--Fukagawa Scenery--
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 東京深川の地名は、江戸の始め、まだ葦野原だったこの辺りを差配していた「深川八郎右衛門」に由来するといいます。八郎右衛門は鷹狩りに当地を訪れた将軍徳川家康をもてなし、これを喜んだ家康から、名もなかったこの地域一帯を、その名にちなんで「深川」と呼ぶことを許されたそうです。                       (「深川神明宮縁起」より)

 現在、住居表示で「江東区深川」とされているのは、東西線の門前仲町駅の北側あたり、わずか1丁目と2丁目の狭い範囲ですが、本来、「深川」といった地域はもっと広く、今の地下鉄の駅でいうと、森下、菊川、門前仲町、木場の4つの駅に挟まれた墨田、江東の区域あたりになるのではないでしょうか。この区域に含まれる町名は、清澄、白河、佐賀、牡丹、古石場そして富岡、木場・・・・。

二之宮巡幸(富岡八幡宮)         <06年8月13日> 

 総重量2トン、6本の担ぎ棒には150人の担ぎ手がとりつきます。二之宮神輿の大きさは、やはり町神輿のそれとは異なります。

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清洲橋どおりいっぱいに広がります

二之宮は本祭りの翌年に深川の町々を巡ります。下の写真は、まだ同潤会のアパートが健在だった頃の清洲橋通り、2000年夏の巡幸です。

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20世紀最後の年でした 

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大川(隅田川)川開き花火      <06年7月29日> 

 深川からは少々離れていますが(3kmほど)、今は昔、両国の川開きは、やはり、お江戸の夏の風物詩として外せない行事ですね。

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第一会場の打ち上げ場所

 この夏は浴衣姿で、打ち上げ会場にできるだけ近づいてみました。幸い、打ち上げ最盛期の8時頃に、言問橋の上に立つことができました。橋の上は人でいっぱいでしたが、警備のお巡りさんもいっぱいでしたので整然と(牛歩)行進。ゆっくり撮影できました。

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最後の打ち上げ8時半

いつもの夏はちょっと離れた東駒形の路地や吾妻橋から見ていたのですが、思い切って近づいてみると、打ち上げるその瞬間を見られるのですね。言問橋からは打ち上げ場所まで約200mぐらい、まさに頭上に大輪の花火が開きます。

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深川八幡神幸祭・・・白河四の神輿は  <05年8月14日> 

 今年は三年に一度の深川八幡の水掛け祭りの本祭です。54基の町神輿が深川の路地路地に繰り出しています。各町内会が担ぎ出すお神輿は、すごく大きくて立派なのもあれば、中には、子ども神輿と見間違う程度のものまで、実に千差万別です。


江戸資料館前に帰ってきた白河1丁目町内会の神輿

 当園近くの白河の各町内は白河1、2、3いずれも立派な神輿を持っています。また、近くの町内、平野、三好もみんな・・なのに、四丁目だけは、悲しいかな、お神輿がない、出せないのです。

 これだけ盛り上がっているお祭りを見物すると、やはり、白河四の神輿もほしいですね。同潤会の高層マンションも完成しますので、四丁目の住民が増えます。できれば、復活(新規?)してもらいたいですね。

 

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深川バラ散策・・・         <05年5月15日> 

 新緑のこの季節、下町深川を歩くと、路地路地に色鮮やかな花の数々が目を楽しませてくれます。特に、バラはそこかしこに咲いています。

 大体は、庭や玄関を飾るように植えられていますが、歩道の植栽にもはみ出すように咲いているのもあります。また、お家の壁面いっぱいにツルバラを這わせているお宅もあります。その中でも、驚嘆するお家がここです。

 正直、ここまでやると、虫が湧いたりして生活にいろいろ支障が出てくると思うのですが・・・今更切ることはできないでしょうね。 

 

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ハクウンボク通り?・・・        <05年5月> 

 東京メトロ半蔵門線の工事に合わせて歩道が拡幅整備された清洲橋通り、その歩道に植えられた街路樹が何なのか、ずっと分からずにいたのですが・・・花の季節になってやっと分かりました。

