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2002年F1に佐藤琢磨という速く、強く、頭が良く、器用で、これ以上の経歴はないという程の見事な結果を残したドライバーが現れました。
ぼくは佐藤琢磨がこれまでの日本人ドライバーが到達できなかった所まで行ってくれるのを凄く楽しみにしています。(高木虎之介にも密かに期待)
だけどぼくは自分がF1に興味を持ち始めたころのドライバー中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京が特別に好きです。
彼らはそれぞれに光る所があったのですが、F1で勝つには何かが足りなかったのでしょう。
F1の壁、世界の壁を乗り越えようと戦う彼らの走りに、ぼくは毎戦毎戦一喜一憂し、F1を十分楽しませてもらいました。
その中でも片山右京という男がぼくはほんとに好きなのです。
最初はF1ドライバーの片山右京を応援していたのですが、いつの間にか人間右京に熱くなってました。
純粋で、熱く、真直ぐで、不器用な右京を思うとぼくはなぜか泣けてきます。
なんでこの人はこんなに一生懸命なんだろう?なんでほとんど無理と分かっていても突っ込んでしまうのだろう?
右京には計算はいらない、これだと思ったらそれをやるだけ、失敗も考えていないのでしょう、考えていたとしても可能性が少しでもあれば、というか可能性があると信じて突っ込むのでしょう、だから度派手にクラッシュしてしまう。
クラッシュしてもまた右京は攻める。そしてまたクラッシュ。まさにカミカゼ右京なのです。
その姿勢はF1を降りても変わりませんでした。
右京はF1と平行して山にも登っていまして、F1を趣味だと考えていた右京は何億ももらえるようになった時「これは違う」ときっぱりとF1をやめてしまいました。
そして本格的に山に挑戦するようになります。
普通8000m級の山に登る時は、少しずつ登っていって身体をならしていくらしいのですが、右京は一気に登ってしまいます。
プロの登山家の意見も聞きません。
8000m級の山に登っておきながら単独無酸素登頂ではなかったと悔しがったりします。
それほどの山に登った後は普通は数ヶ月休養をとらなければならないのだそうですが、右京は思いつきで急遽パリダカに初挑戦して完走してしまいました。
子供には「お父さんはいないと思え」と言ってるそうですが、右京は畳の上で死のうとは思っていないのでしょう。
話をF1の頃に戻しましょう。
94年の右京はまさに神がかった走りをしていました。
トップチームの車に乗れば勝てるのではないかと思う程の走りを見せました。
シューマッハも右京の走りを後ろから見て走り何故タイムがでるのか不思議な走りをしていたと言います。
あの年の右京はどうも違かったようなのです。
アイルトンセナの事故死、実姉の死、自らもガンの告知を受け(誤診だった)、 精神が研ぎすまされていました。
右京は94年はすべてがゆっくりに違う世界が見えたといいます。
一周の中で起きた出来事を30分もかけて話すこともあったといいます。
95年になるとその感覚はなくなったそうです。
F1マシンもコーナーを攻める走りよりもスムーズに走った方がタイムが出るようになり、スタイルを変えず、いつも攻めていた右京は次第に目立たなくなりました。
目立ったのはやはり派手なクラッシュでした。
94年に体感した感覚は単独で山に登るようになりまた蘇ったそうで、ある山で孤独になり辛くなり、登頂をするか諦めるか葛藤しながらも登頂した時に、太陽の光が右京を射して、その光がずうっと山の下まで光のじゅうたんを作ったのを見た時、孤独から解放され、神を感じたそうです。
セナはいつもこんな感覚だったのだろうと右京は言っていました。
右京は2002年、エベレストに挑戦します。
これからも右京は自分への挑戦はやめず突っ走っていくのでしょう。
まだまだぼくは右京からたくさんパワーをもらいそうです。
いつかそのパワーを自分からも発することが出来ればいいなあ。
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