皇 帝 (こうてい)
●あらすじ
唐の開元年中、玄宗皇帝の御代。皇帝の寵妃
楊貴妃は重い病の床につき、明日をも知れぬ命である。貴妃の病床を見舞った皇帝が、夜靜まった後、病を気遣って思いに耽っていると、不思議な老人が階下に現れる。老人は伯父の御時に、科挙の試験に合格せず、及第の叶わぬ身を嘆き、玉階に頭を打ちつけ、自らの生命を絶った鍾馗という者の亡心と名乗る。その時、亡骸を都の内に埋葬され、贈官された上に、緑袍を頂戴したその旧恩に報いるために、貴妃の病をいやしてみせようと現れたのであった。そして、明王鏡という鏡を貴妃の枕辺に立てるなら、必ず姿を現そうと約束して消える。 貴妃の病床を見舞った皇帝は、余りの痛々しい様子に、代われるものなら代わりたいと嘆き、二人の契りの永遠ならんことを願う。その時ふと、不思議な老人の言葉を思い出す。やがて夜が更けると、貴妃の枕頭に立てた鏡に病鬼が姿を現す。貴妃の玉笛を取り去ろうとするのを、鏡に映し見て、皇帝が剣を抜くと、病鬼は御殿の真木柱に隠れてしまう。すると御殿がにわかに光り輝き、その中に鍾馗大臣の精霊が駒に乗って現れる。病鬼はこれを見て驚き騒ぎ逃れようとするが、精霊が利劒を抜き袂をかざして明王鏡に向かうと、病鬼は逃れる術もなくその姿を現す。通力を失った鬼神が御殿を飛び下り六宮の玉階に走り上がったところを、精霊は、引き下ろし利劒でづたづたに斬り裂き、庭上に投げ捨てる。貴妃の病も治り、君の恵みの久しからんことを祈って、精霊は夢のように消え失せる。
●宝生流謡本
外十六巻の一 切能 (太鼓あり)
季節=春 場所=唐 土 作者=小次郎信光
素謡(宝生) : 稽古順=入門 素謡時間=27分
素謡座席順 ツレ=悪鬼
子方=楊貴妃
シテ=前・老翁 後・鍾馗
ワキ=玄宗皇帝
ワキヅレ=大 臣
●曲 趣
この曲は切能物で、ワキは皇帝という位で調子は幾分納めて謡うが、曲全体の位は重くないからハッキリめに謡い、前シテは強くしっかりと謡い、キリ地は運びよく謡う。
●演能記
能「皇帝」 シテ方観世流小早川家の公演記録
前シテ(尉)/後シテ(鐘馗ノ霊):小早川修
子方(楊貴妃):小早川康充 ツレ(鬼神):佐川勝貴
ワキ(玄宗皇帝):宝生欣哉 ワキツレ:大日方寛・舘田善博
アイ(宮人):金田弘明
笛:寺井宏明 小鼓:田邊恭資 大鼓:柿原弘和 太鼓:小寺真佐人
後見:武田志房・北浪貴裕
地謡:松木千俊・武田友志・武田文志・浅見慈一・
武田宗典・武田祥照・古平輝夫・小早川泰輝
小早川 修・泰輝・康充、3人が同じ舞台に立ちます。家族としては、ちょっと嬉しい演目です。
今も昔も病気は人間と切り離せません。それは目に見えないから厄介です。
作者の小次郎信光は、この見えない世界を舞台化しました。この能は、玄宗皇帝の寵姫楊貴妃の病鬼を鐘馗の精霊が退治する話です。
鐘馗は端午の節句でお馴染みですが、進士の試験に落第したことを嘆き宮殿の階から落下し(能では、階で頭を打ち砕き)落命したが、死後に官を賜った報恩に守護神になったとされ、中国では宋代にその画像を念頭に門に掲示する習慣があったようです。
伝説では玄宗皇帝の病を治したとされますが、能では楊貴妃を病気にしています。玄宗皇帝と病鬼、鐘馗と病鬼のエネルギッシュな闘いが展開され、異類の豪傑鐘馗の強烈なパワーが炸裂します。
古代の猛々しい魂に、新型インフルエンザもおそれおののくかもしれません。
