宝生流謡曲  巴

●あらすじ
木曽の僧が都に上る途上、琵琶湖のほとりの粟津が原というところに差し掛かります。そこで神前に参拝に来た女と出会いますが、女が涙を流しているので不審に思い、理由を尋ねます。女は古歌を引き、神前で涙を流すのは不思議なことではないと述べ、僧が木曽の出だと知るや、粟津が原の祭神は、木曽義仲(源義仲:1154?1184)であると教えて供養を勧めます。そして、自分が亡者であることを明かし、消えてしまいます。僧はお参りにきた近在の里の人(所の者)から、義仲と巴の物語を聞き出し、先の女の亡者が巴だと確信を深めます。
夜になり、僧が経を読み、亡くなった人の供養をしていると、先ほどの女が武者姿で現れます。女は巴の霊であることを知らせ、主君の義仲と最期を共に出来なかった恨みが執心に残っていると訴えます。そして義仲との合戦の日々や、義仲の最期と自らの身の振り方を克明に描き、執心を弔うよう僧に願って去って行くのでした。    

●宝生流謡本    外十一卷の二  二番目  (太鼓なし)
    季節=春    場所=近江国粟津ケ原(滋賀県)
    素謡(宝生) :  稽古順=入門   素謡時間40分 
    素謡座席順   シテ=前・里女 後・巴  
               ワキ=旅僧  

●解 説
能「巴」:巴御前と木曽義仲                    
 (壺齋閑話ヨリ)
能「巴」は巴御前と木曽義仲の悲しい死に別れを描いた作品である。分類上は修羅者に入れられるが、通常の修羅者とは趣を異にしている。修羅者では合戦に敗れて死んだ武将の幽霊が前段で登場し、ワキに読経して弔ってくれと言い残して消え去った後、後段では生前の姿で現れて華々しい戦の場面を再現する。しかしこの能の主人公は女であり、しかも闘いに死んだわけでもない。
主人公の巴は木曽義仲の愛妾として、義仲と最後まで行動をともにし、一緒に討ち死にしようとするところを、女だからという理由で、義仲から一人逃げ延びるように諭される。それでも立ち去りかねて、敵の武将と一戦を交えたりするが、最後には義仲の強い言葉に煽られて、ひとり逃げ延びる。能ではその巴が、義仲をおいてひとり逃げたことの無念さを、戦死の無念さに劣らぬものとして描いているのである。作者は不明であるが、平家物語第九巻「木曽最後」に題材をとっていると思われる。巴御前が歴史上の人物として登場するのは、平家物語のこの部分においてだけである。
全体の構成は複式夢幻能の体裁にしたがっている。前段では、ワキが義仲最後の地近江の粟津にさしかかったときに巴の幽霊が現れて、経を読誦して欲しいといって消え去り、後段では生前の女武者の姿で現れ、勇壮な戦いの舞と、義仲との悲しい別れのさまを演ずる。
前段では、巴は自分のことについては詳しく語らず、かわって間狂言が説明する。これもこの作品のユニークな部分である。「木曾の最期」を題材にした能として『巴』の他に『兼平』があるが、こちらは今井兼平をシテにしてこのシーンを描いたものである。

●観能記@
第6回 テアトル・ノウ公演記録       平成12年(2000年) 4月14日(金)・金剛能楽堂
能「巴」は木曽の山家の僧が粟津ヶ原に来かかったところへ、巴御前が巫女の姿で現れます。
すべて修羅能の主人公は幽霊であり、いちばん執心の残る場所に姿を現します。たとえば「屋島」ならば屋島の浦、「頼政」ならば宇治、平等院、「忠度」ならば須磨、一の谷です。その者の魂がそこに浮遊しているのだと思います。巴は主君であり最愛の人、木曽義仲の最期の地、粟津ヶ原に現れます。『女とてご最期に召し具せざりし』その執心ゆえ浮かばれないのです。
 今回の「巴」は、その浮かばれ ない執心ゆえの後場の巴の独白『執心残って今までも、君辺に 仕え申せども』のことば通り、 義仲も死に、巴も死んだ今もなお、巴の魂は巫女の姿で義仲を祀った社に仕えている。ラストシーンの義仲の形見の小袖をはおり、小太刀を持ち、木曽の里へ落ちて行く姿は当時流行の語り巫女にも見えると思います。時間という次元を越えて、よりいっそう巴の「ただ一人落ち行きしうしろめたさ」という女ゆえのやるせなさが漂う。

