大  会 (だいえ)

●あらすじ
 ある僧、都東北員のあたりで、子供が捉えて殺そうとしていた鳶を助けてやる。庵室へ戻った僧のもとへ1人の山伏が訪れ、生命を助けて貰った礼を言い、返礼に何でも望みを叶えようと言う。僧は、この世の望みはないが、釈迦霊鷲山での説法のさまをひとめ拝みたいという。 山伏(実は天狗)は、お安いご用だがほんのパノラマをお見せするのだからくれぐれも拝んでくれるなと固く約束させ、消え失せる。さて僧が約束の場所に赴き、閉じた目を開けると、僧の前に荘厳な釈迦の説法が展開されている。 あまりのありがたさに随喜の涙をこぼした僧が思わず拝んでしまうと、神聖な仏法を天狗ごときが玩んだと怒った帝釈天が駆けつけ、幻の大会を滅茶苦茶にし、天狗を痛めつける。 天狗は平身低頭詫び、こそこそと谷間に消え失せる。

●宝生流謡本      外九巻の五   切 能    (太鼓あり)
    季節=秋   場所=山城国比叡山   作者=
    素謡稽古順稽古順=平物   素謡時間=22分 
    素謡座席順    ツレ=帝釈天
               シテ=前・山伏 後・天狗
               ワキ=山僧

●能 大会 (だいえ)
 面を2面かけ、装束も二組着込み、舞台の上で釈迦から天狗に早変わりします。前は見えないし、重くて暑くて大変です。 間狂言も大勢出る、華やかで賑やかな稀曲です。
『大会』の舞働は面白いですね! お流儀や家によってずいぶん型に違いがあるようで、流儀の他家や他流の『大会』も面白いですが、二つの区切りを持つ三段構成の舞働を舞う同じ観世流の中でも ぬえの師家の型はさらに派手なようです。まず舞働の定型で、シテは脇座前、ツレは常座で一緒に七つ拍子を踏み、これより戦いが始まります。シテは羽団扇を振り上げ、ツレは打杖を振り上げて打ちかかり、舞台中央でツレはシテの足をすくい、シテはそれを飛び越えて下居。ツレはすぐに振り返ってシテの背中を打つ型をして「段」このときシテは左袖を頭の上に返すのが、師家の特徴的な型です。本来袖を頭の上にかづくのは、それが立ったままであれば、空を見上げるとか、または とくに意味はなくてダンスとしての「舞」の彩りとして使われることがある型ですが、下居しての型となると、通常は姿を隠す、という意味で使われる事がほとんどではないかと思います。現に『大会』でも能の一番最後にこの意味でシテが袖を頭にかづく型をしますし。(中略)
「空打ち」という以上は「斬りつけたけどお互いに外した」という意味になりましょうし、現にそういう使われ方をすることが大多数の型ではありますが、『大会』では やっぱりツレの打杖はシテにヒットし、シテのそれは不発に終わった、という意味になるようで、そのためシテは先ほどと同じく、直後に膝を突いて下居して左袖を頭に返します。これにて二度目の「段」。 まあ、これもシテが一方的に追い回されているのでしょう。橋掛リは幅が広くとってはありますが、シテもツレも持ち物を橋掛リの柱や欄干にぶつけないようにするために、この場面では必ず柱と柱の中間地点…二之松で型を行わなければなりません。…こういう細かい配慮は、じつは『大会』に限らず能を演じる上では欠かせませんで、ちょっとしたコツや知っておかなければならない注意事項はたくさんあります。こういうことは修行中の経験や先輩からのアドバイスとして段々と蓄積されていくもので、この作業を怠ると…ちょっとしたコツを知らないでいると舞台上の大事故につながったりするんですよね〜…さて、やがてシテは先に舞台に逃げ、脇座にて立ち居。ツレも後を追い舞台に入り、互いに向き合ってサシ込ヒラキをしたところで舞働は終わり、いよいよ終曲に向けてクライマックスに突入していきます。          能のひとつの到達点…『大会』 - ぬえの能楽通信ヨリ 

