雨 月(うげつ)

●あらすじ
嵯峨の奥に住む西行法師が住吉明神に参詣し、とある家に宿を求めます。するとその家の老夫婦は、翁は秋の村時雨が好きで雨音を聞きたいので屋根を葺こうといい、姥は洩れ来る月影が見たいので屋根は葺くまいと言い争っています。翁は「賤が軒端を葺きぞ煩ふ」とふと洩らした自分の言葉がそのまま歌の下句になったので、西行にこの歌の上句を求めます。西行は「月は漏れ雨はたまれととにかくに」詠んで歌を継いだので、老夫婦は深く感に打たれ喜んで法師に宿を貸し、歌物語などして眠ります。夜更けて老人夫婦は姿を消しますが、しばらくして夢うつつの西行の元へ住吉明神が現れます。やがて神官の老人に住吉明神がのり移り、祝詞を上げ歌道の徳を賞して舞を舞います。神託を仰ぎ奉るがよいと言って住吉の神が上がり給うと、神官も元の人となって自分の家へと帰って行きます。                 
 (「宝生の能」平成12 年10月号より)

●宝生流謡本(参考)   外十二巻の三  四番目・略脇能  (太鼓あり)
      季節=秋   場所=摂津国住吉
      素謡(宝生)  稽古順=中序  素謡時間45分 
       素謡座席順  ツレ=老媼
               シテ=前・老翁 後・住吉明神
                ワキ=西行法師

●謡蹟めぐり 住吉の里
本曲のワキは西行法師で宿願の仔細あって住吉明神に参詣することとなっているが、本曲の舞台は住吉神社ではないようだ。しかし場所を特定することが困難なので、往時の面影を残すと思われる住吉神社境内をみる。
住吉大社 住所: 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89 住吉大社総務部庶務課 06-6672-0753
アクセス: 阪堺電気軌道阪堺線「住吉駅」または「住吉鳥居前駅」からすぐ。
南海本線「住吉大社駅」から徒歩3分。
正月には多くの初詣で賑わう古社。航海の神様を祀る4棟の本殿は、住吉造といわれる国宝である。神輿洗神事・夏越祓神事・神輿渡御の「夏祭り」、重要無形民俗文化財に指定されている「御田植神事」などの行事が有名。大海神社、石舞台、楽所の重要文化財など歴史的建造物が散在している。奥には“初辰さん”と呼ばれる商売繁盛の神社があり、商売発達を願う「初辰まいり」は、早朝から大勢の参拝客で賑わう。

●住吉神と神功皇后
住吉大社の歴史は、仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む尾張氏の一族である土地の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。その後、神功皇后も祭られる。応神天皇の頃からの大社の歴代宮司の津守氏は、田裳見宿禰の子の津守豊吾団(つもりのとよあだ、つもりのとよのごだん)を祖とする。

●『源氏物語』の舞台
社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。
●武家源氏と元寇の浜祈祷
清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。宮司の津守氏は神官であると共に一族は武士も輩出しており、源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が1195年(建久6年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。
 元寇の際は、社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われた。鎌倉時代末期には幕府の公認で住吉社造営費用獲得のため、元へ交易船が派遣された(寺社造営料唐船)が、帰国時には幕府は滅亡しており、後醍醐天皇の綸旨をもって住吉社造営費にあてられている。

●「雨月物語」
「雨月物語」とは江戸時代、上田秋成という人物によって書かれた怪異小説集です。明和五年(1768)には完成していたと言われており、その後幾度か推敲が重ねられ、安永五年(1776)に刊行されました。その書名の由来は、序文にもある「雨霽月朦朧之夜」に由来します。

