宝生流謡曲 来 殿

●あらすじ
 延暦寺の座主法性坊の僧正は、祈祷のために百座の護摩を修したが、その満参にあたる夜中に、何者か門をたたく者があった。不思議な思いで物の隙からこれをのぞいてみると、それは菅相丞の霊であった。座主はこれを招じ入れた。相丞は没後において座主からねんごろな弔いをうけたことを感謝し、座主もまた相丞よりうけた旧恩を返報しがたいことなどのべている。相丞は言葉を改めて、自分が無実の罪によって果てたことは、ひとえに時平が讒奏したからである。思えば今も恨めしいといい、たちまち気色変り、本尊に手向けてあった柘榴をつかんで口に入れ、これを噛み砕いて妻戸に吐きかけ、柘榴は火焔となって扉は燃え上がる有様となったが、僧正は少しも騒がずに、酒水の印を結んだ。すると相丞の霊はそのまま行方知れず姿を消して閉まった。この時あたりに音楽鳴りわたり、天神の神体出現して神と君との御恵みのありがたいことを祝い、幾千代までも国土の安全を寿いで曲を終る。

●宝生流謡本    外十六巻の五  切り能   (太鼓あり)
    季節=夏    場所=京都比叡山
    素謡(宝生) : 稽古順=入門 素謡時間=27分 
    素謡座席順   シテ=前・菅丞相 後・天満天神    
               ワキ=法性坊の僧正

●観能記
能「来殿」   宝生流
シテ 橋 右任  ワキ 北島 公之  ツレ 平木 豊男
大鼓 中村 宗雄  小鼓 河原 清  太鼓 飯森 友春  笛 高島 敏彦
地謡 酒井  章  亀田  肇  中村  清  舘   聖
     川島 英治  渡邊容之助  島村 明宏  松本  博
比叡山延暦寺の座主、法性坊の律師僧正が天下の祈祷のため百座の護摩を焚き、満参の今日は仁王会を執り行う夜中に、戸を激しく叩く者があります。菅丞相(菅原道真)の霊と見た僧正はこれを招じ入れます。丞相は没後において座主から懇ろな弔いを受けたことを謝し、座主もまた丞相から受けた旧恩を返報し難いことなどを述べます。丞相の霊が成仏できないのは、藤原時平の讒奏によって無実の罪を蒙った恨みが尽きないからです。思えば今も恨めしいといい、霊は本尊の供物の柘榴を取り、噛み砕いて妻戸に吐きかけ、火焔を燃え上がらせます。僧正は騒がず灑水(水を注いで火を消す行法)の印を結び、大日如来に帰依する真言を唱えて火を消し、霊も姿を消してしまいます(中入)。
さらに奇特を待つ僧正の耳に妙なる音楽が聞こえ、「大富天神」が現れて君恩に感謝し、舞い遊んだ後、北野に遷座し、幾千代までも国土安全長久を寿いで曲を終わります。
この曲は、他の流派では「雷電」となっているが,宝生流では「来殿」としている。宝生流の大後援者であった加賀藩主前田氏が菅原道真の子孫と称していたことに遠慮して、13代藩主前田斉泰が、道真の霊が雷神となって内裏を暴れまわるところを改作させ、朝廷を寿いで舞を舞うという筋にして上演しました。それで、曲名も雷神をイメージする「雷電」ではなく、「来殿」と書きます。
観能が終わってまだ明るいので、今日まで兼六園が無料開放なのに便乗し、満開をやや過ぎた桜を惜しみながら兼六園を通り抜けた。ちらちら散っている花びらが、曲水の上に浮かんでいる。
紀 友則の有名な和歌を思い出した。
ひさかたの光のどけき春の日に
                しづこころなく花の散るらむ

●解 説
○ 菅原道真とその古蹟      
 菅原道真に関連する曲は宝生流にも、この「来殿」のほかに「老松」「右近」があるが、まだ取り上げていないのでここにまとめて紹介することとする。
〇 道真公の生誕
 道真公生誕の地と言われるところは沢山ある。 京都市烏丸通にある菅原院天満宮神社はその一つで、境内には管公御初湯の井もあり、ここに住んだという。 下京区仏光寺にある菅大臣神社も生誕の地と言われ、境内には天満宮降誕之地の碑も建っている。道真の父は参議の是善、母は伴氏(ともうじ)で、北野天満宮境内に母を祀る伴氏社と伴氏廟がある。
 遠く離れた島根県宍道町にある菅原天満宮も管公生誕地と言われ、父の是善が出雲国司の時この地の豪族狩野氏の娘と馴染みとなり管公を生んだ。この社の摂社梅木天神には管公生誕地の碑が立ち、社の裏には管公産湯の井もある。 管公が幼少の時祖父が梅の実に穴をあけ糸を通して玩具として差し上げたが、公が6歳のとき上京にあたり、前途を占うため此処にお手植えになった。毎年実る実は牛の鼻孔に似た穴が貫通しているので、鼻繰梅と呼ばれ何代目かの梅が育っている。

