論文評9 Article Review 09

 

Robert Latham, "Social Sovereignty", Theory, Culture & Society, 17-4 (August 2000), pp.1-18.

 

「社会的主権」論

 

 近年における主権批判は、Thomas J. Biersteker and Cynthia Weber eds., State Sovereignty as Social Construct, Cambridge University Press, 1996.などに代表されるように、社会構成主義の論者たちが好んで取り上げるところである。しかし主権の動態性を指摘することから進んで、今後における主権の変容可能性を精査することが、次の課題として必然的に要請される。社会科学研究審議会グローバル安全保障・協力プログラム主任のロバート・ラサムによる本論文は、その点に照準する。

 

 序論においてラサムは、これまでに何度か繰り返されてきた主権批判の多くが「主権」と「国家」を切り離すことなく論じてきたことに着目する。「主権国家(sovereign state)は歴史上存在する国家の一形態に過ぎないし、同時に「国家主権(state sovereignty)」は歴史上存在する主権の一形態に過ぎない。前者についてはティリーなどの歴史社会学の「国家」の定義が、主権を国家の条件とは見ていないことからも看取できるであろう。本論は後者の可能性の追求、すなわち国境の内部もしくは国境を越えた形で国家以外の社会組織にも付加し得る属性(attribute)としての「主権」を「社会的主権」ととらえ、その歴史的・現在的性格を考察することを目的としている。

 

 次節でラサムは、社会的主権を定義する。担当者(agent)としての国家に付与されるものとして主権を捉えるのがこれまでの考え方であったが、そうしたエージェント的な主体の主権を主権たらしめるのはむしろ、そうしたさまざまなエージェントが組み込まれている諸関係の構造であり、その意味で国家はエージェントであるばかりでなくそした構造の一部となっている。であるならば主権とは、そうした諸関係全体そのものの属性であり、ゆえに国家以外のエージェントにもまた主権は付加し得る。 

 

このように、主権が「社会的」であるとは、@主権が国家、または国家と同一視し得るようなもの以外のさまざまな構造に付加可能であること、A主権において重要なのはエージェントの地位ではなく、国境の内部、または国境を越える一連の諸関係そのものである、ということを含意するのである。

 

第三節「国家と主権」では、社会的主権という理解の歴史的背景を概括している。社会的主権の「原型」となったのは中世の教皇主権(papal sovereignty)である。ウイリアム・オッカムが自然法に依拠した教会批判を行ったのに対して擁護者が用いた論理は、至高の権力(supreme power)は社会が所有しており、教皇はキリスト教共同体という社会の代表者である、という理解であった。教会は、教区制度を軸にして社会的な諸関係を支配したのであって、そうした実態からこうした理解が生まれたということができる。こうした主権をめぐる社会とエージェントの関係把握は、以降の教皇権を巡る論争における共通の前提となっていった。

 

近代国家が成立していくにつれて、主権と領域が結び付けられるようになり、また既存の教会の制度は近代国家の中に取り込まれ、いわば「囲い込まれ」ていくことになる。その過程は非常に長期にわたり、また地域ごとにさまざまなパターンが見られる。こうした過程が進行する中で、「主権−国家」という機制を正当化しようとするマキャベリ、ボダン、ホッブスなどの議論が生まれたが、彼らの議論には、主権の社会的な把握が色濃く残っている。また、「人民主権論」の系譜にあるとされる『ポリティカ』を著したアルスシウスは、実際には諸関係の網の目(web of relations)に主権の源泉を見ているとラサムはいう。

 

第四節「エージェンシーと差異化」においては、ラサムの議論の淵源としてギデンズ、フーコーをあげている。社会的主権論におけるエージェントと構造の関係は、ギデンズの構造化理論に負うところが大きいし、また、社会的主権論における主権の所在の把握は、フーコーの、主権と「統治」(governmentality)を剥離した権力論からヒントを得ている。ただし、ラサムに言わせると、フーコーは主権と統治(およびそれに関連するミクロな権力関係)を峻別しすぎており、社会的主権論は両者の複雑な関係を統一的に把握できるような、いわば「蝶番(hinge)」のような位置を占めることになる。第五節ではケースとしてグローバルな金融市場を分析し、これが社会的主権の現在のあり方であることを論じている。

 

短い紙幅でやや欲張りすぎているところがあるものの、本論文は社会的主権という概念構築の試論として刺激的である。特に中世の歴史過程への洞察は示唆に富んでおり、国際関係という「関係」を理解する上で新たな視座を与えてくれる。

 

ただし、主権の所在を関係の中に見出したとしても、それはいわば主権のありかをずらしただけで、「主権」概念の位相差は十分には示されたことにはならない。さらに、自然法に対抗して主権の淵源を人事に求めるという意味では、社会的主権論も国家主権論も同根だということになる。

 

主権の存在様態の変容を説明したとしても、そのことは「主権」概念そのものの変容を直接には説明するものではない。ラサムが過去の事例において発見したのは確かに、「社会的主権」論の所在であったが、現在及び将来の事例を社会的「主権」概念で表現することの妥当性はそれほど自明ではないはずである。こうして「主権」の変容は、「主権」という概念を超えた分析概念を研究者に要求する可能性があるのであるが、ラサムの概念設定は自らの議論が持つそうした射程を自ら閉じているような面がある。ラサムからさらに進んでいくとすれば、そのあたりが突破口となるであろう。

 

(芝崎 厚士)

 

Home