●作者・上田秋成について
上田秋成は江戸時代 享保9年(1734年)私生児として大阪に生れました。五歳の時天然痘に罹り、幸い命を取りとめたものの指が不自由になってしまいます。「雨月物語」で使用されている秋成の号「剪枝畸人」の「剪枝」とは、枝を切るという意味であり、自分の不自由な指を自嘲的に喩えたものだと言われています。其の外の号としては、余斎、鶉居、無鳥、魚焉など。秋成の逸話としては、下戸だったために煎茶を好んで飲んだ、医者をやっていた、あの本居宣長と激論を交わしたなど、面白い話が数多くあります。あの『雨月物語』の作者が医師だったなんて、なかなか意外なことです。晩年、秋成は失明してしまいました。彼の著作「春雨物語」所収の「目ひとつの神」に登場する、一つ目の神のモデルは、失明した彼自身であるとも言われています。剪枝畸人のペンネーム、自画像、作品など、秋成の自嘲癖を示すものは数多く残っています。
また私生活に於いても多くの天才の例に漏れず、寂しいものであったと言われています。古典の研究に力を入れていたようですが、とりわけ万葉集の研究に没頭していたようです。


             西行法師関係 4曲
                                         
小原隆夫調べ
 コード    曲 目     概          説          場所  謡稽古 季節 謡時間
内05巻5 遊 行 柳  柳ノ精遊行上人ニ西行法師ノ歌語ル     栃木  初奥   秋   60分
内10巻4 西 行 桜  老木ノ花の精ト春夜千金ノ舞ヲ楽ム       京都  中序   春   47分
内14巻3 江  口  天王寺ニ参ル僧ト江口ノ君幽霊愛執ノ迷   兵庫  中奥   秋   60分
外12巻3 雨  月  歌聖西行法師住吉明神デ和歌ノ徳ヲタタエル 兵庫  中序   秋   45分

                           
 (平成22年10月10日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                    雨 月

         雨 月(うげつ)  (太鼓あり)
         季 秋      所 摂津国住吉     素謡時間 45分
  【分類】四番目 略脇能            
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:住吉明神 ワキ:西行法師 ツレ:老嫗

         詞 章                     (胡山文庫)

