満  仲 (まんじゅう)

●あらすじ
 藤原仲光が主君多田満仲の子、美女御前を連れて満仲のもとへ参上します。満仲は美女が中山寺で学問を修行せず武芸ばかりしているので腹を立てています。満仲は美女が経を読めないのを見て怒り、斬り殺そうとします。仲光が制してその場は収まりましたが、満仲は仲光に美女を討つように命じます。仲光の子である幸寿が、自分が美女の身代わりになることを言い出します。仲光は深く思い悩むも、ついに決心をして我が子の首を打ち、美女は落ちのびて行きました。 仲光は美女を討ったことを報告し、出家をしたいと訴えます。そこへ恵心僧都が美女を伴って満仲の館を訪れます。恵心は仲光が美女の代わりに幸寿を討ったことを告げ、美女の助命を願い出ます。満仲は美女を責めますが、恵心の言葉によって美女を許し、酒宴となります。恵心に乞われて仲光は舞を舞います。やがて恵心は美女を連れて寺へ戻り、仲光は涙を流しつつ見送りました。

●宝生流謡本      外十巻の四   四番目二番目    (太鼓なし)
    季節=不定   場所=摂津国多田の庄   作者=
    素謡稽古順稽古順=初伝奥之分   素謡時間=50分 
    素謡座席順   子方=幸寿
              子方=美女丸
              シテ=藤原仲光
              ワキ=恵心僧都
              ツレ=多田満仲

●『満仲』の地謡を勤めて
 自主公演で『満仲』が選曲されたのは一昨年のこと。粟谷菊生が生きている内に、菊生の地謡でという口説き文句に遂に了承された経緯があります。 当初の構想はシテ友枝昭世、ツレ粟谷能夫、地謡粟谷菊生、出雲康雅、粟谷明生の予定でした。これは内輪話ですが、実は最初ツレは明生でという、シテのご注文でありました。しかしこの多田満仲役は二人の子ども役の年齢を考慮すると、満仲と仲光の年齢差があり過ぎるのは・・・、と申し上げて、僭越ではありましたが敢えて辞退させていただきました。 しかし真意は、父が自分の十八番を、人情味あふれる現在物として、どのように謡うのかを、共に現場で謡いながら教わりたいとの一心でした。 そのような辞退の理由も説明させていただき、友枝昭世氏も納得して下さって、当初の構成となりました。しかし、不幸にも父逝去によりこの計画は実行出来ず、今年に入り再度番組編成をやり直すこととなりました。
『満仲』は旬のもの、年齢が近い二人の子方に恵まれなければこの能は実現できません。二人の子方があってこそできる能で、見守る大人としてはこの子たちが当日まで元気で風邪などひいたりしないかと、心配でたまらないのです。万が一のときに代役はいないので、子方のご両親、とくにお母さま方は相当神経を使われたことだと思います。このたび無事よく勤めてくれた子どもたちにも、お母さまにも「どうもお疲れ様、有難う。」と私は感謝とねぎらいの気持ちで一杯です。 私の『満仲』はシテ喜多実、ツレ粟谷菊生(昭和43年4月28日 喜多別会 喜多能楽堂)のときの幸寿役の1回だけですが、これが長い子方時代の最後の舞台となりました。 実先生じきじきのお稽古で「切られたら、すぐに横になって。でも頭は舞台につけてはいけないよ!」 このご注意は未だに頭に残っています。死んだら首は落ちるから舞台につけたほうがいいのにと、子ども心に、12歳なりに感じたことを覚えています。たぶん実先生は頭を舞台につけると演技が生っぽくなるのを嫌われたのではないかと思います。頭を舞台につけないようにと身体を硬直させて、そして動かないように我慢する子方の身体から発散される緊張感が、舞台に横になり寝るという特殊な動作をも、能の型として表現するのがねらいであった、と私は思っています。(後略)(平成19年6月 粟谷明生記)

