#擬人化ミシンさん のお話です。






春色の風


穏やかな春の午後。
綺麗に磨かれたウインドウの外を、マスクと眼鏡で重装備した人々が通り過ぎていく。
「大変だねえ」
『お気の毒ですわ』
『そういえば、先日のお客さんもある日突然症状があらわれたっておっしゃっていましたね』
「もっとも私たちには関係のないことだがなあ」
『それが幸いではありますけどね』
『わかりませんよー。店長ってば、なんだかんだでしっかり馴染んでますからね』
『そうそう!近所のおばちゃんに人気なのよね。知ってるよ〜』
『ファンクラブも出来たとか出来ないとか』
「なにい!?」
『だから出来てないんでしょ』
『コンパクトお前なー』

ここはとあるミシン店。
ショーウインドウには「最縫ミシン〜あなたのミシン探します〜」の文字。
「最縫」には「さいほう」というルビが振られている。
ミシンを知って、実際に触って、きちんと納得してお買い上げいただいたらミシンは素敵なパートナーになる。
使いにくいから、欲しかった機能がないから、複雑すぎて使いこなせないから。
そんな理由で埃をかぶって仕舞い込まれるのではなく、いつまでもあなたのそばで活躍して欲しい。
あなたにとって“最”も“縫”製に適した1台を選んで欲しい。
それは店長をはじめここにいる皆の願いだった。
雑談やら冗談やらが飛び交う明るい店内には、けれど店長がたった1人。他の客も店員の姿もなかった。
『ねえ今日のお客さんってもうおしまいなの?』
子供のような甲高い声。
『そうだな、珍しく開店早々忙しかったと思ったら午後は閑古鳥か』
『つまんなーい!』
『単に今朝みたいなのは珍しかっただけではありませんの?特にうちの場合では』
『奥に移って新作ドレスのデザインでも練りますか』
男性、女性の声も混じる。それらの声は店内にずらり並んだミシンから聞こえていた。
実はこの店、ミシンを真に欲しいと願う人にはミシンの精(妖怪と言われると憤慨するので注意)が見えてしまう、ついでに話も出来てしまうというちょっと変わったところだった。
ぼーっと頬杖をついて店外を眺めている店長ですら、外見は声の大きなただのおじさんなのだが、この店古参の工業ミシンが人の姿をなしたものだったりする。
「おいおいおまえら、縁起でもないこと言わんでくれ。これでも商売だ。……まあしかし、こうも暇だと眠くなっちまうなあ。」
花粉の弊害には無縁な店長が大口を開けてあくびをしたとき、ドアの外に人の気配がした。
一拍置いて店のチャイムが鳴る。
あふっとあくびを無理矢理終わらせると、にこやかないつもの笑顔でいらっしゃいませ〜と声をかける。
ドアが開いて入ってきたのは、中学生くらいの女の子だった。
「あの、私のミシンの調子が悪いんです、みていただけますか?」
ここで買ったものでないので申し訳ないんですが、と付け加える。
女の子は店内をぐるっと見渡す。変だな、小さな女の子の声がしたと思ったんだけど。
最近父親の転勤でこの町に越してきたのだという娘さんは、自分で作ったらしい春色のスカートをはいていた。
「ここまでおひとりで?重かったでしょうに」
「いえ、すぐそこまで母に送ってもらいました。今は別の用があるんですがあとで迎えに来てくれます。」
「それは良かった。ほれ、今はこの通り。急ぎのお客もいませんのでね。ちょいと拝見いたしましょう。」
ハードケースから取り出されたのは、型は古いけれど頑丈で故障しにくいと定評のある電子ミシンだった。
正面にキャラクター生地から切り取った小さな布切れが貼り付けられている。
並んでポーズを決めた3羽のひよこ。何年か前のキャラクターだ。
特徴のある格好と性格で、天真爛漫な弟、毒舌な次男、真面目な天然長男。可愛らしい外見は子供に受けたし、コントのようなやりとりは大人でも面白かった。
「あ、それ私が初めてこのミシンで作った時の生地なんです。おこずかいためて布を買って。あんまり嬉しくてボンドでべったり貼っちゃったんですけど、今更はがすと汚くなっちゃいそうでそのままにしてあるんです。」
くっくっと笑う店長。
「うんいい記念だ。それでミシンの名前もアルちゃんねえ、なるほど」
「え?」
アルというのは長男、おお兄ちゃんの愛称だ。ぴよんこブラザーズの一番人気は次男のちい兄ちゃんだったのだが。
どこかに名前を書いたっけ?と考える間もなく、店長はひょいとのぞき込んで、すぐに合点がいったという風にミシンから糸と針を外した。そして横に置いてある小箱から別の針と糸を取り出し慣れた手つきでミシンにセットする。
