三 笑 (さんしょう)

●あらすじ
晋の恵遠禅師は廬山の麓で、十八人の賢人らと共に白連社を結んで西方浄土を念じ、三十余年の間隠道生活を送って虎渓を出ませんでした。あるとき陶淵明と陸修静の二人が禅師の庵室を訪れると、心を許した友とて招き入れ、三人は廬山の瀑布を眺めながら盃を交わしました。そうして、陶淵明が県の長官になって八十日余りで官を辞し、酒を愛し自然を友として詩境三昧にふけっていること、また陸修静は神仙の術を極めて陸道士と呼ばれましたが、浮世の俗塵を避けて隠居生活を送っていることなどを語らいながら、禅師は立って楽を奏し、酔いに乗じて辺りをそぞろ歩いていました。するといつしか三人は虎渓の橋を踏み越えていました。この橋こそ禅師がかねて渡るまじと誓っていたので淵明が、禁足を破り給うたかというと、禅師は始めて虎渓を出ていることに気付き、三人は手を打ってどっと大笑いしました。        
 (「宝生の能」平成10年11月号より)

●宝生流謡本      外十三巻の四一     四五番目略脇能    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=唐土虎渓   作者=
    素謡稽古順=入門   素謡時間=25分 
    素謡座席順   ツレ=陸修静
              シテ=恵遠禅師 
              ワキ=陶淵明

●参 考             慧遠禅師、陶渕明、陸修静     
 (高橋春雄平14・11記)
□慧遠禅師
廬山の慧遠は、中国の東晋代の僧である。俗姓は賈氏、山西省雁門の人。若くして儒家・道家の学問に通じたが、21歳のとき太行恒山で道安と出会い、その弟子となった。365年、道安に伴われて四百余人の同門の人びととともに襄陽に移り、のちに道安と別れて南下し、以後没するまで廬山の東林寺に住した。この間、僧枷提婆を迎えて「阿毘曇心論」4巻などの訳出を請い、長安に来た鳩摩羅什と親交を結び、123人の同志とともに念仏の結社(白蓮社)を結び、桓玄に反論して「沙門不敬王者論」を著した。廬山の慧遠教団は江南の仏教の中心として戒律を守り、中国仏教のあるべき道を提示したといってよかろう。

□陶渕明
六朝時代の東晋の詩人。江西のひと。名は潜または渕明。下級貴族の家に生まれ、不遇な官途に見切りをつけ、41歳のとき彭沢県令を最後に「帰去来辞(帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす、なんぞ帰らざる)」を賦して故郷の田園に隠棲。平易な語で田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開き、唐に至って王維・孟浩然など多くの追随者が輩出した。

□陸修静
東晋末〜南朝宋の道士。字は元徳、号は簡寂先生、諡号は高道処士、呉興(浙江省)東遷の人。南朝宋の明帝が467年に都の建康の北郊に崇虚館を建てて迎えたことは有名。道鏡史における陸修静のおもな功績は 1「三洞経書目録」の作成  2「霊宝経」の編纂  3 天師道の改革
の三つがあげられる。「三洞経書目録」とは、明帝の勅によって献上された最古の道教経典綜合目録である。この目録が作成されて以後、現在に至るまで道教経典の分類に、洞真、洞玄、洞神の三洞説が用いられている。第二の「霊宝経」とは、南朝宋の時代に仏教の大乗思想を摂取して、道教の大乗経典としてつくられた一群の経典であり、陸修静はこれらの「霊宝経」を校定編纂するとともに、元始(天尊)系と仙公(葛玄)系の二系統に分類整理した。第三の天師道の改革では、腐敗堕落した天師道教団を改革し、戒律と儀礼の整備を行った。

●観能記@  能 『三笑(さんしょう)』 観世流
   2008年11月28日(金) 国立能楽堂 18:00開演
シテ(慧遠禅師):大槻文蔵  ツレ(陶淵明):梅若六郎 ツレ(陸修静): 観世銕之丞
アイ(廬山の者):山本泰太郎
国立能楽堂がオープンして、今年で25周年なのだそうです。意外にまだ月日が経っていないのですね。 9月から連続して開催されている記念公演には、日本を代表する能楽師の家と出演者が名前を連ね、チラシを眺めているだけで興奮してきます。その記念企画も、年末を迎えていよいよ大詰め。天皇・皇后両陛下ご臨席のもと、狂言の大曲と何ともおめでたいお能を楽しみました。
いやー、本当に素晴らしい舞台でした!!感動と興奮のあまり、午前3時まで眠れませんでした。

