谷  行 (たにこう)

●あらすじ
松若は寺の阿闍梨に仕える可愛い男の子。母親の病気平癒を願う彼は、大峰山へ修行に出かける師匠に「同行したい」と健気に頼み、聞き入れられる。幼い息子の身を案じて泣きむせぶ母……
師弟は山伏達と都から大峰山をめざす。しかし慣れない旅に松若は葛城山麓で風邪をひいてしまい、師匠の膝の上で臥せってしまう。松若の異変に気づいた山伏の中から「足手まといは谷行(*)だ!」
との意見が出、師匠も泣く泣く松若を山伏に差し出す。葛城山頂から谷へ投げ落とされた松若に、容赦なく降る石の雨。師匠は嘆きのあまり、自分も谷行にしてほしい、と願い出る。松若の孝行心と師弟愛に打たれた山伏達は松若の蘇生を祈り始める。すると葛城山を開いた役(えん)の行者が現れ、鬼神を呼び出す。鬼神は葛城山の木々を切り倒し岩石を取り払って松若を生き返らせる。
そして行者とともに虚空に消えていく

●宝生流謡本      外十四巻の五     四五番目    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=前・京都 後・大和国葛城山   作者=
    素謡稽古順=入門   素謡時間=53分 
    素謡座席順   ツレ=役の行者
            子方=前・後とも松若
            ツレ=母
            ワキ=前・後とも山伏
     ワキヅレ=小先達
     ワキヅレ=同行山伏

●参 考   たにこう【谷行】
 能の曲名。四・五番目物。作者不明。前ジテ(宝生流ではツレ)は松若の母。後ジテは伎楽鬼神(ぎがくきじん)。都,東山の山伏(ワキ)が弟子の松若という少年(子方)の家を尋ねると,松若は,母(前ジテまたはツレ)の病気平癒を祈るため,師の山伏一行の峰入りに加わりたいと願い,母の見送りを受けて家を出る。葛城(かつらぎ)山の山室で松若は病気になる。修行の途中で重病になった者は,谷行といって,谷へ投げ落として命を絶つのが山伏の法である。

●観能記
 能「谷行(たにこう)」
横浜能楽堂の「シテとワキ」シリーズの四回目ということでした。 ワキが主役という感じのお能です。 ですから、宝生閑さん大車輪という舞台でした それなりに存在感もあるし、そういう意味では問題ない。 当然直面ですが、役柄も阿闍梨ということで違和感はありません。
「峰入り修行」をするという阿闍梨が宝生閑氏で、その弟子松若を子方の小田切亮麿くん。 その母がシテで梅若氏。 「谷行」というのは、その峰入り修行の途中に病気になった者は谷へ投げ落としてしまう、という山伏の掟があって、 これを「谷行」と言うのだそうです。 で、今回は、その病気になった弟子の松若を谷行するしかなくて、谷行してしまうのですが、 なんとか蘇生を願って役行者に救いを求めて、伎楽鬼神を呼び出し、その助けによって松若が蘇生する、というお話です。 地謡の前に座ります。床机に腰掛けて後で阿闍梨と対面する時に座るのですが、足悪いのかな 座り方がスムースではありません。あんなぎごちない足のすべらせ方をして座るかな でも、とにかく、橋掛かりから出てくる時のオーラと歌いだした時の声と風を切るように滑り出て、舞台上をヒラリヒラリと舞い回るのだけど、 これは梅若六郎か?と思ったりもする。 それほど軽やかで、颯爽としてちょっと痩せてるでもあの橋懸りから登場するときのオーラは余人に真似できないものだと思う。(後略)