布をあてがい縫ってみると、軽快な音をたててミシンは走り出した。
「え、それだけで?」
「それだけだったりするんですよ。どうしても100均の針や糸は精度に欠けることがあるんですわ」
女の子はきょとんとして、すぐに小さくため息をついた。
「うちのアパートの近くにお店があるんです。この間友達と買い物に行ったとき、ボタンやレースと一緒にミシン用品もいろいろあったから。あーあ、失敗しちゃったな」
外された針をつまんであちこち見るが、今まで使っていた針とどこが違うのか全くわからない。
「いっぱい買っちゃいました?」
「ううん、ひとつだけ。」
「それはよかった。例えばミシンの自動糸通しなんかはほら、針のこーんな小さな穴ん中にもっと細い部品を突っ込んで、向こうにある糸を引っ張り出すんですがね、穴の位置がほんの少しずれていればそいつの大事なツメがひっかかっちまいます。そしてゆがむ、余計に通りが悪くなる、曲がる。使う方はイライラして強引に突っ込む。で、壊れっちまう。そうなりゃ修理やら部品取り替えが必要です。ミシンを扱うものとしてはやっぱりそれなりにきちんと作られたものをおすすめしますね。ああ、もちろん針の前後を間違えず、ゆるみ無く奥までしっかり取り付けていただいて、ですが」
言いながらも店長はあちこちを動かしたり釜を覗いたりする。
「その針はね、型紙の合い印に穴を開けてチャコペンで印をつけるのにも使えるんで、無駄にせずにしっかり使ってやってください。で、普通に使える針と間違えないように油性ペンで色でもつけるか、別に保管してください」
「ハイ」
のんびりしたおじさんだなあと思っていたが、その手は魔法のように動いていて話しながらもあっという間に簡単な調整を済ませてしまう。
「しっかり使っていただいているようで何よりです。お手入れも万全、まだ当分分解掃除は必要ないようですな。」
「はい、ここに越してくるちょっと前にメンテナンスしてもらいました。」
女の子は脇のスペースを見た。いくつかの種類のミシン針と糸が並んでいる。
「えーと、これかな?」
家庭用ミシン普通地用と書かれた5本入りセットを手に取る。
「あれっ、そんなにびっくりするほど高くはないんですね。」
「そうでしょ?確かに100均の品物の方が値段は安いんですが、精度のいい針を適度に交換して使ってやってりゃあそもそもミシンは長持ちするもんなんですよ。良く間違われるんですが、針は糸と同じで消耗品なんですわ。折れた時だけじゃなくて、ちょっとでも曲がったり布に引っかかる感じがしたら早いとこ交換してやってください。」
言いながら、箱から出した2本の針。同じ針だ。それを平らな側を下にテーブルに並べる。太い部分を指で押さえたままちょいと屈みこんだ。
「こうしておいて横から見れば、ほれ、こっちは曲がってるってわかるでしょう」
同じように屈み込めば、確かにテーブルとの隙間の幅の違いがはっきりわかった。
「もし普通地以外を縫うなら、布に合わせて針を替えてくださいね。厚地、薄地、それからニット用があれば十分なんで。ひらひらの薄い生地を太い針で縫って伝線させたならともかく、細い針でジーンズの裾上げして針先が折れて飛んできたら洒落になりませんからな。ほんのひと手間です。そうすりゃミシンへの負担も少ないし、縫い目だって綺麗になりますからね」
言いながら1本の針をくるくると小さな包装紙に包む。
「こいつは厚地縫い用です。お守り代わりにサービスです。もし急に必要になったら使ってください。そして交換するときにはぜひ当店で5本セットのお買い上げお願いしますね」
言いつつひょっと肩を竦めて見せる。にこやかな笑顔に思わず吹き出した。
「ここに並べてあるのはミシン本体だけですがね、必要であればアタッチメントもすぐご用意できますよ。あ、ミシンのここんとこに付けてファスナー付けや三つ折りにしながら縫ったりするあれです。メーカーや製造年によって使えるものも変わってきますから、ミシンに合ったものがそれぞれ必要になるわけですが。」
『店長の趣味でほとんど全種類在庫抱えてたりするんだから』
「えっ?」
誰かの声がした。……ような気がした。
「あ、ははは。なんでもないです。」
「ええと、それじゃワンピースの背中につけるファスナーを縫うもの、ありますか?あと、おいくらですか?」
「コンシールファスナー押さえですね。お持ちしますので少々お待ちください」
