鳥 追 (とりおい)

●あらすじ
九州薩摩国日暮(ひぐらし)の何某が訴訟のため都へ上って留守中の十数年間、残された妻と子は家人の左近尉(さこのじょう)らを頼りに生活しています。ところが、今年は田の作物を食い荒らす雀が特に多いため左近尉はその鳥追いを日暮の子花若にもするようにと言います。従わなければ家を追い出されてしまうので、年端もゆかぬ花若と母は鳥追舟に乗り、家人との立ち場の逆転を嘆きつつ群雀を追います。一方、訴訟もようやく片づいた日暮の何某が故郷に帰ると名物の鳥追舟が多く出て鼓や羯鼓を打ち鳴らしています。その中の一艘を呼び寄せれば驚いたことに我が妻子が乗っています。左近尉の仕打ちに何某は立腹し、即座に切り捨てようとします。が、十年以上も不在だった主人にも責任があると、との妻の言葉に左近尉は許され、もとの平和な生活に立ち返るのでした。                       
(「宝生の能」平成13年11月号より)

●宝生流謡本(参考)   外9巻の4  四番目  (太鼓なし)
  季節=秋    場所=薩摩国日暮里
  素謡(宝生)  : 稽古順=入門 素謡時間48分 
  素謡座席順     子方=花若   
              シテ=前後・日暮某の妻 
              ワキ=左近の尉 
              ワキツレ=日暮某

●観能記
能「鳥追船」 喜多流
義理能と貫狂能をミックスしたような能。中世、夫から三年便りがないのは、女の再婚を認める条件ではなかったろうか。都に訴訟に行ったきり十年も帰らない夫を持つ妻は、一子花若を育てながら、諦念に明け暮らす女と云うイメージ。花若に鳥追いを命じる左近の尉を「情けなき者」と非難する妻に、左近の尉が反駁する。主の代わりに「御留守とは半年、一年を云うもので、既に十箇年の余り」日暮殿の妻子の世話をしていたのに、それが「情けなき者」かと、反論するのも詭弁のようだけれど一理ではある。この辺りで早めに中入りする。そのころ、日暮殿は自訴に安堵して(現代で云う勝訴)国許へ帰還しつつあった。まだ幼い花若に付き添い、鳥追船に乗ったシテの妻が、鼓を打つ物狂的なシーンとなる。終始、船上での所作のみで船を下りての所作はない。地謡「夜寒の砧打つとかや」からシテ謡「恨みは日々に増されども」の辺りの雰囲気は「砧の女」のよう。夫の帰りを10年待ち続けた、孤閨を託つ妻の恨みが滲む。仄かな色気も漂う。物狂物の定型で、日暮殿は鳥追いをする船上の二人に初め気がつかない。10年も経っているから、妻も子も様変わりし、面影は薄れている。(そもそも写真などない時代。子にも初対面かもしれない)まさか、妻子が鳥追いをしているとは考えてもいない日暮殿である。しかし、花若とは言葉を交わしても、妻に言葉をかけない白々とした夫に、妻は戸惑い遅れがちに船を降りる。そして、(あなたが悪い)のラストの一言は、やはりドラマとして凄く面白い。「めのとの科(とが)もさむらわず。唯、久々に捨ておきたる花若が父の科ぞとよ。あやまって仙家に入りて、半日の客人たりといへども、故郷に帰ってわづかに七世の孫にあへるとこそ、承りて候へとよ。況んや十余年の月日ありありて、けふしもかかる憂き業をみみえ申すは不詳なり」(喜多流の詞章は少し違うかもしれない)三者三様の道理の衝突をまとめて仲裁役となるシテは、武士(もののふ)の賢明な北の方と云ったところ。本当に怒り心頭なのは、日暮殿でも左近の尉でもなく、この妻だろう。物狂の場面の印象がどことなく薄いのは、意図したことのように思えた。もう少し泥臭いような雰囲気があった方が、面白くなると思いつつ。泥臭さとは対極にあるのが、今の友枝昭世の都会的洗練や美意識であるのだろう。しかし、心理描写がとても面白い能だった。やっぱりどこかフランス映画のよう。   (後略)