●末子・美女丸の出家の真相   
 能『満仲』では美女丸(子方)が父・満仲(シテツレ)に出家するように言われますが、武芸に励んで、学問や仏道に心を入れません。父は怒り家臣の藤原仲光(シテ)に美女丸を手討にするように命じますが、家臣が主君の子を討つことなど出来ず、仲光は仕方なく我が子・幸寿丸を身代わりにしてしまいます。 何故、美女丸が出家を拒んだのか、どうして学問に励まなかったのかが私は気になりました。 先日、写真探訪で「満仲ゆかりの地」の謡蹟めぐりの際、多田神社に参拝に行くと、多田神社略記にいくつかの参考資料がありましたので、それを元に私の疑問を考えてみたいと思います。 先ず初めに満仲のことを知る必要があります。 多田の庄に住む多田満仲は人皇五十六代清和天皇の御曽孫で二十四歳の時に源姓を賜っています。満仲には5人の男子がいます。長男・満正は満仲三十八歳の時に生まれますが、何故か源家の系図には記されていません。想像ですが、たぶん早世したのではないでしょうか。 続いて四十一歳の時に、能『大江山』『羅生門』や『土蜘蛛』などに登場する摂津源氏の祖頼光が誕生します。系図では頼光が長男となっています。その後、大和源氏の祖、頼親、河内源氏の祖、頼信、そして頼平が生まれ、最後5人目に美女丸が生まれ、後に出家し源賢と名乗ります。 満仲は晩婚だったのか、それとも系図にはない満正以前に子どもがいたかは判かりませんが、ここにあげた5人の子どもは当時としてはかなり遅い誕生と思われます。 満仲は59歳の時、心機一転、出家を帝に奏請しますが許されません。そこで満仲はその思いを美女丸に託し、自分の替わりに出家させます。この時美女丸がいくつかは判明していませんが、ここから悲劇が始まります。ではなぜ美女丸が選ばれたのか? その起因がいくつか考えられます。                     (平成19年11月 追加レポート)
 1. 美女丸がまだ若かったため。
 2.生来の武門の血を引きその性格も活発で荒かったので、一門の安泰を考えてのこと。
 3.文武両道を旨とした満仲は、一門繁栄のため武門は4名の子に、文化面は美女丸に託し、文
   武 両面を把握することで勢力拡大を考えてのこと。当時の中山寺(美女丸を最初に預けた
   寺)の繁栄を思うとそれも考えられる。
 4.自分の出家が許されない状況を嘆き、まったくの父親の我が儘で子へ強制した。
など、いろいろと考えられます。 いずれにしても父親の考えを強制させられた子の悲劇、それが幸寿丸や仲光の悲劇と繋がります。そして『満仲』という能が描いた悲劇はシテ仲光だけでなく、生き残った美女丸にも及んだことを知りました。 満仲という武将が、たとえ武芸達者で信仰篤き者であろうと、その勇者の陰に、ある横暴がひっそりと隠されているのが能『満仲』なのです。
二人の子方に恵まれた時、いつか『満仲』を演りたいと私は願望しています。

●多田満仲(みつなか) 
 清和源氏の祖多田満仲(912?〜997) 源平の時代が近づいてきたので、ここで源氏の祖であり、摂津国に縁の深い多田(源)満仲について簡単に触れておくこととする。 源氏は複数の天皇が、皇子を臣籍に下す際に賜った姓である。中でも嵯峨源氏・清和源氏・宇多源氏・村上源氏が有名であるが、多田満仲は清和天皇の流れを汲む清和源氏の出である。清和源氏は、第56代清和天皇(850〜880)の第六皇子であった貞純親王の長男経基が源の姓を賜ったのが始まりとされる。なお、多田満仲は経基の子であった。
 源満仲(みなもと の みつなか)は、平安時代中期の武将。系図上では清和源氏六孫王経基の子とされる。源頼光、源頼親、源頼信の父。摂津源氏の祖。多田を号したことから「多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)」とも呼ばれる。贈正一位。神号は多田大権現である。 清和源氏の二代目とされる。誕生年など年代面から、源経基との父子関係は疑わしく、満仲の出自は明確でない。

(平成22年5月21日  あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


         満 仲

         満 仲 (まんじゅう)  外十巻の四    (太鼓あり)
         季 不定    所 摂津国多田の里     素謡時間 50分
  【分類】四番目又は二番目)
  【作者】世阿弥元清   典拠:不明 幸若舞に満仲の」曲がある
  【登場人物】 シテ:藤原仲光、ツレ:多田満仲 ワキ:惠心僧都 
            子方:美女丸     子方:幸 寿

         詞 章                    (胡山文庫)

