大  蛇 (おろち)

●あらすじ
 神々の住む天界から旅立った素盞嗚尊は、出雲の国・簸の川あたりにたどり着く。路傍の小家で美少女を守り泣く老父・脚摩乳と老母・手摩乳。もとは八人の娘があったのに、大蛇に毎年一人ずつ呑まれ、最後に残った奇稲田姫も今夜餌食になると嘆く夫婦を憐れんだ尊は大蛇退治を申し出、姫と結婚の契りを交わす。馬にまたがった尊は、輿に乗せた新妻を先立て、川上の鶏冠の嶽に登り、岸辺に姫を据え置くと、波間に浮かぶ酒槽にその姿が映る。やがて現れた大蛇は、酒中の影を生身の姫と信じて呑み尽くし、酔って横たわる。隙を見た尊は、十握の剣を手に襲いかかり、大蛇を斬り伏せると、その尾から宝剣・叢雲の剣が出現する。

●宝生流謡本      外十三巻の一   四五番目略脇能    (太鼓あり)
    季節=不定   場所=出雲国の川上   作者=観世小次郎信光
    素謡稽古順稽古順=平物   素謡時間=27分 
    素謡座席順   ワキヅレ=従者
              シテ=前・手摩乳 後・八岐大蛇
              ワキ=素戔嗚尊

●観能記          
国立能楽堂特別公演 能「大蛇」 2011.1.29
有名な八岐大蛇の話を能にしたもので、観世小次郎信光の作。宝生・金剛・喜多の三流で現行で、めったに上演されないそうです。最初に作リ物の疎屋(大藁屋)が大小前にゆっくり持ち込まれてその大きさにびっくりしているうちに、次第の囃子。事実上の主役であるワキ・素盞嗚尊は左右に羽を出した唐冠に、紺の直垂、白大口。ワキツレ二人は立烏帽子に朱の狩衣、白大口です。三人が向かい合っての次第の詞章は「始めて旅に行く雲の、治まる国を尋ねん」。新羅の国に天降ってから舟に乗って出雲の国に着いたと着キゼリフを述べて脇座に納まったところで、作リ物の中からしみじみと、しかしよく通る声で前シテ・脚摩乳の「ながらへて生けるを今は嘆くかな」という謡が聞こえてきました。 (中略)
さて、地謡が「八雲立つ、出雲八重垣妻ともに」と日本最古の三十一文字の変奏版を謡ううちにワキは常座に進んで眼光鋭くあたりを見回すと子方を一畳台の上に立たせ、子方は台の見所側に置かれた包み舟を見下ろします。これで姫の姿が器の酒に映った状態になったことを示しているわけで、ワキは大蛇を待ち構える風情となって笛前で床几にかかり、子方も脇座に下がりました。 いよいよ大蛇の登場。囃子は早笛となって全力疾走、地謡が「川上暗く水渦巻き、雲は地に落ち波立ち上がり、山河も崩れ震動して、現はれ出づる大蛇の勢ひ」とおどろおどろしく謡ううちに幕が上がって橋掛リに飛び込んできた後シテ・大蛇は、赤頭の上に龍戴、その名も「大蛇」という大きな異形の面をかけ、法被・半切の定番の姿で打杖を手にしています。それにしても頭上の龍の尻尾の長いこと!肩甲骨のあたりまで伸びていました。目を赤く光らせ角を振り立てながら舞台に進んだ大蛇は、舞台上をぐるりと回りどしん!と足拍子。一畳台の上に飛び上がって打杖を酒槽に差し入れ酒を呑む形となり、ついで一畳台を飛び降りると正中で跳んで膝を着き、膝行。足拍子を入れて激しく舞い暴れる舞働となります。やがて剣を抜き放ったワキは一ノ松へ進み、一畳台上の後シテと睨み合った後に舞台上での立ち回りとなりますが、ついに斬り伏せられた後シテは正中で後ろ向きにがっくり安座すると、そこから橋掛リを退散。最後はワキが常座で剣(大蛇の尾から得た叢雲の剱)を手に仁王立ちとなり、太鼓が留めました。 いかにも金剛流らしい迫力に満ちた舞台、そしてワキが大活躍する珍しい曲を堪能。上演時間は70分ほどでしたが、もっと短く感じられました。