●謡蹟めぐり            www.harusan1925.net/0521.html ヨリ(
平19・3高橋春雄記)
母合橋と鳥追の杜 平成三年三月 川内市教育委員会」
現地の伝説=この曲は現地の伝説にちなんだものであるが、母合橋に立つ案内には次のように記されている。「母合橋 昔、ここは「母逢いの渡し」と呼ばれ、この地にまつわる伝説が残っています。室町時代の謡曲「鳥追舟」であり、江戸時代の三国名勝図会の「日暮の里」であります。 三国名勝図会には「宮里村に母逢川あり其の渡口を母逢の渡と号す、又二人の子、母を慕ひて此の川涯に至り、岸を隔て母に見え、甚だ悲嘆せるよりの名なりとぞ・・・」とあり、有名な日暮長者伝説の地であります。 向田町日暮岡に日暮長左衛門という長者が住んでいました。この長者には、今の宮里町清水生まれの柳御前という妻と、娘お北と息子花若丸の二人の姉弟がいて幸福な日々を送っていました。長者の家臣左近尉は悪巧みをして柳御前と離婚させ、左近尉と親しいお熊の方と結婚させました。その後長者は土地問題で京に行き十年余の歳月が流れ、その間左近尉とお熊は二人の姉弟にきつく命令し田に集る雀の群れを追わせていました。来る日も来る日も、雨の日も風の日も鳥追舟に乗って雀を追わなければなりませんでした。あまりのつらさに思いだすのは母柳御前のこと、母も我が子二人が恋しくてたまらず、三人は人目を忍んでは母逢の渡しで川をはさんでいつもこの川岸に出て逢って共に涙を流していたという悲話の秘められた地であります。現在の橋は、平成元年に架けられた近代的な橋でその名称も「母合橋」と記され、橋の親柱には伝説を物語る母と子が対面する姿、欄干には雀を追う姉弟の姿等がデザインされ当時を忍ばせています。また、鳥追の杜に立つ案内板には、ほぼ同じ内容の伝説が紹介されているが、最後のほうには弟が川に身を投げたと次のように記している。「 連日の虐待に耐えかねた姉弟は身をはかなんで平佐川に身を投げた。村人たちは、これをあわれみ、この地に塚を建て、ねんごろにその霊を弔った。謡曲の「鳥追」はこの伝説にちなんだものである。母合橋と鳥追の杜=母合橋は川内市内を流れる隈之城川が川内川に合流する少し手前に架けられた橋で平成元年3月に完成と記されている。橋には川を挟んで親子が対面する姿や、雀を追う姉弟の姿をデザインした欄干がある。また川内駅の近くには鳥追の杜があり、村人たちは身を投げた姉弟を哀れみ、鳥を追ったこの地に塚を建て、観音像を安置してその霊を弔ったという。

JR川内駅前の銅像は「鳥追」。鹿児島県川内市 
なんと、能の演目で薩摩の国が舞台なのはこの鳥追のみだそうで、川内がゆかりの地ということで立てられていました。能の銅像がある駅って珍しいです。「鳥追」は現行曲の中でもあまり演じられないもので、私も一回しか見たことがありません。その昔、薩摩の国の日暮の里に、日暮の某が住んでいました。彼には妻子がおりましたが、訴訟のために母子を残して都へ上りました。それから10年あまり。生活は家来の左近尉が面倒を見ておりましたが、あるとき田んぼに鳥が多く、これを追う者がいないので、親子にも追うように言いました。もし負わなければ、家を追い出すと。泣く泣く鳥追船に乗って鳥を追っているところに、10年ぶりに日暮の某が帰郷します。日暮は家来の仕打ちに怒り、左近尉を手打ちにしようとしますが、妻のとりなしで罪を許します。主人の妻子を使用人のように使った家来が悪い、ともいえますが、いつ帰るともわからない主人の妻子の面倒を10年もみた家来を手打ちにするのはなしでしょう。「主従関係は絶対」ということを言うために、江戸時代の現行曲に残されたのだとは思いますが、その心情の理解は、今となっては難しいものです。