玄宗が病気の時、夢に現れた一小鬼が楊貴妃の玉笛を盗もうとすると、時に一大鬼が現れ退治する。その一大鬼は身は終南山の進士鍾馗であると言終って夢から覚めたという故事に基づいて作られた能である。鍾馗様と謂えば日本でも端午の節句の代表者であるが、病鬼との豪快な闘いは六月の梅雨空を吹き払うことでしょう。
古代中国関係の謡曲 18曲
小原隆夫 調
コード 曲 目
概 要
場所 季節 習順 素謡
内04巻1 鶴 亀
唐の玄宗帝新年春の節会事始め 唐国 春
平物 10分
内o8巻3 楊 貴 妃
玄宗皇帝ノ愛妃ノ魂パクヲ探す
唐国 秋 入門 55分
内12巻5 猩 々
猩々ガ親孝行ノ高風ニ福ヲ与える
唐国 秋 平物 10分
内16巻2 是 界
是界坊ノ野心比叡山ノ僧ニ打砕カレル 京都
不 入門 32分
内16巻3 芭 蕉 唐ノ帝芭蕉ヲ愛シタ
芭蕉ノ精僧ニ語ル 唐国 秋 中奥 70分
内16巻5 天 鼓 帝ニ奉セシ天鼓ハ
王伯王母ガ鳴ラス 唐国 秋 初奥
45分
内19巻5 唐 船 日本子ト 迎ニ来タ唐子ノ
情ケト帰国 福岡 秋 初奥 50分
内20巻1 邯 鄲 濾生が夢 50年の栄賀も一炊の夢
唐国 不 初序 38分
外03巻1 項 羽 虞美人草ト項羽ノ物語り
唐国 秋 平物 30分
外05巻1 西 王 母 桃ノ精 御代ヲ寿ぐ
唐国 春 平物 22分
外06巻1 咸 陽 宮 秦ノ始皇帝
宮殿ニ燕国ノ刺客ニ襲ワレル 唐国 秋
入門 23分
外06巻5 石 橋
大江定基ガ唐デ修行(連獅子) 唐国
夏 初序 25分
外10巻5 鐘 馗 鐘馗ノ悪魔退治
唐国 秋 平物
20分
外13巻3 昭 君
美女昭君ノ異国ニ亡クナリ父母ニ嘆く 唐国
春 中序 45分
外13巻4 三 笑 三賢人ノ談笑
唐国 秋
入門 25分
外14巻1 枕 慈 童 700年前ノ周王ニ使エタ仙家ノ慈童ニ逢ウ
唐国 秋 平物 20分
外15巻1 張 良
張良黄石公ノ沓ヲ取リ兵法ヲ学ぶ 唐国
秋 入門 25分
外16巻1 皇 帝
玄宗皇帝寵妃楊貴妃ヲ鐘馗ガ助ける 唐国
春 入門 27分
(平成23年7月16日 あさかのユーユークラブ
謡曲研究会)
皇 帝 (こうてい)
季 春 所 唐土 素謡時間 27分
【分類】切能
【作者】小次郎信光 典拠:不明
【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:鍾馗 ワキ:玄宗皇帝 ワキズレ:大臣
ツレ:悪鬼 子方:楊貴妃
詞章 (胡山文庫)
来序
ワキ
サシ上 春は春遊に入つて夜は夜を専らとし。後宮の佳麗三千人。三千の寵愛一身にあり。
かくたぐひなき貴妃の紅色。芙蓉の紅。色かへて。未央の柳も力なし。
地 下 たゞよわ/\と伏柴の露の命もいかならん。
(小謡 心づくしの ヨリ 姿かな マデ )
上 心づくしの春の夜の。心づくしの春の夜の。木の間の月も朧にて。
雲居に帰る雁も我が如くにや鳴き渡る。
霞の内の樺桜ひとへに惜しき。姿かなひとへに惜しき姿かな。
シテ 詞「如何に奏聞申すべき事の候。
ワキ 詞「不思議やな宮中しづまり物さびて。心を澄ますをりふしに。
御階の下に来るを見れば。さも不思議なる老人なり。そも汝はいかなる者ぞ。
シテ 詞「是は伯父の御時に。鍾馗と云ひし者なるが。及第叶はぬ事を歎き。
玉階にて頭を打ち砕き。身を徒になしゝ者の。亡心これまで参りたり。
ワキ 詞「げにさる事を聞きしなり。其まゝ都の内にをさめ。贈官せられし大臣の。
