壇 風 (だんぷう)

●あらすじ
正中元年(1324)鎌倉幕府末期、96代後醍醐天皇の討幕の企てに参画した朝臣日野資朝は捕えられ、佐渡の国に配流となり、本間三郎の居城である檀風城に軟禁の身となる。 翌年、時の執権北条高時の命により、斬罪となるが、一子梅若は、父を慕い帥の阿闍梨を頼み、配所佐渡が島へ渡り、父の最期に会う。 悲しみの中から梅若はこの刑の直接の執行官本間三郎を敵とねらい、帥の阿闍梨の助けを得て、これを討ち果たし、島より脱出を計る。追手に追われ港へ出た所、折よく出船があるが、呼べど船頭は船を返さず窮するところ、帥の阿闍梨が熊野権現を、心に祈れば、権現姿を現わし、此船を岸へ吹き戻し、二人を無事帰郷させる。 太平記を出典とする世阿弥作とされる現在物で、太平記には遺児の名は阿若(くまわか)とあります。この能では梅若となっていますが、非常に重要な子方役で、シテ方・ワキ方いづれから出してもよい事になっています。 又この曲は現在、宝生・金剛・喜多の三流に残っていますが、観世流では明治以前に廃曲扱いになっており、確実に百年以上は演能が絶えておりました。     
(「福王能楽鑑賞会」番組記載の福王茂十郎師の解説より)

●宝生流謡本      外十三巻の二     四五番目    (太鼓あり)
    季節=夏   場所=佐渡国   作者=世阿弥作
    素謡稽古順=入門   素謡時間=55分 
    素謡座席順   子方=資朝の子梅若  (スケトモ ノコ ウメワカ)
              ツレ=壬生の大納言日野資朝  (ミブノダイナゴン ヒノスケトモ)
              シテ=熊野権現
              ワキ=帥の阿闍梨
              ワキヅレ=本間三郎
              ワキヅレ=棹さし

●解 説
「檀風」は、現在では宝生・金剛・喜多の三流に残っていますが、観世流では江戸時代に廃曲となり、現行曲には含まれておりません。佐渡に流された世阿弥が、配所である正法寺に現在残っている「世阿弥腰掛石」に腰を下ろし、この曲を創ったとも言われていますが、作者は明確ではないようです。 昭和60年10月、観世宗家によって観世流で初めて復曲上演されたものであります。
日野資朝は宝生流ではツレとして扱われるようです。 観世流では、前シテとして復曲されています。 この「檀風」は、ワキ方では非常に重い曲で、帥の阿闍梨が資朝の遺骸を丁重に取り扱う場面はワキ方の秘事とされているそうです。

●佐渡の謡蹟めぐり@  □《妙宣寺》  新潟県佐渡市阿佛坊1
妙宣寺は日蓮宗の本山。本尊釈迦如来。日蓮上人に生涯尽くした阿仏房(あぶつぼう)日得上人の開基、当寺は日得上人にちなみ阿仏房とも称せられるようです。 古くから北陸道七ヶ国法華の棟梁で寛文年中(1661〜73)身延・池上・中山三ヶ寺の輪番所となり、明治11年(1878)独立本山と定められた名刹である。 もと順徳上皇に供奉した北面の武士遠藤為盛(日得上人)の開基といわれ、はじめ新保(金井町)にあったが嘉暦元年(1326)雑太城主本間泰昌の居城付近に移り、後に今の地に移ったものである。 文永8年(1271)日蓮上人佐渡配流の時、日得は妻千日尼と共に深夜ひそかに食物を送ってその厄難を救った話は有名である。 日蓮真筆の曼陀羅・消息文、日野資朝の写経等を蔵するほか、境内にある文政8年(1875)建立の五重の塔は、県内唯一のものである。 妙宣寺は、もと本間氏の雑太(さわだ)城の跡地で、上杉景勝の佐渡侵攻で本間氏は敗れ、直江兼続によって城地は妙宣寺に与えられたものです。したがって、鎌倉末期に日野資朝が配流となった地は、現在のここ妙宣寺ということになります。          (高橋春雄記)