平成25年3月15日(金)  あさかのユーユークラブ  謡曲研究会


       鳥 追

         鳥 追(とりおい)  外九巻の四     (太鼓なし)
         季 秋    所 薩摩国日暮の里  素謡時間 48分
  【分類】四番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】 シテ:日暮某の妻、ワキ:佐近の尉 ワキズレ:日暮の某 子方:花若

         詞 章                    (胡山文庫)

ワキ     詞「かやうに候ふ者は。九州薩摩の国日暮殿の御内に。
         左近尉と申す者にて候。偖も此日暮の里と申すは。
         前には大河流れ。末は湖水につゞけり。この湖より群鳥上つて。
         浦向の田を食み候ふ間。毎年鳥追舟をかざり。田づらの鳥を追はせ候。
         又頼み奉る日暮殿は。御訴訟の事あるにより御在京にて候ふが。
         其御留守に北の御方と。花若殿と申す幼き人の御座候。
         あまりに鳥追はせうずる者もなく候ふ間。花若殿を雇ひ申し。
         田づらの鳥を追はせ申さばやと存じ候。いかに花若殿の御座候か。
         左近の尉が参りたると仰せ候へ。て候。やあいかに花若殿。
         某が参り参りたると御申し候へ。
子方    詞「いかに申し候。左近の尉が参りて候。
シテ    詞「此方へ来たれと申し候へ。
子方    詞「かしこまつて候。此方へ来たれ候へ。
ワキ     詞「唯今参る事余の儀にあらず。都道者の申し候は。
         殿はこの秋の頃御下向あるべき由申し候。
シテ    詞「何とこの秋の頃御下りあらうすとや。さぞ花若が嬉しう思い候らん。
ワキ     詞「げにげに花若殿の御悦喜持つとも似て候。又恐れ多き申し事にて候へども。
         当年某がふねに更に鳥追はせうずる者なく。候へば何の苦しう候べき。
         花若殿御出あつて田づらの鳥を追うて御遊び候へかしと。
         この事申さんために参りて候。
シテ    詞「何と花若に鳥を追へと候か。花若が事は稚けれども。
         左近の尉がためには主にてはなきか。
         主に鳥追へなどは余りに情けなき事を申し候。
ワキ    詞「何と左近の尉は情なき者と仰せ候ふか。まづ御心を静めて聞しめされ候へ。
         人の御留守などと申すは。五十日百日。乃至一年半年をこそ御留守とは申せ。
         既に十箇年の余り。扶持し申したる左近の尉が情なき者にて候ふか。
         所詮ことば多き者は品少なし。花若殿御出あつて鳥追ひなくば。
         この家をあけて何方へも御出で候へ。
シテ    詞「げにげ理りなり。花若が事は稚く候へば。みづから出でて鳥を追ひ候ふべし。
ワキ    詞「それこそ思ひもよらぬ事。花若殿の御事は稚き御事にて御座候へば。
         苦しからざる御事にて候。上臈の御身にて御出あるべきなどと仰せ候ふは。
         某が名を御立て候間。中々思ひもよらず候。
シテ    詞「さらば花若と諸共に出でて鳥を追ひ候ふべし。
ワキ    詞「それはともかくもにて候。御笠ふかぶかと召され御出て候はば。
          見物の衆と見え候べし。さらば明日舟を浮めて待ち申さうずるにて候。
         花若殿。必ず御出であつて取りを御追い候へ。
シテ    上 げにや花若ほど果報なき者よもあらじ。さしも祝ひて月の春。
         花若とかしづくかひもなく。落ちぶれ果ててあさましや。
地     下 賎が鳴子田引きつれて鳥追舟に乗らんとて。
       上 共に涙の露しげき。/\。稲葉の鳥を立てんとて。
         人も訪はざる柴の戸を。親子伴ひ立ち出づる。/\。
                 中入り
ワキ  次第上 秋も憂からぬ古里に。/\。帰る心ぞ嬉しき。
ワキヅレ  詞「これは九州日暮の何某にて候。偖も某自訴の事あるにより。
         十箇年に余り在京仕り候ふ所に。訴証悉く安堵し喜悦の眉を開き。
         唯今本国に罷り下り候。
                 狂言シカ%\ ワキ一セイ
後ワキ サシ上 面白や昨日の早苗いつのまに。稲葉もそよぐ秋風に。田面の取りを追うとかや。
                  狂言シカ%\
後シテ   上 我等は心うき鳥の。下安からぬ思の数。群れゐる鳥を立てんとて。
         身を捨舟に羯鼓を打ち。
ワキ    上 或は水田に庵を作り。
シテ    上 又は小舟に鳴子をかけ。
シテ子方ワキ上 ひきつるゝ。湊の舟の落汐に。
地     上 浮き立つ鳥や。騒ぐらん。
シテ    上 鳥も驚く夢の世に。

