鍾  馗 (しょうき)

●あらすじ
 唐土終南山の麓に住む旅人が奏聞のため都に上る途中で、後ろから呼び止める者がいた。
旅人が何事かと尋ねると、「自分は悪鬼を滅ぼして国土を守ろうという誓いを立てている者であるが、君が仁政を施されるのであれば宮中に現れて奇瑞を見せようと思うので、このことを奏上してください」と言う。旅人は怪しんで名前を聞くと、「自分は鍾馗という者で、進士の試験に及第する前に、自殺した時の執心を翻して後の世に望みを抱いているのです」と語り、人生のはかなさを説いていたが、その後で「真の姿を現そう」と言って神通力を示しながら消え失せた。そこで、旅人が法華経を読誦して弔っていると、鍾馗の神霊が寶劒を提げて現れ出て悪鬼を退治して、国土を守護しようとするその誓願の威力を示すのである。鍾馗は王道守護の鬼神として伝えられている。その後、疫鬼駆除の鬼神としても祀られるようになったが、伝説の本源は王道守護の鬼神であった。この曲ではそれを取り上げて、猛烈な鬼神ぶりを示すことを主眼としている。

●宝生流謡本      外十巻の五   切 能    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=唐 土   作者=
    素謡稽古順稽古順=平物   素謡時間=20分 
    素謡座席順   シテ=鍾馗の霊
              ワキ=旅人

●解説・能楽あんない  鍾馗について―伝説と風習―井波律子(国際日本文化研究センター名誉教授)
 鍾馗といえば、京都の古い家の屋根や軒先等に、瓦製の小人さんのようにちょこんと乗って偉そうなポーズをとっていたり、まれに神社仏閣の資料館にその像を描いた掛軸が展示されていたりする。その服装から察するに、中国あたりから来た神様で、また、ポーズや顔の表情から、魔除けの役割でも担っているのだろうと思っていた。今日の井波先生の解説を拝聴したところ、当たらずしも遠からずだったが、先生の話からすると、私が感じているよりもっとずっと、日本人の習俗に係しているようだ。 鍾馗は、元々は後漢の高祖の時代に科挙を受けたが及第できず自害した人とされている。しかし、井波先生によれば、実在の人物というわけではなく、同じような境遇の人々が数多存在し、そういった人々の記憶が鍾馗という像を結んで伝説となったということだという。
その後、唐の時代、玄宗皇帝が病に倒れて伏せていた時、玄宗皇帝の夢の中に鍾馗が現れ、病気を起こしていた鬼を退治し、皇帝を守った。それで、玄宗皇帝は画家の大家の呉道子(ごどうし)に鍾馗の図を描かせたという。その絵が唐から宋に伝わり、北宋時代は木版印刷が盛んになっていたこともあり、皇帝が臣下の者に鍾馗の木版画を賜り、南宋の頃には、これが一般にも流布したのだそうだ。 そして、明の末期、清の時代には、端午の節句と結びつけられ、端午の節句には鍾馗図が飾られたのだという。日本には一九世紀頃に端午の節句に鍾馗を飾るという風習が入ってきて、主に関東で鍾馗像が飾られるとか。知らなかった。私には弟がいるが、うちは端午の節句の飾り物は鎧櫃の上の兜と両脇に弓と刀というごく一般的な飾り物だった。
また、端午の節句についても、井波先生が興味深い話をして下さっていた。端午の節句のもととなったのは、かつて入水した官吏の屈原という人の供養の行事なのだという。屈原という官吏は中国の戦国時代の楚の時代の人で、あまりに高潔で潔白な性格であるため、周りの人から疎まれ、左遷されてしまった。屈原は、そのことを嘆いて、五月五日に沼で自害したのだという。その話を聞いた皇帝は屈原を懇ろに葬ったという。その後、地元の人々が屈原を弔うために、五月五日に粽を供えたり、供養で舟で競争をしたりするようになったのが、端午の節句の風習になったそうだ。そして、粽が笹にくるまれている理由は、沼で入水した屈原のために沼にお供えするので、魚に食べられないよう、笹でお米をくるんでいるんだそう。(後略)