●佐渡の謡蹟めぐりA  □《大膳神社》  新潟県佐渡市竹田562?1
 大膳神社の御祭神は、正殿に御食津(みけつ)大神、左殿に日野資朝卿、右殿に大膳坊賢栄を、それぞれ祀っています。当社縁起の碑文によれば、当社の縁起は以下のようであります。 正殿御食津大神は農業食饌の祖神、豊穣の守護神で、古来当地のうぶすな神として尊崇敬慕されている。その勧請創始については諸説があり、一説には式内社当国九社の一つといわれるがなお詳らかではない。 正中の変(正中元年・1324)の折、日野資朝卿当国に配流され、一子阿新丸(くまわかまる)は父子対面を求めて遥々都から下向したにもかかわらず、遂に許されぬまま父刑死の無念を霽らすべく、城主本間山城守の館に潜入し、その弟三郎を斬って本懐を果たした。 此の間大膳坊賢栄は、真の敵は鎌倉なりと阿新丸を諭したが、その孝心の已み難きに感動してこれを扶け、更に、迫り来る討手窮追の危機の中に阿新丸を守護し、無事虎口を脱して帰京せしめた。 本間山城守は激怒して大膳坊を処刑したが、その後大いに悔い畏れて日野資朝卿と大膳坊を当社に合祀してその霊を崇め奉ったと伝えられている。 謡曲『壇風』に登場する「帥の阿闍梨」がこの大膳坊賢栄でありましょう。                         
 (高橋春雄記)

●参 考 《檀風と太平記》
 この曲の出典である『太平記』との関連について考察しておきましょう。『太平記』巻二に阿新(くまわか)が父を佐渡に尋ね、その仇討ちをする件が詳しく述べられています。 まず、謡曲に登場するワキの帥の阿闍梨ですが、大膳坊に相当する人物は登場していませんが、阿新が本間の屋敷に到着して案内を請うた際に仲介をする無名の僧(阿新に同情的な人物である)と、もう一人、阿新が本懐を遂げて逃げるときに、途中で出会った山伏(不動明王に祈り、港から漕ぎだした船を呼び戻し、阿新をこの船に乗せ無事に逃がす)の二人が一体となって、帥の阿闍梨となったものでしょう。『檀風』の作者が世阿弥かどうか明確ではないようですが、世阿弥の配流の地である正法寺には「世阿弥腰掛石」があり、この石に座って『檀風』を創ったと伝えられているようです。
謡曲における梅若の気持ちには理解に苦しむところがあります。仇を討ちたいという梅若に対して、帥の阿闍梨は「本間はいつたん囚人を預かり申したるまでにてこそ候へ。まことの親の敵は。相模の守高時こそ敵にて御座候」と諌めていますが、それにもかかわらず梅若は仇討ちに奔っています。どうも梅若は情緒不安定で、カッとなると分別のつかない、そういう子供だったのかもしれません。親切にはからってやった本間は、恩を仇で返されたという感じでしょうか。梅若の仇打ちについては、謡曲作者に無理があるように思えてなりません。    
(平成21年6月22日・探訪)

●日野資朝(ひのすけとも)
<正応3〜正慶元=元弘2>(1290〜1332) 享年43才 権大納言日野俊光の次男。鎌倉末期の公卿。兄 日野俊基と共に後醍醐天皇の倒幕計画に参画した。 倒幕の密議を偽装するため、同志とともにしばしば無礼講と称する宴会を催したといわれる。正中元年(1324)、この謀議が露顕し六波羅探題に捕らえられて鎌倉に送られたのち、佐渡に配流された(正中の変)。元徳3=元弘元年(1331)、再び後醍醐天皇の倒幕計画が失敗し(元弘の変)、翌年、天皇が隠岐に配流されたとき、配所において処刑されることとなる。都にあった資朝の子、阿若丸(くまわかまる)は父に対面するため佐渡へ渡る。しかし対面も許されないまま、佐渡の本間三郎によって眼前で父を処刑されてしまう。 このように佐渡は今もちょっと風雅な気風の残るように、古来比較的高貴な政治思想犯などが流されたところでした。 佐渡流人として有名なのはほかに順徳天皇、日蓮上人、世阿弥がおられます。 能としてはマイナーな「壇風」ですが、佐渡ではその歴史・史跡がずいぶん大事にされているようでした。「阿若丸隠れ松」なんていう史跡も残されています。