  ( 小謡 われらが業こそ ヨリ  頼かな マデ )

地     上 われらが業こそ。うつゝなき。
       上 げにや夢の世の。何か喩にならざらん。/\。
         身はうたかたの水鳥の。浮寝定めぬ波枕。うち靡く秋の田の。
         穂波につれて浮き沈み面白の鳥の風情や。此頃は。猶秋雨の晴間なき。
         水陰草に舟よせて。われらも年に一夜妻。逢ひもやすると天の川。
         上の空なる頼かな/\。
シテ  サシ下 さるにても殿は此秋の頃。下り給ふべきなどと申しつれども。
         それもはや詞のみにて打ち過ぎぬれば。後々とてもたのみなし。
         たゞ花若が果報のなきこそうたてしう候へ。
子方    上 げにや落花心あり人心なし。たとひ父こそ訴訟のならひ。
         永々在京し給ふとも。左近の尉情ある者ならば。
         みづからが名をもくだし。母御に思をかけ申す事よもあらじ。
         あはれ父御に此恨を。語り申し候はゞや。
シテ    下 たとひ訴訟はかなはずとも。父もろともに添ふならば。
         かくあさましき事よもあらじ。
地     下 いつまでか。かゝるうきめを水鳥の。はかなく袖を濡すべき。
ワキ    詞 「これはさて何事を御歎き候ふぞ。歎くことあらば我が家に帰りて御歎き候へ。
         御覧候へ余の田の鳥は皆立ちて候ふが。左近の尉が田の鳥は未だ立たず候。
         何の為雇ひ申して候ふぞ。急ぎ鳴子をも引き。鞨鼓をも打つて御追い候へ。
子方 カカル上 悲しやな家人にだにも恐るれば。身の果さらに白露の。
ワキ    上 晩稲の小田も刈りしほに。色づく秋の群鳥を。
シテ    上 をふの浦舟漕ぎつれて。
ワキ    上 思ひ/\の囃子物。
シテ    上 あれ/\見よや。
シテワキ  上 よその舟にも。

  ( 小謡 打つ鼓 ヨリ  いざや追はうよ マデ )