 最初はライラックかな?とも思っていたのですが、きょうになっていくつか、5つに分かれた小さな桔梗のような花が咲いているのが見えました。やっと分かりました。この花の形状からすると、どうやら白雲木(ハクウンボク、エゴノキ科)のようです。

 花には良い香りがあり、秋には蕾と同じような実が付くそうです。この花の付いている様子が「白雲」のように見えるところから、白雲木という名前となったようです。その名前からお寺の境内に良く植えられているという説があるそうですが、真偽のほどは・・・ 

深川江戸資料館の通りは、一部にはハナミズキ通りと呼ばれていますが、ここ清洲橋通りも、そのうちハクウンボク通りと呼ばれるようになるのでしょうか?

 

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木場に木場オペラ、おっと騎馬オペラでした・・・ 

 木場公園もすっかり地域に定着し、休日ともなると、たくさんの家族連れで賑わいます。そんな木場公園の広場に巨大なドームが建てられています。


天を圧する大きなドーム

 これは、3月12日から始まる馬と人間によるオペラの会場になる建物だそうです。フランスの劇団ジンガロによるもので、30mの円形舞台を使って、馬と人間が主役の芸術とのことです。当然日本初公開ですので、論評は実際に見てみてのことですね。開始早々のチケットを手に入れましたので、それまではジンガロのHPで
http://www.zingaro.jp/

 あえて似たものに当てはめればサーカスなのでしょうが、サーカスのようにロープで引っ張ったテントとは大違い、ちゃんとコンクリートで基礎を作って、鉄骨で本格的なドームが作られています。費用も相当かかっていそう・・・ところで、なんで木場なんだろ?ホントに木場、騎馬、なんて連想ゲームだったりして・・・

 ニュースでは、主役の馬たちが既に成田に到着したようです。ちょっと楽しみになってきました・・・

 

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深川永代通りが延伸し、新しい橋が・・・ 

 永代通りは、長いこと明治通りで行き止まりになっていました。その通りが、荒川に架かる新しい橋が完成したため江戸川区まで延伸されました。

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橋の名前は「清砂大橋」・・・清新町(江戸川区)と砂町(江東区)を結ぶ通りにちなんだのでしょうね。

早速、自転車で渡ってきましたが、この橋の江東区側にはいま大規模マンションが幾つも建設中でした。最近、江東区はこうしたマンションの急増に青息吐息だそうです。なにより小学校の建設がすごい負担になっているそうです。

 

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深川は小津安二郎映画のふるさと・・・

 園主もまだ記憶の覚束ない幼い頃の人物ですが、戦中戦後にかけての映画全盛期の名監督「小津安二郎」の足跡を紹介する記念館(コーナー)が深川は古石場の区立図書館の一画にあります。

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小津安二郎監督と言ってピンとこない人でも、代表作「東京物語」や「麦秋」、「東京暮色」「秋刀魚の味」などでの原節子(これも知らないかな?当時の大女優の一人です、突然引退してその後世間からいっさい隔絶した生活をしています)の演技と重ね合わせれば、分かるかしら・・・

彼の描いた世界は、東京の中流家庭を舞台に、親子夫婦の情愛や人生の機微を細やかに描き出し、また下町の人たちのたくましくも人情味豊かな、そして悲しい人生物語でした・・・

「東京物語」は、東京の下町で小さな診療所を開業している息子を訪ねて上京した老夫婦の感情の機微と、次男の嫁(原節子)との心温まるふれあいを当時の下町風景とともに嫋々と描いた名作だそうです(かすかに見た記憶はあるが・・・)。そして、その撮影した場所は、彼の生まれ育った、この深川から江戸川にかけての一帯だったそうです。

今年2003年は、小津監督の生誕100年に当たり、いろいろな立派な記念行事があるそうですが、この記念展示館も、なかなかしみじみしてますので、お近くを通った時には是非お立ち寄りください。

 

