絃 上 (けんじょう)

●あらすじ
琵琶の名手藤原師長は、渡唐の志を立てて都を出て、須磨の浦で風景をめでる汐汲みの老夫婦に出会い宿を乞います。塩屋に案内した老夫婦は高名な師長の琵琶を所望します。師長が一曲を弾じ始めると、俄に時雨が降って軒の板屋を叩きます。老人は立って苫を取り出して屋根を葺くので、師長が不審がると、こうして琵琶の音と雨の音を調和させたのだと説明します。
師長は唯人ならぬ老婦人に大いに感じ、且つ驚いて逆に演奏を頼むと、老翁は琵琶を、老媼は琴を弾じます。あまりの見事さに自分の未熟を悟り、渡唐をやめて密に都へ立ち帰ろうとしたところ、老夫婦はこれを引き留め、我らは村上天皇と梨壺女御だと明かして消え失せます。やがて村上天皇が現われ、下界の龍神を呼び寄せて海底に沈んでいた獅子丸という琵琶を取り寄せて秘曲をつくされ、師長にこの名器を与えて舞を舞うのでした。  
(「宝生の能」平成12年8.9月号より)

●宝生流謡本    外十二巻の五   四五番目(太鼓あり)
     季節=秋   場所=摂津国須磨
     素謡(宝生)  稽古順=初序  素謡時間約=45分
     素謡座席順  ツレ=老媼
              シテ=前・老翁 後・村上天皇
              ワキ=師長の従者   
              ツレ=藤原師長

●藤原 師長      (ふじわら の もろなが) 保延4年(1138)〜建久3年7月19日(1192/.8./28)
平安時代末期の公卿。保元の乱の首謀者として有名な左大臣・藤原頼長の次男。従一位、太政大臣。「妙音院」と号した。当時の執政である頼長の息子であったことに加えて祖父・忠実の猶子となったことで、次男でありながら早くから伊予権守、右近衛中将などを歴任する。1151年には14歳の若さで参議となった。1154年には権中納言となる。しかし1156年、父の頼長が崇徳上皇と手を結んで保元の乱を起こしたため、その連座として師長は官職を剥奪されて土佐国(一説には同国幡多郡)に流罪に処された。流される直前、養父にあたる祖父・忠実に出家を打ち明けた際に「世の中何が起こるか分からない」と説得されて翻意されたと言う。 1164年、罪を許されて官職に復帰も許されて京都に戻る。その後は後白河法皇の側近として活躍し、1166年権大納言、1175年内大臣を経て、1177年には左右大臣を飛び越えて従一位太政大臣に昇進する。 だが、近衛基通との確執が表面化すると次第に基通を支援する平家との衝突を招き、1179年11月に平清盛のクーデター(治承三年の政変)が起こると、清盛によって師長は関白松殿基房とともに解官された上、尾張国に流罪に処された。その後、師長は出家して理覚と号する。3年後に帰京を許されて建久3年7月19日に55歳で薨去した。 政治家としての業績には乏しいが、父親譲りの学識を持ち(父の在世中に陣定の場で当代随一の碩学と称された父と論争してやり込めたという)、雅楽の歴史においては源博雅と並ぶ平安時代を代表する音楽家として名を残している。特に筝や琵琶の名手として知られ、更に神楽・声明・朗詠・今様・催馬楽など当時の音楽のあらゆる分野に精通していたと言われている。『千載和歌集』には、19歳の若さで土佐に流される折に彼の筝を慕って家人になった源惟盛との別れの歌が載せられている他、若い頃に密かに南宋に渡って音楽を学ぼうと志して家を出た師長が須磨の地で村上天皇の霊に押し止められ、代わりに琵琶に秘伝を教えられたという伝説も残されている。 音楽関係の著作に『仁智要録』・『三五要録』などがある。なお、「妙音院」とは彼が音楽家の守り神と考えられていた妙音菩薩(弁才天)を篤く信仰していたからであると言われている。
 師長の死により頼長の系統は絶えた。
                
(出典: フリー百科事典)