●観能記A  みどころ
戦場を駆ける女武者、というと何とも勇ましい女丈夫のイメージが浮かびます。けれど能のなかで巴は、主君の木曽義仲を一途に慕い、愛し、その真っ直ぐな思いをひたすらに訴える一人の女として描かれます。確かに戦場での鬼神のような強さ、逞しさも見せますが、かえってそれは、巴の深い思いを際立たせます。前半の静かな始まりと問答によるほのめかしから一転、後半は強吟、弱吟が交錯し、緩急、変化に富む素晴らしい謡が展開されます。そしてシテは決して派手に動かず、多少の立ち回りを除いては目立った舞いもなく、能らしく短く練られた所作を連ねます。そのすべてが、巴の哀しい運命と心情を切々と描き出して、彼女の色々の思いが、濃淡細かく観る者、聴く人の心に迫ります。不思議なことに、この「巴」という曲は、もちろん心に響く度合いに違いはありますが、練達者のレベルの高い舞台、修業途上の演者の若々しい演技、あるいは素人が懸命に謡う素謡や連吟と、いつどれを見聞きしても泣けます。まして謡を習い、自分で謡えるならば、巴の哀切に身を切られないことはないでしょう。それほどの力のある曲ですから、名手の上手な能に出会う機会があったら、本当に幸せなことです。  

●観能記B
<巴>                 石川県立能楽堂 催し物のご案内"冬の観能のタベから
 『平家物語』木曽最後の巴は言葉が少ないのです。「ああよい敵がほしい。最後の戦をお見せしよう」。それだけ言って、怪力で知られる御田(おんだ)の八郎の軍勢に駆け入り、御田の首をねじり切ったかと思うと、物の具を脱ぎ捨てて東国へ落ちました。落ちることを木曽から強く命じられての行動です。そのときの巴の気持ちを能の作者(不詳)が想像してみました。巴の霊を木曽最後の地、江州粟津が原に出没させ、去りがたい執心を描きます。そのためには「平家」にない脚色も交えます。最後まで木曽に付き添った今井四郎の役割(自害の勧めや死の確認)を巴に担わせ、また木曽の巴への思いやりを守り小袖を故郷へ届けようという命令の形に具体化しているところなどがそれです。巴が最後の戦をしている間に木曽は自害しました(「平家」では射られて首を落とされました)。死骸との別れを挿入して「うしろめたさの執心」を吐露させたり、物語の全てを巴に集中して語らせます。(金沢大学文学部教授 西村 聡)

●参 考  「ともえ」の概要
「ともえ(ともゑ)」の起りには、弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、もとは鞆絵である、というものや、虫などの古代中国の象形文字が元となった、勾玉を図案化したものであるなどの説がある。その後、水が渦を巻くさまとも解釈されるようになり、漢字の渦を巻く水という意味でもある巴の字が当てられた。これらのことから、平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに火災除けとして、巴紋を施した。後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになった。
ちなみに、ヨーロッパには、三つ巴に似た「トリスケル(triskele)」という文様があり、日本では三脚巴と訳されている。

(平成22年7月16日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


◎旅の僧が琵琶湖畔で、いわくありげな里の女にであい、その地が木曾義仲の終焉の地であることを知る前段、里の女が義仲の愛妾で家臣でもある巴御前の亡霊であるとわかる間狂言部分、巴の霊が義仲と最期をともにできなかった無念を語り、女武者としての奮闘を舞う後段からなる。

      巴           二番目(太鼓なし) 

        シテ 前・里女 後・巴          季 春
        ワキ 旅 僧                所 近江国粟津ケ原

次第
ワキ   「行けば深山{みやま}も麻裳{あさも}よい。行けば深山も麻裳よい。木曽路の旅に出でうよ。
ワキ詞  「これは木曽の山家{やまが} 
       より出でたる僧にて候。われ未だ都を見ず候ふ程に。此度思ひ立ち都に上り候。
   道行「旅衣。木曽の御坂{みさか}を遥々と。木曽の御坂を遥々と。
       思ひ立つ日も美濃尾張。定めぬ宿の暮ごとに。夜を重ねつゝ日を添へて。
       行けば程なく近江路や鳰{にほ}の海とは。これかとよ。鳰の海とは。これかとよ。

詞「急ぎ候ふ程に。江州粟津{あはづ}の原とやらんに着きて候。此所に暫く休らはばやと思ひ候。
そこへ里の女に扮したシテが登場する。僧たちは女が涙に暮れているのを見てそのわけを尋ねると、女は行教和尚の「何事のおはしますとは知らねども忝さに涙こぼるゝ」という歌を歌って返す。この歌は史実としては西行のものとされており、平家物語では触れていない。

