加茂物狂 (かもものぐるい)

●あらすじ
都の男は妻と別れて東国見物に行っていましたが、故郷がなつかしくなり三年ぶりに帰郷します。加茂の社に参詣してみると、ちょうど加茂の葵祭の日でした。男は一人の狂女が取り乱しているのを見て、社の御神事だから心を静めて信心するよう忠告すると、女は狂人とて心がよければ聖人と同じであり、神は正直のために方便を捨て俗世に交わるのであるから、狂人の狂言綺語とて隔てられまいと論じます。男は話すうちにこの女が妻であつことを知りますが、人目を恥じて名乗らず、舞を舞って祈るよう勧めます。女は神に手向けの舞を舞いつつ、恋しい夫を探しに放浪の旅に出たことを語り、やがて相手が夫であることに気づきますが人目を憚り口にしません。そのうち二人はまるで示し合わせたようにかっての家路に向い、めでたく再会を果すのでした。シテの持つ笹は狂い笹ともいい、多く物狂の男女が持ちます。本曲ではその笹に葵の葉をつけますがこれは賀茂の祭(葵祭)には社前や車の簾、供奉の衣冠に葵の葉をかけるのによります。
(「宝生の能」平成11年6月号より)

●宝生流謡本(参考)     外十五巻の三   四番目・三番目    (太鼓あり)
       季節=春     場所=京都糺の森 作者= 不詳 
       素謡(宝生)  :  稽古順=入門   素謡時間43分 
        素謡座席順    シテ=妻        
                   ワキ=夫 ワキヅレ=従者 二人

●加茂物狂曲の概要                       金剛・宝生・喜多流現行曲
 都の男(夫)ワキは、妻と別れ、ある事情から陸奥の所縁の人を尋ね、三年にもなりました。さすがに、都のことが心配になり、従者ワキツレと共に帰京することにしました。帰ってみると、旧宅を妻が家出してました。帰った日は、たまたま加茂のお祭り、葵祭りの日でした。そこで、男達は、下鴨神社を参詣する事にしました。女(妻)シテは、夫と逢う事を祈願しに、神社の祭りに葵の葉を持ちて現れ、人ごみに狂い、恋路の身を嘆き、味気なさを訴えるのでした。男は、神事だから心静かに信心しなさいと言うのでした。女は、詞を返して、昔の人は狂人もよくおもえば聖人となると申していますし、神様は方便を嫌って正直を喜ばれ、我等を救うために垂跡されましたと答えるのでした。男は、この神様は特別なので歌舞を手向けて、望みを叶えられるよう祈りなさいと言いました。女は、その謂れを教えてと申しました。男は、昔、實方さねかたが祭りの日に舞を舞って御手洗の水に映したことが因縁で御祀りした橋本の宮であると教えました。女は、御手洗池に身を写して、元の面影も無いと、憂い、夫に逢っても気付かれないのではと嘆くのでした。男は、そろそろこの女が妻であることを感じ、不憫なことだ思いを忘れさせてやりたいとの思いになり、この橋本・岩本の社は歌舞の宮なるに、歌舞を手向けば願も叶うと勧めました。女は、風折烏帽子を着け物着、舞いイロエ、クセ夫がいつか帰って来ることを願い、涙にくれ、ついに夫を尋ねて三河の八橋、掛川、小夜の中山、藤枝、宇津の山と陸奥の地まで探し求めましたが、ついに逢えず、また都へ戻って来ました。やがて思いの晴れる前兆でしょうか、都は春一色、そして夏が来て加茂の祭りとなり、行き来する人々の装いも美しい景色でした。二段舞クセに続いて中ノ舞 女は、月を愛で、花を詠んだ在原業平はこの地に垂跡し、衆生のために縁を結ぶ神となり、岩本社に祀られておられる。「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」と業平は詠まれたそうですが、自分の境遇と同じ、涙ばかりの浮世が恨めしいと嘆くのでした。男は、ただ狂乱の他所人とばかり見ていたが、正しくこの人は妻であるのだが、どうも人目が憚れる。女もこの人が夫と思われるが、どうも恥ずかしくて言い出せません。男はまあよい、住み慣れた家に向かえば彼女も付いてくるだろう。女もまた、五条の元の家に帰ろうと、夫を見間違えてはいない、これは神様のご利益ですと、互いに素知らぬ顔で別れ、家路に着きましたが、この神のご在所の河島が二つの川賀茂川と高野川を合わせた所にあるように、やがて二人は旧宅で再会したのでした。