店長が奥に引っ込んでいる間、店内をぐるっと見回してみた。目に付いたのはあちこちに置かれた試し縫いの布。よく見れば全てのミシンのコードがコンセントに刺さっていて、すぐに使えるようになっている。
縫いやすそうな普通の布だけではなく、厚いジーンズの生地や薄いサテン生地もたくさんあり、そのどれにもたくさんの縫い線が残っていた。
ファスナーがついていたり、ボタン穴がそこらじゅうに作ってあるものもある。ビーズの縫いつけ、端の三つ折り。そのどれもが単に展示用に作成したようには見えなかった。
きっといっぱい試し縫いをしてからミシンを選ばせてくれるんだろうな。
大きくて重い自分の持ってきたミシン。
本当は、もっと小さいミシンが欲しかった。大好きなデザインのミシンが発売された日は、カタログを握り締めて家まで走った。
だけどあの時。母に自分のミシンが欲しい、そして洋服を作りたいと言った時。
あなたはこういうこと好きだから小さいミシンでは後悔する、もっと大きいミシンにしなさいとさんざん説得された。そして半ば強引に、へそくりまで出してこの機種を買ってくれたのだ。
さっぱりと真っ白なミシン。初めは好きになれなかったのだけれど。
目の前に展示されている可愛いミシンにそっと触れてみる。脇にはそのミシンで作ったらしい小さな巾着やコースターがたくさん並んでいた。
そういえば親戚のお姉さんはこんな風な可愛い雑貨をたくさん手作りしていたっけ。そうだ、そのとき見せてもらったおしゃれな小さいミシンを見て、私もミシンが欲しくなったんだ。
ここにあるミシンもあのときと同じように可愛らしく、持ち運びもしやすそうだった。お姉さんがしていたように冬にこたつに持ってきて縫うことだって簡単に出来そうだった。
だけど。目の前のコンパクトミシンには縫いかけの大きなエプロンがセットされていて、真ん中のポケットを縫う位置に針が合わせてある。右手の位置にくしゃくしゃと畳まれた布は、もっさりと山になっていて、これではくるりと向きを変えるのがどんなに大変だろう。
洋服を作りたいなら大きくなくちゃ駄目とさんざん説得してくれた母にちょっとだけ感謝。あのときの私は泣いて抗議したのだけれど。
『ちょっとだけ残念だけどー、でもそれで良かったと思うよ!』
声が聞こえた気がして顔を上げたが誰も居ない。
小さな部品と何本かのファスナーを持った店長が入ってきた。
コンパクトミシンの前に立っている客ににっこり笑ってみせる。
「小さくて可愛いミシンが欲しくて来店されるお客様は実に多いんですよ。特に若い女性でね。」
店長はミシンの上のエプロンの、ポケットの縫い線を指でたどる。
「ご存じかと思いますが、こういう四角いポケットの縫いはじめと縫い終わりは補強のために小さな三角に縫います」
店長の手が添えられるとみっちりとスペースが埋まってしまった。さらにぐるっと布の固まりを一回転させる。キツそう、と思う。
「キルティングの手提げ袋なんか作ろうとしたら、更に布が厚いですからね。布を置けても手が入らないなんてことにもなりかねません。ましてやブラウスやスカート、冬物コートを縫おうなんて思ったらどうなるか想像したらわかるでしょ?ただし、そういう厚地は使わない、洋服は一切作らないと割り切ってお求めになる方もいらっしゃいます。ここにある巾着やらはみんなこのミシンで作ったものです。手軽に持ち運んでこういう小物作りをするだけなら十分事足ります」
それじゃつまらない、私はやっぱりいろんなものを作ってみたい。このスカートだってまだ全然上手じゃないけど、それでも自分で作った洋服を身につけて外出するときの緊張と嬉しさは格別だから。
「そうですねえ、あとはあくまで2台目のミシンとして気軽に使いたいとお求めになる方もいらっしゃいます。でも1台で洋服を作られるなら、わたしは大きいものを絶対におすすめしますね。お客様はこれからもどんどんミシンを使ってくれそうですからこの大きさは絶対に無駄にはなりません。永く活躍してくれる良いミシンだと思いますよ。」
ぽんとミシンに手を置く店長。
「はい、これがコンシールファスナー押さえ、値段はこちらです。ここに同じものがありますから使ってみますか?」
ほんの小さな部品だった。
「縫い方も覚えておいて損はないですよ。どんどん使ってあげてください。ミシンもそれを望んでますから。」
どうぞ、と椅子を引かれてミシンの前に座る。
脇には外された針と糸、それからさっきのサービスの針。
無理させちゃってたね、ごめんね。
心の中で呟いたら、
『(どういたしまして)』
って、あれ?アルちゃんが返事をした?