●村上天皇  
  62代天皇在位期間:22年2ケ月  天慶9年(946)5月31日 〜康保4年(967)7月5日
  在位中の時代   平安時代 在位中の年号  天慶・天暦・天徳・応和・康保
  在位中の首都   平安京   諱 成明         出 生  延長4年(926)7月14日
  死没  康保4年(967) 7月5日 享年42歳  陵 墓  村上陵 京都市右京区鳴滝宇多野谷
  父 親 醍醐天皇  母 親 藤原穏子  皇子女  63代冷泉天皇 64代円融天皇 他多数
  中宮 藤原安子  女御 徽子女王 荘子女王 藤原述子 藤原芳子  更衣 源計子 他多数
天慶7年(944年)4月22日に皇太子となり、同9年4月13日に朱雀天皇の譲位により践祚、同月28日に即位。 先代に続いて天皇の外舅藤原忠平が関白を務めたが、天暦3年(949年)に忠平が亡くなるとそれ以降摂関を置かず、延喜時代とともに天皇親政の典範とされた。しかし実際には政治の実権は依然摂関家の藤原実頼・師輔兄弟にあり、更に母の穏子や兄の朱雀法皇も後見を名目に政治に関与しようとしたため、親政は表象にすぎなかった。 平将門・藤原純友の起こした承平・天慶の乱(935年 - 940年)の後、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努め物価を安定させた。 文治面では、天暦5年(951年)に『後撰集』の編纂を下命したり、天徳4年(960年)3月に内裏歌合を催行したりするなど、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえよう。 天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。しかしその反面、この時代に外戚政治の土台が一段と固められ、吏治にも公正さが失われる一方、天徳4年の内裏焼亡をはじめとする数々の災難があった。 康保4年(967年)5月25日、在位のまま42歳で崩御。天皇号を持つ天皇は、村上天皇以後、江戸期の光格天皇まで900年近くの間なかった。 また、皇子具平親王の末裔は「村上源氏」として、以後の宮廷政治において大きな影響力を与えるようになる。

●琵 琶
五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」(正倉院宝物)琵琶(びわ、ビバ、ピーパー)は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。朝鮮半島にも伝えられ、郷琵琶(五絃琵琶)と唐琵琶(四絃)で分けられて宮廷楽士の基本楽器になって李氏朝鮮の末期まで用いられた。(1930年代にも演奏)ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、琵琶と書いて「ティパ」と発音する。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。 四弦系(曲頚)琵琶は、西アジアのウード、ヨーロッパのリュートと共通の起源を持ち、形もよく似ている。すなわち卵を縦に半分に割ったような形の共鳴胴に棹を付け、糸倉(ヘッド)がほぼ直角に後ろに曲がった形である。五弦系(直頚)琵琶はインド起源とされ、糸倉は曲がらず真っすぐに伸びている。正倉院に唯一の現物である「螺鈿紫檀五絃琵琶」(らでんしたんごげんのびわ、図参照)が保存されている。
日本の琵琶は琵琶(ビバ)が7、8世紀頃、中国から日本に入った。正倉院の宝物として伝来当時の琵琶が遺されている。半開の扇もしくはイチョウの葉の形に似た撥で弦(絃)を弾奏するのが特徴。 五弦琵琶、楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、唐琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などの種類がある。それぞれの楽器は特有の音楽を持ち、その世界の中では単に「琵琶」と称される。またこれら異種の琵琶同士が合奏されることはまずない。また、琵琶を主体とした音楽を「琵琶楽」と総称する。
現代の琵琶は古典的な楽曲だけではなく、独奏、合奏ともに様々な作曲が試みられている。古典のスタイルにのっとった新作もあるが、特に打楽器的効果の強い薩摩琵琶は、しばしば現代音楽にも用いられる。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」、「エクリプス」などが有名。

(平成21年2月6日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


             絃 上  (げんじょう)

         季 秋      所 摂津国須磨     素謡時間 43分
  【分類】四・五二番目物 
  【作者】金剛彌五郎   典拠:平家物語
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:村上天皇 ツレ:老媼 ツレ:藤原師長 ワキ:師長の従者

         詞章                  (胡山文庫)
    次第
ワキ     上 八重の潮路を行く舟の。/\唐土{もろこし} は何くなるらん。
師長    詞「そも/\これは太 政大臣師長とは我が事なり。
ワキ     詞「偖もこの君と申すは。天下に隠れなき琵琶の御上手にて御座候ふが。
         入唐の御望ましますにより。此度思し召し立ち候。
         道すがら名所の月をも御覧ぜん為に。唯今津の国須磨の浦に御下向にて候。
師長  サシ上 われはさて いつの夕を都の空。まだ夜深きに旅立ちて。
ワキ    上 末に見えたる山崎も。過ぐれば跡にはやなりて。
ワキ    上 波越す袖の湊川。/\。まだ知らぬ方にも我は生田の漏り来る月は木の間にて。
         心尽しの旅の道。され どもこれは唐土の。門出と思へば勇ある。
         高麗{こま}の林をよそに見て。須磨の浦にも着きにけり/\。
シテツレ二人上 持ちかかぬる。汐汲む桶の苦しきに。 また力づく老の杖。
ツレ二ノ句 上 拙き業を須磨の浦。
    二人上 眺に憂きや忘るらん。
シテ サシ上 面白やうらに入日は海上に浮み。塩焼く海士のたぐいまでも。さも面白う候なり。
ツレ    上 南を遥に眺むれば。雲に続ける紀の路の小島。
シテ    詞「由良の戸渡る早船も。汐追風の吹上や。
ツレ    上 遠浦ながら住吉の。 松こそ見ゆれ海越しに。
シテ    上 加島の磯や昆陽難波。
ツレ    上 名には絵島と云ひながら。
シテ    上 いかで筆にも及ぶべき。
シテツレ二人上 あら面白の。浦のていや。
地     下 げにや面白き。海土の磯屋とは淡路潟。あは沖舟の漕ぎ来るは。
         雨ごさめれいま一返も。汐汲めや人々。