其亡心は何のため。唯今こゝに来れるぞ。
シテ 詞「贈官のみか緑袍を。死骸に蒙る旧恩に。今かく君の寵愛し給ふ。
貴妃の病を平らげて。奇特見せしめ申すべし。然らば件の明王鏡を。
かの御枕に立て置き給はゞ。
下 必ず姿を現さんと。
地 上 直奏かたく申し上げ。/\。我通力を起しつゝ。楊貴妃の花の姿誘ふ風を静めんと。
申しもあへず其姿御階の下に失せにけり御階の下に失せにけり。
中入
ワキ
詞「いかに貴妃。今日はいつしか曇る日の。暮るゝ夕も朧月夜の。
カカル上 晴れぬ心は如何なるぞ。
貴妃 上 実にや衣を取り枕を推すべき力もなく。苦しき心にせきかぬる。
涙の露の玉鬘。かゝる姿は恥かしや。
ワキ
上 かはるにかはるものならば。かく苦を見るべきかと。
力を添へてゆふ四手の。
貴妃 上 髪をも上げず。
ワキ 上 ひれふすや。
地
上 翠翅金雀とり%\に。かざしの花もうつろふや。
枕破の斜紅の世に類なき姿かな。げにや春雨の。風に従ふ海棠の眠れる花の如くなり。
(独吟 然るに明皇 ヨリ あるまじ マデ )
クセ下 然るに明皇。栄花を極め世を保ち。色を重んじ給ふ故。
類なき貴妃にかく。契をこめて年月の。春宵短きを苦みて。
日高く起き出で朝政も絶え%\に。移る方なき中なれど。
ワキ 上 遁れ難しや世の中は。
地 上 思はぬ限り有明の。月の都の舞楽まで学び残せる方もなく。
秘曲を伝えし笛竹の。寿なれや此契。天長く地久しくて尽くる時もあるまじ。
ワキ 詞「げに今思ひ出したり。かの老人の教の如く。明王鏡を取り出し。
彼の御枕に置くべきなり。
大臣 カカル上 勅諚尤も然るべしと。月経雲客一同に。明王鏡を取り出し。
御枕近き御几帳に。立ち添へてこそ置きたりけれ。
地 上 かくて暮れ行く雲の足。/\。漂ふ風も冷ましく。身の毛もよだつをりふしに。
不思議や鏡のそのうちに。鬼神の姿ぞうつりける。
地 上 九華の帳を押し除けて。/\。かの御枕により竹の。笛をおつ取りさし上げて。
勇み喜ぶ其気色。鏡にうつり見えければ。帝はこれを叡覧あつて。
さては病鬼よ遁さじと。剣を抜いて。立ち給へば。天に上り。地に又下り。
飛行自在を現して。帝に向ひ。怒をなせば。剣を振り上げ切り給へば。
御殿の柱に立ち隠れて姿も見えず失せにけり。
ワキ 上 不思議や曇る空晴れて。
地 上 宮中光りかかやきて。鳴動するこそ恐ろしけれ。
後シテ
上 そも/\これは。武徳年中に贈官せられし。鍾馗大臣の精霊なり。
詞「さても此君寵愛し給ふ。貴妃の病を平らげんと。通力を以て奇瑞を見す。
上 南無天形星王。我剣降鬼と。
地 上 秘文を称え駒に乗じ。虚空を翔つて参内せり。
地 ノル上 悪鬼はこれを見るよりも。/\。驚きさわぎ。かの真木柱に隠れけるを。
鍾馗の精霊馬よりおり立ち利剣を引つ提げ袂をかざし。明王鏡に向ひ給へば。
鬼神の姿は隠れもなし。
ツレ 下 鬼神「鬼神は通力自在も失せて。
地 下 鬼神は通力自在も失せて。起きつ転びつ。走り出づるを。
追詰め給へば御殿を飛びおり六宮の玉階に。走り上るを。
遁さじものをと引き下し。利剣を降り上げずた/\に切り放し。
庭上に投げ捨て忽ちに。貴妃も息災なほ此君の。恵を仰ぎ。
まもりの神と。なるべしと。玉体を拝し。奉り。
玉体を拝し奉りて。姿は夢とぞ。なりにける。
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