論文評7 Article Review 07

 

グローバリゼーション研究と国家中心主義

 

Neil Brenner, "Beyond state-centrism? Space, territoriality, and geographical scale in globalization studies", Theory and Society 1999, 28-1, pp.39-78.

 

(『国際問題』第487号(2000年10月)、61−64ページ)

 

グローバリゼーションという現象をめぐる研究は、九〇年代以降汗牛充棟の観を呈してきた。しかし、これまでの研究成果を総括したり、方法論的な問題点を整理したりする努力はないがしろにされがちであった。国際政治学においても、グローバリゼーションを扱った研究は多いものの、「『郡盲象をなでる』の感なきにしもあらず」と山本吉宜氏が形容するような状態(「二つの戦後と国際政治学」本誌四月号所収)である。

 

こうしたなかで発表されたトムリンソンのGlobalization and Culture Polity Press, 1999邦訳=片岡信訳『グローバリゼーション』青土社、二〇〇〇年)は、文化という観点から前者の点、即ちグローバリゼーション研究(以下GS)の理論的な到達点を提要した佳作であった。そして、シカゴ大学大学院政治学科博士課程のブレンナーによる本論文は、国家中心主義という観点から後者の点、即ちGSの認識論的・方法論的な問題点を明快に示した作品である。

 

まず「序論」でブレンナーは、百花繚乱の感のあるGSの共通目的は、国家中心主義的な認識論(state-centric epistemology、以下SCE)の超克にあると述べ、これまでのGSをその観点から検討することを本論の課題としている。

 

次節「グローバリゼーションと空間の創出」においてブレンナーはグローバリゼーションを、様々な地理的規模で同時進行的に社会的空間が創出・編成・再編成される過程として捉える。この過程では、ヒト、モノ、金、情報の流れが拡大し加速すると同時に、そうした流れを支える、領域に根ざしたインフラストラクチャーが再編される。つまり、グローバリゼーションとは脱領域化(deterritorialization)と再領域化(reterritorialization)が同時進行する過程である。

 

第三節「国家中心主義の認識論」では、こうした絶えざる領域化・脱領域化・再領域化のサイクルは、SCEによっては把握し得ないと論じている。グローバリゼーションに伴って前近代の社会的空間が国家単位で領域化されていったという意味では、グローバリゼーションとナショナリゼーションはある時期まで同時進行した。しかしグローバリゼーションは、国家単位の領域化という社会空間の編成をさらに変容させる。その意味でSCEは、国家という一過性の領域形態を絶対化するためにグローバリゼーションのダイナミズムを捉えきれない。

 

続く第四節「領域の再スケール化としてのグローバリゼーションの概念化」では、これまでのGSは、(1)SCEはそのままに、単に分析の単位をグローバルな規模に拡大しただけの研究、もしくは(2)脱領域化を強調するあまり再領域化の過程を過小評価する研究、の二つに大別されると述べている。(1)は認識論的転換を伴っておらず、また(2)は国家単位の領域性の溶解がサブナショナル、スープラ・ナショナルな領域組織の役割を再強化していく側面を見逃してしまう。グローバリゼーションは空間の社会的編成が変容し、変容し続ける過程なのであって、領域の地球大の拡大や、領域性そのものの喪失という形でのみグローバリゼーションを観念することは、単なる事態の矮小化に他ならない。

 

第五節と第六節では、GSが孕むこれら二つの問題点を検討している。第五節では、アルブロウ、ロバートソン、ウォーラースティンを取り上げている。アルブロウはグローバリゼーションを単なる大きさ(size)の問題に還元してしまい、ネオ・パーソニアンであるロバートソンの非歴史的な図式は空間の質的変容を捉え損ねており、SCEに批判的であるはずのウォーラースティンの世界システム論は、資本主義的分業を国家という単位を基礎に地球大に拡大したものに過ぎない。結局彼らはSCEから免れておらず、一種の「方法論的領域主義(methodological territorialism)」に陥っているとブレンナーは主張する。

 

また第六節では、ショルテやキャステルズなどに代表される近年の脱領域化論は、脱領域化と再領域化を正反対の概念として捉え、国家の衰退を現象の原因および結果として言及していくことで領域性を脱自然化(denaturalization)しようと試みていると述べている。しかし脱領域化論者は、領域性の存在を肯定するか否定するかの二者択一になりがちで、領域性の溶解が脱領域化の拡大を生むというゼロサム・ゲーム的な把握に陥り、結果として再領域化を見落としてしまっていると指摘する。

 

最後の「グローバリゼーションの挑戦」では、脱領域化と再領域化が同時進行する中で、既存のスケールを飛び越えつつ(jumping scales)、さまざまなスケールで領域組織が再構築化されていく(re-scaling)という現在のグローバリゼーションを研究する際の課題として、(1)社会空間の持つ歴史性の分析、(2)空間の規模をめぐる歴史地理学的考察、(2)領域組織、領域性、社会空間的形態の分析、をあげている。

 

加速し流動化していくフローの問題を踏まえた上で領域の質的変容を重視し、脱領域化と再領域化の同時進行としてグローバリゼーションを捉える、というブレンナーの見方は、トムリンソンと軌を一にしている。この捉え方は、今世紀末におけるGSの健全な到達点であるといってよい。そして、ブレンナーの議論の優れた点は、これまでのGSがそうした捉え方に至ることができなかった理由を、認識論的・方法論的な側面という、これまで見過ごされがちであった角度から明快に解いて見せたところにある(ただし、特にウォーラースティンに対する評価に現れているように、各論者の時系列的な議論の質的変容を若干矮小化しているきらいがある)。

 

翻って、ブレンナーが指摘するGSの二つの問題点は、そのまま国際関係論の問題点でもある。問題はグローバリゼーションに国家がどう対処するかということでもなければ、大事なのは国家なのか、それとも非国家行為体や「ネットワーク」なのか、ということでもない。方法論的領域主義と脱領域化論を二項対立的に把握する結果、諸空間および諸領域組織の変容を捉えるための視座を持ち得ないでいることが問われねばならない。

 

近代以降確立していった、国家を基礎に置いた世界形態が有期のものであり、今現在世界の編成形態が変質し、社会空間そのものの性質も変容しているということから目を背けずに、あえて「国家」を機軸とした世界形態としての「国際関係」の栄枯盛衰を観察し、分析していくことが、グローバリゼーションという現象を踏まえた上での、二一世紀の国際関係研究者の課題となるだろう。こうしてブレンナー論文は、トムリンソンの著作と併せてGSの理論的・方法論的な総括であると同時に、国際関係研究のあり方を根底から問い直す問題提起として読まれ得る意義深い作品である。

(芝崎厚士)

 

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