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深川に再開発の波が

 園主たちが昭和59年にここ深川に越してきたのは、工場の移転跡地での大規模開発でできた700戸というマンションでした。それから、ほぼ20年、バブルとその後の平成不況の時代には、あまり大型の開発は行われなく静かに時が過ぎました。

しかし、半蔵門線の延伸に合わせるかのように、再び深川にマンションの建設ラッシュが始まりました。

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取り壊される同潤会アパート

深川の三好・白河に関東大震災の復興事業で建設され、太平洋戦争にも生き残った同潤会アパートがすべて取り壊されています。その跡には32階という超高層棟を始めとする幾つかのマンションと商業施設が作られます。
(在りし日の同潤会アパートの写真はこちらです)

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こちらでは超高層マンションの建設に着手

また、深川で長く銅板などを製作していた「紀長伸銅所」が操業停止となり、その跡地に、三菱地所が大規模かつ高級なマンションを建てるようです。2年後ぐらいには数千戸の住宅が増え、新たな住民がまた増えるようです。

 

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半蔵門線がやっと深川に

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清洲橋通り東側出口

昭和59年3月、園主たちがここ深川に越してきたとき、「3年後には半蔵門線が延伸されて駅が足元にできます」と言われていました。それから・・・、・・・。・・・いつの間にか、時代は昭和から平成に代わって既に15年、なんと19年の歳月が経って、やっと半蔵門線がここ深川まで到着しました。

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10両編成の電車が入るため長ぁ〜いホームです

その間に、都営大江戸線が先に開業し、その清澄白河駅との乗換駅となり、同名での開業です。押上から東武日光・伊勢崎線が乗り入れてくるため、朝のラッシュが心配だったのですが、幸い、清澄白河駅始発が3本に1本あります。

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そして逆方向で、清澄白河止まりというのも多い時には2本に1本、これは夜の帰宅時にも待ち時間が少なくて、たいへん助かります。

でも?なぜ、こんな駅が始発、終点なの?

その答えは、この駅が東西に1000mもの直線区間がある清洲橋通りの真下にあるためでした。終点でもない駅で折り返し運転をするとなると、後続車をスムースに通過させるために、専用の到着番線を作るか、電車の引き込み線を作ることが必要になります。そこで、この清澄白河の長い直線区間が役に立ち、駅の東側に300mもの引き込み線を作ることができたから、ということだそうです。

ともあれ、ラッシュ時には2分間隔で電車が出る!これはまるで銀座線や丸の内線並みですね。

 

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深川の「小さな花市場」

花市場といえば大田市場や江戸川区葛西の公設花市場が大きくて有名です。でも、ここ深川千石にも小さいけれど立派な花市場があります。

祝日に歩いていると、土曜や日曜では見られないような珍しいものも発見できます。たくさんの切り花が詰められた箱が摘まれた倉庫を発見、聞こえてくる声は・・・

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スタンドから買いのサインが

お花の競りの声でした。公設の市場ではなく、フロリアードという民間の市場のようです。買い付けのおじさんたちはうどんやカレーのどんぶりを抱えて、盛んに口に運びながら、指でサインを送っていました。なんかそれっぽい雰囲気・・・でも、ベルトコンベアに次々に花が流れていく割りには、あんまり売れてないような・・・感じでした。

別件をもう一つ・・・

深川(江東区)には海にちなんだ地名が、残っています。潮見、塩浜などの地名には、昔はここまで海だったという感慨があります。で、極めつけの地名は・・・これ

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だからというわけでもないですが、この時期、深川の掘り割りのあちこちでは、こんな魚が簡単に釣れています。

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テンプラにすると結構いけるそうです


 

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深川の夏の灯ろう流し

東京下町は大正12年の関東大震災で大きな被害の出たところです。震災で亡くなった人たちを供養するために深川の各寺院が隅田川で始めた灯ろう流し、その後長く中断していたのですが、20年ほど前、掘り割り小名木川で復活したそうです。

その灯ろう流しが、今年も7月25日に、高橋(たかばし)近辺で行われました。六角形の千5百個の灯ろうがゆらゆらと川面に浮かぶ様子は、夏の深川の風物詩になっています。