平成24年5月12日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


         壇 風

         壇 風(だんぷう)  外十三巻二   (太鼓あり)
         季 夏      所 佐渡国  素謡時間 55分
  【分類】四五番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】 シテ:熊野権現、ツレ:壬生大納言資朝  子方:資朝の子梅若 
            ワキ:師の阿闍梨 ワキズレ:本間三郎 ワキズレ:棹さし 

         詞 章                   (胡山文庫)

本間    詞「是は佐渡の島乃御家人。本間の三郎にて候。
         さても此の度元弘の合戦に公家打ち負け給いて候。中にも壬生の大納言資朝の郷は。
         囚人となり此の島へ流され給いて候を。某預かり申して候。
         色々痛はり申す処に。昨日鎌倉より飛脚立って。資朝の郷は大事の囚人にて候間。
         急ぎ誅し申せとの御事にて候程に。痛はしながら明日浜の上野にて誅し申し候。
         此の由を資朝の郷へ申さばやと存じ候。
ワキ子方次第上 親の行くへを尋ね行く。/\。越路の旅ぞ遙けき。
ワキ     詞「かやうに候者は。都今熊野柳の木の坊に。師の阿闍梨と申す山伏にてり候。
         又これに御座候御方は。壬生の大納言資朝の郷乃御子息。梅若子と申し候が。
         さる仔細あつて我等が坊に御座候。資朝の郷は流人の身となり給い。
         佐渡の島に流され給いて候。梅若子未だ乳の此の世に御座候由を聞こし召し。
         今一度御対面ありたき由仰せられ候間。余りに御市中御痛はしく存じ。
         藁等御供申し。唯今佐渡の島へと急ぎ候。
ワキ子方道行上 名残ある都乃空は遠ざかり。/\。末は遙か乃越の海。
         今ぞ始めて白真弓敦賀の津より舟出して。波路遙かの旅衣。
         浦々泊まり重なりて行けば沖にも里見ゆる。佐渡の島にも着きけり/\。
                  ワキ狂言セリフアリ
本間    詞「都よりの客僧はいづくに渡り候ぞ。
ワキ     詞「これに候。唯今申し入れ候如く。是は都今熊野柳の木の坊に。
         師の阿闍梨と申す山伏にて候。またこれにわたり候幼き人は資朝の郷乃御子息。
         御名をば梅若子と申し候。資朝の郷は流人となり。
         此の島に御座候由聞こし召し及ばれ。今一度御対面ありたき由仰せられ候程に。
         遙々これまで御供申して候にて。引き合わせ申されて賜り候へ。
本間    詞「委細承り候。総じて召人のゆかりなどに対面は堅く禁制にて候へども。
         幼き人の遙々これまで御下向にて候程に。其の由資朝の郷へ申し候べし。
         暫くそれに御待ち候へ。
ワキ     詞 「さらばこれに待ち申し候べし。
ツレ  サシ上 籠鳥は雲を恋ひ。帰雁は友を忍ぶ心。それは鳥類にこそ聞きしに。
         人間において我ほど物思う者はよもあらじ。
        詞 「げにや科なうして配所の月を見る事。古人の望む所なれども。
        下 住み果つまじき世の中に。明け暮れ物を思わんより。
      下二 あつぱれ疾う斬らればやと思い候。
本間    詞「あら痛はしや何事やらん独言を仰せ候よ。いかに申し候。本間が参りて候。
ツレ     詞「本間殿と仰せ候か此方へ御出で候へ。
本間    詞「唯今参る事余の儀にあらず。昨日鎌倉より飛脚立つて。
         急ぎ誅し申せとの御事にて候程に。明日浜の上野の御供申し。
         御痛はしながら誅し申し候べし。御最後の御用意あらうずるにて候。
