調伏曾我 (ちょうふくそが)

●あらすじ
「調伏曾我」は、幼い箱王が父の敵工藤祐経を討つ意志を持っており、そのことを知った別当が、不動明王に怨敵調伏の祈願をこめ、その功力で箱王はついには本意を遂げるという内容の能。 .

●宝生流謡本 
     外十一巻の五    二番目物・四番目物  (太鼓なし)
    素謡:38分     稽古順=入門  
    季節=夏      場所:伊豆国曽我
    素謡座席順    シテ=十郎祐成
               ツレ=五郎時致・
               ツレ=母・
               ツレ=母の従者の三人 

    現行上演流派  観世・宝生・金春・金剛・喜多      

●粟谷能の会      
喜多流能楽師  粟谷明雄
 能の世界で曽我兄弟を扱ったものは、『調伏曽我』『禅師曽我』『小袖曽我』『夜討曽我』の4曲です。曽我物は主人公の兄弟の年齢から、青少年の演じる番組に選曲されやすいですが、『調伏曽我』だけは大人が演じなければいけない曲です。『調伏曽我』は観世流以外の四流にあり、シテは曽我兄弟ではなく、前シテが兄弟の敵の工藤祐経の役、後シテは箱根権現の不動明王と役柄も大きく変わり、曽我兄弟は弟の箱王(または筥王、はこおう)が子方として重要な大役で登場します。 私は残念ながら曽我物のシテは未だ演じていません。『調伏曽我』は子方と立衆、『小袖曽我』はツレの時致、『夜討曽我』では団三郎と鬼王といずれもツレとしての経験だけです。『禅師曽我』は特に稀曲なので、私の記憶にあるのは二度の上演だけで、なかなか観る機会が少ない曲です。『調伏曽我』は人数物で演者が大勢なので装束も多く、用意が大変です。『調伏曽我』の地謡は特に後場の護摩の壇上での祈祷から不動明王の出現、五大明王の紹介と、最後に不動自身が形代(かたしろ)を刺し通し、箱王が本懐を遂げられることを暗示して消えるまで、まさに直球の、力そのものの謡で世界を創ります。流儀では特に強く、どっしりと重量感をもって謡うことが教えで、大きな力強い声量も必須とされます。父は「へとへとになるくらい強く謡わなくては『調伏曽我」にはならない」と言います。 喜多流には珍しい巻き毛の赤頭があります。『石橋』の一人獅子と『調伏曽我』の二曲のみに使用が許されるもので、その豪快な異形には驚かされます。 先日の「二人の会」(平成16年 シテ塩津哲生)で、喜多流として久しぶりに『調伏曽我』がとりあげられ、巻き毛赤頭の不動明王の勇姿が舞台に出現しました。こういう曲がもっと演じられてもいいのではと思います。後シテの装束を着けながら、赤頭に白蓮をつけることが気になりました。我が家の伝書にも、面は不動、赤頭に白蓮と書かれていますので、誤りではないのですが、白い花弁があまりに華麗で大きく、どうも不動の忿怒の形相としっくりとこない、私が思い浮かべる不動の姿には白蓮がないのです。不動明王は密教において大日如来が衆生の教化のために忿怒身に姿を変えられたもので、大日経では「慧刀(えとう)羂索(けんさく)を持ち、頂髪は左肩に垂れ、一目にして諦観し、威怒にして身に猛火あり。安住して盤石にあり。面門には水波の相があり、充満せる童子の姿なり。」と説かれています。(学習研究社「仏尊の事典」より)「大日経疏(だいにちしょ)」では頭頂に「莎髻(しゃけい)」(髪を束ねた鬟ミズラの形)を表すことが規定され、これに遅れて漢訳された、「摂無礙経(しょうむげきょう)」では「八葉蓮華」を頂くものも現れました。これによって不動明王の頭上には莎髻派と八葉蓮華派の二体の造像のスタイルが出来てしまいました。