〇 雷電 (能)
『雷電』(らいでん)は、能楽作品のひとつ。菅原道真が大宰府に左遷され憤死、死後雷となって内裏に祟ったというエピソードをもとに構成された能である。『太平記』、『北野天神縁起絵巻』などに取材しており、後世の歌舞伎『菅原伝授手習鑑』にも影響を与えたとされる。別称『妻戸』(つまど)。

雷電  作者(年代)  不詳   形式  複式劇能
能柄<上演時の分類>  五番目物 鬼能   現行上演流派
観世・宝生・金剛・喜多   異称  来殿(宝生流)
シテ<主人公>  菅原道真
その他おもな登場人物  比叡山座主 法性坊
季節   秋 または 不季     場所  比叡山  内裏
本説<典拠となる作品>  太平記[3]

作品構成
比叡山の僧、法性坊は菅原道真の師であった。天下のため護摩供養をしていると道真の霊があらわれ「自分は冤罪で左遷され死にいたったので、雷となって内裏に行き恨みをはらそうと思う」と述べる。そして「朝廷は悪霊退散のために法性坊を招くだろうが、もし呼ばれても参り給うな」と願う。法性坊は「比叡山は天皇の祈願所であるため、三度勅使が来たら断れない」と答える。それを聞いた道真の霊は、本尊の前に供えてあったざくろを噛み砕き、寺の戸に吐きかけると扉は燃えあがった。法性坊が法力で消し止めると、道真の霊は走り去る。ここまでが前段である。後段は内裏で雷となった道真の霊が暴れまわり、法性坊の法力と対決する。最後は朝廷から「天神」の神号をおくられ、礼を述べて黒雲に乗り立ち去る。
なお宝生流では、宝生流の大後援者であった加賀藩主前田氏が菅原道真の子孫と称していたことに遠慮して、道真の霊が雷神となって内裏を暴れまわるところを改作し、朝廷を寿いで舞を舞うという筋にして上演する。江戸時代には小書(特殊演出)「舞入」として番組に書いていたが、現在では通常の演出となっている。なお、曲名も雷神をイメージする「雷電」ではなく、「来殿」と書く。


                                   2008/7/1更新
◎来殿(らいでん)梗概
 延暦寺の座主法性坊の僧正は、祈祷のために百座の護摩を修したが、その満参にあたる夜中に、何者か門をたたく者があった。不思議な思いで物の隙からこれをのぞいてみると、それは菅相丞の霊であった。座主はこれを招じ入れた。相丞は没後において座主からねんごろな弔いをうけたことを感謝し、座主もまた相丞よりうけた旧恩を返報しがたいことなどのべている。相丞は言葉を改めて、自分が無実の罪によって果てたことは、ひとえに時平が讒奏したからである。思えば今も恨めしいといい、たちまち気色変り、本尊に手向けてあった柘榴をつかんで口に入れ、これを噛み砕いて妻戸に吐きかけ、柘榴は火焔となって扉は燃え上がる有様となったが、僧正は少しも騒がずに、酒水の印を結んだ。すると相丞の霊はそのまま行方知れず姿を消して閉まった。この時あたりに音楽鳴りわたり、天神の神体出現して神と君との御恵みのありがたいことを祝い、幾千代までも国土の安全を寿いで曲を終る。(謡本より) 

      来 殿      切 能(太鼓あり)  