シテ   「面白や鳰{にほ}の浦波静かなる。粟津の原の松蔭に。
       神を斎{いは}ふやまつりごと。げに神感も頼もしや。
シテ詞  「今日は粟津が原の御神事にて候程に。参らばやと思い候。
シテ   「あら有難や候。昔の事の思い出でられて候。
ワキ詞  「不思議やなこれなる女性の。神に参り涙を流し給ふは。
       何と申したる事にtr候ぞ。
シテ詞  「御僧はみづからが事を仰せ候ふか。
ワキ詞  「さん候神に参り涙を流し給ふ事を不審申して候。
シテ詞  「おろかと不審し給ふや。伝へ聞く行教和尚は。宇佐八幡に詣で給ひ一首の歌に曰く。
      「何事のおはしますとは知らねども。
シテ詞  「忝さに涙こぼるゝと。かやうに詠じ給ひしかば。神も哀とや思し召されけん。
       御衣の袂に御影{みかげ}をうつし。それより都男山に誓を示し給ひ。
      「国土安全を守り給ふ。愚かと不審し給ふぞや
ワキ   「やさしやな女性なれどもこの里の。都に近き住居とて。名にしおひたるやさしさよ。

女は僧たちが木曾のものだと知り、なつかしさの気持ちも加わって、木曽義仲のためにねんごろに読経するよう頼んで消えていく。

シテ詞  「さて/\御僧の住み給ふ。在所はいづくの国やらん。
ワキ詞  「これは信濃}の国木曽の山家の者にて候。
シテ詞  「木曽の山家の人ならば。粟津が原の神の御名を。問はずは如何で知り給ふべき。
       これこそ御身の住み給ふ。木曽義仲の御在所。同じく神と斎はれ給ふ。拝み給へや旅人よ。
ワキ   「不思議やさては義仲の。神とあらはれこの処に。ゐまし給ふは有難さよと。
シテ   「神前に向ひ
シテワキ 「手を合はせ。
地 上歌「古のこれこそ君よ名は今も。これこそ君よ名は今も。有明月の義仲の。
       仏と現じ神となり。世を守り給へる誓ぞ。有難かりける。旅人も一樹の蔭。他生の縁とおぼしめし。
       この松が根に旅居し夜もすがら経を読誦{どくじゆ}して。五衰{ごすゐ}を。慰め給ふべし。
       有難き値遇かなげに有難き値偶かな。さるほどに暮れて行く日も山の端に。入相の鐘の音の。
       浦回{うらわ}の波に響きつゝ。いづれも物凄き折節に。われも亡者も来りたり。その名をいづれとも。
       知らずはこの里人に。問はせ給へと夕暮の。草のはつかに入りにけり。草のはつかに入りにけり

(中入間)中入では狂言方が出てきて、この地における木曽義仲の最後の様子と、巴御前のことについて、詳しく物語る。
狂言方が去ると、ワキの待謡に誘われて、後シテが登場する。戦装束に鉢巻を結び、手には長刀を持っている。

ワキ待謡 「露をかたしく草枕。露をかたしく草枕。日も暮れ夜にもなりしかば。
       粟津が原のあはれ世の。亡影{なきかげ}いざや。弔{とぶら}はん。亡影いざや弔はん
後シテ  「落花空しきを知る。流水心無{こゝろな}うしておのづから。すめる心はたらちねの。
地     「罪も報も因果の苦しみ。今は浮まん御法{みのり}の功力に草木国土も成仏なれば。
       況や生ある直道{ぢきだう}の弔らひ。かれこれ何れも頼もしや。頼もしやあら有難や。

女は自分こそ女武者巴その人だと名乗り、長刀を振りかざすとともに、義仲と最後をともにできなかった無念さを語る。

ワキ   「不思議やな粟津が原の草枕を。見れば有りつる女性なるが。甲胄{かつちう}を帯する不思議さよ。
シテ詞  「なか/\に巴といひし女武者。女とて御最後に。召し具せざりしそのうらみ。
ワキ   「執心残つて今までも。
シテ   「君辺に仕へ申せども。
ワキ   「怨みは猶も。
シテ   「荒磯海の。
地    「粟津の汀にて。波の討死末までも。御供申すべかりしを。女とて御最後に。
      捨てられ参らせし恨めしや。身は恩のため。命{めい}は義による理{ことわり}。
      誰か白真弓取の身の。最後に臨んで功名を。惜まぬ者やある。

ここでシテは床机に腰掛けながら、時に長刀を振りかざすイグセを演ずる。

クセ   「さても義仲の。信濃を出でさせ給ひしは。五万余騎の御勢くつばみをならべ攻め上る。
      礪波山{となみやま}や倶利伽羅志保{くりからしほ}の合戦に於ても。
      分補功名{ぶんどりこうみやう}のその数。誰に面を越され誰に劣る振舞の。
      なき世語{よがたり}に。名ををし思ふ心かな。
シテ   「されども時刻の到来。
地    「運槻弓の引く方も。渚に寄する粟津野の。草の露霜と消え給ふ。
      所はこゝぞお僧達。同所の人なれば順縁{じゆえん}に弔はせ給へや。

