演習室05 環境問題概説

Seminar05 Environmental Issues

10/14/2000 第1稿

 

【テクスト】

 

加藤三郎「地球の有限性と物的成長の限界」高橋裕・加藤三郎編『岩波講座地球環境学1 現代科学技術と地球環境学』岩波書店、1998年、71−114ページ。

 

【目次】

 

イントロダクション

内容

3.1 「地球環境問題」出現の衝撃

3.2 地球環境問題の概況

3.3 地球環境問題の背景と原因

3.4 物的成長の限界と「持続可能な開発」という概念

コメント

 

【本編】

 

イントロダクション

 

 環境問題に関する文献はここ10−15年ほどの間に急激に増加しました。それだけこの問題の重要性に対する認識が高まり、真摯な模索が数多く蓄積されてきた証拠といえましょう。

とはいえ、概論として環境問題をとりあえずトータルに把握しておく上で有益な文献を出発点にしておくのが、この困難な課題について考えていく上ではよいでしょう。その意味で加藤論文は、コンサイスでありかつ目配りの利いた好編です。

なお、環境問題に関する基礎的な文献としては、加藤論文が収められている岩波講座が充実していますが、それ以外には、

 

石弘之『地球環境報告』、『地球環境報告2』岩波新書、1988年、1998年。

米本昌平『地球環境問題とは何か』岩波新書、1994年。

阿部寛治編『概説地球環境問題』東京大学出版会、1998年。

J・マコーミック、石弘之・山口裕司訳『地球環境運動全史』岩波書店、1998年。

G・ポーター、J・W・ブラウン、信夫隆司訳『地球環境政治』国際書院、1993年。

 

 などが便利かと思います。では、内容を簡単に見ていきましょう。

 

内容

3.1 「地球環境問題」出現の衝撃

(a)専門家だけでなく首脳も語りはじめた地球環境問題

 ここでは、1988年を分水嶺として、首脳レベルでの環境問題への関心の高まりを説明しています。すなわち気候変動に関する国際会議を伴ったトロントサミット、「環境保護者」と自称したブッシュ、「環境理事会」創設を提唱したゴルバチョフ、サッチャーやミッテランの環境への関心などです。

 こうした高まりのなかで1989年に開催された会議として、「地球環境保全に関する東京会議」とオランダのノルトベルクで開催された「大気汚染の気候変動に関する閣僚会議」があげられています。前者では、今後数十年の間に、気候変動の影響によって人間生活全般に大きな変化が生じ、持続可能な開発という目標はさらに実現困難となること、後者では、地球気候の人為的な変動によって深刻な社会経済上の混乱が生じる可能性があり、行動が遅れると地球の未来は危機に瀕する、ということが指摘されています。

 これら一連の動きが1992年のリオ・サミットへとつながり、環境問題に対する関心の一つの頂点として記憶されるところです。

 

(b)60年代末からの国連の取り組み

 もちろんそれ以前からも環境問題に対する取り組みは進められていました。ここでは1968年の国連経済社会理事会での、スウェーデンのアストローム大使が行った環境問題解決をめざす提案や、北側の先進国における環境汚染への危機感、南側諸国の北への批判を含めた形での環境問題認識などがあり、それらは1972年の国連人間環境会議(ストックホルム会議)へつながっていきます。

 ストックホルム会議開催を決定した翌年の1969年にウ・タント事務総長が発表した「人間環境に関する諸問題」と題するレポートでは、人間の環境に危機が迫っていることが人類史上初めて強調された。この危機は先進国も開発途上国も一律に巻き込んでいる。現在の傾向が続けば、地上における生命の未来がさらされるであろう、という指摘がなされ、世界中に大きな影響を与えました。

 

 (c)「2000年の地球」プロジェクト

 さらに1977年には、カーター米大統領のイニシアチブによって「2000年の地球」プロジェクトが行われ、その報告書は1980年に、『西暦2000年の地球』としてまとめられています。

そこで論じられているのは、(1)西暦2000年までに、地球の自然資源基盤の悪化と貧困化は驚くべき程度にまで達する可能性がある。(2)この趨勢を変えて問題を軽減するためには、地球の生命維持能力を保護・回復しつつ人類の必要を満たすためのイニシアチブが取られなければならない。(3)寛容と正義の精神に基づき、先進国・開発途上国の区別なく、貧困を改善しつつ持続的経済発展を追及し、地球的規模の問題に効果的に対応していかなければならない。といったことに集約できると思います。

 

これらの歴史的な流れについてもっと知りたい方は、マコーミックの本をご覧下さい。

 

3.2 地球環境問題の概況

 ここでは、「地球環境問題」というときに必ず挙げられる種々の問題を個別に考察しています。

 