●参 考   鍾馗(しょうき)
 鍾馗(しょうき)は、中国で広く信仰された厄除(やくよ)けの神。唐の玄宗皇帝が病床に伏せっていたとき、夢のなかに小さな鬼の虚耗(きょこう)が現れた。玄宗が兵士をよんで追い払おうとすると、突然大きな鬼が現れて、その小鬼を退治した。そしてその大きな鬼は、「自分は鍾馗といって役人の採用試験に落弟して自殺した者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」といった。目が覚めるとすっかり病気が治っていたので、玄宗は画士に命じて鍾馗の姿を描かせ、以来、鍾馗の図を門にはり出して邪鬼悪病除けにするようになったという。初めは年の暮れの習俗であったが、のちに5月5日に移り、図柄としては鍾馗が刀を振るってコウモリ(蝙蝠)を打ち落としているものが好まれた。これは蝠の字が福に通じることから、これによって福を得たいという気持ちを表現したものである。この鍾馗の信仰は、日本にも伝わって室町時代ごろから行われ、端午の節供を通してなじみが深い。 主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。 鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。 鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話がよく流布している。 ある時、唐の6代皇帝玄宗がマラリアにかかり床に伏せた。 玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。 夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。 玄宗は、鍾馗の絵姿には邪気を祓う効力があるとし、世の中に広めさせた。

●能   鍾馗(しょうき) 
ワキが鍾馗の誓いを受け奏上するのでしばらく待たせよと言うと、夢の中に真の姿を現そうシテが言い、ワキ「言うより早く」シテ「気色かわりて」でシテが立って開キ、六拍子踏み返し、大小前から早い運びの謡に乗って正先に打込、「虚空に上りては座しめ」と下居してユウケン、立って目付、角トリしてワキ座で小回り、目付から常座へと進んで小回りし、正へ向き直っての中入。急速な展開から一気に中入になった感じです。 代わって長上下のアイ所の人が出、ワキの求めに従って鍾馗の由来を語ります。唐の武徳年中、高祖が天下を従えた頃、天下初めて治まり目出度く国中から文武にすぐれた者達が集まってきた。中でも鍾馗という人は幼少から学問に優れ、人々からも人望を得ていた。常々及第して君の側近くに仕えようとしていたのだが、なぜか落第してしまった。普通の人ならばまた時期を待つところ、この人は命があっても甲斐がないと怒りを起こし、玉階に我と頭を打ち砕いて亡くなってしまった。 このことを帝に奏上したところ、不憫に思われてかの死骸を都の内に治め置き、鍾馗大臣と贈官をされた。それから百余年が経ったが、その魂魄が留まっている様子であると語り退場します。 ワキの待謡から早笛。後シテは朱の半切に袷狩衣、赤頭に唐冠を着け左手に宝剣を持っての登場です。面は小べし見でしょうか。 常座に出ると「鬼神に横道なしと云うに」と謡い出し、地謡で目付に出、ワキ座から大小前と回って正先へ出、目付から常座へ戻って「実にも鍾馗の精霊たり」と小回りして開キます。ロンギから、さらに謡い舞いして、禁裏をくまなく探して悪鬼を追い、国土安穏を祈って留拍子を踏んで終曲となりました。
ストーリーをギリギリ切り詰めて、見所を集約した能で、初心の方が多い見所でも楽しめた一曲ではなかったかと思います。               
金春安明(金春流)

(平成22年5月21日  あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


鍾 馗

         鍾 馗(しようき)  外十巻の五     (太鼓あり)
          季 秋      所 唐土       素謡時間 20分
  【分類】切 能 (    )
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】 シテ:鍾馗の霊、 ワキ:旅人 

         詞 章                   (胡山文庫)

ワキ    詞「これは唐終南山の麓に住まひする者にて候。
         さてもわれ奏聞申すべき事の候ふ間。唯今帝都に赴き候。
    道行上 終南山を立ち出でて。/\。野草の露を分け行けば。
         遠村に煙満ち人屋しるき眺望の。

   ( 小謡 海路遥に ヨリ  眺かな マデ )