つづくロンギでは、義仲の最後の様子が語られる。

ロンギ  「さて此原の合戦にて。討たれ給ひし義仲の。最後を語りおはしませ。
シテ   「頃は睦月つの空なれば。
地    「雪はむら消に残るをたゞかよひぢと汀をさして。駒をしるべに落ち給ふが。
      薄氷の深田に駆けこみ。弓手{ゆんで}も馬手{めて}も鐙は沈んでおりたゝん便りもなくて。
      手綱にすがつて鞭を打てども。引く方もなぎさの浜なり前後を忘{ほう}じて控へ給へり。
      こは如何に浅ましや。かゝりし所にみづから駆けよせて見奉れば。
      重手{おもで}はおひ給ひぬ乗替{のりかへ}に召させ参らせ。この松原に御供し。
      はや御自害候へ。巴も供と申せば。そのとき義仲の仰には。汝は女なり。
      しのぶ便もあるべし。これなる守小袖を。木曽に届けよこの旨を。
      背かば主従三世の契絶えはて。ながく不興とのたまへば。
      巴はともかくも。涙にむせぶばかりなり。

巴は義仲にいさめられながらも、すぐさまには立ち去りかねて、敵の武将と一線を交えようとする。この部分は平家物語の次の叙述をそのまま踏まえているとみられる。
 「ひやくきばかりがなかを、かけわりかけわりゆくほどに、主従ごきにぞなりにける。ごきがうちまでも、ともゑはうたれざりけり。木曽どのともゑをめして、「おのれはをんななれば、これよりとうとういづちへもおちゆけ。義仲はうちじにをせんずるなり。もしひとでにかからずは、じがいをせんずれば、義仲がさいごのいくさに、をんなをぐしたりなどいはれんこと、くちをしかるべし」とのたまへども、なほおちもゆかざりけるが、あまりにつよういはれたてまつて、「あつぱれよからうかたきのいでこよかし。木曽どのにさいごのいくさしてみせたてまつらん」とて、ひかへてかたきをまつところに、ここに武蔵のくにの住人、おんだのはちらうもろしげといふだいぢからのかうのもの、さんじつきばかりでいできたる。」
 能では、この部分が次のように展開していく。

地    「かくて御前を立ち上り。見れば敵の大勢あれは巴か女武者。
      余すな漏らすなと。敵手{かたきて}繁くかゝれば。今は引くとも遁るまじ。
      いで一軍{ひといくさ}嬉しやと。巴少しも騒がすわざと敵を近くなさんと。薙刀引きそばめ。
      少し怒るゝ気色なれば、敵は得たりと。切つてかゝれば。薙刀ぎ柄長くおつ取りのべて。
      四方を払ふ八方払。一所に当る木の葉返し。嵐も落つるや花の瀧波{たきなみ}枕をたゝんで戦ひければ。
      皆一方に。切り立てられて跡も遥{はるか}に見えざりけり。跡も遥{はるか}に見えざりけり。

いよいよ義仲最後というときに当って、巴は義仲から白衣を賜り、これを着て落ち延びろと命じられる。

シテ   「今はこれまでなりと。
地    「今はこれまでなりと。立ち帰り我が君を。見たてまつればいたはしや。
      はや御自害候ひて。この松}が根に伏し給ひ御枕のほどに御小袖。
      肌の守を置き給ふを。巴泣く/\賜はりて。死骸に御暇{おんいとま}申しつゝ。
      行けども悲しや行きやらぬ。君の名残を如何にせん。

(物着)ここで物着があり、巴は武者姿から普通の女の姿に変身する。旅姿に傘を持ち、手には長刀の代わりに小太刀を抱えた姿である。その姿で、静かに舞う様子は、それまでの戦いの舞とはがらりと趣向を変え、能に変化をもたらすものとなっている。

地     「とは思へどもくれぐれの。御遺言の悲しさに。粟津の汀に立ちより。
       上帯切り。物の具心静かに脱}ぎ置き。梨打烏帽子同じく。かしこに脱ぎ捨て。
       御小袖を引きかづき。その際までの佩添{はきそ}への。小太刀を衣に引き隠し。
       処はこゝぞ近江なる。信楽笠を木曽の里に。
       涙と巴はたヾひとり落ち行きしうしろめたさの執心を弔ひてたび給へ。執心を弔ひてたび給へ


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