ワキ 次第上 心を誘ふ雲水の。/\。ゆくへやいづくなるらん。
       詞 「これは嵯峨の奥に住まひする西行法師にて侯。
         われ宿願の子細あるにより。唯今住吉の明紳に参詣仕り候。
    道行上 住み馴れし。嵯峨野の奥を立出でて。/\。西より西の秋の空。
         月をゆくへのしるべにて。難波の御津の浦伝ひ。
         入りぬる磯を過ぎゆけば。はや住の江に着きにけり。/\。
      詞 「急ぎ候ふ程に。これははや住吉に着きて候。
         われ此処に来りこゝかしこをさすらひありき候ふ程に。
         早日の暮れて侯。又あれを見れば釣殿の辺と思しくて。 
         火の光の見えて候ふ程に。立ちより宿を借らばやと思ひ侯。
シテ    上 風枯木を吹けば晴天の雨。月平沙を照らせば夏の夜の霜。
         それさへあるに秋の空。余りに堪へぬ半の月。あら面白のをりからやな。
ワキ    詞 「いかにこの家の内へ案内申し候。
シテ    詞 「誰にて渡り侯ふぞ。
ワキ    詞 「行き暮れたる修行者にて候。一夜の宿を御貸し候へ。
シテ    詞 「余りに見苦しき柴の庵にて候ふ程に。御宿は適ひ候ふまじ。
         今少しさきへ御通り侯へ。
ツレ カカル上 なう/\これは世を捨人。痛はしければ入らせ給へ。
シテツレ二人上 さりながら秋にもなれば夫婦のもの。月をも思ひ雨をも待つ。
         心々に葺き葺かで。住める軒端の草の庵。いづくによりて留まり給ふベき。
ワキ    詞 「偖は雨月の二つを争ふ心なるペし。月はいづれぞ雨はいかに。
ツレ     上 姥はもとより月に愛でて。板間も惜しと軒を葺かず。
シテ    上 おほぢは秋の村時雨。木の葉を誘ふ嵐までも。音づれよとて軒端葺く。
ツレ     上 かしこは月影。
シテ    上 ここは村雨。
ツレ    上 定なき身の住居までも。
シテ    上 賎が軒端を葺きぞわづらふ。/\。
      詞 「面白やすなはち歌の下の句なり。此上の句をつがせ給はゞ。
         お宿は惜み申すまじ。
ワキ カカル上 嫗もとよりわれも和歌の心。其理を思ひ出づる。
         月は洩れ雨は溜れととにかくに。
シテ    下 賎が軒端を葺きぞわづらふ。
シテツレワキ上 月は漏れ雨は溜れととにかくに。賎が軒端を葺きぞわづらふ。
シテ    下 面白の言の葉や。
地     下 げに理も深き夜の。月をも思ひ雨をさへ。厭はぬ人ならば。
         こなたへ入らせ給へや。
       上 をりしも秋なかば。/\。三五夜中の新月の。
         二千里の外までも。心知らるゝ秋の空。雨は叉瀟灑の。夜の衷ぞ思はるゝ。
ツレ カカル上 なう村雨の聞え候。
シテ    詞 「げに村雨の開ゆるぞや。遠里小野の嵐やらん。
ツレ カカル上 よく/\聞けば時雨ならで。更け行くまゝに秋風の。
シテ    上 軒端の松に。
シテツレ  上 吹き来るぞや。
地     上 雨にてはなかりけり。小夜の嵐の吹き落ちて。中々空は住吉の。
         処からなる月をも見。雨をも聞けと吹く。閨の軒端の松の風。
         こゝは住吉の。岸打つ浪も程近し。仮寝の夢もいかならん。
         よしとても放枕さらでも夢はよもあらじ。いざ/\砧擣たうよ。
         浮世の業を賎の女は。風寒しとて衣打つ。身の為はさもあらで。
         秋の恨の小夜衣。月見がてらに擣たうよ。
シテ    上 時雨せぬ夜も時雨する。
地     上 木の葉の雨の音信に。老の涙もいと深き心を染めて色々の。
         木の葉衣の袖の上。露をも宿す月影に。重ねて落つるもみぢ葉の。
         色にも交じるちりひぢの。積る木の葉をかき集め雨の名残と思はん。
シテ    詞「はや夜も更けたり旅人も御休み候へ。
   カカル下 こゝはもとより処から。年も津守の小尉なればわれも。
地     下 老衰の眠深き夢に帰るいにしへを。松が根枕して共にいざやまどろまん。
                中入。
後シテ 出端上 あら面白の詠吟やな。陰陽二つの道を守る。其句を分つて五体とす。
   木火土金水なり。上下は則ち天地人の三才はこれ詠吟なるべし。
         われをば誰とか思ふ。忝くも西の海。檍が原の波間より。
地     上 現れ出でし。住吉の。
シテ    下 神託まさに。疑はざれ。抑この神の。因位を尋ね奉るに。
         昔は兜率の内院にして。高貴徳王菩薩と号し。今は又玉垣の。
         うちの国に跡を垂れ。和歌を守りて住の江や。松林の下に住んで。
         久しく風霜を送る。ここに和歌の人稀なる所に。西行法師歩を運び給ひ。
         心を述ぶる和歌の友とて。神明納受垂れ給ふ。
         これによつて神慮の程を和らしめんと。きねが頭に乗りうつる。謹上。
                真ノ序ノ舞。  
地     上 再拝。ありがたの影向や。/\。返す心も住吉の。岸うつ波も松風も。
         颯々の鈴の声。丁々の鼓の音。和歌の詠吟舞の袂も同じく心詞にあらはるゝ。
         其風等しかりけり。これまでなりや今ははや。疑はで神託を。
         仰ぐべしと木綿しでの神は。上らせ拾ひければ。
         もとの官人となりて。本宅に帰りけりやもとの方に帰りけり。


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