        シテ   菅相丞               季 夏
        後シテ 天満天神
        ワキ   法性坊の僧正          所 京都比叡山

ワキサシ 「比叡山延暦寺の座主。法性坊の律師僧正にて候。
    詞「偖も我天下の御祈祷の為。百座の護摩を焚き候ふが。今日満参にて候ふ程に。
      頓て仁王会を執行はゞやと存じ候。
 サシ上「実にや恵もあらたなる。影も日吉の年ふりて。誓ぞ深き湖の。
      小浪よする汀の月。
    上「名にしおふ比叡の御獄の秋なれや。比叡の御獄の秋なれや。
      月は隈なき名所の都の富士とみかみ山。法の灯自ら。影明けき恵こそ。
      人をもらさぬ誓なれ人をもらさぬ誓なれ。
シテサシ「有難や此山は往古より。仏法最初の御寺なり。
      実にや仮初の値遇も空しからず。我が立つ杣に冥加あらせてと。
      望を叶へ給へとて。満山護法一列し。中門の扉を叩きけり。
ワキ 上「深更に軒白し。月はさせども柴の戸を。叩くべき人も覚えぬに。
      いかなる松の風やらんあら不思議の事やな。
シテ 上「聞けば内にもわが声を。怪しめ人の咎むるぞと。重ねて扉を叩きけり。
ワキ 上「余の事の不思議さに。物の隙よりよくよく見れば。
      是は不思議や丞相にてましますぞや。心騒ぎて覚束な。
シテ 詞「頃しも今は明けやすき。月にひかれてこの庵の。
      扉を叩けば中よりも。
ワキ 上「不思議や扨は丞相か。はや此方へと。
シテ 上「夕月の。
地  上「影珍しや稀人の。影珍しや稀人の。まれに逢ふ時は。
      なかなか夢の心地していひやる言の葉もなし。上人も丞相も。
      心解けて物語。世に嬉しげに見え給ふ。あはれ同じ世の。
      逢瀬とこれを思はめや逢瀬とこれを思はめや。
ワキ 詞「さて御身は築紫にて果て給ひたる由承り候ふ程に。
      色々に弔ひ申して候ふが届き候ふやらん。
シテ 詞「なかなかの事御弔忝くありがたう候。
  サシ「秋におくるゝ老葉は風なきに散りやすく。
ワキ 上「愁をとむらふ涙はとはざるにまづ落つ。
シテ 下「されば尊きは師弟の約。
ワキ 下「切なるは主従。
シテ 下「睦じきは親子の契なり。
シテワキ二人「これを三ていといふとかや。
シテ 下「中にも真実志のふかき事は師弟三世に如くはなし。
地  下「忝しや師の御影をばいかで踏むべき。
   クセ「幼かりし当時は。父もなく母もなく。行方も知らぬ身なりしを。
      菅相公の養に親子の契いつの間に。有明月のおぼろげに。
      憐み育て給ふ事真の親の如くなり。扨勧学の室に入り僧正を頼み奉り。
      風月の窓に月を招き。蛍を集め夏虫の心の中も明かに。
シテ 上「筆の林も枝茂り。
地  上「言葉の泉尽きもせず。文筆の堪能上人も。悦び思し召し。
      荒き風にもあてじと。御志の今までも。一字千金なりいかでか忘れ申すべき。
シテ 詞「扨も我無実の罪を蒙る事。偏に時平の讒奏と思へば。恨は今によもつきじ。
ワキ 詞「実にげに仰は理なりと。
    上「いふより早く色変り。
シテ  上「をりふし本尊の御前に。
ワキ  上「柘榴を手向け置きけるを。
地   上「おつ取つて噛み砕き。おつ取つて噛み砕き。
      妻戸にくわつと吐きかけ給へば柘榴忽ち火焔となつて扉にくわつとぞ燃え上る。
      僧正御覧じて。
      騒ぐ気色もましまさず。灑水の印を結んで。
      鑁字の明を称へ給へば火焔は消ゆる煙の中に。立ち隠れ丞相は。
      行方も知らず失せ給ふ行方も知らず失せ給ふ。      中入
ワキ待謡「なほも奇特を松梅の。なほも奇特を松梅の。色香妙なる音楽の。
      聞ゆる事ぞ有り難き聞ゆる事ぞ有り難き。
後シテ出羽「抑これは。是善卿の。第三子なり。
    詞「扨も我延長元年に。大富天神と神号を賜る。其君恩の恵を普く。
    上「道ある御代の。有難さよ。
地   上「其時虚空に管弦聞え。其時虚空に管弦聞え。
     神さび渡れる折からなれば舞曲を奏して。舞ひ遊ぶ。
地 早舞「風雅の舞曲も時過ぎて。風雅の舞曲も時過ぎて。
      光を四方にあま満てる。神霊北野に移らせ給ふ。
      実に有難や神と君。国土安全長久と。
      風雅の舞曲も時過ぎて。風雅の舞曲も時過ぎて。
      神の末こそ久しけれ。


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