正 尊 (しょうぞん)

●あらすじ
平家の追討を終った義経は鎌倉に入ることを許されないので、京都に留まっていました。ここに、鎌倉から土佐坊正尊が上洛したというので、義経は自分を討つために来たのだろうと察して、弁慶に正尊を連れてくるように命じました。義経の面前に引き連れられてきた正尊に、上洛したのは自分を討つためであろうと、義経はその理由を詰問しますが、正尊は熊野参詣のために来たもので、途中少し病を得たために京に留まっているのであると言い張り、起請文を書いて読み上げ、全く異心のないことを示します。義経は偽りのものと承知しつつも起請文を褒め、酒宴を設けて、白拍子静に舞を舞わせ、大いに正尊をもてなして帰します。しばらくして正尊の討入りを察した弁慶が武装して待つところに、正尊が郎党を従えて攻め寄せます。両者は激しく戦いますが、寄せ手はみな討たれ、正尊も生け捕られます。          
 (「宝生の能」平成11年5月号より)

●宝生流謡本(参考)     外十五巻の二   四五番目・又は二番目    (太鼓あり)
       季節=秋   場所=京都 
       素謡(宝生)  : 稽古順=初序   素謡時間36分 
       素謡座席順    ツレ=姉和  
                  シテ=正尊    
                  ワキ=弁慶           立衆=正尊の郎党4人
                  ツレ=源 判官    ツレ=判官の郎党4人     
                  子方=静 

●演能記                       
平成16年8月 上 田 拓 司
義経は兄頼朝の代官として木曽義仲を追討、平家全滅の大功をたてたが、後白河法王から兄に無断で官位を受けたことから激怒を買い、与力につけられていた大名も全員関東に帰り、孤立無援となっていた。 鎌倉から頼朝の寵臣土佐正尊が上京したのを兄からの刺客と察した義経は弁慶を使に連れてこさせる。 八方陳弁につとめた正尊は起請文を書き、帰させる。なお疑った宿の女将が調べると夜襲の支度中。弁慶の報告に義経も待ちかまえていると果たして攻めてくる。義経は勇戦して正尊を捕らえる。 起請文が重習いで、大勢の切られ手の出る、賑やかな曲です。 安宅の「勧進帳」、木曽の「願書」と共に三読物と言われる、「起請文」が一番のハイライト。義経を守る武蔵坊弁慶との駆け引きも芝居がかっていて、目を惹きます。 能「正尊」と言うと、詰問の場の緊迫感、又、特殊な拍子(リズム)で序破急をつけ、節を駆使し謡い上げる「起請文」、特に「起請文」は重い習いになっており、土佐坊が読み上げた後、「もとより虚言とは思えども、文を揮うて書いたる、器用を感じ思し召し、御盃を下さるる。」と相手に言わせるだけの力が必要で、舞台人として「やってみたい」と思う所です。 しかしながら、子供の頃から、やはり楽しみは切組、チャンバラでした。敵味方に分かれて、太刀を振り回し、トンボ、ホトケダオレ、ランカンゴエ、キザハシオチ等、見てのお楽しみでした。暴れ回るので、舞台から落ちかけたりする演者がいると、客席も、楽屋も、舞台にいる人までもがハラハラしたものです。 私が初めて、立衆と呼ぶ、斬られ役をさせて頂いたのが、高校2年生の時でした。トンボを切り、ホトケ倒れをする稽古で、上田能楽堂の2階の床板を割ってしまった事が思い出されます。今回も、私の次男、そして、笠田祐樹と、中学2年生2人に、初めて立衆をさせます。この2人が、充分に勤め、他の舞台でも、斬られる役ならあの人達に、と言われるようになって欲しいと願っております。

