舎  利 (しゃり)

●あらすじ
 出雲の僧が都に上り泉涌寺の仏舎利を拝んでいると一人の男が現れ舎利の謂われを語り僧と一緒に舎利を拝む。暫くすると回りの様子が一変し、男は自らがこの舎利を欲す足疾鬼の執心と名のり舎利を奪うと天上に消え失せる。 僧が舎利を取り戻そうと祈っていると韋駄天が現れ疾鬼を追いつめ舎利を取り戻し、疾鬼は這々の体で逃げ失せる。

●宝生流謡本      外十三巻の五   切 能    (太鼓あり)
    季節=不定   場所=京都   作者=
    素謡稽古順稽古順=平物   素謡時間=27分 
    素謡座席順   ツレ=韋駄天
               シテ=前・里人 後・足疾鬼
               ワキ=僧

●観能記    なかのZERO能「舎利」  
   【公演日時】 2011年3月5日(土)  【会  場】 なかのZERO大ホール
 土曜日は中野区に住むお友達のお誘いを受けて、能と狂言を観に行ってきました。 狂言はメディアでも活躍している野村萬斎さん。狂言は何度か観てるくせに、萬斎さんを観るのは初めて。(いつも茂山狂言ばかりでしたから)朝ドラ「あぐり」の時から気になる方だったので念願が叶いました。棒縛は歌舞伎でもおなじみの演目。萬斎さんが演じる太郎冠者のコミカルなお芝居、とっても面白かったです。今回は能がメインだったからこれ一つだけだったのが残念。もっとちゃんと観たいです。それにしても萬斎さん、44歳だと言うのに、あぐりの頃からちっとも印象が変わらずお若いのにびっくり。 能はきちんと観るのは初めて。  踊りの知識もないし、想像力を働かせないといけないので難しそうだな、って印象がずっとあって避けてたんですけどね。 今回はホール公演ということもあり、初心者の方でも楽しめるように舞台演出に工夫がされていたり、演目の解説があったので物語を理解出来たのは良かったです。 「舎利」の前には灯りを全て落とし、舞台の周りに蝋燭を灯す、蝋燭能というスタイルで拝見しました。幻想的な光と影に包まれた舞台で繰り広げられる、仏舎利を巡る鬼と韋駄天の攻防は手に汗握りました。 まるで魂が宿っているかのような表情豊かな能面や、煌びやかな衣装の美しさには思わず目を奪われました。 舎利では松葉目が描かれた能舞台のセットではなく、映画「大奥」の監修を務めた華道家の方による生け花(っていうか木)が飾られた舞台で、物語の世界観によく合っててこちらも素敵でした。 もちろん全部を理解できたわけではないし、今でも能には苦手意識があるけど、こういった蝋燭能や、野外で行われる夜桜能といった趣向を凝らしたものであればまた見てみたいなって思いました。 ちなみに仏舎利の「舎利」というのは仏様の遺骨のことで、白く輝いているところから、ご飯の「シャリ」という言葉が生まれたんだそうです。びっくりですよね。
 会場は中野だったんですけど、中野は20歳まで住んでいた街なので懐かしかったです。ブロードウェイとか、サンモールとか、都会なのにローカルっぽさを失わない感じが落ち着くんですよね〜。
またいつか住みたい街です。 足を伸ばしてパパブブレの本店にも行ってきました。ホワイトデー限定のキャンディ、めっちゃかわいい!友達にもらったマロンチョコ味も美味しかったです!
お友達には内緒で、ジャニーズ専門のお店にもちらっと寄ってきちゃいました。時間がなくて適当にパパっと買ってきちゃったんですが、次回はもっとじっくり見に行きたいです。 智君の写真がレアみたいで、それだけ高いの!でも可愛いから買っちゃった〜。ツアーピンバッチが信じられない高値で売られてたのにはびっくりでした〜。観劇後はワッフル食べながらおしゃべりして、夕飯に佐世保バーガー買って帰って、と楽しい一日でした。      (見どころ解説 小島英明)

