祇 王 (ぎおう)

●あらすじ
遊女祇王御前は、入道相国(平清盛)に寵愛され日夜朝暮の御酒宴に常に側近く仕えていました。
ここに加賀の国から仏御前という白拍子がはるばる上洛して来て、相国にお目通りをしたいと申し出ました。けれども相国は祇王のある間は、たとえ神であろうと佛であろうと対面する事は罷りならぬと言って聞き入れませんでした。このことを祇王が聞いて、相国に佛御前の事をよきように取りなし、自分も四五日の間は出仕を差し控えていました。ところが相国は、灘尾太郎に命じて、祇王も佛も共に出仕せよとの事なので、祇王は佛を伴って相国の前に出仕したのです。そうして二人は仰せによって相舞を舞いましたが、この時相国はあまりの佛の美しさに心を惹かれ、今度は一人で舞えと命じ、佛はやむをえずそれに従います。佛は立ち去ろうとする祇王を引き留め、二人の友情に変わりはないと告げるのでした。          
(「宝生の能」平成12年2月号より)

●宝生流謡本     外十四巻の三  三番目 (太鼓なし)
   季節=春    場所=京都   
   素謡(宝生)    稽古順=入門  素謡時間=31分
   素謡座席順   ツレ=祇王
              シテ=仏御前   
              ワキ=瀬尾太郎 

(参考) 観世流と金春流に喜多流では二人祇王(ふたりぎおう) 言う曲目ですが、宝生流と金剛流では、祇王 (ぎおう) と詠んでいる。

●観能記「祇王」    「祇王」の相舞。 書いた日: 2004-05-21 (Fri) FASTWAY 日記より
 19日の国立能楽堂の定例公演は「祇王」。平家物語に題材をとった能で、宝生流と金剛流のみ上演している。現行曲の中では平家物語を本説としたものが最も多く、演じられることも多い中で、この曲はあまり舞台に上がらないこともあって楽しみにしていた。いつものように「謡曲大観」に目を通しておく。概評は厳しい。詞章は散文的だなどと5つもの欠点を挙げてすぐれた題材に反比例した拙劣な作であると結論づけている。この評に引っ張られているのか、能楽堂のパンフレットの解説も白拍子や歴史的な事項が多く、見どころにはたいして触れていない。
 ただ、舞台を見る限りでは曲自体にそれほど評価を低くするような欠陥はそれほど感じられなかった。肝心の浄海(清盛)は登場しないから、観衆それぞれが清盛のような心持ちで舞台を楽しめる。瀬尾太郎を演じたワキの福王和幸は長身で見た目もよく、この曲に合っていた。残念だったのは相舞。シテは安定感がなく運びのぎこちなさが目立った。ツレの舞いのほうが上手かった。
 さまざまな批評はともかく、中ノ舞、破ノ舞と見どころはあるのだから、ここをきっちり見せることができればこの曲はそれで十分楽しめるのではなかろうか。

