論文評5 Article Review 05

 

歴史社会学と国際関係論

 

Stephen Hobden, "Theorising the international system: perspectives from Historical Sociology", Review of International Studies, 25-2, 1999, pp. 257-271.

 

(『国際問題』第484号(2000年7月)、74−76ページ所収)

 

 いわゆる歴史社会学(Historical Sociology、以下HS)とIRの相互浸透は、今世紀末に進展する国際関係論(以下IR)の学際化現象の一つである。この相互浸透に関する研究の第一人者と目される、ウェールズ大学講師ホブデンの手になる本論文は、彼の単著International Relations and Historical Sociology(Routledge, 1998)の結論部分を改稿したもので、いわば彼の議論のエッセンスをなす作品である。

 

まず序論でホブデンは、ここ一五年ほどの間に高まってきたIR研究者のHSに対する関心は、これまで貧弱であった国家に関する理論をHSの導入によって洗練しようと望むIRのニーズの現れであると述べる。しかし同時にHS研究者の側も、国際システム要因を分析へ取り込もうとしている。そうした傾向をもち、またIRの側にも受け入れられている代表的なHS研究者が、スコチポル、ティリー、マン、ウォーラースティンであり、第二節ではこれら四人の作品が検討される。

 

まず、フランス革命・ロシア革命・中国革命を扱ったStates and Social Revolution (Cambridge University Press, 1979)の著者スコチポルである。彼女は、国際システムが国家に与える影響についてさまざまな要素を俎上に載せているものの、それらは結局、国家間の戦争(warfare)という一要因に還元される。

 

 ティリーについてもほぼ同じことが言える。かつて「戦争が国家を作り、国家が戦争を作る」と書いたティリーは、ヨーロッパにおける国民国家と都市の形成過程を分析したCoercion, Capital, and European States, AD990-1992(Basil Blackwell, 1992)においてその立場を若干修正したものの、結果として国家の活動が拡大する時には戦争要因で、国家の活動が制約される時には国家間の規範やルールといった要因で説明するという、恣意的な論法をとっている。

 

 こうした恣意性はマンにも当てはまる。権力関係の結合形態の変化にもとづいて人間社会の歴史的展開を分析したThe Sources of Social Power I, II (Cambridge University Press,1986,93)を著したマンは、そうした歴史過程を説明するために必要であるが国内レベルには含まれない諸要素を、定義も要素間の関係も不明確なまますべて国際システムレベルへと丸投げして、持論の根拠としているのである。

 

 最後のウォーラースティンの世界システム論のみが、上記三人が陥っているアポリアから免れている、というのがホブデンの見解である。世界システム論は経済決定論的性格を持ち、またサブユニットのレベルにおける分析が曖昧であるものの、理論的な射程の広さ、一貫性や簡潔さ(parsimony)という点からみて、前三者とは対照的な議論(counterpoint)とみなすことができる。

 

 続く第三節では、前三者に議論が共通する問題点を@非一貫性(inconsistency)A不親和性(incompatibility)Bリアリズムの三点に分けて考察している。

 

まず@であるが、これは複数の要因に基づく複数の説明を、相互の関係を無視して当てはめてしまっているということである。次にAは、ホリスが言うところの、(1)ある「構造(structure)」と「合理的主体(rational actor)」の行動とのかかわりを「説明すること(explaining account)」と、(2)「相互の期待(mutual expectations)」と「担当者としての主体(actors as agents)」の行動とのかかわりを「理解すること(understanding account)」、とを区別せずに記述を行っている、ということである。そしてBは、彼らが基本的にはリアリスト的な国際関係理解に立脚しているために、リアリズムになじまない要因を分析に整合的に取り込むことができない、ということである。

 

 しかし、だからといってウォーラースティンの議論がもっとも優れているということにはならない。スコチポル、ティリー、マンの議論はシステムレベルの理論化が不十分であることの見返りとしてユニットレベル(国家)の分析の精緻化に成功し、ウォーラースティンの議論はユニットレベルの分析が不十分であることと引き換えにシステムレベルでの理論の洗練化に成功している、というだけのことでしかない。

 

こうした相互のマイナス点を克服するためには、「より歴史的な基礎付けを伴った分析(more historically based analysis)」が必要である。そのための課題は、@主体の歴史的構成の分析(例えばスプラウト)、A国際システムの変容の分析(例えばローゼンバーグ)、B国内要因と国際要因の関連の分析(例えばハリデイやホブソン)、を進めていくことである。そして最後にホブデンは、こうしたアプローチに基づく研究が必然的に幅広い主体の多様な活動に及ぶことから、「国際システム」というこれまでの呼称を捨てて「グローバルな構造(global structure)」の研究と名乗るべきであると述べて、局を結んでいる。

 

リアリズム批判をにおわせつつコンストラクティヴィズムを入れていくというホブデンの主張は、近年進展しているIRの批判的再構築の流れと平仄が合う。しかし残念なことに彼は、IRにおけるそうした潮流と自らの立ち位置とのかかわりを明確にしていない。そうした考察が不在である故に、本論から得られる知見の豊かさと比較して、結論が安易かつ楽観的な方向に流れているように見える。

 

また、やや操作的に過ぎる感があるものの、ウォーラースティンの議論とその他三者の議論とを比較することで論点を煮詰めていく手際は鮮やかである。とはいえ、社会学自体が原的には閉じた国家社会(ステート・ソサエティこれはルビでお願いします)を前提して形成されてきたこと、世界システム論自体が原的には社会の存立構造の解明を目的とするマルキシズムを引照しつつ形成されていることを想起すると、ホブデンの指摘は、社会科学自体の歴史的構成に関する初歩的な理解の域を出ていないということもできる。

 

おそらく問題は、ホブデンの議論が社会科学論としてどの程度オリジナリティを有しているかという点にではなく、こうした基礎的な議論がHSIR双方において不当に閑却または軽視されてきたことにあるであろう。そういう意味で本論文は、HSIR研究者に学問としての自己(再)確認の必要性を惹起し、双方を新たな学問的展開へと開披する可能性を秘めた作品なのである。

(芝崎厚士)

 

 

Home