ツレ     詞「唯今も独言申し候如く。かくてながらへ人に面をさらさんより。
         あつぱれ疾う斬らればやと望みし事。さては叶いへて候よ。
本間    詞「又御喜びあるへき事の候。都今熊野柳の木の坊に師の阿闍梨と申す山伏の。
         御子息を伴い遙々御下向候。そとご対面候へ。
ツレ     詞「これは思いもよらぬ事を承り候ものかな。以前も事の序でに申す如く。
         某は総じて子を持たぬ者にて候。定めて門違いにて候べし。
         急いで追つ返され候へ。
本間    詞「何と御子は持たれぬと仰せ候か。
ツレ     詞「中々の事。
本間    詞「さては聊爾なる事を申す者にて候。やがて追つかえし候べし。
ツレ     詞「暫く。都の者と聞けばなつかしう候間。そと一目見申し度く候。
本間    詞「さらば物腰より御覧候へ。あれなる人の事にて候。あれなる人乃事にて候。
         あらふしぎや。御子息にてはなき由仰せられ候が。何とて御落涙候ぞ。
ツレ    詞「御不審尤もにて候。彼の者の親も我等如きの流人にて候はんが。
         配所を聞き違え来るたるかと。彼の者の心中不便に存じ。
         さて落涙仕りて候。
本間    詞「さあらばおつ帰し申し候べし。
ツレ     詞「急いで御帰し候へ。
本間    詞「心得申し候。最前の客僧はいづくに渡り候ぞ。
ワキ     詞「これに候。
本間    詞「仰せの通りを資朝の郷に申して候へば。
         総じて資朝の郷に御子は御座なき由御座なき由仰せられ候。
         何とて聊爾なる事をば承り候ぞ。         
ワキ     詞「あらひしぎや。某が申しつる通り仰せ候はば。
         やはかさようには仰せられ候まじ。
本間    詞「言語道断。かかる口惜しき事を承り候ものかな。弓矢八幡氏の神も御笑覧あれ。
         懇ろに申して候。その上資朝の郷に御子は御座なき上は候。
         近頃聊爾なる事を承り候ものかな。此上は某は一向に存ずまじく候。
ワキ     詞「なうなう暫く。あら笑止や。いかに梅若殿。
         唯今本間が申しつる事を聞き召されて候か。思いもよらぬ御事にて候。
子方    上 悲しやな遙々尋ね下りたる。かひも渚のかたし貝。あわぬ思いをいかにせん。
ツレ     上 我も恋しく思い子を。最後に見たくは思へども。我が子と名のらば敵とて。
         もしや命を失はれんと。思えば他人と言いつるこそ。なかなか思う心なれ。
子方     上 一世とかねたる此の世にだに。そひも果てばる親子の中。
ツレ     上 ましてやいはん後の世乃。
ツレ子方  上 契りもさぞな逐うことも。泣くや涙にかきくもり。
地      下 姿見みえぬ親と子の。隔ての雲霞。たちそひながらもげに逢はぬ事ぞ悲しき。
地  ロンギ上 今日御最期に定まれば。今日御最期に定まれば。痛はしながら力なく。
         武士輿に乗せ申し。濱のうは野に急ぎけり  
資朝    上 かねて期したる事なれば。惜しき命にあらざれど。
         さすが最期の道なれば心凄き氣色かな  
梅若    上 梅若父の御最期と。聞くより目くれ肝消え。
         起きつ轉びつ泣く泣くお輿の後に付きて行く。  
地      上 お輿を早め行く程に。濱のうは野も近くなる。  
資朝    上 波路漂ふ磯千鳥。  
ワキ    上 沖の?も音を添へて哀れさや増さるらん。  
地     上 御首の座敷これなりと。輿より下し申せば。資朝敷皮の。上に直らせ給へば。
         武士軈て立ち寄り。御後に立ちまはり御十念と勧めけり。御十念と勧めけり
梅若    詞「なうみずからこそこれまで参りて候へ。 