●解 説@   【能 舎利】能楽の演目は舎利、
 一人の旅の僧が都の寺で仏舎利を拝んだ際に足疾鬼に変身した男に持って 行かれてしまい、寺の人々からは旅の僧が疑われるのだが、仕業は足疾鬼 と解り、韋駄天の力で取り返す物語。 能楽らしく、笛の不気味な音、皷の響き、太鼓の高鳴り、腹の底から絞り だすような謡。能楽師の啜り足と閉じ込まれた和の空間は余りに日本的な るものに純化していくのであった。しかし、各なる日本的な静けさは、足疾鬼の迅速な動きに破れ、スペクタ クル溢れる舞台へと変転するのだった。 会場内の子ども達は、舞台から目をそらせる事もなく、見入っているの だ。正しく、スペクタクル能楽なのだ。 演目が始まる前に舎利とは、恋い焦がれる大切なもの、奪い取りたくなる ものの別称との説明があった。 大切なものを扱うときは、心の扉を開いて写実的に捉えるべきとも言及さ れた。 能楽、舎利はおもてが前シテ、後シテ、韋駄天からなり、演じ手に女性が多い事に加えて、普通の能とは違うことが強調されていた が、全編を通せば納得だ。 私は、思わずスペクタクル能楽と呼んでしまうのも、さもありなんなの だ。 会場の興奮が覚めないうちに、会場の子ども達との質疑応答が始る。 鵜澤久さんからの回答になるのだが、巧みに観客としている能楽研究家に
答えを振ったり、皷や太鼓の打ち手から回答を引き出していくのであっ た。 年端のいかない子ども達が飽きる素振りを見せることなく、次々と質問の 手をあげるのだった。頼もしい限りである。
20年振りに旧交をあたためた縁とはいえ、尻軽にも訪れた能楽堂での体  験は、はるか大人の私にも多くの発見をもたらしたのだった! 尻軽故に、鵜澤久、夏休み能楽体験、鑑賞教室を支える会の総会と、その 後の川崎日航ホテルにおける20回記念のレセプションにも参加してしまう
お気楽さはもって生まれた業なのだろう。いい方に作用すればいいのだが・・・  iPhoneから送信

●解 説A          2009.12.11.(金)「名古屋御前能」(名古屋能楽堂)
 夜の部『舎利』 〜一流の出演者による新しい舞踊劇の創造〜 椙山女学園大学教授 飯塚恵理人
近年、名古屋能楽堂でも能楽師による個人主催の能楽会が減っている。長引く不況のせいでもあるのだが、能の興行のシステム自体の変化も大きいだろう。従来、能の催しは多くの場合、名人とその一門が「模範演技」を弟子である愛好者に見せる場だった。従って、劇団相互の交流や新たな演出の創造は、愛好者も望まず出演者も考えなかった。 昭和末年から観世静夫(八世銕之丞)・大槻文蔵・梅若六郎(玄祥)らが取り組んだ「新作能」「復曲能」は能楽界に大きな刺激をもたらしたし、能を「古典劇」として観て楽しむ「観客」には高い評価を受けたものの、模範演技を求める「愛好者」には必ずしも評判がよくなかった。稽古をする愛好者にとっては、普段から自分が稽古している曲の方が筋も演出も分かりやすいから、「新作はわからない」という思いがあったのだろう。「観客」が高い評価をしてくれても、興行としては非常に苦しかっただろうと思う。
 能の『舎利』は、簡単に言えば、舎利という宝物を盗んだ足疾鬼という鬼を韋駄天という神が捕まえ宝物を取り戻すという話であり、お伽噺のような単純な筋立てである。このような話ならば分かるだろう、「お巡りさんが大泥棒を捕まえる劇で、バトルが見せ場なんだ。」と説明して、小学校四年の息子と二年の娘を連れていった。 今回の『舎利』は「能と舞踊による新作」である。本文は謡曲のままで、地謡(コーラス)と能楽囃子(笛・小鼓・大鼓・鼓)に能楽囃子には入らない尺八・箏・鳴り物を加え、韋駄天を藤間勘十郎が演じて舞踊の所作を取り入れた。  前ジテ(前半の主人公)である足疾鬼の化身の里人を演じた観世喜正は、芸風が堅実上品で特に謡が素晴らしい。事前のチラシには名前が載っていなかったが、当日観た人には何よりの「御馳走」になったろう。間狂言の野村小三郎が舎利の故事来歴を話す時に、川瀬露秋の箏とピーター・ヒルの尺八が入ったが、幻想的で、間狂言に良く調和していた。 後ジテ(後半の主人公)である足疾鬼の梅若玄祥も貫禄充分で見栄えがし、韋駄天の藤間勘十郎は素早い動きのなかに洗練された美があった。今回の『舎利』は、「能」と「舞踊」の形式を活かした「舞踊劇の新しいジャンル」の創造に成功した「名古屋ならでは」の面白い催しだった。  (後略)