●谷 行(tanikou)
 孝行息子山で修行す、あるいは集団から離脱することの恐ろしさ、松若は寺の阿闍梨に仕える可愛い男の子。母親の病気平癒を願う彼は、大峰山へ修行に出かける師匠に「同行したい」と健気に頼み、聞き入れられる。幼い息子の身を案じて泣きむせぶ母……師弟は山伏達と都から大峰山をめざす。しかし慣れない旅に松若は葛城山麓で風邪をひいてしまい、師匠の膝の上で臥せってしまう。松若の異変に気づいた山伏の中から「足手まといは谷行(*)だ!」との意見が出、師匠も泣く泣く松若を山伏に差し出す。葛城山頂から谷へ投げ落とされた松若に、容赦なく降る石の雨。師匠は嘆きのあまり、自分も谷行にしてほしい、と願い出る。松若の孝行心と師弟愛に打たれた山伏達は松若の蘇生を祈り始める。すると葛城山を開いた役(えん)の行者が現れ、鬼神を呼び出す。鬼神は葛城山の木々を切り倒し岩石を取り払って松若を生き返らせる。そして行者とともに虚空に消えていく……  峰入り修行の途中で病気になった者は谷に落とされ、石で生き埋めにされるという山伏修験道の厳しい掟 阿闍梨の松若への情は、単なる師弟愛以上のものであったかもしれない。中世、エライ人が美少年を愛した、とはよくある話だ。みどころのひとつ「谷行」の場面、能では決して子どもを放り投げたりしない。山伏二人が松若を抱きかかえ、葛城山を象徴した一畳ほどの台に登る。そして下に降りて寝かせ、石の代わりに布ですっぽり覆うだけだ。 観客はそれを見て「なんと残酷な!」と思うわけだ。掟とはいえ集団から抹殺されることの恐ろしさ。「集団と個」という観点でみれば現代に通じるものがある。この能は五百年以上前につくられたらしいが、古くて新しい。私はビデオでしか観たことがない。実際に観てみたい。 金春流による「谷行」のあらすじは母の病を治そうと親孝行の松若という子が、どうしてもと阿闍梨(あじゃり)に同道して山に入るが、途中で病気になります。峰入りの道中の病は仏罰であるとされ、谷へ落とし埋め殺す「谷行」という習わしがあります。先達がかばうが他の行者は習わしどおりにすべしと生き埋めにします。そこへ役行者が現れ、いかに習わしといえども親孝行の子を生き埋めにしてはならぬと、伎楽鬼神(ぎがくぎじん)に命じて、助けだします。             
 (吉野町)(2004.7.23)

●山 伏(やまぶし)
 山伏とは、山の中をひたすら歩き、修行をする修験道の行者。「修験者」とも言う。奈良吉野山地の大峯山(金峯山寺)を代表に、大山(鳥取県)や羽黒山(山形県)など日本各地の霊山と呼ばれる山々を踏破(抖?)し、懺悔などの厳しい艱難苦行を行なって、山岳が持つ自然の霊力を身に付ける事を目的とする。頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持つ。袈裟と、篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に纏う。 山中での互いの連絡や合図のために、ほら貝を加工した楽器を持つ。山伏は神仏習合の色合いが強く残る神社仏閣に所属する僧侶や神職がなるだけではなく、在家の信者が「講」を組織して修行の時だけ山伏となり常日頃は仕事を持つ社会人として働く人も多く存在する。山伏の講の多くは真言宗系当山派の醍醐寺か天台宗系本山派の聖護院のどちらかに所属する。(他に吉野の、教派神道や単立寺院の山伏などどちらにも属さない場合もある) 羽黒山では毎年9月、希望者が白装束を着て入峰し、断食、滝打ち、火渡り、床堅(座禅)、忍苦の行(南蛮いぶし)などの活動を通して山伏修行を体験できる。
 出羽三山の修行体験は、羽黒山・月山・湯殿山の総称であり、三山をお参りすることによって人は生まれ変わると言われてきました。山伏の修行も死と再生=生まれ変わりの行であり、十界の行=断食・水絶ち・抖そう・南蛮いぶしなど厳しいものです。山伏修行体験は、白装束を身に纏い、俗世界から離れて修行の一端を体験し、出羽三山の自然、そして修験道を学びます。いわば、自然と一体となって自然のエネルギーを体内に吸収すること、自然と人間との共生を体感すること、そして、日本古来からの山伏の精神文化を実際に体験することで自分自身を見つめ直す事です。

(平成22年5月21日 謡曲研究会)