●謡蹟めぐり  正尊 しょうぞん   
 高橋春雄 記
謡蹟 左女牛井(さめがい)跡(堀川舘址)京都市下京区左女牛井町堀川通  (平8・11記)
左女牛井(さめがい)は京都の名水として平安時代より知られ、源義経の堀川御所の用水であったと伝えられる。堀川舘は義経だけでなく、頼義、義家、為義、義朝など、源家代々の武将の住居となった所である。この井戸は舘がなくなってからも保存されていて室町後期以後茶の湯も行われ碑も建てられていたが、第二次世界大戦末期民家の強制疎開とともに撤去された。昭和44年、醒泉小学校100周年記念事業としてこの碑を建て名水を偲ぶこととされた由である。このあたり、堀川通りは道幅も広く車の往来もはげしくて往時の面影は望むべくもないが、多くの人の善意によってこのような碑が建てられ、これを通して往時を偲ぶきっかけを作ってくれているのは有り難いことである。 土佐坊昌俊は渋谷金王丸の後身と伝承されており、「朝長」の曲では金王丸が義朝の従者の一人として謡われている。渋谷の金王八幡宮は金王丸ゆかりの神社である。八幡宮の略記に金王丸のことがかなり詳しく記されているので、要約して紹介することとする。
「 金王丸常光は渋谷平三重家の子である。はじめ重家に子がなく、夫婦揃って八幡宮に祈願を続けるうち、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿るとの霊夢をみて立派な子が生まれたので、明王の上下の二字をいただいて金王丸と名付けたという。金王丸17歳の時源義朝に従って保元の乱に参加して大功をたて麿の称号を賜った。平治の乱に敗れた義朝は、東国に下る途中尾張国野間の長田忠宗の舘に立ち寄ったところ長田の謀反によって、あえなき最後を遂げられた。金王丸は京都に上り常盤御前に事の由を報告した後、渋谷に帰って出家し土佐坊昌俊と名乗って義朝の霊を弔っていた。
源頼朝との交わりも深く、頼朝挙兵の折、ひそかに渋谷八幡宮に参籠して平家追討を祈願したということである。頼朝は鎌倉に幕府を開いた後、義経に謀反の疑いをかけ、これを討つよう母常盤御前形見の薬師仏を昌俊に与えて強く頼まれたので、昌俊も遂に固辞し得ず、文治元年10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の舘に討ち入ったが、はじめから義経を討つ考えは更になく、捕らえられて勇将らしい立派な最後を遂げたという。
金王丸の名は平治物語、近松戯曲などに、また土佐坊昌俊としては源平盛衰記、東鑑定、平家物語などに見え、その武勇のほどが偲ばれる。渋谷氏の後裔は各地に連綿と続くが、中に明治の元勲東郷平八郎元帥も渋谷氏の子孫の一人ということである。 」境内に「金王桜」があるが、文治5年源頼朝が奥州からの帰途当社に参拝して、太刀を奉納し、金王丸の忠誠を偲び、「その名を末世に伝ふべし」と鎌倉亀ケ谷の舘から金王丸ゆかりのこの地に移植したものと伝えられる。花の種類は長州緋桜の八重といわれ、八重と一重とが交じって咲く珍しい桜である。

土佐坊昌俊邸跡   鎌倉市雪ノ下  
(平8・11記)
土佐坊は鎌倉にも住んでおり、雪ノ下にはその邸跡の碑がある。鎌倉市には同じような碑があちこちに建てられているが、大正年間に鎌倉市の青年団の方々が建てられたようで私たちには大変有り難い。70年前の文章となると少し読みにくいけれども、また格別の味わいがあり、土佐坊の心根が窺えるようで感銘を受けた。
正尊社(冠者殿社) 京都市下京区四条通貞安前之町 (平8・11記)
京都四条通りの繁華街のまんなかに八坂神社の御旅所があるがその隣に小さな正尊社がある。現在は正尊社の名は見当たらず、「冠者殿社」の名が記され、祭神は素戔嗚尊、祭日は10月20日、御神徳は商売繁昌となっており、由緒として「 素戔嗚尊は天照大御神に向い身の潔白を誓約された神様として誓文払いの祖神と崇められ、往古より京洛の人々殊に商家においては誓文払いの行事を通じて大神様に御加護を祈願されています。 」と書かれている。

起請文の中に出てくる神社 
 (平8・11記)
土佐坊は起請文の中で天上界においては、梵天王、帝釈、四大天王、閻魔法王、五道の冥官、泰山府君に、下界において次に掲げるように随分沢山の神社のほか日本国のすべての神様に誓いを立てている。 伊勢天照太神・伊豆箱根・富士浅間・熊野三所・金峯山・王城の鎮守7社

(平成23年5月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


  正  尊     

          正 尊(しようぞん)  外十四巻の二  (太鼓あり)
         季 秋      所 京都      素謡時間 36分
  【分類】四五番目   (三読物)
  【作者】        典拠:
  【登場人物】 シテ:土佐坊正尊、 ワキ:武蔵坊弁慶
          ツレ:源義経   ツレ:姉和光景   子方:静御前

         詞 章                   (胡山文庫)