資朝    詞「何とてこれまでは下りたるぞ。最期は今にてはなきぞ。傍らへ忍び候へ。
         いかに客僧。まづ其方へ召され候へ。いかに本間殿へ申し候。
         本近頃面目もなき申し事にて候へども。誠は某が子にて候。
         此上は本馬殿を頼み申し候。未だ稚き者の事にて候程に。
         あはれ御心得をもつて。彼の者を助けて給ひ。都に送り給ひ候へかし。  
本間    詞「かゝる傷はしき事こそ候はね。我等も始めよりさやうに見申して候へども。
         深く御隠し候程に申さず候。梅若殿の御事は。明けなば早舟を拵へ。
         都へ送りつけ申し候ふべし。御心安くおぼし召され候へ。  
資朝    詞「これは眞にて候か。  
本間    詞「なかなかの事弓矢八幡も御知見あれ。軈て都へ送り付け申さうずるにて候。  
資朝    詞「さてはこの世に思ひ置く事もなく候。はやはや頸を打ち給へと。  
地     上 西に向ひて手を合せ。西に向ひて手を合せ。南無阿弥陀佛と高らかに。
         唱へ給へばあへなく。御頸は前に落ちにけり。御首は前に落ちにけり。
本間    詞「いかに客僧へ申し候。資朝の郷乃後事は。囚人にて御座候間力なき事にて候。
         梅若子の後事は。御遺言の如く明日御舟を申しつけ。都へ送り申し候べし。
         御心安く思し召され候へ。
ワキ     詞「懇ろに承り有難う候。明日都へ御送り頼み申し候。又御死骸を賜り候へ。
         供養申し度う候。
本間    詞「中々の事御心静かに御供養候へ。我等は私宅に帰り候べし。
         梅若子を御供あつて。軈て御出であらうずるにて候。
ワキ     詞「心得申し候。 
本間    詞「いかに面々聞き候へ。この間の番にさずくたびれ候れん。
         今夜は皆々私宅に帰り休み候へ。
         某も臥所に入つて心静かに夜を明かさうずるにてあるぞ。その分心得候へ。
ワキ     詞「いかに梅若子へ申し候。これは本馬殿の館にて候。
         今夜は御心静かに御休み候へ。明けなば船を仕立て送り申すべき由申され候。
         御心安く思し召され苦。
子方    詞「如何に申すべき事の候。
ワキ     詞「何事にて候ぞ。 
子方    詞「本間を討って賜り候へ。
ワキ     詞「ああ暫く候。まず御心を静めて聞こし召され候へ。
         本間は一担召人を預かり申したるまでにてこそ候へ。誠の親の敵は。
         相模の守高時こそ敵にて御座候へ。それは都に御上り候ひて。
         自然の時節を御待ち候へ。
子方    詞「いや目乃前にて討ちたるこそ親の敵にて能へ。
ワキ     詞「げにげに仰せは尤もにて候へども。此の島国にて人を討っては。
         偖御命をば何とめされ候べき。唯思し召し御留まり候へ。
子方    詞「たとい命な失うとも。討たでは叶ひ候まじ。
ワキ     詞「何と命は捨てる失つとも。討たでは叶ふまじと仰せ候か。
         かかるけなげなる事を仰せ候ものかな。此上は討って参らせ候べし。
         しかも彼の者申し候は。内乃者共もこの程乃番にくだびれてぞあるらん。
         まづまづ私宅に帰れ。その身も臥所に入つて夜を明かそうずる由申し候へしほどに;
         討つべき夜は日本一の夜にて候。御本望にて候に。
         一の刀をば梅若子遊ばされ候へ。二の刀をば此の客僧つかまつるへし。
         もし又彼の者起き合わせ。討ち損ずるものならば。人手にはかかるまじ。
         梅若子と刺し違へ申し候べし。此方へ御入り候へ。荒笑止や。
         未だ火が消えず候はいかに。何の為にか夏虫の。
         身を焦がすばき火をとるんと。
子方 カカル上 あかり障子に飛びつきたり。