●観能記A  能 三笑(さんしょう)  加賀宝生能  
2011年12月9日 - 今年最後の加賀宝生能、能楽堂は年末とあって満員。
能 三笑(さんしょう)は中国六朝時代の僧、恵遠禅師が修行の為、山に籠し処、ある時陶淵明(とうえんめい)と陸修靜(りくしゅせい)の2人が訪ねてきた。3人で宴を催し、夜を徹して酒を酌み交わし身の上話などで花を咲かせていた。未明、酔っぱらった恵遠禅師は客人二人を見送りに出てうっかり越えてはならない虎渓の橋を踏み越えていた事に気付き、3人で手をたたいて大笑い。という話。 何故か一言も喋らない子役がでてきて中ノ舞を舞う。きらびやかな衣装で舞う姿は子供とは思えない立派なものだった。 「淵明禅師にさて禁足は破らせ給うかと一度にどっと手を打ち笑って。三笑の昔と。なりにけり。」で三人が笑うはずだが、三人は手を組んで輪を作るだけで顔は真一文字につむんだまま。能では笑う場面でも笑わないようだ。


古代中国関係の謡曲 18曲
小原隆夫 調
コード 曲 目 概    要 場所 季節 習順 素謡
内4巻1 鶴  亀 唐の玄宗帝新年春の節会事始め 唐国 春 平物 10分
内8巻3 楊 貴 妃 玄宗皇帝ノ愛妃ノ魂パクヲ探す 唐国 秋 入門 55分
内12巻5 猩  々 猩々ガ親孝行ノ高風ニ福ヲ与える 唐国 秋 平物 10分
内16巻2 是  界 是界坊ノ野心比叡山ノ僧ニ打砕カレル 京都 不 入門 32分
内16巻3 芭 蕉 唐ノ帝芭蕉ヲ愛シタ 芭蕉ノ精僧ニ語ル 唐国 秋 中奥 70分
内16巻5 天  鼓 帝ニ奉セシ天鼓ハ 王伯王母ガ鳴ラス 唐国 秋 初奥 45分
内19巻5 唐  船 捕虜人ニ日本子ト 迎ニ来タ唐子ノ 情ケト帰国 福岡 秋 初奥 50分
内20巻1 邯  鄲 濾生が夢 50年の栄賀も一炊の夢 唐国 不 初序 38分
外3巻1 項  羽 虞美人草ト項羽ノ物語り 唐国 秋 平物 30分
外5巻1 西 王 母 桃ノ精 御代ヲ寿ぐ 唐国 春 平物 22分
外6巻1 咸 陽 宮 秦ノ始皇帝 宮殿ニ燕国ノ刺客ニ襲ワレル 唐国 秋 入門 23分
外6巻5 石  橋 大江定基ガ唐デ修行(連獅子の舞い) 唐国 夏 初序 25分
外10巻5 鐘  馗 鐘馗ノ悪魔退治 唐国 秋 平物 20分
外13巻3 昭  君 美女昭君ノ異国ニ亡クナリ父母ニ嘆く 唐国 春 中序 45分
外13巻4 三  笑 三賢人ノ談笑 唐国 秋 入門 25分
外14巻1 枕 慈 童 700年前ノ周王ニ使エタ仙家ノ慈童ニ逢ウ 唐国 秋 平物 20分
外15巻1 張  良 張良黄石公ノ沓ヲ取リ兵法ヲ学ぶ 唐国 秋 入門 25分
外16巻1 皇  帝 玄宗皇帝寵妃楊貴妃ヲ助ける 唐国 春 入門 27分

(平成22年11月19日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


             三 笑 (さんしょう)  (太鼓あり)