(平成23年7月16日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


         舎  利
   
                     季節=不定  場所=京都   作者=世阿弥元清
           ツレ=韋駄天
           シテ=前・里人 後・足疾鬼
           ワキ=僧
          
      【詞章】 

ワキ   「旅の衣のはるばると。旅の衣のはるばると。都にいざや急がん。
      これは出雲の国美保の関より出でたる僧にて候。われ未だ都を見ず候う程に。
      ただ今思い立ち都へ上り候。朝立つや。空行く雲の美保の関。
      空行く雲の美保の関。心はとまる古里の跡の夕べもなごりある。
      日数を重ねて程もなく。都に早く着きにけり都に早く着きにけり。
      急ぎ候うほどに都に着きて候。
      承り及びたる東山泉涌寺へ参り仏舎利を拝まばやと思い候。いかに誰か御入り候。

間狂言「何事を御尋ね候ぞ。

ワキ   「これは遥かの田舎より上りたる僧にて候。
      当寺の御事を承り及びはるばる参りて候。大唐より渡りたる十六羅漢。又、
      仏舎利をも拝み申したく候。

間狂言「げにげに聞しめし及ばれて御参り候うか。聊爾に拝み申すこと叶わず候。ただし今日かの御舎利の御出である日にて候。われら当番にて唯今戸を明け申さんとて。鍵を持ちてまかり出で候。まずこの舎利を御拝みあつて。その後山門に登りて。十六羅漢をも拝ませ申し候べし。こなたへ御出で候らえ。