ワキ    詞「是は西塔の武蔵坊弁慶にて候。さても我が君判官殿は。
         鎌倉殿より大名十人付け申され候へども。
         内々御中不和になり給ふにより。心を合はせて一人づつ皆下りはてゝ候。
         又鎌倉より土佐正尊と申す者。昨日都へ上つて候ふが。
         是は我が君を狙ひ申さんためと聞しめされ。
         急ぎ連れて参れとの御諚にて候ふ程に。只今土佐が旅宿へと急ぎ候。
         いかに案内申し候。判官殿より御使に武蔵が参じて候。
シテ    詞「武蔵殿かやあら珍しや。まづ此方へ御入り候へ。
ワキ    詞 「さん候。これは君よりの御使にて候。御上りのよし聞しめし及ばれ。
         何とて御伺候は候はぬぞ。鎌倉殿の御意も聞しめされたきとの御事にて。
         急いで御参あれとの御事にて候。
シテ    詞「武蔵殿とはあら珍しや。何の為の御出でにて候ぞ。
ワキ    詞「さん候是は君よりの御使いにて候。御上りの由聞し召し及ばれ。
         何とて伺候は候はぬぞ。鎌倉殿の御事も聞し召されたきとの御事にて。
         急いで御参りあれとの御事にて候。
シテ    詞「宿願の子細候ひて。熊野参詣のためにふと罷り上りて候。
         昨日京着仕り候へども。路より違例仕り偖遅なはりて候。
ワキ    詞「委細承り候。片時も国の御事を聞し召されたきとの御事なれば。
         唯今御供申さんと。
シテ カカル上 是非をいはせぬ武蔵殿に。
ワキ    上 さしも剛なる。
シテ    上 土佐坊も。

  ( 小謡 否にはあらず ヨリ  残さばや マデ )

地     上 否にはあらず稲舟の。/\。上れば下る事もいさ。あらましごとも徒に。
         なるともよしや露の身の。消えて名のみを残さばや。/\。
ワキ     詞「いかに申し上候。土佐正尊を召し連れて参り候。
判官    詞「此方へ召し候へ。
ワキ     詞「畏つて候。こなたへ参られ候へ。
判官    詞「如何に土佐坊珍しや。さて何のために上りてあるぞ。
        鎌倉殿より御文はなきか。
シテ    詞「さん候さしたる御事も御座なく候ふ間。御文は参らず候。
         御言葉にて申せと候ひしは。都に子細候はぬ事。
         偏に御渡り候ふ故と思しめし候間。
         相かまへてよく守護させ給へとこそ仰せ候ひつれ。
判官    詞「よもさはあらじ。義経討ちに上りたる御使とこそ覚えたれ。
ワキ     詞「御諚の如く。大名共をさし上せられ候はゞ。宇治瀬田の橋をも引き。
         都鄙のさはりともなりてはあしかりなんと思しめし。
         土佐坊上り物詣のやうにて。討ち申せとこそ仰せ付けられ候らん。
         和僧に於てはこの客僧。手柄乃程を見すべきなり。
シテ    詞「あら勿体なや。たとひ人の讒言により。君こそ仰せ出さるゝとも。
         さすがに武略の武蔵殿。さはあるまじきと申されてこそ。
         御兄弟の御中に。ものいひさがなき事あるまじけれ。
         まづ静まつて事のわけを。委しく聞き給へ武蔵坊。
         これは御諚にて候へども。何によつてさる御事の候ふべき。
         聊宿願の事の候ふ間。熊野参詣の為に罷り上りて候。
判官    詞「梶原が讒奏により。義経を鎌倉へも入れられず。
         見参をだにし給はで。追ひ上せられし事はいかに。
シテ    詞「その御事はいかゞ候ふやらん。身に於ては全く緩怠あらざる趣。
         起請文に書き表し。
   カカル上 唯今御目に懸くべしと。
地     上 当座の席を遁れんと。/\。土佐は聞ゆる文者にて。
         自筆に是を書き付け御前にこそは参りけれ。

  ( 独吟 敬つて申す ヨリ  書いたりけり マデ )