         季 秋      所 唐土虎渓  素謡時間 25分
  【分類】四五番目 (略脇能)
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】 シテ:慧遠禅師、 ツレ:陶淵明  ツレ:陸修静

         詞 章                  (胡山文庫)

シテ  サシ上 普の慧遠廬山のもとに居して。三十余年隠山を出でず。
         白蓮社を結び並に十八の賢あり。其外数百人世を捨て。
         栄を忘れて共に西方を修し。六字を礼して此草庵に遊止す。
     下歌 かくて流を枕とし。岩にロをすゝぎて。
地     上 行住坐臥の行に。/\。座禅の床をもる月も西に傾くをりふしは。
  洞煙谷雲の内よりも。瀑布の滝の白妙に。曙の山の姿。
         譬へん方ぞなかりける。
ツレ二人一セイ上 雲無心にして以て岫を出で。鳥飛ぶが如くに倦んで。還ることをや。
         忘るらん。
地     上 頃もはや。霜降月の曙に。/\。野山の草の色もはや散るもみぢ葉に映ひて。
         枯野になれど白菊の。花はさながら紅の。八汐に見ゆる気色かな/\。
淵明    詞「いかに此草庵に慧遠禅師の渡り候ふか。陶淵明陸修静これまで参りて候。
シテ    詞「その時禅師は白蓮社を出で。書を以て淵明を招きければ。
ツレ二人  詞「二人は共に拝をなし。
地     上 廬山のさかしき石橋を。心静かに渡りつゝ。巌に腰をかけ。
         瀑布を眺め給ヘり。三千世界は眼に尽き。十二因縁は。心のうちにきはもなし。
淵明    詞「いかに慧遠禅師に申すべき事の候。
シテ    詞「何事にて候ふぞ。
淵明    詞「さて廬山に至らざらん者はこれ僧にあらずと申し候ふよなう。
シテ    詞「げに/\左様に申し候。
淵明    詞「扨々瀑布と云ふ事は。いかなる謂のあるやらん。
シテ    詞「いや/\異なる事はなし。万仭名を得て瀑布といふ。
修静 カカル上 日香炉を照しで紫煙をなす。
シテ    詞「遠く見れば織るが如くにして天台に掛く。
淵明 カカル上 宝尺を疑ふ事を休めよ度りがたし。
シテ    上 たゞちに金刀の剪栽し易きを恐る。
修静    上 はいて林梢に向つて夏雪をなる
シテ    上 かたむき来つて石上に春雷をなす。
淵明    上 知らんと欲すこれ銀河の水なる事を。
シテ    上 人間に堕落して。
修静    上 かへつて。雷「合して。
シテ    上 廻る。
地     上 三国無双のこの滝を。今まで拝せぬ心こそ愚なりけれ。
         本より琴詩酒の友なれば。心静かに昔をいざや語らん。
    クセ下 抑この。淵明と申すは。彭沢の令となる。官にある事。八十余日。
         印を解いて去るとかや。日夜に酒を愛し。松菊を翫ぶ。
         菊を東籬の下に採つて。南山を見る事も。君に忠ある故とかや。
シテ    上 又陸修静は。
地     上 宋の明帝の御時に仙の法を学んで。陸道士と申すなり。
         後には当山の簡寂観に。隠居してましませり。
         此人々は天下にも並ぶ方もなき事なれば。廬山の虎渓にも劣らぬ光なりけり。
シテ    下 菊の白露積り積つて。不老不死の薬の泉。よも尽きじ。
地     上 幾万代も。限らじな。
               中の舞
地     上 さす盃の廻る夜も。/\明くれば暮るゝも白菊の。
         花を肴に立ち舞ふ袂酒狂の舞とや人の見ん。
               楽
シテ    上 万代を。
地   ノル上 万代を。松は久しき例なり。
シテ    下 年をおい松も緑は若木の姫小松。
地     上 四季にも同じ葉色の常磐木の松菊を愛し。
         かなたこなたへ足もとは泥々々々と苔むす橋を。よろめき給へば淵陸左右に。
         介錯しをたまいて虎渓を遙かに出で給へば。
         淵明禅師に偖禁足は破らせ給ふかと一度にどつと手を打ち藁つて。
         三笑の昔と。なりにけり


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