●八岐大蛇(やまたのおろち)              
[ 日本大百科全書(小学館) ] .
 八尾(はちび)の神霊の意。記紀神話で、肥河(ひのかわ)の八岐大蛇は年ごとに一人ずつの娘を食い、いままたその大蛇がくると嘆いていた足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の夫婦に、最後の娘の奇稲田姫(くしなだひめ)を貢上させるが、素戔嗚尊がこの大蛇を酒槽(さかぶね)を用意させて退治する。そのとき、大蛇の尾の中ほどから神剣が現れ、天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉献されて三種の神器の一つとなったという。この神話には、世界に広く分布するアンドロメダ型伝承(怪物の供犠(くぎ)となった美女を英雄が助ける話)や、漢の高祖の宝剣、斬蛇剣(ざんだけん)との関連が考えられている。しかし、この伝承の本源は、出雲(いずも)国須我川(すががわ)流域で行われていた豊饒(ほうじょう)祭の蛇神信仰にあり、その伝承はやがて同じ蛇神伝承をもつ肥河流域に移るとともに、新しい鉄文化を背景にもつ素戔嗚尊の伝承に吸収されて変質し、斬蛇剣伝承を加味して定着したものと考えられる。     
[ 執筆者:吉井 巖 ]

●八岐大蛇退治 ヤマタノオロチタイジ          登場する神:素盞鳴尊、櫛名田姫神
 さて、これも有名な話であろう。 高天原を追放された素盞鳴尊は根の国へと下り、故郷である出雲の国へと戻った。出雲の国の簸川(ヒノカワ=島根県の斐伊川)の上流へとさしかかったときに、とある小屋の中からすすり泣く声が聞こえてきた。何事かと中を覗いてみると、年老いた夫婦と美しい娘が手を取り合って泣いていた。 素盞鳴尊はわけを聞いてみることにした。 老夫婦の話によると、このあたりには首が8個もあるという八岐大蛇という魔性の蛇が住み着いているそうだ。夫婦の名は手名椎(テナヅチ)、足名椎(アシナヅチ)といい、娘は櫛名田姫といった。 櫛名田姫は、夫婦の8番目の子であった。八岐大蛇はたびたび人身御供を要求し、上の7人の娘はいずれも生贄となっていて、今度は櫛名田姫の番だという。 なぜ引っ越さないのか疑問の残るところではあったが、櫛名田姫は美人、素盞鳴尊もやる気を出した。だが相手は八岐大蛇である。いくら暴れ者の素盞鳴尊でもまともにやったのではまず勝ち目はない。そこで、彼はある策を用いた。名だたる銘酒をかめに8つ分用意して、大蛇の住みかへと運んだのだ。大蛇には生贄を喰らう前祝いとでも言っておいたのだろう。さて、夜も更けてきた頃、素盞鳴尊は父伊邪那岐命から譲り受けた(持ち出した?)名刀十握剣を握りしめ、櫛に化身した櫛名田姫をお守りとして髪に差して、大蛇の住む洞穴へと向かった。思った通り、大蛇の8つの首はどれもこれも酒をたらふく飲み、酔いつぶれて眠っていた。もう勝ったも同然である。 素盞鳴尊は眠りこけている大蛇の首を片っ端から切り落とした。さすがに酔っているとはいえ、これは痛い。途中で目覚めた大蛇も必死の反撃を試みるが、素盞鳴尊とて並の男ではない。日本神話上最大の凶事である天岩戸事件を引き起こした張本人である。ぐでんぐでんに酔っぱらった蛇の敵ではなかった。 こうして八岐大蛇はすべての首を切り落とされ、地響きを立てて大地へと転がった。 素盞鳴尊の完全勝利である。ほっと胸をなで下ろし、その場を立ち去りかけた素盞鳴尊は、大蛇の尾からただならぬ気を感じて振り返った。いぶかしみながら大蛇の尾に剣を振り下ろしてみると、剣は大蛇の肉を切り裂き、尾の中程で硬い衝撃と共に止まった。その硬い何かを引っぱり出してみると、それは剣であった。どこをどう眺め回してみても立派な名刀である。これこそが後に天皇家の三種の神器として伝わる天叢雲剣であった。 素盞鳴尊はその剣を姉の天照大神に送り、和解した。さらにこの事件で助けた櫛名田姫と出雲の地で結婚し、宮を建ててそこに暮らしたという。このときに素盞鳴尊が詠んだ歌が、「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を」というもので、立派な新居に妻を迎えて新しい生活を始めよう、といった新婚バリバリの気分を表している。この歌に由来するのが島根県松江市の八重垣神社で、今日でも良縁の守護神として有名である。 このようにして地上に住み着いた素盞鳴尊は、大国主命へと続く国津神の系譜を作り出し、舞台は天孫降臨を経て日本建国へと大きく移り変わっていくことになる。