「気持ちはね、通じてますよ」
さらっと言われて不思議な気持ちになった。
「次はワンピースを作ってみたいと思っていたんです。これを使ったファスナーの付け方、教えてください。」
店の中にミシンの軽快な音が響く。聞き慣れた音だったけれど、嬉しそうに歌っているように聞こえるのは気のせいだろうか。
始めは嫌いだった。でもいつの間にか嫌いじゃなくなって、今は大好き。これからもよろしくね、わたしのアルちゃん。
しばらくして母親が迎えにきて、大事そうにミシンを抱えた女の子は帰っていった。
母親はロックミシンのカタログを受け取りつつ、こっちに越してからは時間がとれそうだから、娘ともどもお世話になりますと言っていた。
いつの間にやら増えた店員に挨拶している母親と、妙な顔をしていた娘さん。案外いいお得意様になるのかもしれない。
チャイムの音とともにドアが閉まると、花びらが一枚店内にひらりと落ちた。
「おや、桜かね」
ここ数日天気が良かったから、そろそろ散り始めだ。明日の休みには花見でもするかとひょいとつまみ上げれば、何故だか鼻のあたりがむずむずする。
「、っぶしょいっ!」
『あれ?』
『おやおや』
あわててティッシュを取りに奥へ引っ込んだ店長に声がかかる。
『まさか花粉症ですかあ〜?』
『これは店長が進化したというべきなのかしら』
『いや劣化の間違いでは?』
「こらあっ!何を言っとるかあ!」
とたんに賑やかになる店内には、やはり誰の姿もみえない。
また一つ、大きなくしゃみが響く。
『これは本格的に花粉症ですかね』
『ねえ、試し縫いばかりではなくて店舗に出しておける素敵なティッシュケースを作りましょうよ』
『そういえば、ちょうどその花びらみたいな薄桃色の柔らかな布地が入っていましたよね。』
『花びらの刺繍を入れたら素敵でしょうね』
ミシンたちのおしゃべりは続く。
『あー、でも安心した。ちょっと辛そうだったもんな。』
『きっと大丈夫。お客様のお顔にミシンが大好きって書いてありましたから、大切にしてくださると思いますわ。』
『うんっ!』
『今度来るときはどんなワンピース着てくるんだろうな。楽しみだ。』
丁寧に作られていたスカート。その持ち主が、母親を連れてきっとまたここを訪れるだろうこと。
そしてお仲間のこと。カバーを開けた瞬間の、黄色い着ぐるみを着たあの電子ミシンの顔。
『案外似合っていましたわ。』
『相当照れくさそうだったけど?』
『でもさ、誇らしげだったよな。愛されてるーって感じで』
『(私は遠慮するが)』
むき出しのティッシュの箱と生地とを抱えた店長が戻ってくる。
「おーい、これで頼むわ」
『お任せください』
『はいはーい!おまけのポケットティッシュ入れはあたしが作るー!』
不思議なお店。
賑やかで明るい店内には、きっとあなたにぴったりのミシンが待っている。




    おしまい










「要するにだ、100均の針には精度に欠けるものもあるから使わない方が無難だっつー、ただそれだけの話なんだがな」
『我々の負担になりますからね』
『合わない入れ歯でお煎餅バリバリ〜みたいな?』
「コンパクトお前なー」



2011.04.13
   04.18・一部改訂