The Clash of Idealisms?

理想主義の衝突としての21世紀の国際関係

 

『教養学部報』第472号(2004年2月)

 

芝崎 厚士

 

リアリズムとパパ・ブッシュ

 

 アメリカはなぜ、アフガン、イラクと戦争を始めたのであろうか。通説的には、国際関係において対立を必然とみる立場としてリアリズムがある。とすると、ブッシュ大統領はリアリストなのであろうか。しかしイラク戦争前に、ケネス・ウォルツらアメリカの主なリアリスト国際政治学者たちは『ニューヨーク・タイムズ』に意見広告を発表し、戦争反対を訴えている。彼らは、イラクがアメリカの直接の脅威でもなく、国益を侵害しているとも判断できないが故に、つまり平和主義だから反対なのではなく、益がないから反対なのである。

 

 同じことはブッシュ元大統領にもあてはまる。息子のブッシュ現大統領に対して、パパ・ブッシュは、イラクを占領してもフセインは捕まらず、大量破壊兵器も見つからず、テロリストも捕まらないだろう、などの理由から戦争に反対し、父子の間には対立が生じたという。フセイン・キャプチャーは実現したが、それ以外では今のところパパ・ブッシュの見込みの方が正しいようにも思われる。

 

ブッシュのアイデアリズムとカルドーのコスモポリタニズム

 

 『新戦争論』(岩波書店)で知られるマリー・カルドーは、ブッシュ政権がアイデアリストに他ならないことを指摘している。彼女の議論は、(1)主権に対するリアリズム(主権は不可侵で、国益最優先)とアイデアリズム(価値や規範実現のための主権侵害を認める)という2つの考え方、(2)軍事力の行使に関する単独行動主義(軍事力を重視)と多国間主義(非軍事力を重視)という2つの考え方、を掛け合わせた4つの分類で構成される。

 

 この分類では、ブッシュ政権はアイデアリズムと単独行動主義、つまり価値実現のために軍事力を行使して自国以外の主権侵害を正当化する立場になる。そこではハイテク兵器の駆使、メディア操作などに拠る「見せ物戦争(spectacle war)」が遂行される。ポスト構造主義的な立場のダー・ダリアンは、ハリウッドのプロデューサーがペンタゴンに招かれて、テロなどの最悪のシナリオの想定に関与していることを早くから指摘し、軍、産、娯楽産業の緊密な結びつきであるMIME-NET(military-industrial-entertainment network)によって徳(virtue)と仮想性(virtuality)が結びついた戦争(Virtuous war)が遂行、演出されていると論じている。

 

 カルドーによれば、上述のリアリストは第2の型、単独行動主義とリアリズムの組み合わせで、リアリストと、チョムスキーのような「反帝国主義者」とは、一見相容れないが実は同じ枠組みでものを考えているという。第3の型であるリアリズムと多国間主義に基づく「協調的安全保障」は、アメリカの軍事力に依存せざるを得ない点、原則として内政干渉や人道的介入に消極な点などから不十分であるとみなす。

 

 そこで彼女が主唱するのは第4の型、つまりアイデアリズムと多国間主義によるコスモポリタニズムである。これは協調的安全保障と連携しているが、戦争ではなく、武力を警察的な機能に限定し、政治的・法的・社会的なアプローチから紛争を解決し、貧困の解消などの社会的正義の実現をめざす、ブッシュ政権ともそして「文明の衝突」とも対極にあるアイデアリズムである。国連が主導し日本も力を入れてきた「人間の安全保障」という枠組みもまた、こうしたアイデアリズムともっとも親和性が高いはずであり、カルドーが大きな影響を受けているカントの世界市民主義を21世紀の世界になじむ形で具現する1つの途である。

 

拳銃を・・・

 

 丸山真男は安保闘争のただ中にある1960年3月に発表された一文で、合衆国修正憲法第2条を引きつつ、「どんな権力や暴力に対しても自分の自然権を行使する用意がある」ことを日本国民が身をもって学ぶために、全国の各世帯にピストルを1挺配給することを提案した(『丸山真男集』第8巻所収)。この議論や「拳銃を・・・」という題名は、マイケル・ムーアが映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」でフレーム・アップした当時のNRA (全米ライフル協会)会長チャールトン・ヘストンのGunnnns….”という呻きを、一瞬、思い出させてしまう。

 

 しかし「虚妄」の側に賭ける丸山の意図は同時に、拳銃の保持によって自然権保持の意識が根付くと同時に、「外国軍隊が入ってきて乱暴狼藉しても、自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるに違いない」というところにもある。一方で、アメリカをムーア的に見た場合、個々の国民への自己武装権付与はその集合としての国家の対外行動の帰結と密接に関連することになるが、国民のすべてが戦争に賛成しているのではないことは、NRA会員でもあるムーア自身が証明している。

 

 つまり、問題は国民の自己武装権、という理念のとらえ方次第であり、それと関連させた形での、国家の対外行動のあるべき理想のとらえ方次第である。それをさらに突き詰めれば、銃所有が合法化されなくても、世帯ごとに拳銃が配給されなくても、自然権を体得することが可能であることを証明して、丸山の憂慮を杞憂に終わらせることは不可能ではない、ということになる。そこから初めて、形や文脈を変えて現在も吹きすさぶ「言葉の魔術」に抗する途も拓けてくるのではないであろうか。

(国際社会・国際関係)

 

 

 

 

 

 

 

 

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