論文評(15) Article Review 15

 

Jessica C. E. Gienow-Hecht, "Shame on US? Academics, Cultural Transfer, and the Cold War: A Critical Review", Diplomatic History 24-3(2000), pp.465-494. (『国際問題』第497号(2001年8月号)、75−77ページ)

 

戦後のアメリカ文化の国際移動と「文化帝国主義」理論

 

 Diplomatic History誌は昨年夏、「文化移転か文化帝国主義か?冷戦における『アメリカニゼーション』」と題するラウンドテーブルのペーパーを掲載した。Transmission Impossible: American Journalism as Cultural Diplomacy in Postwar Germany, 1945-55 (Baton Rouge, 1999)の著者であるハーバード大学のジノ−ヘクトが著した本論文は、ジョン・ダワーも参加したこのテーブルの基調論文である。本論文は、アメリカを中心とした「国際関係と文化」を主題とした知の歴史(intellectual history)の研究であると同時に、現在及び将来の研究動向を示唆する方法論的考察でもあり、国際文化論に関する近年で最も参照されるべき文献の一つといってよい。


 本論文の目的は、1945年以降現在に至るまでの、アメリカの海外への文化移転(American cultural transfer)の歴史を概観することである。その際に軸となる主題は、「アメリカ人は文化帝国主義者か?」という大論争(The Great Debate)である。


 ジノ−ヘクトは3つの時期区分を採用する。(1)対外文化政策推進論(1945-60年代)、(2)文化帝国主義批判(60年代-90年)、(3)文化帝国主義批判への反批判と新たな研究の登場(90年代以降)、である。大まかに言って、当初は対外政策をめぐる政治的な論点であったものが、文化は権力の道具として有効か否かという学問的な論争へとシフトしていったというのが、ジノ−ヘクトの見方である。


 第一の時期は、文化を対外政策の道具とみなした時期であった。戦前までは、アメリカは伝統的に文化の組織的な輸出には無関心であり、文化は個人的な娯楽に過ぎず、また文化輸出は経費がかさむために予算を通すことは困難であるという認識が政策立案者の共通理解であった。しかし、@デモクラシーを流布して反西側勢力を封じ込めるため、A共産圏のプロパガンダへ対抗するため、B産業や技術は尊敬に値するが文化はたいした事はないという、50年代以降顕著となったアメリカ文化に対する悪印象の改善、といった理由から、対外文化政策の積極的な推進が課題となった。


 しかし実際の政策はそれほど拡大・強化されたわけではなく、また何をどのように外国に提示するかについても議論が分かれた。ジャーナリストや学者からは対外文化政策の不徹底を批判し、拡大推進を促す議論がなされた。このようにこの時期の文化移転は対外政策という政治的な論点のまわりで展開されたのである。


 第二の時期は、アメリカ発の文化移転を「文化帝国主義」と見なして批判していく言説が活発に行われた時期である。「文化帝国主義」的な視角が登場した理由は、@フランクフルト学派の文化批判、資本主義批判がアメリカ知識人に影響を与えたこと、A「非公式帝国主義」で名高いウィリアムズに代表される外交史研究における修正主義学派の登場などであった。


 いわば、権力としての西洋文化を批判していく種々の議論の結節点として、「本国の文化を犠牲にして外国の文化の価値と習慣を称揚し広めるために政治的経済的な権力を行使すること」(1977年版のThe Harper Dictionary of Modern Thoughtの定義)という「文化帝国主義」概念が機能したのである。ジノ−ヘクトはこの時期の多様な議論を、トムリンソンの四つの分類、@メディア帝国主義、A国家の支配、B資本主義のグローバルな支配、C近代批判、に即して整理し要約している。


 第三の時期は、「ポスト文化帝国主義(post-cultural imperialism)」とでも形容すべき議論が登場し、現在に至る時期である。文化帝国主義批判に対する批判は、例えばこうした構造や力関係は近代以前に様々な場所で存在してきたこと、多くの国家は文化輸出に熱を入れていること、アメリカの場合政府よりも非国家行為体の方が積極的であり、外交担当者はむしろ地政学的な利害を優先して政策を行ってきたこと、などをあげることでなされてきた。


 加えて、トムリンソンやブエルが明らかにしたように、文化帝国主義という言葉で表される現象は、近代の世界大の拡大過程として理解するべきであるという見解の登場があった。現在起きている事象は、文化帝国主義という言葉が暗黙の内に想定するように、何らかの特定の主体の陰謀によって仕組まれているのではない。グローバルな技術・経済の発展が国民文化の重要性を減少させ、世界の文化のあり方が全体として変化しつつあるという意味では、すべての主体が犠牲者でもある、という見方である。


 このような「文化帝国主義」概念の妥当性を否定する見方が登場した理由としては、@実際に世界で起きている現象自体が変化してきたこと、Aローティなどに代表されるようなポスト構造主義の思想的な影響、があげられる。こうした議論を受けて、現在では@文化の個々の受け手がどのように対応し、選択し、抵抗し、受容しているかをミクロなケーススタディによって明らかにしていく研究、A「グローバリゼーション」を鍵概念として、近代の地球大の拡大過程をマクロに捉える研究、の2つの大きな流れが出来ている。


 結論としてジノ−ヘクトは、現在のアメリカの文化の対外移転をめぐる議論の特質として、@サイバースペース革命が主体としてのアメリカ、アメリカ文化の立脚点の自明性を崩壊させている現象として注目されていること、A50年代に似て、アメリカ文化の対外イメージに対する不安が再活性化していること、B分析の焦点が国民国家から個々の事業へ移りつつあること、C制度が確立していない1920年代以前の時期の分析への関心が高まっていること、をあげている。


 ジノ−ヘクトは本論文で、過去50年以上に及ぶ関連研究をほとんどすべて、しかも英語だけでなく多くのドイツ語文献、いくつかのフランス語文献をも網羅し、それらを年代別、テーマ別に分類し整理しながら持論を提示している。これだけ充実した力作はこの分野では初のものであって、国際文化論研究にとって画期的な業績である。


 過去における対外文化政策、文化帝国主義といった分析概念は、学術的用法と現象を表現する一般的な用法との混在度が高い。そのため、学術的な議論が現象に足をすくわれやすい傾向があった。いっぽう、ジノ−ヘクトが本論文で用いている文化移転(cultural transfer)、自著のタイトルで使用している文化伝播(cultural transmission)といった、近年登場し一般性を獲得しつつある分析概念は、より中立的である。こうした分析概念の変化は、国際関係と文化という簡単なようで難しい研究対象を学問的に相対化・客観化してとらえるための用意が少しづつ整ってきたことを示すものであろう。


 ただし、ジノ−ヘクトが、「グローバリゼーションは新しい理論に見えて、アメリカ文化批判が西洋文化批判になり、敵が共産主義からイスラムに変わっただけでしかない」というボーズマンの議論を引いているように、文化が差異と優劣をめぐる言説の中でさまざまに機能してしまうこと自体は変わらない。そのことは、彼女の論文を足がかりにして、国際文化論研究を進める場合に最も注意しなければならない点であろう。
 

(芝崎厚士)

 

 

 

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