(平成22年11月19日 あさかのユ0ユ0クラブ 謡曲研究会)


       大 蛇

         大 蛇(おろち)  外十五巻の一      (太鼓あり)
         季 不定      所 出雲国ひの川上  素謡時間 30分
  【分類】四五番目 (略脇能)
  【作者】小次郎信光   典拠:
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:斉藤別当実盛 ワキ:僧 ワキズレ:住僧

         詞 章                       (胡山文庫)

    次第
ワキワキヅレ上 初めての旅に行く雲の/\。治まる国を尋ねん。
ワキ     詞「抑も是は伊弉諾の御子素サノオの神とは我が事なり。
ワキワキヅレ上 それ治まれる国の始め。混沌未分に分かれしより。新羅の国に天降り。
          それより軈て旅衣の。
     道行上 思い立つあしたの原も遙々と。
ワキヅレ   上 あしたの原も遙々と。
ワキワキヅレ上 見えてこがるるはにうの小船の棹のさして猶。行くへの波も八雲立つ。
          出雲の国に着きにけり/\。
シテ  サシ上 ながらへて生けるを今は嘆くかな。浮きは命の科ならず。
          とは思えども思い子の。別れを慕う世の習い。我等夫婦に限らめや。
          身は老鶴の音に立てて。泣くより外の。事ぞかし。
地      下 ミロからに袂ぞ濡るる桜花。

  ( 小吟 空より外に ヨリ  いかにせん マデ )

地     上 空より外に置く露の。/\。身は幼き嬰児を。
         誘う嵐は影よりも激しきものを川上の。大蛇の為に失はん 子の別れをば。
         いかにせん/\。
ワキ    詞 「我此の国に来たりつつ。四方の気色を眺むる処に。ここに怪しき疎屋の内に。
         いみじくテイコクする声有り。これは如何なる神やらん。
シテ カカル上 我ならで訪不比等泣き柴の戸の。明け暮れ泣く音を今更に。
         尋ね給ふは誰やらん。
ワキ    上 誰とも知らじ久方の。天より降る神なるか。此の国始めてみそなはし。
         ここに尋ねて来りたり。
シテ    上 そも天より降ります。神とは何と木綿四手の。かかる泣く音は恥ずかしの。
         もり事よいかにせん。
ワキ    上 何をか包み給うらん。はやはや姿を現しして。謂われを語り給うばし。
シテ    上 仰せに従い夫婦供に。嘆きをとめて柴の戸。を

  ( 小吟 おし明け方の ヨリ  気色かな マデ )