シテ起請文 下 敬つて申す起請文の事。上は梵天帝釈。
         四大天王閻魔法王五道の冥官泰山府君。下界の地には。
         伊勢天照大神を。始め奉り。伊豆箱根。富士浅間。熊野三所。
         金嶺山。王城の鎮守稲荷祇園賀茂貴船。八幡三所。松の尾平野。
         総じて日本国の。大小の神祇。冥道講じ驚かし奉る。
         殊には氏の神。全く正尊討手に罷り上る事なし。
         この事偽これあらば。この誓言の。御罰をあたり。来世は阿鼻に。
         堕罪せられんものなり仍つて。起請文かくの如し。文治元年九月日。
         正尊と読み上げたるは。身の毛もよだちて書いたりけり。
地     上 もとより虚言とは思へども。文を揮うて書いたる。
         器用を感じ思しめし。御盃を下さるゝ。
         折節御前に。磯の禅師が娘に。静と云へる白拍子。今様を謡ひつゝ。
         お酌に立ちて花かづら。かゝる姿ぞたぐひなき。舞の袖。
               中ノ舞三段
子方静 ワカ上 君が代は。千代に一度ゐるちりの。
地     上 白雲かゝる山となるまで。山となるまで/\。
静     下 変らぬ契りを頼むなかの。
地     下 変らぬ契りを頼むなかの。
         隔てぬ心は神ぞ知るらんよく/\申せと静に諫められ。
         土佐坊御前を罷り帰れば。
         君も御寝所に入らせ給へばおの/\退出申しけり。
               中入 狂言シカ%\
ワキ    詞「如何に申し上げ候。先に御申し候く。
         かぶろを二人土佐が宿所を見せに遣はし候ふ所に。余りに遅く帰り候程に。
         女は苦しかるまじきと存じ。
         はした者一人さらぬていにて見せに遣わし候へば。
         彼の女帰りて申すやう。かぶろとおぼしき者は正尊が門に切り伏せられて候。
         宿所には鞍置馬ひしと立て。大幕の内には矢を負ひ弓を張る者ども。
         皆具足して唯今寄せんと出で立ち候。
         少しも物詣の気色は見えぬ由をこそ申し候。
判官    詞「本より覚悟の前なれば。何程の事のあるべきぞと。
   カカル上 そのままやがて御座を立ち
静     上 静は着背長まゐらする。
地     上 義経之を召されつつ。/\。御佩刀を取つてしづ/\と中門の廊に出で給ひ。
      門を開かせ諸共に。寄せ来る勢を待ち給ふ。/\。
                ツレ物着
                一セイ
シテ姉和立衆上 白浪と。よそにや聞かんわたづみの。深き心は。
シテ    詞「その時正尊大音上げて名乗るやう。これは鎌倉殿のあ仰せにより。  
         正尊と討手に向ひたり。
   カカル上 とうとう御腹めされよと。天地も響けと。呼ばはりけり。
地     上 味方の勢は之を見て。/\。あの土佐坊を打ち取らんと。
         われも/\と進む中に。江田の源三熊井太郎。弁慶を先として。
         門外に切つて出づれば寄手の兵渡り合ひをめき叫んで戦ふたり。
ワキ    詞「その時弁慶表に進み。いかに土佐坊たしかに聞け。
         さても書きつる虚起請の。罰を忽ち与ふべし。いざ一太刀と呼ばはれば。
ツレ姉和  詞「大将討たせて叶はじと。急ぎ馬より飛んで下り。好む打物かいこんで。
         弁慶を目懸けて懸りける。
ワキ    詞「天晴器量の仁体かな。さて汝は誰そと尋ぬれば。
姉和    詞「ものその物にあらねども。正尊が内に名を得たる。
   カカル上 陸奥の国の住人に。姉和の平次光景なりと。大音上げてぞ名乗りける。
ワキ    詞「げにゆゝしくも名のるものかな。されども汝は土佐が郎等。
         われには不足の者なれども。
   カカル上 志をば報ぜんと。
地     上 薙刀やがて取り直し。/\。無慙や汝手にかけんと。
         こむ薙刀を打ちはらひ。受け流せば又とり直し。
         ちやうと打てばはつたと合はせ。重ねて打つに打ち込まれて。
         何かはたまらん唐竹割に二つになつてぞ失せにける。
         正尊これを見るよりも。/\。
         むねとも郎等数輩討たせて今は適はじと馬よりおり立ち乱れ入るを。
         義経打物とり直し給ひ。
         すきまを有らせず戦ひ給へば静も諸共に切り払ひ切り払ふ。
         正尊適はじと引き立ちけるを。弁慶追つ詰め戦ひけるが。
         押しならべむずと組みえいやと投げ伏せ大勢取り込め縄打ち懸けて。
         悦び勇み囚人を引かせ。御門の打ちにぞ入り給ふ。


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