●謡蹟めぐり            加茂物狂 かもものぐるい     
高橋春雄 記
橋本の社と藤原実方 京都市 上賀茂神社   (平13・12記)
曲中に「これこそさしも実方の、宮居給ひし装ひの、臨時の舞の妙なる姿を、水に映し御手洗の、其えにしある世を渡る、橋本も宮居と申すとかや」とある。ワキは哀れな狂女と見て静かに問答をし、傍らにある上賀茂神社の摂社橋本の社は藤原実方を祀ったもので、実方の舞の姿が御手洗川に映った場所と教える場面である。橋本の社は御手洗川にかかる小さな橋の傍らにあり、衣通姫を祀ったが後に実方も合祀された。
 橋本の社 (平6.4) 実方を合祀する小社
藤原実方は他流では「実方」「阿古屋松」などに登場するようだが、宝生流ではこの曲にその名が出るだけなのでここで紹介することとしたい。藤原実方は三十六歌仙に名を連ねた歌人で左近衛中将に任ぜられ、実方中将と呼ばれたが、清少納言と恋愛関係があり、後に藤原行成が清少納言と通じたため不和となり、トラブルをおこしたことから罪に問われ、陸奥守に左遷された。東北には阿古屋姫の伝説があり、実方はその古蹟を訪ねるうち、名取の笠島道祖神社の社前にさしかかったが、下馬すべしとの教えを拒み乗馬のまま通りかかると、突然馬が荒れ狂い実方は重傷を負って「陸奥の阿古屋の松を尋ねわび、身は朽人となるぞ悲しき」と辞世を詠み亡くなった。名取市に実方朝臣の墓と歌碑がある。
 笠島道祖神社 宮城県名取市笠島(平7.6) 実方は乗馬したまま通りすぎ落馬して亡くなった
 実方朝臣の墓 宮城県名取市塩手 (平7.6) 中将實方朝臣之墳と刻まれる
実方朝臣顕彰の歌碑 朝臣の墓前 (平7.6)彼を一躍有名にした歌
「 桜がり 雨は降りきぬ 同じくは ぬるとも花の 蔭にかくれむ 」 が刻まれている
実方の娘中将姫は父の悲報を聞き、山形の千歳山に赴き万松寺に父の墓を立て菩提を弔い、中将姫もここで亡くなり、山上に葬られた阿古屋姫の墓もここに立てられた。万松寺には三基の墓が並んでいる。また山形駅前の歌懸稲荷には実方が歌を奉納したという伝承がある由である。

宇津の山付近           
平13・12記
クセには多くの地名が謡いこまれている。忍ぶ摺(信夫文字摺)は「融」、八つ橋は「杜若」で取り上げることとする。その他、岡部、蔦の細道、宇津の山などが謡われており、「宇津の山、現(うつつ)や夢になりぬらん」の文言は業平の「駿河なる宇津の山辺のうつつにも、夢にも人に会わぬなりけり」を引用したものと思われる。この歌の歌碑が宇津ノ谷峠にあると聞いて、訪ねてみた。タクシーで静岡からこのあたりの旧東海道を通って岡部町、焼津市へ出たのであるが、探し当てることが出来なかった。途中「千手」に出てくる手越や、東海道五十三次の丸子宿あたりから宇津の山を望むことが出来たし、蔦の細道の所在も案内図の上で確認できた。この道は昔からあった道路で国道一号線の元祖ですと書いてあった。この道を登って行けば業平の歌碑に到達できたのかも知れない。今では車でサッとトンネルを通り抜けてしまう所を昔の旅人は苦労して越えて行ったのだと感慨を深くした。
 手越より宇津の山を望む 静岡市手越 (平9.2) 手越は「千手」の故郷である
 丸子の宿 静岡市丸子 (平9.2) 往時の面影を残す建物が残っている
史跡
  賀茂御祖神社(下鴨神社)かもみおやじんじゃ(しもがもじんじや)
    出雲井於神社いずもいのへのじんじゃ 橋本社・岩本社
               京都市左京区下鴨泉川町59
               交通:市バス4、34、205下鴨神社下車 徒歩15分
                   京阪電鉄 出町柳駅下車 徒歩20分