ですから白蓮を頂く演出には問題がない確証がとれました。10世紀天台系の安然上人は不動明王の形を容易にイメージできるようにと「不動十九観」という十九の特徴を決め、以後これに基づき不動の面貌はそれ以前の両眼を大きく見開くものから、左目をやや細め、右目を見開いて天と地を睨む「天地眼」の表情になりました。 蛇足ですが、謡の稽古で、「ナーマクサンマンダ、バサラダー、センダマカロシャナー、ソワタヤウンタラ、タカンマーン」と謡うときまって笑われます。
 (中略)
●<曽我兄弟の仇討ち>頼朝が、富士のすそ野で巻き狩り中祐経暗殺。
 総領工藤祐経は、平治ニ年(1160)、祐経の家督相続を定めた先祖の遺言を覆した従兄弟の祐親の裏切りにあって、本領伊東荘を押領され、その上、承安三年(1173)祐親と結託した京の平家による六波羅裁判における和解の裁定にも期待は裏切られた。さらに、祐親には愛妻の万劫まで奪われ、揚句には伊豆からの仕送りの生活の糧も絶たれた。祐経はここに至って、非道の祐親に対して尋常な精神を保てるはずはなかった。 祐経は、世間から怨嗟の的になった平家政治とその先行きに失望していたので、密かに伊豆に下り旧臣を招いて事情を話した。そして、「異常な執着心を以って、宗家の遺言を勝手に悪用し本領伊東荘を押領。それのみか数々の強欲非道な振舞いは偲びがたく、この上は祐親を討ち取り無念を晴らしたい」と諮った。 安元ニ年(1176)10月、祐経の家臣、大見小藤太と八幡三郎兄弟は、大場平太影信が、頼朝の守護役・伊東祐親の館で三日三晩開催した、頼朝を囲む関東武士の宴会と狩の酒宴の帰り際、館を出てきたところで矢を放った。しかし、大見のその矢は祐親には当たらず、不運にも八幡の矢で祐親嫡子、河津三郎祐通が射落されて死んだ。この河津三郎こと伊東祐通こそ曽我兄弟の父であった。 伊東荘をめぐる祐経・ 祐親の従兄弟同志の宗家争いがもとで放たれた矢によって、不幸にも 祐親嫡子の祐通を死なせてしまったことが、曽我兄弟の父の仇討ちの直接原因となった。 誤って殺された河津三郎祐通には、三人の子があった。長子は女子で、長男は一萬丸五才(後の十郎祐成)、二男は筥王丸三才(後の五郎時致)で、再婚した母の夫、工藤・伊東一族の曽我祐信に養育され、兄一萬丸は十五歳で元服、弟筥王丸は13歳まで箱根の別当行実の弟子として育てられ、十七歳のとき北条時政が烏帽子親となって元服した。 兄弟は、頼朝のお気に入りの大名になった祐経に近づいて下調べをしたり、祐経の生命を狙おうとしたがうまく果たせなかった。 しかし、建久4年5月28日、頼朝が富士の裾野で諸将と数万人の兵を集めて催した巻狩り中の仮屋で、雨の闇夜の中を祐経の宿所に討ち入った。酒宴で前後不覚に寝込んでいた祐経は仇討ちとして暗殺された。兄の祐成は先に討ち取られたが、弟の時致は、祐経暗殺後に頼朝の宿所をも襲いその後数人に取り押さえられた。 頼朝は祐親孫の祐致を訊問しその心根と勇気に感銘し涙を流した。召抱えようとも考えたが、暗殺された祐経嫡男犬房丸九歳(伊東左衛門尉祐時)が仇として頻りに願い出たため祐時により富士野の松ヶ崎で首が落とされた。 