         海路遥に過ぐれば釣の小舟も帰る浪。
         夜程もなき眺かな。/\。
シテ    詞「なう/\あれなる旅人に申すべき事の候。
ワキ    詞「此方の事にて候か何事にて候ふぞ。
シテ    詞「我昔誓願の子細あるにより。悪鬼を亡ぼし国土を守らんとの誓あり。
         君賢人をなし給はゞ。宮中に現じ奇瑞をなすべきとの。
         この事を奏してたび給へ。
ワキ    詞 「これは不思議の御事かな。さて/\御身はいかなる人ぞ。
シテ    詞「今は何をか包むべき。われは鍾馗といへる進士なるが。
         及第のみぎんに亡ぜし。その執心を翻へし。後世になほ望あり。
ワキ    詞 「げに/\鍾馗の御事は。世に隠なき進士なるが。その亡心にてましますか。
シテ カカル上 なか/\なりと夕暮の。
ワキ    上 物冷ましき。

   ( 小謡 折からに ヨリ  いつをいつと定めん マデ )

シテ    上 折からに。
地     上 草虫露に声しをれ。/\。尋ぬるに形なく。
         老松既に風絶えて問へども松は答へず。げにや何事も。思ひ絶えなん色も香も。
         終には添はぬ花紅葉いつをいつとか定めんいつをいつと定めん。

   ( 独吟 一生は風の ヨリ  いつかは離れはつべき マデ )

    クセ下 一生は風の前の雲。夢の間に散じ易く三界は水の泡光の前に消えんとす。
         綺ソン殿の内には有為の悲びを告げ。翡翠の帳の内には有漏の願力ありとかや。
         栄花はこれ春の花。昨日は盛なれども。今日は衰ふわんりきの。秋の光。
         朝に増じ。夕に滅すとか。春去り秋来りて。花散じ葉落つ時移り気色変じて。
         楽じみ既に去つて。悲び早く来れり。
シテ    上 朝顔の花の上なる露よりも。
地     上 はかなき物はかげろふの。あるかなきかの心地して。世を秋風の打ち靡き。
         群れゐるたづの音を鳴きてしでの田長の一声も。誰がよみぢをか知らすらん。
         あはれなりける人界をいつかは離れはつべき。
ワキ    詞「これは不思議の御事かな。急ぎ帝都に赴きつゝ。委しく奏聞申すべし。
         暫く待たせ給へとよ。
シテ    詞 「とても見みえし夢の中。真の姿を現はさんと。
       上 云ふより早く。気色変りて。
地     上 伝え聞く仏在世の。/\。浄蔵浄眼の如くに。その高さ七多羅樹。
         虚空にあがりては坐せしめ。地に入つては火焔を放して。
         水を踏む事陸地の如くに。さら/\と走り去つて。
         形はさながら山彦の。/\。声ばかりして失せにけり/\。
                 中入り
   ( 囃子 苔の筵に ヨリ  誓ひかな マデ )

ワキ  待謡上 苔の筵に苔の筵に法をのべ。/\。さもすさまじき山陰の。嵐と共に声立てゝ。
         この妙経を。読誦する/\。
                 早笛
   ( 囃子 鬼神に横道なしと ヨリ  誓ひかな マデ )

後シテ   上 鬼神に横道なしといふに。何ぞみだりに騒がしく。汝知らずや我が心。
         国土を守る誓あり。
地     上 宝剣光すさまじく。日月影おろそかに。松嵐梢を払ふが如く。
         悪鬼の乱れ恐れ去つて。実にも鍾馗の精霊たり。
   ロンギ上 有難の御事や。そも君道を守らんの。その誓願の御誓如何なる謂なるらん。

   ( 仕舞 鍾馗及第の ヨリ  誓ひかな マデ )

シテ    上 鍾馗及第の。鍾馗及第のみぎんにて。われと亡ぜし悪心を。
         翻へす一念発起菩提心なるべし。
地     上 げに真ある誓とて。国土をしづめ分きてげに。
シテ    上 禁裏雲居の楼閣の。
地     上 こゝやかしこに遍満し。
シテ    上 或は玉殿。
地    上 廊下の下。御階の下までも。/\。剣をひそめて忍び/\に。
         求むれば案の如く。鬼神は通力失せ。現はれ出づれば忽ちに。
         づだ/\に切り放して。まのあたりなるその勢唯此剣の威光となつて。
         天に輝き地に遍く。治まる国土となる事。治まる国土となる事も。
         げに有難き誓ひかな。/\。


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