ワキ    詞「これこそ消すべき頼りなれど。障子を細めに明けければ。
子方 カカル上 虫は悦び内に入り。
ワキ    上 すは火はばつときえたるは。
地     上 燈ともに敵の命今こそ消えて失うすべけれ。密かに狙いより。/\。
         守り刀をを抜きもって。本馬の三カが。胸のあたりに乗りかかり。
         三刀まで刺しとうし。縁を飛び降り逃げければ。
         追いては声声に。とめよとめよとおつかくる。
                  シカ/\。
ワキヅレ  詞「此の程風を待ち候処に。日本一の追風が吹き候程に。舟を出さばやと存じ候。
ワキ     詞「はや抜群にのび来りて候。又出船乃候。あの船に乗せ申さうずるにて候。
         なうなう其の船に便船申さう。
ワキヅレ  詞「御覧候へこれは柱を立て。帆を引きたる船にて苦程に。未だ出ぬ舟に仰せ候へ。
ワキ     詞「これは親の敵を討って。後より追つ手のかかる者にて候へば。
         平に乗せて賜り候へ。
ワキは カカル上 よし科人は此の客僧。よし客僧をば乗せずとも。此の児一人乗せてたべ。
ワキヅレ  上 児も法師も知らぬとて。猶此の船をおして行く。
ワキ     詞「ああ其の船寄せずは悔しき事のあるべきぞ。
ワキヅレ  詞「何の悔しあるまじきぞ。船棹だにも忘るるは。風に出船乃習いなり。
ワキ     詞「偖此の風は。
ワキヅレ  詞「東風の風。
ワキ     詞「向うて西になさうぞえい。
ワキヅレ  詞「あら忌しやきかじとて。猶此の船をおして行く。
ワキ カカル上 暫しとていえど。    
ワキヅレ  上 留めもせず。
ワキ     上 暫しとていえど。
ワキヅレ  上 音もせず。
地      上 船は波間に遠ざかれば追手は後に近づきたり。
ワキ     詞「あら笑止や。頼みたる船は遠ざかる。追手は後に近づく。
         偖御命をば何と仕り候ばき。某きつと案じ出したる事の候。
         藁此の年月み熊野の権現へ歩みを運び候も。かようの為にてこそ候。
         海上に三所権現を勧請申し。並に不動明王の策にかけて。
         あな船を祈り戻さうずるなて候。やあやあ其の船戻せとこそ。
         寄せずは祈り戻さうずるぞ。
ワキヅレ  詞「何此の船を祈り戻さうとや。
ワキ    詞「中々の事。
ワキヅレ  詞「山伏は物の怪などをこそ祈れ。船祈つたる山伏は未だ聞かぬよ。
ワキ    詞「いやいかにいふとも悔まうぞ。
   カカル上 悔むな男。
地     上 台嶺の雲を凌ぎ。台嶺の雲を凌ぎ年行の。
         功を積むこと一千餘日しばしば見命を捨て熊野。権現に頼みをかけば。
         などかしるしのなかるべき。一コンガラ二セイタカ。
         三に倶利伽羅七大八大金剛童子。東方。
                  早笛
   ロンギ上 不思議や東風の風変わり。西吹く風となる事はいかなる謂われなるらん。
シテ    上 本宮証誠殿。阿弥陀如来の誓いはて。西吹く風とし給いて船を留め給えり。
地     上 偖また西の風もやみ。東風吹く風となる事は。
シテ    上 新宮薬師如来の。浄瑠璃浄土は東にて。東風吹く風となし給う。
地     上 偖飛竜権現は。
シテ    下 波路に飛んで影向す。
地     上 滝本の千手観音は。
シテ    上 二十八部衆の。風変船を早めたり。
地     上 偖飛行夜又は。不動明王の。策の縄を船につけて。
         万里の蒼波を片時が程に。若狭の浦に引きつけて。
         それより都に帰し給う。げに有り難き三熊野の。/\。
         誓いの末こそ久しけれ。


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