地     上 打つ鼓。/\。空に鳴子の群雀。追ふ声を立て添へさて
         いつも太鼓は鼕々と風の打つや夕波の。花若よ悲しくとも追へや/\水鳥。
         いとせめて。恋しき時は烏羽玉の。よるの衣をうちかへし。
         夢にも見るやとて。まどろめばよしなや。夜寒の砧打つとかや。
シテ    下 恨は日々に増れども。
地     下 恨は日々に増れども。哀とだにもいふ人の。涙の数そへて。
         思ひ乱れて我が心。しどろもどろになる鼓の。
         篠なき拍子とも人や聞くらん恥かしや。
シテ    上 家を離れて三五の月の。
地     上 隈なき影とても。待ち恨みとことはに心の闇はまだ晴れず。
シテ    下 すは/\群鳥の。
地     下 すは/\群鳥の稲葉の雲に立ち去りぬ。又いつかあふ坂の。
         木綿附鳥か別の声。鼓太鼓打ち連れて猶もいざや追はうよ。
ワキ     詞「あら嬉しや今こそ某が田の鳥は皆立つて候へ。まづ/\御休み候へ。
ワキヅレ  詞「鳥追舟に眺め入りて。故郷に帰るべき事を忘れて候。舟ども多き中に。
         羯鼓鳴子を飾りたる舟面白う候。此舟を近づけ見ばやと存じ候。
         やあいかにあれに羯鼓鳴子飾りたる舟を近う寄せいやい。
ワキ     詞 あら不思議や。此あたりにおいて。
         左近の尉が舟あれ寄せよなどと云はうずる者こそ思ひもよらね。
         これは旅人にてありげに候。ああ存外なる者かな。
ワキツレ  詞 やあやああの舟よせよとこそ。
ワキ     詞 これはなか/\不審なりとて。漕ぎ浮べたる鳥追舟。
         さし近づけてよく/\見れば。これは日暮殿にて御座候ふか。
         偖御訴訟は候。
ワキツレ  詞「さん候訴訟悉く安堵し。唯今本国へ帰り候。あれなるは汝が子にてあるか。
子方    詞「いやこれは日暮殿の子にて候。
ワキツレ  詞「さてあれなるは汝が母か。
子方    詞「さん候母御にて御入り候。
ワキツレ  詞「それは何とて賎しき業をば致すぞ。
子方    上 父は在京とて。また音信も候はず。頼みたる左近の尉。
         此秋の田の群鳥を追へ。さなくば親子もろともに。
         我が家の住まひかなふまじと。いふ言の葉の恐ろしさに。
         身をすて舟に羯鼓を打ち。ならはぬ業を汐干の浪。あさましき身となりて候。
ワキツレ  詞「言語道断の事。それ弓取の子は胎内にてねぎことを聞き。
         七歳にて親の敵を討つとこそ見えたれ。況んや汝十歳に余り。
         さこそ無念にありつらんな。唯これと申すも某が永々在京の故なれば。
         一しほ面目なうこそ候へ。唯今左近の尉を討つて捨てうずるにてあるぞ。
         此方へ来り候へ。いかに左近の尉。おのれは不得心なる者かな。
         汝をめのとに附け置く上は。さこそ煩もありつらん。
         いかさま国に下るならば。如何やうなる恩賞をもなどと。
         都にてあらましのかひもなく。結句主を追つ下げて。
         下人に使ふべき謂ばしあるか。何とて物をば云はぬぞ。
シテ    上 めのとの科もさむらはず。唯久々に捨ておきたる。花若が父の科ぞとよ。
       下 あやまつて仙家に入りて。半日の客たりといへども。
         故郷に帰つて纔に七世の孫にあへるとこそ。承りて候へとよ。
         況んや十箇年の月日あり/\て。けふしもかゝる憂き業を。
         み合ひ申すは不祥なり。
地     上 唯願はくは此程の。恨をわれら申すまじ。左近の尉が身の科を。
         親子に免しおはしませ。
ワキツレ  下 此上は。いなとはいかゞ稲莚の。
地      下 小田守も秋過ぎぬはやはやゆるす左近の尉。

  ( 小謡 さて其後に ヨリ  久しかりけれ マデ )

     キリ下 さて其後にかの人は。/\。家を花若つぎ桜。
         若木の里にかくれなき。五常正しき弓取の。
         末こそ久しかりけれ。末こそ久しかりけれ。


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