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川面に浮かぶ灯ろうの明かり

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五月近しの深川

富岡八幡宮の境内には横綱碑があるぐらいですから、深川はお相撲に縁が深いのですが、相撲部屋となると、老舗は両国のほうですね。でも深川にも、新興の相撲部屋がいくつかあります。大鵬部屋、押尾川部屋、北の湖部屋・・・です。五月場所が近いので、お相撲さんの稽古にも熱が入ります。

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トラックの大型タイヤを、しかも二本!ワイヤーで引くなんて、すごいですね。この路地に入ってきたトラックは、お相撲さんが通り過ぎるまで待ってくれていました。

ところで、この季節、深川の空に奇妙な動きをする動物が飛び回っています。夕暮れの空をひらひらと蝶のように飛びながら、右に左にすごい速さで向きを変えます。大きさは手のひら大で三角形のような形をしています。餌を探すツバメかとも思うのですが・・・ちょっと違うような気も・・・出現するのが薄暮どきなもので、どうにも判別が難しいのです。

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実は、飛び方から見て、コウモリではないかと(密かに?)思っています。でも、東京の真ん中にコウモリ・・・???まさか・・・やはり、ツバメですよね。

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富岡八幡の新銅像

富岡八幡宮の境内には、お相撲さんの横綱碑などいろいろ記念碑が建っています。その中に10月、新しい銅像が仲間入りしました。

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新しい記念碑は、ここ深川から日本全国測量に出発したという伊能忠敬の銅像です。松尾芭蕉が深川に居住し、奥の細道行脚に出発したのは有名な話ですが、伊能忠敬も深川から旅立ちしたとは、知ってました?

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ユリ屋敷その後・・おじいちゃんからの贈り物

ユリ屋敷のおばあさんと2週間ぶりにお会いしました、「あなた達を待っていたのよ」と嬉しそうに迎えてくれました。おばあちゃんのご主人、九十二歳のおじいさんが折り紙の名人で、私たちのことを聞いて、夫婦ツルを折ってくれたというのです。

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おばあちゃんは赤と白の小さな折り鶴を「お幸せにね」と言いながら手のひらにのせてくれました。一枚の紙で二匹の見事な鶴が折り出されています。小さな鶴に折り込まれた翁の大きなあったかさ、深川人情噺を間近に見せて貰いました。

 

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深川ユリ屋敷

深川の路地散策には、日々新たな発見があります。初夏を迎えた日差しの中に突然、鉄砲ゆりの大群落が現れたりします。

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84才というこのお家の奥さんが、7、8年前に手に入れた3つの球根から育て始めて、土や植え替え方法などいろいろ勉強しながら、ここまで見事に育て上げたそうです。満開までもう後僅かというところです。

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深川牡丹町 

深川に残る古い地名、その一つのここ牡丹町、門前仲町の南、東京商船大学との間の路地にかかる古石場橋を挟んで牡丹園が作られています。 

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上方に見えるのが古石場橋

この辺りには昔、牡丹を栽培していた屋敷が多かったことから、この地名になったそうで、その由来を残すため、埋め立てられた掘り割りの公園に500本を超えるボタンが植えられています。

日本最古の鉄橋「八幡橋」

満開を迎えた大江戸の桜、4月1日は快晴の日曜日になりました。下町のあちこちでもお花見に繰り出す人々でにぎわいました。そんなお花見散歩での1枚です。

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日本最古の鉄橋、八幡橋

八幡橋(旧弾正橋)は、明治11年(1878年)文明開化のシンボルとして、京橋区楓川(現在の中央区宝町付近)に架設されました。弾正橋は、幅3m、長さ15mの小さな橋ですが、この橋は馬場先門から本所深川を結ぶ主要路の一つに架けられ、東京府の依頼により当時の工部省が製作した国産第一号の鉄橋となりました。