 (a)オゾン層の破壊 

これは、CFCs(フロン類)などによって成層圏にあるオゾン層が破壊され、有害な紫外線の地上への到達量が増加することで、人や生態系に悪影響を及ぼすことをさします。より正確には、フロン類は成層圏に達すると紫外線により分解されて塩素原子を放出し、その塩素原子1個につき数万個のオゾン分子が破壊される、ということになります。この現象が可視的なものとして認識されるのが、南極で観測される「オゾンホール」です。

 

 (b)地球温暖化

 化石燃料の大量使用などによって二酸化炭素などの温室効果ガスの濃度が高まる結果気温が上昇し、気候変動・海面水位の上昇をもたらすことを、地球温暖化といいます。温暖化は、「気候変動」を呼ばれているように、単なる気温の上昇ということだけを意味するのではなく、生態系全体に重大な影響を及ぼすために、もっとも心配されています。例えば、今後100年間に地球の平均気温が約2上昇すると、東京の平均気温は今の鹿児島の平均気温になるとのことです。ちなみに、地球の大気の平均気温は約15です。

 

 (c)酸性雨

一言で言うと、主として化石燃料の燃焼によって生じる大気汚染物質が取り込まれて生じる酸性度の高い雨によって、陸水・土壌の酸性化によって魚類・森林などへ悪影響をもたらす、ということになりましょう。酸性度としてはpH5.6以下のものが酸性雨と呼ばれます。厳密には、(1)湿性沈着(雨・霧・雪)、(2)乾性沈着(ガス、エアロゾル)の両者を含むそうです。ドイツのシュバルツバルトの被害、ギリシャ・ローマの遺跡の崩壊などが被害としては有名ですが、日本にも酸性雨は降っています。 

 

 (d)有害廃棄物の越境移動

 自然の力では分解されない、生物にとり有害な廃棄物を処理するために越境移動することで、環境が汚染されたり、原住民の健康に被害が及んだりすることを有害廃棄物の越境移動と呼んでいます。南北問題の構造が途上国への有害廃棄物の移動をうながしているという面があり、それゆえに公害の南北問題とも呼ばれます。

 

 (e)海洋汚染

 生活廃水や産業排水、油や重金属などの汚濁物や環境ホルモン等が流れ込むことで、赤潮・青潮が発生したり、海洋が汚染され、自然生態系が影響を受けること、ということになるわけです。基本的には海洋の汚染源の7割が河川から流れる汚濁物によるそうです。最近では1997年1月のロシアのタンカー、ナホトカからの重油流出事故が記憶に新しいところです。

 

 (f)野生動物の種の減少

 これは読んで字のごとく、乱獲や生息地の破壊などによって、野生生物種が減少したり、絶滅したりすることをさします。種が一つ絶滅することで、生態系のバランスが破壊されて、さらなる種の現象につながることも多いわけです。一旦失われてしまうと再生不可能なだけに、深刻な問題です。近年では日本のトキの絶滅が確実になりました(優優にはお嫁さんが来るそうですが)。動物に国籍を設けるのはいかがなものかという気もしますが

 

 (g)熱帯林の減少

 人口増加・貧困・土地制度などが原因で、焼畑耕作・薪炭材の過度な伐採・過度の商業伐採や放牧が進むことで、本来回復困難な熱帯林が減少していくことをさします。80年から90年には毎年15万4000平方キロメートル、日本の国土面積の4割もの熱帯林が減少(90から95年は毎年13万7000平方キロメートルと鈍化)しているそうです。熱帯雨林が一番多いのは中南米(52%)、次いでアフリカ(30%)だそうです。

 

 (h)砂漠化

 地球規模の気候変動にともなう気候的要因や、農耕地の拡大などの人為的要因によって土地が砂漠化すること。その影響としては、食糧生産基盤の悪化とそれが原因となって生じる難民の増加、都市への人口集中、貧困の加速、気候変動への影響、生物多様性の喪失など多岐にわたります。時にはさらなる砂漠化を生み出す悪循環も生じるといわれます。いわゆるモノカルチャーによって土地が疲弊することはよく知られていますが、「アメリカが穀物1トンを輸出するのに2トンの表土を失っている」と言われているそうです。

 

 (i)開発途上国の公害問題

特にアジア・太平洋の発展途上国において、急激な都市化や工業化が進行した結果、大気汚染・水質汚濁・廃棄物・土壌汚染などの公害問題が深刻化していることを、特に項目としてあげています。「開発」の名のもとの公害は、高度成長期の日本でも大きな問題となったところです。この点は、数年前に東南アジア諸国へ行ったときに、私なりに身を持って経験しました。

 

3.3 地球環境問題の背景と原因

 さて、そうした問題の背景と原因についても、すでにさまざまなことが言われていますが、ここではそれは以下の5点に整理しています。

 