(平成23年5月20日 あさかのユーユ0クラブ 謡曲研究会)


                加茂物狂 

         加茂物狂(かもものぐるい) 外十五巻の三  (太鼓なし)
         季 夏     所 京都糺の森  加茂物狂 素謡時間 四十三分
  【分類】四五番目 (略三五番目)
  【作者】禅竹氏信とも不明とも   典拠:不明
  【登場人物】 シテ:妻、    ワキ:夫 

         詞 章                   (胡山文庫)

ワキ  次第上 帰る嬉しき都路に。/\。雲居ぞ長閑かりける。
ワキ    詞「是は都方の者ニレ候。我東国一見乃為罷り下り。
        ここかしこに月日をおくり。早三年になりて候。 
        また都の事もゆかしく候程に。此の旅とへ上らばやと存じ候。
    道行上 雁金の 花を見捨つる名残まで。/\。古郷思ふ旅心。
        うきだに急ぐ我が方はさすがに花の都にて。海山かはる隔ててにも。
        桜夏かけて。眺めみじかきあたや取るけりの 花の都に着きに/\。
                 一セイ
シテ  サシ上 面白や今日は卯月のとりどりに。千早振る其の神山の葵草。
        かけて頼むや其の恵み。色めきつづく人並みに。あらぬ身までも急ぎきて。
   一セイ上 今日かざす。葵や蔓の玉かづら。
地     上 葛もおなじ。かざしかな。
                 カケリ
シテ    上 かざす袂の色までも。
地     上 思いある身と。人やみん。
シテ  サシ上 面白や花の都の春過ぎて。又その時の折からも。
地     上 たぐひはあらじ此の神乃。誓い糺乃道すがら。人やりならぬ心心の。
        様々見えて袖をつらね裳裾を染めて抜きかふ人乃。道さりあへぬ者思ふ。
地     下 我のみぞ猶忘られぬ其の恨み。

    ( 小謡 人乃心は ヨリ  あじきなや マデ )

地     上 人乃心は花染めの。/\。おつろいやすき頃も過ぎ。山陰の。
        加茂の河波糺すの森の緑も夏木立。涼しき色は花なれや。
        忘れめや葵を草に引き結び。仮寝の野辺の。鶴のあけぼの。
        面影匂う涙の。例なれや恋路の かはるまじなあじきなや/\。
ワキ    詞「如何にくれなる狂女。今日は当社の御神事なり。心を静めて結縁をなし候へ。
シテ    詞「是は仰せとも覚えぬものかな。惟も狂も克く念へば聖と云えへり。
        その上神は知ろしめすらん。
   カカル上 正直捨方便の御恵み。塵にまじはる和光の影は。狂言綺語も隔てあらじ。
        あら愚かの仰せや候。
ワキ    上 げにこの言葉は恥ずかしや。讃佛乗の心ならば。難波の事も愚かならじ。
        然もこれなる御社は。当社にとりても異なる垂シャク。
        舞歌を手向けて乱れ心の。望みを祈り給ふばし。
シテ    詞「そも此の社は取り分きて。舞歌を納受ある事の。其の御謂に何事ぞ。
ワキ    詞「これこそさしも実方の。宮居給いし粧いの。臨時の舞の妙なる姿を。
        水に映し御手洗いの。其のえにしある代を渡る。橋本の宮居と申すとかや。
シテ カカル上 あら有難やと夕波に。
ワキ    上 今立ちよして。
シテ    上 影を見れば。

  ( 小謡 現なや 見しにも ヨリ  恨みなりける マデ )