●能「大会(だいえ)」×比叡山
 紅葉が美しい季節になりました。ほんの短い期間ですが色の移り変わりを楽しみにされている方が多いと思います。いつもご好評いただいています白鷹酒造が企画をされている 白鷹禄水苑文化アカデミー 特別公開講座 「能のふるさと逍遥」今月は能「大会(だいえ)」をテーマに比叡山へ行って参りました。やはり標高が高いだけあり 紅葉ももうほぼ終わりかけていて、とても寒かったですが延暦寺の観光案内の方のご説明を受けながら まずは東塔、西塔、横川(よかわ)の三つに別れている谷に行ってきました。「大会(だいえ)」という能は、大がかりなこともあり どちらかと言えば演能は少ない方です。しかしとても面白い能でもあります。 天狗が主役ですが、能に出てくる天狗のほとんどは、少し間抜けなと申しますか可愛らしい天狗が多いのです。大会の天狗も、鳶に化けて町に遊びに行ったところを子供達に捕まり いじめられ、そこを お坊さんに助けられます。 能はこの後からお話が始まります。助けてもらったお礼にと、山伏の姿になった天狗が僧を訪ね、「何でも望みがあれば叶えます」と言いますが、僧は何も望むものはなく、強いて言えばお釈迦様の姿を拝みたいと願います。「天狗の魔術で見せる釈迦説法の場面だから、くれぐれも有り難がったり拝んだりしないでくれ」と約束して釈迦説法の場面を見せると僧はあまりの有り難さに思わず 涙を流して 拝んでしまい瞬く間に 天上界の帝釈天の怒りに触れすごすごと 洞窟に隠れてしまう・・・と言ったストーリーです。謡の中に山々の景色が謡われている一節をうたい 雰囲気を楽しみました。その後は 弁慶に縁のある建物等を見て、日吉神社に移動しました。日吉神社の境内の中には 立派な神楽殿が3つもありますので そちらで 少し鼓をうたせていただきました。

●比叡山延暦寺(えんりゃくじ)  所在地 滋賀県大津市坂本本町4220
   創建年 延暦7年(788年)  開基 最澄
 延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称である。延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(824年)のことであった。延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。1994年に、ユネスコの世界文化遺産に古都京都の文化財として登録されている。また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。 比叡山の歴史は『古事記』にもその名が見える山で、古代から山岳信仰の山であったと思われ、東麓の坂本にある日吉大社には、比叡山の地主神である大山咋神が祀られている。大乗戒壇設立後の比叡山は、日本仏教史に残る数々の名僧を輩出した。円仁(慈覚大師、794 - 864)と円珍(智証大師、814 - 891)はどちらも唐に留学して多くの仏典を持ち帰り、比叡山の密教の発展に尽くした。(後略)

平成24年5月18日(金)あさかのユーユークラブ  謡曲研究会


         大 会

         大 会(だいえ)  外九巻の五      (太鼓なし)
         季  秋      所 山城国比叡山  素謡時間 22分
  【分類】四五番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】前シテ:山伏、後シテ:天狗  ワキ:山僧  ツレ:帝釈天

         詞 章                    (胡山文庫)

ワキ  サシ上 それ一代の教法は。五時八教をけづり。教内教外を分たれたり。
         五時と云つぱ華厳阿含方等般若法華。四教とはこれ蔵通別円たり。
         遮那教主の秘蔵を受け。五想成身の峰を開きしよりこのかた。
          たれか仏法を崇敬せざらん。げに有難き。御法とかや。

  ( 小謡 鷲の御山を ヨリ  深山かな マデ )

