論文評(11) Article Review 11

 

Knud Erik Jørgensen, "Continental IR Theory: The Best Kept Secret", European Journal of International Relations 6-1 (2000), pp.9-42.

 

『国際問題』第492号(2001年3月)、75−77ページ。

 

大陸国際関係論(CIRT)の存在証明

 

近年の国際関係研究のトレンドとして社会構成主義がある。それはいわば「国際関係の社会学(sociology of ir)」をめざすものである。しかし、ウェーバー(Waever)などに代表される、IR自体の多様性を解明しようとする、いわば「国際関係論の社会学(sociology of IR)」と言うべき研究も進展している。デンマークのオルフス大学助教授であるヨルゲンセンが物した本論文は、いわゆるヨーロッパ大陸(the Continental)を範囲とする国際関係論の独自性と可能性を明快に示した好編である。

 

 冒頭でヨルゲンセンは、IRの理論的展開を説明する場合、(1)外部の要因または(2)認識論的な進展のいずれかを重視する手法がとられてきたが、むしろ重要なのは(3)「文化的・制度的文脈(cultural-instittional context)」、すなわち@理論化が生じる国や地域の政治文化、A科学行政や大学制度といった組織文化、B社会科学内部での習性、態度、専門的言説などであると論じ、これらの観点から大陸国際関係論(Continental IR Theory、以下CIRT)の存在とその意義を明らかにするという。

 

 まず、CIRTに対する認識として、(1)そんなものは存在しない(Not Such Thing)と見る見方(NST-doctrine)、(2)存在するがそれは英米IRのクローンかコピーかフランチャイズ(Clones, Copies, Franchise)であると見る見方(CCF-doctrine)、(3)存在したとしても、それに何か独自の価値があるのか疑問を感じる見方がある。CIRTは、1960年代における平和研究(peace research)の伝統主義に対する反抗(revolt)1970年代以降のマルキストの反抗、1980年代後半における理論の細分化、及び平和研究と伝統主義の統合、現在進行するCIRTの「東方拡大」的過程、といった独自の発展をとげており、これらの見方は的外れである。

 

 次に明らかになるのは、IRにおける「大論争」がCIRTではどのように受け止められてきたか、ということである。現実主義対理想主義による「第一の論争」については、戦前は現実主義が圧倒的に優勢であったが、戦後のCIRTは理想主義もしくはリベラリズムが主流となった。CIRT的な現実主義はむしろモーゲンソーなどの亡命知識人によってアメリカへ輸出されたが、当初はあまり歓迎されなかった。伝統主義対行動主義による「第二の論争」はイタリアを除くと全くといっていいほどCIRTにおいては論じられなかった。

 

いわゆる「第三の論争」に関しても、ポストモダンのアプローチはCIRTには全くといっていいほど存在しないし、いわゆるネオ・ネオ論争は現実の世界の現象と遊離した不毛な議論と見なされ、合理的選択理論が突出して優越しているのはアメリカ政治学内部での方法論的偏向に過ぎないと考えられている。CIRTにおいてむしろ重要だったのは、国際関係論と平和研究の関係であり、論争を分けていたのは端的に言えばクリッペンドルフとガルトゥングの間の相違だったのである。

 

 ところで「大陸」国際関係論は「大陸」哲学とはどのような関係に立つのであろうか。ヨルゲンセンによれば、逆説的ながら大陸哲学の影響を受けたのは、フランクフルト学派へのアンビバレンス抱いていたモーゲンソーからポストモダンに至るまでの北米IRであってCIRTではなかった。むろんハーバーマスやルーマンの影響はあったが、CIRTそのものは伝統的な手法を重視する傾向が強かったのである。

 

 そして、マイヤーズやギーゼンによる、CIRTのありかたについての分析枠組みを援用しつつ、CIRTの、IRに比した国家の重要性に対する相対的な軽視、規範理論的な思考の強さについて、そして研究者が犯罪小説や俳優を兼業していたり、アナール学派の影響を数十年前から受けてきたフランスIRの独自性などを整理している。詳細に紹介できないのが残念なほど、この部分は知的刺激に満ちている。

 

 最後にヨルゲンセンは、こうしたCIRTが存在することの秘密はしっかりと守られていくことになるであろうと述べて締めくくっている。というのも、CIRTの研究者は、学生に教えることと実際に自分でやっていることを使い分けてしまうことでCIRTの存在を隠してしまう(ヨルゲンセンは「自己検閲」と呼ぶ)し、また言語の壁がCIRTを知ることを阻むためである。

 

ヨルゲンセンはイタリア語・フランス語・ドイツ語などの文献を駆使しつつ、この壮大な主題を要領よくまとめており、参考文献も有益である。その時に日本の国際関係論がNSTCCFドクトリンに当てはまるのかどうかはさて置くとして、こうした仕事をもとに、アジア・オセアニア諸国はもとより、いわば「世界の国際関係論」のありかたを概観し、分析していくことが今後望まれる。

 

「国際関係論の社会学」が明らかにするのは、いろいろな国や地域ごとに「国際関係論」が存在するという事実だけではない。様々な場所での国際関係論の実践が教えてくれるのは、「道のための形は道のために崩れても構わない」ということ、すなわちなんらかの「外部」にある理論を単に受容して現実をそれに当てはめることが研究の本質ではなく、それらを自分で考える素材として捉え、ブリコラージュ的に利用することで、はじめてオリジナルな思考に根ざした学問が可能となる、ということではないであろうか。

 

ただしこうした議論の問題点は、多様性の立証が普遍性の可能性を過度に摘んでしまうことである。国際関係論の数は論の数だけあるといってよいが、それでも共有する前提がある。それは煎じ詰めれば国際関係論が事物の客観的認識という「科学」として遂行されているということである。現在の科学が何をどのように追究するべきか、そのために何をすべきかといった根底の問いを考察し、そのことを国際関係論を接続していく作業と相まってはじめて、多様なありようと普遍的なありようとをトータルに把握することのできる、より包括的な「国際関係論の社会学」が遂行可能となるであろう。

(芝崎厚士)

 

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