 (a)有限の地球

これは、直径1万3000キロの地球の表面のうち、「生物圏」というごく限られた空間に生物は住んでいる。そして「環境容量」を越えて生物が生存することは出来ない。というごくごくあたりまえのことです。しかし、そのあたりまえであるはずの限界が突き破られてしまうことが現に起きているわけで、それはとても深刻です。

 

 (b)人口の爆発

 人口爆発のグラフは皆さんよくご存知のとおりですが、ここでは時間軸の問題を絡めて説明しています。まず、人類の歴史(約500万年)は地球の歴史(約46億年)の0.1%程度の時間に過ぎないことが確認されています。そして、現在62億人といわれている人類の数は20世紀以降というさらに短い時間の中で爆発的に増加し、環境に負荷を与えている。だいたい、年間9000万人、1日25万人ペースで増えているそうです。

 

 (c)人間活動の拡大

 ここでは、科学技術の発展に伴って、人間は(1)物的成長を遂げ、(2)時間の短縮を達成した。という二点が等しく強調されています。エネルギーの消費量や工業生産などの物的成長と、交通・運輸・情報伝達のスピード増加の両方が、もたらした人間活動の拡大の結果、環境の開発と資源の消費が進行しているわけです。

 

 (d)生態系は地球の「薄皮」

 人間が使用できる空間は、空と海の20kmほどの範囲の、それは直径1万3000キロの地球の「薄皮」とも言うべきわずかな部分です。地球を直径1メートルの地球儀に直すと、20kmはわずか1.5ミリというたとえは大きなインパクトがあります。そして、現在はその「薄皮」の一部を突き破ってしまっている、ということになります。

 

 (e)先進国も途上国も地球環境を破壊

ここではすでに論じられていること、つまり先進国の人々が豊かさを享受することも、途上国で人口爆発と貧困が問題となっていることも、地球環境の破壊と関わっている、ということが改めて確認されています。そして先進国と途上国の環境問題は、飢餓輸出や有害廃棄物の移動などからもわかるように密接に関係しています。

 

3.4 物的成長の限界と「持続可能な開発」という概念

 最後に、地球環境問題の克服のための思想もしくは理念が紹介されます。

 

 (a)「宇宙船地球号」の思想と「成長の限界」

 ここでは、ウォードとデュボスの『かけがえのない地球』で展開された「宇宙船地球号」の考え方(もとは、アンドレ・スティーブンソン国連大使の発言(1965)がヒント)、ローマクラブの委託によりMITのメドウズらがまとめた『成長の限界』(1972)、その続編ともいえる『限界を超えて』(1992)の内容がそれぞれ簡単に紹介されています。こうした紹介は非常に便利です。

 

 ちなみに『限界を超えて』では、(1)資源消費や汚染物質産出の速度は、物理的に持続可能な速度を上回っており、このままでは食料生産・エネルギー消費・工業生産量は大幅に減少する。(2)こうした事態を避けるために、物質消費・人口増加を抑えると同時に原料・エネルギーの利用効率を拡大する必要がある。(3)持続可能な社会への移行は、十分さや公平や、生活の質などを重視し、成熟・憐れみの心・知慧といった要素を備えることで可能となる、といった論点が挙げられています。

 

 (b)「持続可能な開発」という概念

最後に、1980年ごろから論じられるようになった、「持続可能な開発」について述べられています。これは、ブルントラント委員会の報告書『地球の未来を守るために』(1987)では、「将来の世代が自らのニーズを充足する能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすような開発」と定義されています。そして、そうした持続可能の開発を達成するためには、(1)資源や化石エネルギーの多消費をせず、環境負荷の少ない循環型の開発であること、(2)開発の進展と環境の維持を矛盾なく両立させていくこと、などが必要であるということを最後に述べています。

 

コメント

 環境問題については、当初は社会科学や人文科学的な関心の高まりが強かったように思いますが、現在は具体的にどう解決していくか、という技術的な問題がクローズ・アップされてきているようです。本論文が収録されている講座は、そうした観点から主に工学系の人々が力作を投稿しており、そうした分野の研究者から、「環境学」という新たな学問分野が提唱されているということになります。

 もちろん、単なる技術的な問題だけではなく、社会科学的、人文科学的な捉え方もあわせて、さらに言えば学問のあり方自体を再検討していくような方向性をも含めた形で、環境問題に対するアカデミックな取り組みが進められているところです。

 本論文は、はじめにも書いたように概論としては非常によくできています。データの出し方も、煩瑣になりすぎず必要最小限に抑えてありますし、図表もよく選び抜かれている印象があります。これを足場に、さらにいろいろと読み進めていきたいものです。

 本作はあくまで概説なので、議論の中味へのコメントはあまりする必要もなさそうですので、見田宗介『現代社会の理論』のレビューをする際にでも、また触れようと思います。では。

 

芝崎厚士

 

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