地     上 鷲の御山をうつすなる。/\。一仏乗の嶺には真如の恵日まどかなり。
         鳥三宝を念じて。風常楽と音づるゝ。
         げにたぐひなき。深山かなげにたぐひなき深山かな。
シテ  サシ上 月は古殿の灯をかゝげ。風は空廊の箒となつて。石上に塵なく滑らかなる。
         苔路をあゆみよるべの水。あら心すごの山洞やな。
       詞「いかに此庵室の内へ案内申し候。
ワキ    詞「我禅観の窓に向ひ。心を澄ます所に。案内申さんとは如何なるものぞ。
シテ    詞「これは此あたりに住居する客僧にて候。我すでに身まかるべきを。
         御憐により命たすかり申すこと。かへす%\も有難う候。
         この事申さん為にこれまでまゐりて候。
ワキ    詞「これは思ひもよらぬ事を承り候ふ物かな。
         命をたすけ申すとは更に思ひもよらず候。
シテ    詞「げに御忘れは御理り。都東北院のあたりにての御事なれば。
         定めて思し召し合はすべし。
       下 かばかりの御志。などかは申し上げざらん。
       詞「我正身通を得し身なり。此悦びとてもされば。何にても御望みあらば。
         真に叶へ申すべし。
ワキ    詞「げにさる事のありしなり。又望を叶へ給はん事。此世の望更になし。
         たゞし釈尊霊鷲山にての御説法のありさま。
         まのあたりに拝み申したく候。
シテ    詞「それこそ易き御望なれ。まことさやうに思し召さば。
         すなはち拝ませ申すべしさりながら。誠貴しと思し召さば。
         定めて我が為悪しかるべし。
       下 かまへて疑ひ給ふなと。
地     上 かへす%\も約諾し。/\。さあらばあれに見えたる。杉一村に立ちよりて。
         目をふさぎ待ち給ひ。仏の御声の聞えなば其時。両眼をひらきて。
         よくよく御覧候へと。いふかとみれば雲霧ふりくる雨の足音。
         ほろ/\とあゆみ行く道の。木の葉をさつと吹きあげて。
         梢にあがり谷にくだりかき消すやうに。
         失せにけり かき消すやうに失せにけり/\。
                 来序 中入り 出羽
後シテ   上 それ山は小さき土くれを生ず。かるが故に高き事をなし。
         海は細き流を厭はず故に。深き事を見す。
地      上 ふしぎや虚空に音楽ひゞ。/\。ふしぎや虚空に音楽響来。
         佛の御声あらたに聞ゆ。両眼をひらき。あたりを見れば。
シテ    上 山はすなはち霊山となり。
地     上 大地は金瑠璃。
シテ    上 木はまた七重宝樹となつて。
地     上 釈迦如来獅子の座にあらはれ給へば。普賢文殊左右に居給へり。
         菩薩聖衆雲霞の如く。砂の上には龍神八部おの/\拝し。囲繞せり。
シテ    下 迦葉阿難の大声聞。
地     下 迦葉阿難の大声聞は。一面に座せり。空より四種の花ふりくだり。
         天人雲に連り微妙の音楽を奏す。
         如来肝心の法文を説き給ふ実に有難き。景色かな。
ワキ    下 僧正其時たちまちに。
地     下 僧正其時たちまちに。信心を起こし。随喜の涙眼に浮び。
         一心に合掌し帰命頂礼大恩教主釈迦如来と。恭敬礼拝するほどに。
         俄に台嶺。ひゞき震動し帝釈天よりくだり給ふと見るより天狗。
         おのおのさわぎ恐をなしける。不思議さよ。
                 イロエ 早笛
地     上 刹那が間に喜見城の。/\。帝釈現れ数千の魔術を。あさまになせば。
         ありつる大会。ちり%\になつてぞ見えたりける。
                 舞働き
ツレ    下 帝釈此時いかり給ひ。
地     下 帝釈此時いかり給ひて。かばかりの信者をなど驚かすと。
         たちまちさん%\に苦を見せ給へば羽風をたてゝ。
         翔らんとすれどももぢり羽になつて。飛行も叶はねばおそれ奉り拝し申せば。
         帝釈すなはち雲路をさして。あがらせ給ふ。其時天狗は岩根をつたひ。
         下るとぞ見えし。岩根をつたひ下ると見えて。深谷の岩洞に。入りにけり。


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る