●曽我兄弟(そがきょうだい)        
[ 日本大百科全書(小学館)執筆者:黒川高明 ] .
鎌倉初期の武人。父の仇を討ったことで名高い兄弟。伊豆の豪族河津三郎祐泰の子。兄は十郎祐成(1172―93)、幼名一万。弟は五郎時致(1174―93)、幼名筥王。1176年(安元2)父祐泰が伊豆の奥狩場で工藤祐経に殺されたのち、母が曽我祐信に再嫁したので曽我氏を称した。鎌倉幕府を開いた源頼朝の寵により勢いを得ていた祐経は、曽我兄弟を殺そうと謀ったが、畠山重忠・和田義盛らによって救われた。筥王は一時、箱根別当行実の弟子となったが、1190年(建久1)北条時政によって元服した。成人した兄弟は祐経をねらったが、仇討の機会がなかった。93年5月、頼朝が催した富士野の巻狩りに、同行していた祐経の宿所をつきとめ、夜半風雨を冒して侵入し、祐経を殺して父の仇を討った。しかし兄祐成は宿衛の新田忠常に討たれ、翌日弟時致も捕らえられ殺された。


           宝生流の曽我物語関係謡曲    
                               
小原隆夫調べ
 コード   曲 目     概        要   場所  季節  謡時間
外02巻4 小袖曽我 兄弟母ノ勘当解け仇討行  伊豆   夏   38分
外04巻4 夜討曽我 仇討ちの家来の忠義     駿河   夏   40分
外11巻5 調伏曽我 曽我五郎仇討ちヲ祈る    箱根   不  26分
外16巻4 禅師曽我 曽我弟国上禅師ヲ召捕    新潟   夏   27分

(平成22年7月18日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


        調伏曾我 

        調伏曾我(ちようぶくそが)  外十一巻の五  (太鼓あり)
        季 不定      所 相模国箱根  素謡時間 26分
  【分類】切 能 (    )
  【作者】宮 増   典拠:曾我物語に拠るか?
  【登場人物】前シテ:工藤祐経、後シテ:不動明王 ワキ:箱根権現の別当 
           ツレ:源 頼朝   子方:箱王  ワキズレ:住僧

        詞 章                    (胡山文庫)
  次第  
シテツ立衆上 海山かけて行く雲の/\箱根の寺に参らん。
ツレ     詞「抑も是は兵衛の佐頼朝とは我が事なり。
シテ立衆 上 それ治まれる御代のしるし。盗難に雲治まつて西北に風静かなり。
ツレ    上 殊更当時一統の。道も直なる文武の二つ。
シテ立衆 上 いづれもかなふ時代とて。
ツレ    上 国見も是かさがみや。
シテ立衆 上 箱根詣での御為に。
ツレ    上 明くるを待つや星月夜。

  ( 小謡 鎌倉山を ヨリ  着きにけり マデ )

シテツレ立衆上 鎌倉山を朝立ちて。
ツレ立衆   上 鎌倉山を朝立ちて。
シテツレ立衆上 まだ有明の影残る。雲こそ匂え朝日影西に向ひて行く雲の。
          富士の高嶺の程を知る。足柄山を分け過ぎて。梢に波を湖や。
          鎌倉山にも着きにけり/\。
シテ     詞「軈て御社参あろうずるにて候。
ワキ  サシ上 この程の日数待たれて今日既に。鎌倉殿の御参詣。是を物見と此の寺の。
        老若の衆徒児童。数を尽くして我も/\と。皆面々に誘へば。
子方    下 人並々に箱王も。かたへの児に誘われて。講堂の庭に立ち出づる。
       詞「いかに申すべき事の候。
ワキ     詞「何事にて候ぞ。
子方    詞「鎌倉殿の御参詣。たまさかの御事にて候。
         御供の人々の名を知らず候。教えて賜り候へ。
ワキ     詞「易き間に事御尋ね候へ教え申そう。
子方    詞「まづ一番に風折めされ。念誦気高く見え給うは。鎌倉殿にて御座候か。
ワキ     詞「あれこそ鎌倉殿候よ。なんぼういみじき御威光にて候ぞ。
子方    詞「偖御供の人々の。二行に列座せられたり。まづ左の座上をば誰と申し候ぞ。
ワキ     詞「あれは鎌倉殿の御舅北条殿候よ。
子方 カカル上 左巴は。
ワキ    詞「宇都乃宮の弥三郎。
子方 カカル上 右巴は。
ワキ    詞「小山の判官。
子方 カカル上 松皮は。  
ワキ    上 小笠原。
子方    上 偖また中座の一番は。
ワキ    詞「所司の別当梶原父子。
子方 カカル上 香の直垂二人は誰そ。
ワキ    詞「一人の大男は和田の左衛門。今一人は秩父の庄司重忠。
子方    詞「偖その次につき出したる扇使い。 
ワキ    詞「今此方を見候や。
子方    詞「あれをば誰とか申し候ぞ。 
ワキ    詞「あれこそ工藤一掾B
子方    詞「祐経候か。
ワキ    詞「暫く。かやうの所に久しくは御座なきものにて候。此方へ御入り候へ。
シテ    詞「さら珍しや箱王殿。御身の父河津殿は。赤沢山の狩くらにて。
         峰越の矢にあたりて空しくなり給いたるを。某が仕業とばつと風聞つかまり候。
         弓矢八幡箱根権現も照覧あれ。某は存ぜず候。
子方    詞「偖自が敵をば誰とか申し候ぞ。
シテ    詞「いや敵とは夏引きの糸。筋泣き人乃言い事を。かまひて用い給ふなよ。
子方 カカル上 用いはせずと世語りの。天に口なし人乃言い事。
シテ    詞「それをも承引し給うなと。
子方 カカル上 彼の古武者の祐経に。
シテ    詞「泣いつ笑いつ賺されて。
子方    上 さばかり猛き。
シテ    上 箱王も。
地     上 幼き身の悲しさは。真しやかに言いなされて。心も弱々と。
         あきれはてたる気色かな。