シテ    詞「是は多田の満仲に仕へ申すt。藤原の仲光と申す者にて候。
         さても御子美女御前は。あたり近き中山寺に上せおかれ候処に。
         学問をば御心に入れ給わず。明け暮れ武勇を御嗜み候由聞き召され。
         以ての外の御憤りにて。某に罷り上り御供申せとの御事にて候程に。
         今日中山寺へ参り。美女御前を御供申し。唯今御所へ参り候。
         如何に申し上げ候。美女御前を御供申して候。
ツレ    詞「いかに美女。久しく寺より呼び下さざるは。学問よくせよとなり。
         まづまづ御経聴聞せんと。紫檀の机に金泥の御経。
         それそれ読じゅし給えと。美女が前にぞさし置きたる。
美女 カカル上 美女は父御の仰せに付けても。住むかひもなき浅香山。
         手習う事もなかりしかば。ましてやお今日の一字をだに。
         読まさりければ今更に。涙に咽ぶばかりなれり。
ツレ    詞 「げにげに満仲が子なれば。一寺の賞かん隙を得ず。
         御経読まぬは理りなれ。偖歌は。
美女    詞 「よみ得ず候。
ツレ    詞 「管弦は。
       上 問えども言わぬ口なしの。
地     上 こは誰が為なれば。父がさしもに云ひし事に跡をつけぬ庭の雪。
         人にみせんも何某が。子といふかひもなかるべしとて。御パカセを取り給へば。
         走りでづるや仲光が。中にてとかく御袖に。取りつきすがり申しつつ。
         危うき美女御前の。御身の程ぞ痛はしき。
ツレ    詞 「いかに仲光。心を静めて聞き候へ。子供を寺へ上せ置くは。
         学問の為にてこそ候へ。明け暮れ武勇を嗜まんには。
         寺に熾きてのかひは何事ぞ。
シテ    詞「御錠尤もにて候さりながら。折々の御折檻にてこそ候へ。
         まづまづ御パカセを賜り候へ。
ツレ    詞 「所詮美女を討つて参り候へ。さなきもなならば。明氏の神も御知見あれ。
         仲光ともにそのままには置くまじかぞ。
シテ    詞「何事も御錠をば背き申すまじく候。まづまづ御内へ御入り候へ。
         言語道断。以ての外の御怒りにて候。御叱りあるばきとは存ぜず候。
         いやいや何と仰せ候とも。一先落とし申さばやと存じ候。
         いかに申し上げ候。唯今は余りの御怒りにて。棒も迷惑つかまりて候。
美女    詞 「いかに仲光。唯今自を逃がしつるは。仲光が制するによれり。
         美女を討ち手参らせよと怒り給うを。我物腰に聞き市なり。
         早自が首を取り。父御に御目にかけ候へ。
ツレ    詞 「げにげにけなげなることを仰せ候ものかな。所詮何と仰せ候とも。
         一先落し申そうずるにて候。や。何と申すぞ。又御使の立ちたると申すか。
         あら笑止や。さて何と仕り候ばき。
       上 げにや何事も報いありける憂き世かな。
       詞「伝え聞くアザセ太子は頻婆娑羅を害せずや。
   カカル上 これ皆宿縁かくの如し。
美女    詞「過去にてなせば。
シテ    上 現世にやがて。
地     上 報いは人の咎なら自。唯自ばなす処を。愚かにや恨みある。
         浮世の中と思ふらん。互いに憂き事を。語り語れば説き移る。
         はや首取れや仲光と。言の葉も涙もすすむこそ悲しかりけれ。
シテ    詞「あはれ某御年の程にて候はば。御命に代り候はんずるものを。
       下 惜しからぬ命も事によりて。心にまかせぬ口惜しさは候。
幸寿    詞「いかに父上。唯今の御言葉こそ。幸寿が耳に留まり手候へ。
         早自が首を取り。美女と号して満仲の御目にかけられ候へ。
シテ    詞「何と申すぞ。美女御前の御命に代らうずると申すか。
         さすが仲光が子にて候。げにげに汝が首を取り薄衣に包み。
         夜まぎれに遠々と御目にかくるならば。さすが親子の御事なれば。
         よむ定かには御覧じ候まじ。さらば御命に代り候へ。
         時刻移りて叶ふまじ。太刀おつ取つて仲光は。
         我が子の後に立ち寄れば。
美女 カカル上 美女は余りの悲しさに。仲光が袂にすがりつつ。たとひ幸寿を失うとも。
         供に自害に及ぶべしと。泣き悲しみて制すれば。
シテ    詞 「なうお主に命に代る事。弓矢取る身の習いなり。
美女 カカル上 悲しやな互い争う命の際。
幸寿    上 幸寿も進み。    
美女    上 美女も立ち寄る。    
幸寿    上 彼方は主君。
シテ    上 此方は思ひ子。
美女    上 中にてなかなか。
シテ    上 仲光が。
地      上 身はこれ程にをしからじ。何と佳せましやあらんと。猛き心にも。
          弱り果てたる気色かな。
美女    上 親にだに惜しまれぬ身を何と唯。かく思夫らん中々に情のつらきいかならん。
幸寿    上 情は人の為ならじ。今此際の御命に。代り申さずは弓矢の家の名ぞ惜しき。
地      上 かなたこなたも幼き。御身にだにも理の。
   或は御主子は惜しし主君をばいかで手にかけんと。心よわしや白真弓。
   左手にあるは我が子ぞと。思ひ切りつゝ親心の。
   闇討に現なき我が子を夢と。なしにけり我が子を夢となしにけり。
狂言シカ%\
シテ   詞 「げに/\汝が申す如く。某が心中察し候へ。又美女御前を御供申し。
         何方へも立ち退き候へ。
                 狂言シカ%\
ツレ    詞 「いしくも仕りたるものかな。さこそ最期の未練にありつらんな。
シテ    詞 「いやさは御座なく候。某太刀抜き持つて。少しためらひ候ふ所に。
         やあいかに仲光おくれたるかと。これを最期の御言葉にて候。
ツレ    詞 「いかに仲光。おこと存じのごとく。総じて美女ならで子と云ふ者なし。
         今日よりしては汝が子の幸寿を一子と定むべし。急いで呼びいだし候へ。
シテ    詞「其御事にて候。美女御前の御別を悲しみ。元結切り暮に失せて候。
       下 同じくは仲光にも御暇賜はり候へ。
     下二 様変へばやと思ひ候。
ツレ    下 心強くは言ひつれども。さぞ思ふらん美女丸をも。我が子のごとく手馴れしに。
         二人の者に別るゝ思。
地     下 よしや王土に住む習ひ。貴命は誰も遁れぬぞと。
         仲光をとにかくにすかし給ふぞよしなき。