地     上 現なや 見しにもあらぬ面影の。/\。衰え果てつる粧ひに。
        及ばぬ昔のそれのみか。身にもかほばせの名残さへ。
        涙の落ちぶるこそ悲しき。今は逢うとも中々に。
        それともいさや白露の。命を恨めしき命ぞ恨みなりける。
ワキ    詞「これなる者をいかなる者ぞと存じて候へば。某が語らいらる女にて候。  
        今は人目もさすがに候間。さあらぬていにてもなし。
        人まを待ち手名のばやと存じ候。いかに狂女。此の社にて舞をまひ。
        思う事を祈るならば。
   カカル上 神もや納受あらべきぞと。
ワキ    上 手向け乃舞を。
シテ    上 まふとかや。
地   次第上 またぬぎかへて夏衣。/\。花の袖をやかへすらん。
                 物着
シテ    上 山藍に。すれる衣の色そへて。
地     上 神も御影も。移り舞。
                 イロヘ
   ( 独吟 げにやそのかみ ヨリ  袂なりけり マデ )
   ( 囃子 げにやそのかみ ヨリ  憂き世の中ぞ悲しき マデ )

シテ  サシ上 げにやそのかみに祈りし事は忘れじを。        
地     上 哀れはかけよ加茂の川波。立ち帰り来て年月の誓いを頼む逢う瀬の末。
シテ    下 あはれみ垂れて玉すだれ。
地     下 かかる気色を。守り給え。

   ( 仕舞 我も其 ヨリ  袂なりけり マデ )

地   クセ下 我も其。しでに涙ぞかかりふき。又いつかもと。思い出でしまま。
        涙ながらに立ち別れて。都にも心とめじ。東路の末遠く。
        聞けばその名もなつかしみ思い乱れし忍ぶ摺り。
        誰故ぞいかにとかこたんとする人もなし。
        鄙の長路におちぶれて。尋ぬるかひもなくなく。其の面影の見えざれば。
        猶行く方のおぼつかまく。三河に渡す八つ橋の。
        蜘手に物を思う身はあづくをそこと知らねども。
        岸辺に波を掛河。小夜の中山中々に。
        命のうちは白雲の又越ゆべしと思いきや。
シテ    上 花紫の藤枝の。
地     上 育春かけて匂うらん慣れにし旅の友だにも。心岡部の宿とかや。
        蔦の細道分け過ぎて。きなれ衣を。宇津の山現や夢になりぬらん。
        見聞くにつけて憂き思い。猶こりずまの心とて。
        又帰り来る都路の思いの色や春の日の。濃うの影も一入りの。
シテ    上 柳桜をこきまぜて。
地     上 錦をさらすたてぬきの。霞の衣のにほやかに立ちまふそでも梅が香の。
        花やかなりし春過ぎて。夏もはや北祭。今日又花の都人行きかふ袖の色々に。
        貴賤群集の粧ひもひるがへす袂なりけり。
地     上 月にめで。
シテ  ワカ上 月にめで。花を眺めし。古への。
                 打上
地   ノル上 跡はここにぞ在原なる。
シテ    下 その業平の結縁の衆生に。
地     上 契りむすぶ乃。
シテ    下 神とや岩本の。
地     上 本の見なれとかりの世に出でて。月やあらぬ。春や昔の。
        春ならぬ/\思えば我も。
シテ    下 唯いつとなく。
地     下 唯いつとなく。そことも涙のみ。思いをりて。
        我が身ひとつの憂き世の中ぞ悲しき。 
地  ロンギ上 始めよりみれば正しくそれぞとは思えど人めつつましや。
シテ    上 人めをも我は思はぬ身の行くへ。心まよひのやしくも。
        さすがにそれぞと知るけしき。恥ずかしければいひあへず。
地     上 よしや互いにしらまるみ弓。かへる家路住み馴れし。は
シテ    上 五条あたりの夕顔の。
地     上 露の宿りは。
シテ    上 心あてに。
地     下 それかあらぬかの。空目もあらじあらたなる。神乃誓いをあおぎつつ。
        されぬやうにて引き別れて。
        此河嶋の行く末は逢ふ瀬乃道になりにけり/\。


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