絵   馬 ( え ま )

●あらすじ
 帝に仕える勅使が献上品を持って伊勢神宮に向かうと、そこには日照りの恵みを占う白絵馬を持った老人と、雨露の恵みを占い黒絵馬を持った姥がどちらの絵馬を掛けるかで争っていた。結果、万民のため、二つの絵馬を掛けることになり、実は自分たちは伊勢の二柱の神だと明かして消えていった。 やがて天照大神が雨鈿女命・手力雄命を従えて三神で現れ、舞を舞い、天の岩戸の謂れを再現し天下泰平を祝福する。

●宝生流謡本      外十一巻の一   脇 能    (太鼓あり)
    季節=冬   場所=伊勢国斎宮   作者=
    素謡稽古順稽古順=入門   素謡時間=30分 
    素謡座席順   シテ=前・老翁 後・天照大神
               ワキ=左大臣公能
               ツレ=男女神

●絵馬(えま)
[場面解説]
ツレの天細女命と手力雄命が天の岩戸を開ける場面である。この曲の後場は大変華やかで、三神が天の岩戸隠れを再現する。シテ・天照大神が中之舞を舞った後、天の岩戸(作り物)の中に隠れてしまい、世は闇夜で覆い尽くされてしまう。天の岩戸を開けさせようと、天細女命と手力雄命がそれぞれ神楽と神舞を舞う。それを面白く思った天照大神は、天の岩戸を少し開けてしまう。そこを見逃さなかった二神は天の岩戸を開け、天照大神の姿が再び現れる。本作品で描かれているシテは、鬘に天冠を着けている。 装束はおそらく狩衣に指貫であろう。本来、狩衣や指貫は男性の装束である。シテが男性の装束である直衣を着用し、頭は垂髪という出立の演出もある。これらを纏うことで、中性的なイメージを演出する狙いがあると考えられる。本作品のシテの装束は、特に指貫においては豪華で華やかな文様を描き出している。

●斎宮と能『絵馬』
2005.08.17 Wednesday
 さて、斎宮に行ってきたのですが、この斎宮。能『絵馬』の舞台となっていて、能楽とも関わりのある土地なのです。ワキの臣下が勅使として伊勢神宮に詣でるのですが、その途中で斎宮に寄ると、日照りを占う白絵馬を持った老人(シテ)と、雨を占う黒絵馬を持った姥(ツレ)に出会って能が始まるのです。 ワキ「急ぎ候ほどに。これははや勢州斎宮に着きて候。今夜は節分にて。この所に絵馬を掛くると申し候間。今夜はこの所に逗留し。絵馬を掛くる者を見ばやと存じ候
 実際、斎宮は参宮街道の途中にあって、平安時代には伊勢神宮へ行く勅使は斎宮にも立ち寄るのが例だったようです。参宮街道が斎宮の東端と重なるところに、かつて絵馬堂があって、大晦日にその絵馬堂の絵馬をアマテラスが掛け変えて明年の吉凶を占うという伝承があることは『伊勢参宮名所図会』にも載っています。 その絵馬堂があった箇所を「斎宮絵馬の辻」と呼び、南北にエンマ川という小さな水路が流れていますが、エンマ川の名は「絵馬」川が転じたと言われています。確か喜多流では能『絵馬』の曲名を「えんま」と読むという話を思い出しました。 
この絵馬堂の伝承の由来ははっきりしませんが、かつて斎王が伊勢神宮に参宮する際には斎宮の東端で祓をすることになっていました。もしかしたら、そのことが斎宮が南北朝時代に廃絶した後にも、東端が特殊な空間として伝えられるきっかけになったのかもしれませんね。 
絵馬堂自体は明治の終わりまであったそうですが廃され、後、建物が腐朽したため焼却されたそうです。中に掛けられていた絵馬は、近くにある竹神社に寄贈され、神宝として奉られているといいます。

●能 絵馬(えま)
  演能流儀: 観世・宝生・金剛・喜多   曲種・場: 脇能物(初番目物)、二場もの
  典拠: 1)伊勢神宮の斎宮に白黒の絵馬で翌年の天候を占う神話。 2)天岩戸の神話
  場所・季節: 伊勢國・斎宮、冬・節分の夜(旧暦大晦日)作り物: 大小前の一畳台に小宮
  登場人物: 前シテ:老翁(阿漕の化身)=小格子厚板、水衣、白大口 面=小牛尉
        前ツレ:姥=無紅唐織着流、水衣 面=姥
        後シテ:天照大神=垂髪、白単狩衣、緋指貫 面=増女、怪士
        後ツレ:天鈿女命=黒垂、摺箔、白大口、長絹 面=小面
        後ツレ:手力雄命=黒垂、厚板、法被、半切 面=三日月
        ワキ:勅使=大臣烏帽子、厚板、袷狩衣、白大口
        ワキツレ:従者=大臣烏帽子、赤地袷狩衣、白大口
        アイ:蓬莱の鬼3人=鬼頭巾、厚板、括袴、脚絆 面=武悪
左大臣公能が伊勢神宮に詣で、斎宮に参拝する。夜、絵馬を掛けるというので待っていると、老夫婦が現れ絵馬の毛色で明年の晴雨を占うという。老婆は黒い絵馬で雨の恵を、老翁は白い絵馬で晴天の喜びを願って争う。結局習いを破って二つの絵馬を掛けることに。二人は伊勢神宮の二神であるという。 夜明けに天照大神が天鈿女命と手力雄命を従えて現れ、神舞を舞う。そして岩戸に隠れ、天鈿女命と手力雄命が神楽を舞って天照大神を岩戸から連れ出し日月が再び現れる、という神代の故事を再現する。