関東大震災の復興事業により廃橋となりましたが、昭和4年にその由来を惜しまれ、ここ深川富岡の地の掘り割りに架かる八幡橋として移設されました。

すぐ後ろを、首都高木場線の高架が通り、掘り割りも埋め立てられ、橋の下は遊歩道に変わってしまいましたが、富岡八幡宮への人道橋として現在も利用されています。昭和52年国の重要文化財に指定されています。

 

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掘り割りは渡り鳥の休み場所 

冬のこの時期、深川に残る掘り割り水路には渡り鳥がたくさん羽を休めています。マガモや海鵜ていどは分かるのですが、いろんな鳥の種類をきちんと見分けるほどの知識はないのが残念です。

夜は波の穏やかな水路で休み、昼になると餌を採りに東京湾の干潟に飛んでいくんじゃないかな、と思っています。朝早く穏やかな水面にのんびり漂っているのですが、時々変なのが混じってきて追いかけ回しています・・・仲間になりたいのかしら?

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どう見てもアヒルですよね?

 

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厳冬、シルエット東京 

21世紀に入ってすぐ厳しい寒さがやってきました。東京都心でも氷点下の日が続き、ここ深川でも、朝晩には氷が張り、霜柱も見られるようになりました。

この寒波で空気が澄み渡り、東京でも連日、夕暮れの空が真っ赤に燃え上がっています。

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丹沢山塊に沈む太陽の残照が高層ビルの壁に反射し、もう一つの夕陽を見せています。大きな夕陽の右側、旧山一証券のビルの隣にはシルエットになって富士山が見えています(ちょっと小さくてよく分かりませんね)。

 

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深川っ子の初詣で 

下町では初詣での場所はたくさんあり、それぞれ皆さんで恒例となっている所があります。浅草寺、亀戸天満宮などもいいのですが、やはり、深川に住む以上は、「富岡八幡宮」となります。

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元旦午前一時の八幡さまの境内

不景気には初詣客が増えるといいます。2000年にはそれほどの人出ではありませんでしたが、今年は多かったですね。本殿から大鳥居まで参道は人でギッシリで、お参りできるまで30分以上行列に並ばなければなりませんでした。

富岡八幡では、干支の動物土鈴(冒頭写真1000円)を買い求めます。深川に住んで16年経ちましたが、昔は買わなかったりしたので、12種類の内まだ半分ほどしか揃っていないのが残念です。

八幡さまの後は、お隣の深川お不動さまにもお参りし、破魔矢やだるまさんを購入するのが、これも恒例になっています。

 


木場公園の陶器市

木場公園は、東西線木場駅のすぐ北、大川から引き込んだ掘り割り「仙台堀」を挟んで南北広がる24haの大きな都立公園です。この一帯は、かっては木場の材木問屋が軒を並べていたところですが、それらが移転し、広大な跡地が木場公園として生まれ変わりました。

地域の人たちの憩いの場であるとともに、公園の北側の一角には、都立現代美術館が開設されています。また、公園の南半分の地下には、都営地下鉄の地下(?)車庫が広がっている(そうです)。

ここでは、季節ごとにいろいろな催しが開かれますが、11月12日まで、全国各地の窯元から集めた「大陶器市」が開かれていました。

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特等席です、東駒形の路地

例年なら首都圏の花火のトップを切って行われる隅田川花火大会、2000年は8月26日、処暑を過ぎての締め括りの大会になりました。 

この日、夕方から両国界隈は、京葉道路の北側の道路が全て通行止めになり、花火を正面に見ることのできる東駒形辺りでは、たくさんの人たちが道路にそのまま座り込み、路地を埋め尽くして花火の打ち上げを待ちます。

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夜7時、花火が始まると、真っ正面に閃光がきらめき、ものすごい炸裂音が頭の上から降ってきます。ここから見えるのは第2会場の花火だけですが、第1会場の大玉や創作花火とは違って、色、音とにかく派手な花火です。

「理屈はいらねぇ、派手なのが花火だ」とばかりに、休みなく打ち上げ続ける、その気っぷのよさが路地に座り込む下町の見物客を納得させてくれるようです。

 

