化については、内国民待遇、最恵国待遇、透明性を原則とするという一致があった。MAI交渉はOECDで行われたが、当初からOECD非加盟諸国を含めた、世界規模の国際経済体制にすることを目的としていた。

 

MAIOECDの投資保護の枠組みを実体的にも手続的にも強化することを目指しており、また投資前の投資家保護、先進国相互間の義務履行、投資固い国家の分賞処理手続の性格、等の点でBITの多数国間条約化とは見なしがたい特徴をもち、紛争解決手続の面ではECT(エネルギー憲章条約)をモデルとしている。WTO体制との関係では、MAIは「WTOの投資規律の将来を先取りし、WTOの投資規律ができるまでの間それを補完する役割をもつ。」そして、紛争解決手続の面では、金銭賠償や原状回復を命じることができる点において、MAIWTOのそれを「一層司法化し、強化したもの」とみることができる。

 

このように、MAIは「国際規律が、貿易の自由化から投資自由化、そして将来は人の移動の自由化へと展開していくという見取り図のなかで捉えられうる」ものであったが、その一方で、MAIに好意的な国の間だけでMAIが成立する場合、「貿易自由化段階でとどまる世界と投資自由化まで進む世界」という「二重規範」状態が出現する危険もあり、加えて投資規律の「二重規範」化は、規律の輻輳状態を惹起するおそれもあった。

 

投資規律の側面から言えば、MAIの成立後もMAIBITは並存することになった可能性が高いが、そのときにはMAIBITのモデル条約的な影響をもつことになる。また国内体制へのインパクトとしては、MAIは加盟国の規制緩和を一層促進する効果をもつものであり、「より本質的に国家のあり方に大きな影響を与えると見なければならない」。

 

以上要するにMAIとは、「自由無差別(最恵国待遇原則・内国民待遇原則)という原理による国際的調整を越えて、国際経済を一つの客観的なレジーム下に収めようとする試み」、であり、「先進国を中心とする『超国家的』なレジームの出現だったと表現してもよいかもしれない」。しかしそうしたMAIの基本的性格、「国際秩序変革的な性格」が、開発途上国の反発を呼んだということもできる。

 

MAIが失敗した原因は、「MAIが国際社会の現状よりも高水準の規律を作ろうとした点に求められるのであって、多数国間の投資規律作りの基盤がまったくないとはいえない」のであって、将来的に始まるであろうそうした投資規律作りの際に、MAIの経験は生かされるであろう。

 

(芝崎厚士)

 

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