●絵馬堂(気比神宮)の伝説              
2009.12.11.(金)(名古屋能楽堂)
奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納していたことが記されている。しかし、馬は高価でなかなか献納できず、また、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変である。そのため、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになった。 さらに、室町時代になると馬だけでなく様々な絵が描かれるようになった。初期の作として、例えば狐を使いとする稲荷神社では狐の絵が描かれている所もある。また他にも、三十六歌仙の肖像や武者絵、祈願の対象である文殊菩薩を描いた例などが知られる。  安土桃山時代になると、狩野派や長谷川派・海北派など著名な絵師による本格的な絵馬が持て囃され、それらを展示する絵馬堂も建てられた。絵馬堂は今日で言えば美術館のような役割を果たし、絵師たちは自分の画技を競い合い、その絵のイメージは人々の間で共有され、また新たな作品を生み出す原動力となった。 江戸時代になると、家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをかける風習が庶民にも広まり、今日のように個人が小さな絵馬を奉納する形は、江戸時代に始まったものである。眼病予防に「め」および左右逆の「め」を書いた絵馬や、夫の浮気防止に「心」の字に鍵をかけた絵を描いた絵馬もある。和算家は、自分が解いた問題の解法を書いた算額という絵馬を奉納し、日本武術では剣術、柔術などで薙刀など木刀や棒術の棒を門人の一覧に付した絵馬を奉納した。 明治時代以降、多人数で奉納する大型の絵馬について、「伊勢神宮参拝記念」「戦勝祈念」(明治時代〜敗戦まで)「厄除け祈願」「子(特に男子)の誕生を記念して」「干支」などの様々なバリエーションが生まれた。
 昭和時代からは、学問の神様である天神として菅原道真を祀った天満宮(福岡県太宰府市など)に受験生が合格祈願の絵馬を奉納することが盛んになった。白蛇などの縁起物の動物や、祭りの風景など馬とは関係ない絵馬も多く作られ、神社、寺院毎の縁起物として珍重され、これは神社、寺院巡りをした際のお守りとしても持て囃されている。 平成18(2006)年頃から、プライバシー保護の観点から、絵馬に書かれた願い事や住所・氏名の部分に  

(平成22年7月18日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


          絵 馬 

         絵 馬 (え ま)   外十一巻の一     (太鼓あり)
         季 冬      所 伊勢国斎宮      素謡時間 30分
  【分類】脇 能
  【作者】不明    典拠:不明 伊勢の絵馬の事は勢陽雑記みえる
  【登場人物】前シテ:老翁、   後シテ:天津神   ワキ:大炊御門 左大臣公能 
            ツレ:郎媼   ツレ:男序神

         詞章                       (胡山文庫)

ワキ  次第上 治めしまゝに世を守る。/\。伊勢の宮居にまゐらん。
ワキ    詞 「抑これは大炊の左大臣公能とは我が事なり。
         偖も我が君伊勢大神宮を信じ給ひ。数の御宝を捧げ給ふ。
         其勅を蒙り。唯今伊勢参宮仕り候。
    道行上 風は上なる松本や。/\。雲雀落ち来る粟津野の草の茂みを分け越えて。
         瀬田の長橋打ち渡り野路篠原の草枕。夢も一夜の旅寝かな/\。
シテツレ一声上 あらたまの。春に心を若草の。神も久しき。恵みかな。
ツレ    上 霞も雲も立つ春を。
シテツレ二人上 去年とやいはん。年のくれ。
シテ  サシ上 それ馬を華山の野に放し。牛を桃林に繋ぐこと。皆聖人の諺かな。
シテツレ二人上 されば賢き世の習ふ。時に引かれて四方の海の。
         浜の真砂を数へても君が千年のある数を。たとへても猶ありがたや。
     下歌 千早ぶる神代を聞けば久方の。
     上歌 天つ日嗣の代々古りて。

( 小謡 天つ日嗣の ヨリ  夜昼つかへ奉る マデ )