地     上 おし明け方の雲間より。/\。神代の月の影清く。尊の御姿。
         あら有難の気色やな。かくて夫婦の老人。中に少女を据え置き。
         嘆き悲しむ有様の心許なき気色かな。
ワキ    詞 いかに夫婦の老人。我は是伊弉諾伊弉冉の第三の御子素戔嗚の神なり。
         されどもいかなる故にや御憎まれを蒙り。既に根の国とこの国に赴く。
         いまし達は如何なる神ぞ。少女をなぜてて釘テイコクする事。そも何の嘆きぞや。
シテ  クリ上 その時答えて申さく。奴はこれ此の国の津神なり。
地     上 名は手ナヅ乳妻の名は。足ナヅ乳と申す夫婦なり。
シテ サシ上 然るに此の処女はこれ我が子なり。名をば櫛稲田姫と申す。
地     上 かように嘆く其の故は。先に我が子八人の処女あり。
         年毎にヒの川上の大蛇の呑まれ。今又此の姫とられんとす。免るによしなしといふ。
    クセ下 その時素戔嗚詔して宣はく。げに理りや老人の嘆く心を憐れみの。
         恵みぞ深き川上の。大蛇を従へ治まる国となしべし少女を我にたび給へと。
         宣へば老人は。喜悦の色をなし給ふ。
シテ    上 即ち処女を奉る。
地     上 やがて尊は稲田姫の。湯津の爪櫛たりなして鬢づらにさし給へ。
         其のまま治まる国津神。ここに宮居の二柱。立つや八重垣造る言の葉の。
         三十路一文字の詠歌の始めなるべし。
地  ロンギ上 げに有難き詔。偖や大蛇を従へん其の御方便いかならん。
ワキ     上 畜類の心もかねて白真弓八しぼりの酒を取り合わせ。
         さすきは八間を結い置き酒船に酒をたたへん。
地     上 さてや八艘の酒船を。ヒの川上に浮かつつ。
ワキ    上 処女の姿。映さんと。
地     上 夕べの雲の波煙も立やヒの川上に。稲田姫を伴いあがらせ給う有難や/\。
                 中入り 一セイ
ワキ立衆  上 光散る。玉の御輿を先立てでて。尊は馬上に威儀をなし。ヒの川上にと。
         急ぎけり。
ワキ    上 抑も是は。伊弉諾伊弉冉の御子。素戔嗚の神なり。ヒの川上の大蛇を従え。
         国土豊かになすべきなり。
地     上 八雲立つ出雲八重垣妻ともに。/\鳥上乃嶽にうちあがり。ヒの川上はこれなれや。
         山聳え岸高く。物凄まじき川岸に。稲田姫を。一人据え奉り。波間に浮かる酒船に。
         御影を映し給えば。尊は馬より下り立ちて。
         岸に上つて密かに出づる大蛇を待ち居たり/\。
地   ノル上 川風暗く水渦巻き。/\。雲は地に落ち波立ち上り。山河も崩れ鳴動した。
         現れ出づる大蛇の勢い年ふる角には雲霧かかり。松榧そびらに生ひ臥して。
         眼はさながらあかがちの。光を放ち閣を振り立てさも恐ろしき。
         勢いなれどもさすが心は畜類の。
         舟に移ろふ御影を呑まんと頭を舟に落とし入れて酔いふしたあるこそ怖ろしけれ。

  ( 独吟 尊は十束の ヨリ  名づけたり マデ )

ワキ  ノル下 尊は十束の神剣を抜い持ち。
地     下 尊は十束の神剣を抜い持ち遙かの岸より岸より下り給えば大蛇は驚き怒りをなせども毒酒に酔臥し通力失せて。
         山河に身を投げ漂い廻るを神剣を振り上げ切り払へば。
         切られて其の尾は雲を穿ち。尊を巻かんと覆えば飛び違い。
         巻き付きければ切り払いめぐれば廻る。
         互いの勢ひ神は威光の力をあらはし大蛇を斬りふせ忽ちに。
         其の尾にありし剣を取って。叢雲の剣とは。名づけたり。


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