  ( 小謡 さて頼朝は ヨリ  事はなし マデ )

地     上 さて頼朝は御座を立ち。/\。早御下向ありしかば御供の侍面々に。
        門前さして出でければ。
子方    上 箱王は唯一人。 
地      上 講堂の庭にたたずみて。敵の跡を見送りて泣くより外の事はなし/\。
                中入り
子方    詞「よくよく物を案ずるに。げに我ながらおくれたり。今此の時乃折を得て。
         祐経が手にかからんと。
   カカル上 同宿の太刀を盗みとり。
地     上 敵の跡を慕いつつ。駒の蹄にかからんと。門前さして追うて行く/\。
ワキ    詞「言語道断。かかる聊爾なる御事にて候。さようの御心中あるならば。
         敵の前の倒れなるべし。
       上 唯まづ帰り給えとて。
地     上 手取り足取り誘い 別当の坊に。帰りけり/\。
                 シカシカ
後ワキ   上 抑も仏陀の御誓願。本より衆生の所願を満てて。
ワキヅレ  上 是も年月思い深き。
ワキ     上 箱根の海の恨みをなす。
ワキヅレ  上 敵を亡びしたび給はば。
ワキ     上 悪魔降伏の御誓い。
ワキヅレ  上 悪しきを平げ善をを助くる。
ワキ    上 その御威光を頼まんと。
ワキヅレ  上 ここはの行者。
ワキ    上 十餘人。
地     上 護摩の壇上をかまへつつ。凡そ飛ぶ鳥をも。落とすばかりと面々に。
         刃の験徳を顕して。年頃頼みをかくる大聖不動明王の。
         火炎に愚弄がその身をこがし。五智の如来に五体を投げ。
         大威徳の乗り給ふ水牛の角に命をかけ。頭を傾け数珠をもみ。
         薬師の真言千手の陀羅尼。妙音声を高くあげ。
ワキ    上 東方。
                 出羽
後シテ 上 抑も是は。中央に立つて悪魔を降伏し衆生を守る。
         大聖不動明王。コンガラセイタカを始めとして。
地     上 五壇の上にあらはれ給えば。
シテ    上 護摩の煙。
地     上 不動の火炎。
シテ    下 光明赫ヤクとして。 
地     上 気色もあらたに五大尊の。四面乃仏前に現れ給いてかの形代を。
         調伏し給ふ。あら有難や恐ろしや。

  ( 独吟 山河草木 ヨリ  遂げにけれ マデ )

地     上 山河草木震動し。/\て。箱根の海山の。
         後法もおのづから実相の色を現し。自性の月乃。光をそへて。
         護摩の煙の上も隈なき。鈴の声耳に通じて。明々とすみやかなり。
シテ    下 東方の降三世明王は。
地     下 降三世明王は。青蓮のまなじりに。悪魔を降伏して。
         壇上をに翔り給えば。南方の軍ダリ夜叉は。
         火炎の炎を吹きかけ給えば大威徳は水牛の。角振り立てて現れ給えば。
         北方の金剛夜叉は。寒風の鉄雨をふらして大紅蓮の責をなせば。
         中央の大聖不動は索の縄にて祐経が。形代を巻き縛り護摩の壇に引き伏せて。
         利剣を振り上げ刺し通して。猶現証の奇特を弥山と。形代が首を切って。
         剣の先につなぬき給えば。身の毛もよだちて面々に。
         眼を驚かす有様なり。さてこそ終には箱王も。
         其の本望をば遂げにけれ。


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る