   ( 小謡 げにや親子の ヨリ  営み給ふあはれさよ マデ ) 

       上 げにや親子の道なれば。/\。あはれとや又思子の。
         跡弔ふ法の事業を営み給ふ。あはれさよ営み給ふあはれさよ。
ワキ    詞「これは比叡山恵心の僧都にて候。さても去る子細候ひて。
         唯今多田の満仲の御所へと急ぎ候。先々此方へ渡り候へ。いかに案内申し候。
シテ    詞「誰にて渡り候ふぞ。や。恵心の僧都の御下向にて御座候ふよ。
ワキ    詞「いかに仲光。さても幸寿が事は候。まづ某が参りたる由申し候へ。
シテ    詞「心得申し候。いかに申し上げ候。恵心の僧都の御いでにて候。
ツレ    詞「あら思ひよらずや。此方へと申し候へ。
シテ    詞「畏つて候。此方へ御入り候へ。
ツレ    詞「さて唯今は何の為の御いでにて候ふぞ。
ワキ    詞「候唯今参る事余の儀にあらず。美女御前の御事を申さん為に参りて候。
ツレ    詞「その事にて候。余りに不思議の者にて候ふ程に。仲光に申しつけ失ひて候。
ワキ    詞「それにつき御心を静めて聞し召され候へ。
         美女御前を失ひ申せとの御使しきりなりしに。仲光心に思うやう。
         いかで三世の主君を手に懸け申すべきと思ひ。
         幸寿が首を取り美女と申して御目にかけて候。されば我が子に代へて思ふ程の。
         美女御前の御不審免し給へと。
   カカル上 美女を引き具し満仲の。御前にこそ参りけれ。
ツレ    詞「さればこそなほ未練なる美女なりけり。幸寿を殺さばもろともに。
         などや自害に及ばざる。
ワキ    詞「いや/\諸事をさし置きて。幸寿が仏事と思し召し。美女を助けてたび給へと。
   カカル上 涙を流し申しければ。
地     上 猛き心もよわ/\とはや領掌を申しけり。仲光余りの嬉しさに。御盃や菊の酒。
         仙家に入りし身の。七世の孫に逢ふ事も。たとへならずや親と子の。
         一世の契の二度逢ふぞ嬉しき。
シテ    上 親子鸚鵡の盃の。
地     上 幾久しさの。酒宴かな。
ワキ    詞 「いかに仲光。目出度き折なれば一さし御舞ひ候へ。
地「     上 幾久しさの。酒宴かな。
               男舞
シテ  ワカ上 鴛鴦の。友なき水に。浮き沈み。
地   ノル上 下安からぬ思こそあれ。
シテ    下 あはれやげに我が子の幸寿があるならば。美女御前と相舞せさせ。
         仲光手拍子囃し。唯今の涙を感涙と思はゞ。いかゞは嬉しかるべき。

   ( 独吟 思ひは涙 ヨリ  留まりける マデ ) 

地     上 思ひは涙よそ目は舞の手。交るは袖の上露も下露も。おくれ先だつ憂き世の習。
         昨日は歎き今日は喜の都に帰る。これまでなりと。
         恵心の僧都は美女を伴ひ帰りければ。仲光も遥に脇輿に参り。
         此度の御不審人為にあらず。かまひて手習学問ねんごろにおはしませと。
         御暇申して帰りけるが。無慙や幸寿が御供ならばと暫しは御輿を見送り申し。
         暫しは御輿を見送り申して。うちしをれてぞ。留まりける。


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