ツレ    上 天つ日嗣の代々古りて。
シテツレ二人上 人皇末代の子孫までありし恵を受け継ぎて。治まる御代のわれらまで。
         及ばぬ君を仰ぎつゝ夜昼つかへ奉る。/\。
ワキ    詞「ふしぎやな夜は夜半に過ぎて候よ。人音の聞こえ候。
         いかに人音について尋ぬ申すべきべき事の候。
シテ    詞「こなたの事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ    詞「今夜は此処に絵馬を掛くると申し候ふは真にて候ふか。
シテ    詞「さん候即ちわれらが絵馬を掛け候ふよ。
ワキ    詞「それは何の謂に依つて御掛け候ふぞ。
シテ    詞「いや是は唯一切衆生の愚痴無智なるを象り。馬の毛により明年の日を相し。
         又雨滋き年をも心得べき為にて候。
ワキ カカル上 偖々今夜はいかなる絵馬を掛け。明年の日を相し給ふ。
ツレ    上 誓は何れも等しけれども。雨露の恵を受け。
         民の心も勇みあるよみぢの黒の絵馬を掛け。国土豊になすべきなり。
シテ    詞「暫く候。耕作の道の直なるをこそ。神慮も叶ふべけれ。
         尉が絵馬を掛け民を悦ばせばやと存じ候。
ツレ カカル上 さやうに謂を宣はゞ。こなたも更に劣るまじ。
      詞「力をも入れずして。天地を動かし目に見ぬ鬼神の。猛き心を和ぐる。
      上 歌は八雲をさきとして。これらはいかで嫌ふべき。
シテ    詞「かくしも互に争はゞ。隙行く駒の道行かじ。
   カカル上 いざや二つの絵馬を掛けて。万民楽しむ世となさん。
ツレ    上 げにいはれたり此程は。一つ掛けたる絵馬なれども。
シテ    上 今年始めて二つ掛けて。
ツレ    上 雨をも降らし。
シテ    上 日をも待ちて。
ツレ    上 人民快楽の。
シテ    上 御めぐみを。
地     上 かけまくも忝なや。これをぞ頼む神垣に。絵馬は掛けたりや。
         国土豊になさうよ。

( 小謡 賀茂の御あれの ヨリ  見するなり マデ )

      上 賀茂の御あれのひをりの日。/\。是を物見に御随身。
         色めく紙の四手つけて駆けならべたる駒くらべ。
         掛けてやさしく聞えしは松風の上の藤波尾上の花に吹き添へて。
         たなびく白雲。又掛けて色を見するなり。

( 独吟 僧正遍昭は ヨリ  失せにけり マデ )

    クセ下 僧正遍昭は。歌のさまは得たれどもまこと少し喩へば。
         絵にかける遊女の姿にめでて徒らに。心を動かすは。
         浅緑糸よりかけて繋ぐ駒は二道掛けてなか/\恨みしは。
         恋路のそら情。逢ふさへ。夢の手枕。
シテ    上 忍ぶ今宵のあらはれて。
地     上 詞をかはす此上は。何をか包むべきわれらは伊勢の二柱夫婦と現じ立ち出づる。
         信ずべし信ぜば疑波の川竹の。夜も明けゆかば内外にて。
         待ち得てまみえ申さんと夜半にまぎれて失せにけり/\。
                来序中入。出端
地     上 雲は万里に収まりて。月読の明神の。御影の尊容を照らし出で給ふ。
後シテ   上 われは日本秋津島の大頭領。地神五代の孫。天照大神。
地     上 和光利物は御裳濯川の。/\。
シテ    上 水を蹴立つる波の如し。
知     上 されども誓は虚空に満ち来る五色の雲も。輝き出づる。日神の御姿。
         ありがたや。
シテ    下 処は斎宮の名に古りし。
地      下 処は斎宮の名に古りし。神墻しどろに木綿四手の。あらはに神体現れ給ふ。ありがたや。神舞。
シテ  ワカ上 昔。天の岩戸に閉ぢ籠りて。
地     上 天の岩戸に閉ぢ籠りて。悪神を懲らしめ奉らんとて日月二つの御影を隠し。
         常闇の世のさていつまでか。
ツレ  二人下 荒ぶる神々これを歎き
地     下 荒ぶる神々これを歎きていかにも御心取るや榊葉の。
         青和幣白和幣。色々さま%\に歌ふ神楽の韓神催馬楽。千早ぶる。 
シテ  ワカ上 面白や。
地   ノル上 おもて白やと覚えず岩戸を少し開いて感じ給へば。
         いつまで岩戸を手力雄の明神引きあけ御衣の袂にすがり給い。
         引き連れ現れ出で給ふ有様又珍しき神遊の。面白かりしを。
         思しめし忘れず高天の原に神とゞまつて。
         天地二度開け治まり国土も豊に月日の光の。長閑けき春こそ。久しけれ。


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