   (小謡 そよや陸奧の ヨリ  汐汲まん マデ )

      上 そよや陸奧の。/\。千賀の塩竈は。名のみにて遠ければ。いかゞ運ばん伊勢島や。
         阿漕が浦の汐をば度重ねても汲み難し田子の浦の汐をばいざ下りたゝんわくらはに。
         訪ふ人あらば佗ぶ と答へて。此須磨の浦の汐汲まん。/\。
シテ    詞「塩屋に帰り休まうずるにて候。
ワキ    詞「塩屋の主の帰りて候。御宿を借らばやと存じ候。いかにこの塩屋の内へ案内申し候。
ツレ    詞「誰にて渡り候ぞ
ワキ    詞「旅の者にて候一夜のお宿を御貸し候へ
ツレ    詞「暫く御待ち候へ。主に其の由申し候べし。いかに申し候。旅人の御入り候が。
        一夜のお宿とおうせ候
シテ    詞「何旅人のお宿と候や
ツレ    詞「さん候
シテ    詞「余りに見苦しく候程に。異浦にてお宿召されよと申し候へ
ツレ    詞「主に其の由申して候へば。余りに見苦しく候程に。異浦にてお宿召されよと仰せ候
ワキ    詞「暫く。琴浦とは難波渡りにてこそ申すべけれ。これは須磨の浦にては候はぬか
シテ    詞「仰せむっともにて候。さらばお宿参らせ候ばし。さてこれはいかようなる御方にて御座候
ワキ    詞「いかに主。是に御座候ふは。天下に隠れましまさぬ琵琶の御上手にて候ふが。
         入唐の御為此浦に御下向にて候。この君一とせ雨の祈の御為に。
         神泉苑にて琵琶の秘曲を遊ばされしかば。
         龍神もめでけるにや。さしもの晴天俄に曇り。大雨降る事終日なり。
   カカル下 それよりしてこの君を。雨の大臣とは申すとかや。
シテツレ二人上 かほどいみじき御ことに。一夜の御宿を参らせて。秘曲をも聴聞申すならば。
         ためしなき思ひ出。
地     下 かの蝉丸は逢坂や藁屋にて琵琶を弾き給ふ。今この君は須磨の塩屋露もたまらじ軒の板間。
         逢ひ難き砌に逢ふぞ嬉しかりける。

   (小謡 里はなれ ヨリ  我も聴聞申さん マデ )

      上 里はなれ。須磨の家居の習とて。/\。 何事を松の柱や竹あめる垣は一重にて。
         風もたまらじ痛はしや海は少し遠けれども。波たゞこゝもとに聞えきていつのまに。
         夢をも御覧候ふべき。よし/\それも御琵琶を。寝られぬまゝに遊ばせや。
         われらも聴聞申すべし我も聴聞申さん。
ワキ    詞「いかに申し上げ候。夜もすがら御琵琶を遊ばされ候へ。

   (独吟 此須磨の巻 ヨリ  さわりなるらん マデ )