●祇王(ぎおう)、祇女(ぎじょ)のこと        
 〜平家物語より〜
祇王・祇女姉妹は都で評判の白拍子で,平清盛(1118-1181)に寵愛された。時に祇王二十一歳、祇女十九歳、母は四十五歳。仏御前に清盛は心を奪われた祇王は、祇王の母と妹の祇女も、同様に尼となり、 3人は嵯峨の庵でひっそりと暮らしました。 ..京都嵐山にも祇王寺というお寺がありますが、野洲町にもあります。白拍子であった祇王祇女姉妹が、野洲の地で生まれ育ち、京へ上ってからも地元のために川を作ってくれた、ということから、地元の民たちが感謝の意を表して、このお寺を作ったという言い伝えがあります。
    白拍子…しらびょうし…平安時代末期から始まった遊女の舞、
     またはその歌舞をした遊女。当時の男装をして流行歌を歌いながら舞った
そのむかし、平清盛が栄華の限りをつくしていた頃、祇王、祇女は白拍子として清盛に仕えました。祇王は清盛の寵愛を受け、あるとき「何かして欲しいことはないか」とたずねられました。以前から祇王は地元の農民たちが、いつも水のことで頭を悩ましたり、いさかいを起こしたりすることを気にやんでいました。そこで、清盛公に「野洲の地に新しく川を作ってほしい」と告げました。
その一言がきっかけで、清盛公は部下に命じて、野洲川から取水し、新たな川を作らせることにしました。むかしのことですから、新しい川を作るなんて、大変な労力であったでしょう。途中で、まったく川の道筋をどうしたらよいものか、わからなくなったこともあったようです。しかし、ある夜のこと、一人の童子があらわれ、「このとおりにすればいいよ」と告げ、線を引いていきました。みんな夢かと思いきや、その後はくっきりと残っていたそうです。そして、そのとおりに川を掘り、見事に川は完成した、という伝説が残っています。現在も、祇王井川(ぎおいがわ、と読みます。)(途中から童子川(どうじがわ)という名になります)という名を残し、地元の田畑の貴重な水源として使われたり、私たちの身近な川として存在しています。(祇王学区という小学校区があったり、野洲小学校の前には祇王井川が流れていて子どもたちも川に親しんでいます)
 さて、清盛の寵愛は祇王から仏御前(ほとけごぜん)という北陸からやってきた女性に移り、
清盛の前から追放された祇王、祇女、そして母と、嵯峨の地へ移り、髪をおろし、尼となります。
そこが京都の祇王寺になります。そこへ、祇王たちの気持ちに共感した仏御前もやってきて、女性4人で一心に念仏する日々を送ったそうです。 というのが、祇王、祇女のお話です。
●謡蹟めぐり  
祇王寺 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂          (平14・1高橋春雄氏記)
現在の祇王寺は、昔の往生院の境内である。往生院は法然上人の門弟良鎮によって創められたと伝えられ、広い地域を占めていたが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになった。この祇王寺は明治初年になって廃寺となり、残った墓と木像は、旧地頭大覚寺によって保管された。大覚寺門跡楠玉諦師は、これを惜しみ、再建を計画していた時に、明治28年、京都府知事北垣国道氏が、祇王の話を聞き、嵯峨にある別荘の一棟を寄付され、これが現在の祇王寺の建物となっている。 祇王寺墓地の入口には「祇王祇女仏刀自の旧跡」の碑がある。この文字の左側には「明和八年辛卯正当六百年忌、往生院現住尼法専建之」とあり、右側の「性如禅尼承安二年(1172)壬辰八月十五日寂」とあるのは、祇王のことらしいという。とすると祇王の600年忌に往生院の尼さんによって建てられたものということになる。墓地には祇王、祇女、母三者の供養塔と清盛の供養塔がある。仏間には清盛公、祇王、祇、母刀自、仏御前の木像が安置されている。 それにしても哀れな物語である。自分で取りなした仏御前に清盛は心を奪われ、館を追われることになった祇王はせめてもの忘れ形見にと、「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわではつべき」の歌を障子に書き残して祇王寺へ去ったのが、祇王21歳、妹の祇女19歳、母刀自45歳の時であったという。仏御前も無常を感じて祇王のあとを追って祇王寺にて仏門に入ったのが17歳。場所は嵯峨野の奥、深緑、紅葉は美しいところかも知れないが、苔むした庭にひっそりと建つ草庵で暮らすのにはあまりに若すぎるのではなかろうか。
祇王寺、祇王屋敷跡  滋賀県野洲町              
(平14・1高橋春雄氏記)
滋賀県野洲町にも祇王寺がある。祇王と祇女の姉妹はこの地に生まれたが、保元の乱で父を亡くしたため母とともに京都に出て白拍子になり、平清盛に仕え寵愛を受けた。ある時、祇王は清盛から「何か望むものはないか」と聞かれたが、「故郷の人々が水不足で苦しんでおり、ぜひ故郷に水路を引いて下さい」とお願いしたところ、早速清盛は野洲川から水路を引かせた。おかげで付近一帯の水不足は一気に解消し近江でも有数の米どころとなった。地元では深く祇王の恩沢を謝し、生地中北に一宇を建立して祇王寺と名づけ、邸跡には碑石を建て功績を永久に伝えることとなった。
祇王寺 滋賀県野洲町中北 (平6.9) 地元では水路建設に貢献した祇王に感謝しこの寺を建立したという

(平成26年2月22日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


     祇 王   

         祇 王(ぎおう)  外十四巻の二     (太鼓なし)
         季 春      所 京都      素謡時間 31分
  【分類】三番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】 シテ:仏御前  、ツレ:祇王   ワキ:瀬尾太郎

         詞 章                    (胡山文庫)

ワキ    詞 「これは入道大相国に仕へ申す。瀬尾の太郎何某にて候。
         さても浄海掌に天下を治め給ひ。栄花の半にて御座候。
         こゝに祇王御前と申す遊女。唯かりそめに浄海の御目に懸かり給ひしが。
         御寵愛ならびなし。日夜朝暮の御酒宴申しはかりなく候。
         又加賀の国より仏御前と申して。これも白拍子にて候ふが。
         浄海の御目に懸かりたき由を申し出仕申され候へども。浄海の御諚には。
         いかなる神なりとも仏なりとも。
         祇王があらん程は御対面叶ふまじき由仰せ候ふ所に。祇王の御申には。
         いづれも流を立つるは同じ事にて候へば。
         御対面なくては叶ふまじき由たつて御申し候ひて。
         此四五日は出仕をとどめ給ひて候。
         さる間今日御対面あるべき由仰せ出され候ふ間。
         この由祇王御前に申さばやと存じ候。いかに案内申し候。
         浄海の御諚にて。祇王御前も仏御前も御 まゐりあれとの御事にて。
         瀬尾の太郎が参りて候。いかに祇王御前。何とて此間は御出仕もなく候ふぞ。
ツレ    詞 「唯今参り候ふ事も。仏御前の訴訟故候ふよ。
ワキ    詞 「あら 今めかしの御事や候。既に御申により。仏御前の御参の上は候。
         いかに仏御前。唯今の御出仕めでたう候。
シテ    上 申すにつけて憚おほく。御心の中も 恥かしやさりながら。
         申さで過ぎばいとどしく。願の糸の色見えぬ。闇の錦のたとへても。
         身のはて如何になりぬらん。同じかざしの花鬘。かゝる恨は。身ひとりかや。
地     下 さしも名高き御事の人をえらばせ給ふかや。