ワキ   「心得申して候

間狂言「からからさっと御戸を開き申して候。よくよく御拝み候らえ。

ワキ   「あらありがたや候。さらば御供申しり候べし。
      げにや事として何か都のおろかなるべきなれども。ことさら霊験あらたなる。
      仏舎利を拝する事の.たっとさよ。これなん足疾鬼が奪いしを。
      韋駄天取り返し給い。験徴奇特の牙舎利の御相好。感涙肝に銘ずるぞや。
      一心頂礼.万徳円満釈迦如来。
地   謡「ありがたや今も在世の心地して。今も在世の心地して。まのあたりなる仏舎利を。
      拝する事のあらたさを。何にたとえん墨染の袖をもぬらす心かな。
      袖をもぬらす心かな。
シテ   「あら有難の御事や。仏在世の御時は。法の御声を耳にふれ。聞法値遇の結縁に。
      一劫を浮かみこの身ながら。二世安楽の心をうるに。後五の時世の今さらに。
      なお執心の見仏の縁。嬉しかりける.時節かな。
ワキ   「われ仏この寺に旅居して。そのまま夜ふくる寺の鐘。声澄みわたる折ふしに。
      御法をたっとぶ声すなり。いかなる人にてましますぞ。
シテ   「これはこの辺りに住む者なるが。お舎利を拝まんそのために。
      よりより寺辺に来れるなり。
ワキ   「よし誰とてもその望み。お舎利を拝まん為ならば。同じ心ぞ我も旅人。
シテ   「来るもよそ人。
ワキ   「所も
シテ   「また。
シテ・ワキ「都のほとり東山の。末に続ける峰なれや。
地   謡「月雪の古き寺井は.水澄みて。ふるき寺井は水すみて。庭の松風さえかえり。
      ふけゆく鐘の声までも心耳に澄ます夜もすがら。げに聞けや峰の松。
      谷の水音澄みわたる嵐や法を唱うらん.嵐や法を唱うらん。
      それ仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生もあり。
      善悪又不二なるべし。
シテ   「しかるに後五百歳の仏法。既に末世の折を得て。
地   謡「西天唐土日域に。時至って久方の。月の都の山並や。仏法流布のしるしとて。
      仏骨をとどめ.給いにき。
シテ   「げに目前の妙光の影。
地   謡「この御舎利に。しくはなし。しかるに仏法東漸とて。三如来四菩薩も。
      皆日域に地をしめて。衆生を済度し給えり。常在霊山の秋の空。
      僅かに微月に臨んで魂を消し。泥?双樹の苔の庭.遺跡を聞いて腸を断つ。
      有難や仏舎利の.御寺ぞ在世なりける。げにや鷲の御山も。
      在世の砌にこそ草木も法の色を見せ皆仏心を得たりしが。
シテ   「今はさみしくすさまじき。
地   謡「月ばかりこそ昔なれ。孤山の。松の間には。よそよそ白毫の秋の月を礼すとか。
      蒼海の浪の上に。はるかに四諦の暁の雲を引く空の。さみしささぞな鷲の御山。
      それは上見ぬ方ぞかし。ここはまさに目前の。
      仏舎利を拝するこの寺ぞたっとかりける。
ワキ   「不思議やな今までは。さやけき月のかき曇り。堂前に輝く稲光。
      こわそもいかなる事やらん。
シテ   「今は何をかつつむべき。昔の執心疾鬼が心。なおこの舎利に望みあり。
      許し給えや人びとよ。
ワキ   「げにげに見れば怖ろしや。面色変れる鬼となって。
シテ   「舎利殿に臨み昔のごとく。
ワキ   「金冠を見せ。
シテ   「法座をなして。
地   謡「栴檀沈水香の。栴檀沈水香の。上にかきくる雲煙を立てて稲妻の。
      光に飛びまぎれて。もとより。足疾鬼とは。足疾き鬼なれば。
      舎利殿に飛びあがり。くるくるくると。見る人の目をくらめて。
      そのまぎれに牙舎利を取って。天井を蹴破り。
      虚空に飛んであがると見えしが行方も知らず失せにけり。
      行方も知らず.失せにけり。
         <中入>
ツレ   「そもそもこれは。この寺を守護し奉る。韋駄天とはわがことなり。
      ここに足疾鬼といえる外道。昔の執心残って。またこの舎利を取ってゆく。
      いづくまでかは遁すべき。その牙舎利置いてゆけ。
シテ   「いや叶うまじとよこの仏舎利は。誰も望みの。あるものを。
地   謡「欲界色界無色界。
         <舞働キ>
地   謡 欲界色界無色界。化天夜摩天他化自在天。三十三天よぢ登りて。
      帝釈天まで追いあぐれば。梵王天より出であい給いて。
      もとの下界に。追っ下す。もとの下界に追っ下す。
シテ   「左へ行くも。右えゆくも。
地   謡「前後も天地もふさがりて。疾鬼は虚空にくるくるくると。
      渦まいめぐるを韋駄天立ちより宝棒にて。疾鬼を大地に打ち伏せて。
      首を踏まえて牙舎利はいかに。出せや出せと責められて。
      泣く泣く舎利をさしあげければ。韋駄天舎利を取り給えば。
      さばかり今までは足疾き鬼の。いつしか今は。足弱車の力もつき。
      心も茫々と.起きあがりてこそ.失せにけれ。


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