師長  サシ上 此須磨の巻の春 かとよ。源氏此浦に流され給ひ。初めて世の味の辛きを知るといへども。
         まだ汐じまぬ旅衣。泣くばかりなる涙の露の。玉の緒琴を弾き鳴し。
         恋ひ佗ぴて泣く音に紛ふ浦波は。思ふ方より。風や吹くらん。
地     上 それは浦波の音通ふらし琴の音の。/\。これは弾く琵琶の。をりからなれや村雨の。
         ふる屋の軒の板庇。目覚すほどの夜雨や。管絃のさわりなるらん。
シテ    詞「あらふしぎや。何とて御琵琶をば遊ばし止められて候ふぞ。
ワキ    詞「さん候村雨の降り候ふ程に。さて遊ばし止められて候。
シテ    詞「げに村雨の降り候ふぞや。いかに姥。苫取り出し候へ。
ツレ    詞「苫をば何しに召され候ぞ。
シテ    詞「苫にて板屋を葺きかくし。靜かに聴聞申さうず。
ツレ カカル上 いざいざさらば葺かんとて
シテ     上 祖父と姥は諸共に。
ツレ    上 苫取出し。
シテ    上 さつと葺き。
地     上 塩竈の名の。近々と寄り居つゝ耳をそばだて。聞き居たり。
ワキ     詞「如何に主。かほど漏らざる板屋の上を。何しに苫にて葺きてあるぞ。
シテ    詞「さん候唯今の雨の音は盤渉。御調子は黄鐘なれば。
       下 苫にて板屋を葺き隠し。今こそ一調子になりて候へ。

   (独吟・連吟 さればこそ ヨリ  弾いたり面白や マデ )

地     上 さればこそ始より。常人ならず思ひしに。心にくしや琵琶琴をいかでか弾かであるべき。
シテツレ二人上 処から江のほとり。岩越す波の弾きやせん琵琶琴の。思もよらぬ御諚なり。
地     上 思よらずも琴の音の。押してお琵琶を給はりて。
シテ    上 おほぢは琵琶を調ぶれば。
ツレ    上 姥は琴柱{ことぢ}を立て並べて。
地     上 撥音爪音。ばらりからり。からりばらりと感涙もこぼれえいじも躍るばかりなり。
         弾いたり/\面白や。
師長    下 師長思ふやう。
地     下 師長思ふやう。われ日の本にて。琵琶の奥義を極めつゝ。大国を窺はんと。
         思ひし事の浅ましさよや。まのあたりかかる堪能ありける事よ。
         所詮渡唐を止まらんと。忍びて塩屋を出で給へば。
         それをも知らで。琵琶琴の心一つのたしなみにて。越天楽の唱歌の声。
シテ    上 梅が枝{えだ}にこそ
地     上 鴬は巣をくへ。
       下 風吹かばいかにせん花に宿る鴬。宿人{やどりうど}の帰るをも知らで弾いたり琵琶琴。
ツレ    詞「なう旅人の御立ち候。
シテ    詞「何旅人の御立ち候ふとや。何とて留め申さぬぞと。
シテツレ二人上 おほぢと姥は走りより。
地     上 琵琶琴よりも御袖を唯引けや/\横雲の。 夜はまだ深し浦の名のあかしてお立ち候へ。
師長 ロンギ上 何しに留め給ふらん。まづ此度は帰洛して。重ねて尋ね申すべし。御名を名のり給へや。

   (囃子 今は何をか ヨリ  ありがたき マデ )

シテツレ二人上 今は何をか包むべき。我絃上の主たりし。村上の天皇梨壷の女御夫婦なり。
地     上 御身の入唐止めん為。夢中にまみえ須磨の浦。故院の昔の夢の告。
         思ひ出でよ人々とて掻き消すやうに失せにけり掻き消すやうに失せにけり。
                    来序中入
後シテ 出端上 抑これは。延喜聖代の御譲。村上の天皇とは我が事なり。
師長    上 その聖代の御宇かとよ。唐土より三面の琵琶を渡さるゝ。
シテ    上 絃上青山獅子丸これなり。
師長    上 青山は仁和時お宝の御譲りとして。守覚法親王の御相伝
シテ    上 獅子丸は龍宮にとどまり下界にあり。
師長    上 絃上青山かくの如く。又伝へ聞く琵琶の音の。獅子丸さこそとゆかしきぞや

   (囃子 いで取りいだし ヨリ  ありがたき マデ )

シテ    上 いで取りいだし弾かせんと。漫々とある海上に向ひ。
地     上 jかに下界の龍神たしかに聞け。獅子丸持参。仕れ。
地     上 獅子丸浮ぶと見えしかば。/\。
         八大龍馬を引き連れ引き連れかの御琵琶を授け給へば。師長賜はり弾きならし。
         八大龍王も絃管の役々或は波の鼓を打てば。或は琵琶の名にし負ふ。
         獅子団乱旋{ししとらでん}に村上の天皇も奏で給ふ面白かりける秘曲 かな。

   (仕舞 獅子には ヨリ  ありがたき マデ )
    早舞
シテ    下 獅子には文殊や召さるらん。
地      下 獅子には文殊や召さるらん。帝は飛行の車に 乗じ。
         八大龍馬に引かれ給へば師長も飛馬に鞭を打ち。馬上に琵琶を携へて。
         /\。須磨の帰洛ぞ。ありがたき。


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