  ( 小謡 我が方の ヨリ  事あらじ マデ )

地     上 我が方の越の山風吹くたびに。/\。高嶺に残る天雲の。
         隠るゝ空も憂き旅の何に心の急がれん。都人いかにと問はゞ山高み。
         晴れぬ思にかきくれて。唯言の葉も泣く露の。
         それならで故郷の人目にかゝる事あらじ。
ワキ    詞 「いかに仏御前。あらおもしろの御述懐や候。又御諚には。
         御前にてそと御舞あれとの御事にて候。
シテ    上 仰に随ひ立ち上り。まづ悦の和歌の声。いで祇王御前同じくは。
         相曲舞に立ち給へ。
ツレ    上 妾はいつもの舞の袖。事ふりぬれば人々も。目がれて興やなからまし。
シテ    上 実に/\ さぞと夕顔の。花の狩衣烏帽子を着。袖めづらかに出で立たん。
ワキ    上 実におもしろや舞人の。衣裳を飾らば今ひとしほ。
地     上 有明月の影ともに。/\。面つれなき心とは我だに知れば恥かしや。
         思は朝まだき。花の衣裳を飾らんと。二人伴ひ立ち出づる/\。
                中入り
後ツレカカル上 うれしやな今ぞ願は陸奥の。今日を待ち得て舞人の。なまめき立てる女郎花。
後シテ   上 女姿に立烏帽子。
ツレ    上 折から花の狩衣に。
シテ    上 袖を連ねて。
ツレ    上 立ち出づる。
シテツレ二人一セイ上 よろづ代を。治めし君が例には。
地     上 巷にうたふ。和歌の声。
                中ノ舞。
シテツレ二人クリ上 そ れ金谷の春の花は。一衰の色を見せ。
地     上 姑蘇台の秋の月は涅槃の雲に隠れぬ。

  ( 囃子 一去不来の ヨリ  契りけれ マデ )

シテツレ二人サシ上 一去不来の名残送離累別の袂。
地     上 いづれの日を経てかほす事を得ん。誰あつて終日をかたらはんや。
         あはれなりける。

  ( 独吟・仕舞 世の中乃 ヨリ  余なりけり マデ )

    クセ下 世の中乃夢現。昨日にかはり今日にさめ。幻の夢も幾度ぞ。
         我等賎しくも。遊女の道を踏みそめし。心はかなき色好みの。
         家桜花しぼみ。たゞ埋木の人知れぬ。世の交や蘆垣の。まめなる所とて。
         初花薄露重み。穂に出でがたき身なるべし。こゝに平相国。
         清盛の朝臣とて。今の世の武将たり。誰かは恐れざるべき。
         金玉玉殿に。美女の数を集めては。漢宮四台もこれにはいかで勝るべき。
         中に祇王は好色の。その名にめでて参殿の。
         始よりも色深く比翼連理の其契り。天長く地久し漆膠の約と聞えしに。
シテツレ二人上 時に仏と号しては。
地     上 一人の遊女あり。名にしおふ。仏神の御感応か人心うつれば。
         変る習故か彼に心掛帯の。引きかへて舞の袖。実におもしろく花やかに。
         見るこそやがて思草。言の葉もなか/\。恥かしき余なりけり。
ワキ    詞 「いかに申し候。いづれも御舞面白く思し召され候。
         然れども祇王御前は御休み候ひて。
         仏御前一人舞はせ申され候へとの御事に候。
ツレ    詞「妾はこれにありてもよしなし。まづ/\家路に帰り候はん。
ワキ    詞 「いや/\さやうに仰せられ候ひては。御機嫌もいかゞにて候。
         暫くこれに御座候へ。いかに仏御前。浄海の御諚には。
         仏御前一人御まひあれとの御事にて候。
シテ    詞「いや祇王御前の御舞なくは。妾ひとりは舞ひ候ふまじ。
ワキ    詞「御意にて候ふ程に。急いで御まひあらうずるにて候。

  ( 囃子 羅綺の ヨリ  契りけれ マデ )

シテ    下 羅綺の重衣たる情なき事を機婦に妬む。いつしか人の心も煩はし。

  ( 仕舞 さりとては ヨリ  契りけれ マデ )

シテ  ノル下 さりとては。
地     下 さりとては。心に任せぬ此身の習ひ。仏はもとより舞の上手。
         和歌をあげては袂を返し。返してはうたふ。声もかすむや春風の。
         花を散らすや舞の袖返す%\も。おもしろや。
               破ノ舞。
シテ  ノル下 人は何とも花田の帯の。
地     下 人は何とも花田の帯の。引きかへ心は変るとも。
         祇王御前心にかけ給ふな。わが名は仏神かけて。
         深き契の中ぞとはよしなや聞かじともろともに空言なくこそ。
         契りけれ。
 


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