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富岡八幡の宮神輿巡幸

秋の収穫を祈るお祭りが各地で開かれています。ここ深川の富岡八幡宮でも、毎年この時期に夏祭りが行われます。 

富岡八幡の夏祭りでは、3年に1度の大祭に「神輿(連合)渡御」が行われます。八幡さまの氏子となっている深川界隈の各町内がそれぞれお神輿をかつぎ出します。50基あまりのお神輿が1列に連なって深川を練り歩く様子は壮観です。深川は1日中「ワッショイワッショイ」威勢のいいかけ声に包まれます。 

この連合渡御は去年行われましたので、今年は間の年に当たり、町内の各お神輿は出ませんが、きょう8月13日には八幡宮の宮御輿1基だけが各町内を巡幸して回りました。 
 
 

同潤会の前を通る宮神輿

町内の各神輿もそれぞれの町内が対抗心むき出しで作らせた立派なものですが、この宮神輿は一段ときらびやかで大きく、かつぎ手の数も倍以上の人が必要なようです。 

ちなみに、八幡宮の境内には、千貫神輿といわれる某運送業者が寄贈した桁違いに大きいお神輿が飾られていますが、重すぎてとても人がかつげる代物ではないそうです。 
 


水かけ神輿


富岡八幡のお祭りは、別名「水かけ祭り」とも呼ばれています。お神輿やその担ぎ手に対し、沿道から勢い良く水が浴びせかけられますので、写真のアングルに夢中になって油断していると、頭から水浸し、などという事故?がよく起こります。 
 

 

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お盆、送り火、小名木川

下町深川のお盆は新暦です。16日の夕方になると、深川を巡る掘り割り水路に架かる橋々には、お供えを供えてお線香を焚く人たちの姿が見られます。 

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夏の夕まずめ、風が止み暑さの残る夕闇の中、町家の軒先では送り火が焚かれ、その灯を提灯に移して、家族揃って橋のたもとに向かいます。 

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このご老人は奥さまの新盆なのでしょうか、真新しい提灯に灯をともし、こざっぱりとした格好で一人で小名木川のたもとにやって来ました。 

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木場公園では・・・

もうすぐ子供たちは夏休み、ラジオ体操の季節ですね 

深川三好、白河の付近では、毎朝6時半頃になると、ぞろぞろと町を歩いていく人がいます。いったいどこへ行くのか、と追いていくと、みなさん木場公園に入っていきます。 

サッカー場ほどの広さの木場公園の広場では、毎朝、ラジオ体操が行われているのです。それこそ、老若男女が・・・自転車に乗っている赤ちゃんも・・・まだちょっと無理ですね。 
 
 

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同潤会のアパート

関東大震災では、深川を始め下町一帯は壊滅的な被害を受けました。 

その震災で家を無くした人たちのため、「同潤会」という財団法人が作られ、当時ではたいへん近代的な鉄筋コンクリートのアパートを東京の各地、表参道や代官山などに作ったそうです。 

その同潤会アパートは、老朽化のため各地で取り壊されていきましたが、その一つが、深川の三好、白河地区でいまでも健在です。 

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交差点に面したコーナーはきれいな Rがつけられ、その中には螺旋階段が設けられています。この形が今でも残っているのは珍しいらしく、ときどき写真を撮っている方を見かけます。 

でも、この地区でも数年前から再開発の話が出ています。高層ビルに代わってしまうのも間もないかも知れません。 

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清澄庭園の管理人は・・・

深川で江戸の名残を残す庭といえば、清澄庭園でしょう。江戸時代、深川には各藩の下屋敷が置かれ、藩主が政務を離れ静養に訪れる所として、それぞれ下屋敷のお庭には、四季ごとの趣向が凝らされていたそうです。 

清澄庭園は、そんな大名下屋敷の跡を明治時代に岩崎財閥が買い取り、大改修を行ったもので、今は東京都が管理する立派な庭園になっています。 

その「都営の清澄庭園」は入場料が必要なのですが、私たち住民が清澄庭園と呼んでいるのは、実は隣接して作られている無料の庭園公園の方です。 

その清澄庭園の管理人は・・・・ 

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