金  札 (きんさつ)

●あらすじ
 平安京を完成した桓武天皇が、伏見にも神社を造ろうと勅使を送ります。伏見に着いた勅使は、参詣している一人の老翁に目を止めます。老翁は伊勢の国阿漕が浦の者だと告げて、王法を尊び、造営にちなんで木尽しの歌を謡います。その時、不思議なことに天から金札が降り、勅使がこれを取って読むと伏見に住むと誓う言葉があります。老翁は、伏見とは日本の総名であると教え、そのいわれなどを説いた後、金札を取ってかき消えますが天に声が残り、我は伊勢大神宮の使いの天津太玉神であると告げます。そこへ里の男が現れ、本社と並べて金札の宮を作れば必ず天下泰平の御守りがあるであろうと勧めます。やがて楽の音に誘われて天津太玉神が現れて、弓矢で武徳を表わし日本国を寿いで神威を示し、君を守り国を治める印の金札を宮に納めて再び姿を消します。
(「宝生の能」平成11年3月号より)

●宝生流謡本      外八巻の一      脇 能    (太鼓あり)
    季節=春    場所=山城国伏見   作者=観阿弥
    素謡稽古順稽古順=平物        素謡時間=26分 
    素謡座席順   シテ=前・老翁 後・天津太玉姫
               ワキ=勅使

●金札宮
 金札宮は、酒蔵の並ぶ京都市伏見区の中央部、伏見区役所を少し上がった鷹匠町に鎮座している。以下、当宮の由緒書による。 天平勝宝二年(750年)長さ2丈におよぶ流れ星が降るという異変があり、孝謙天皇が深く憂慮されていた時、伏見久米の里に翁が居て、白菊を植えて楽しんでいる所業が、いかにも奇妙なので、里人が翁に名前を問うたところ、『吾は、太玉命で天下の豊秋を喜び、年久しく秋ごとに白菊を賞でて来たり、もし干天で、稲が枯れる時には白菊の露を灌がむ』と、手に持った白菊を打ち振るうと、たちまたにして、清水が湧き出てきて尽きる事がない。そして言われるには、『人々、一度この白菊に霑えば、たちどころに福運が着いて、家運は長く隆盛し、子孫繁栄し、火災の禍から除かれるであろう』 里人は、この奇端に驚き天皇に奏上したところ、天皇は事のほか喜ばれ〈金札白菊大明神〉の宸翰を里人に与えられたので、里人は力を合わせて社殿を造営したと記録されている。 伏見(高天原より臥して見たる日本のこと)に宮居建設中、突然金の札が降り、札には「長く伏見に住んで国土を守らん」という誓いが書いてあった。何事かと人々が集まって来るうちに、虚空から声がして、『我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣を作るべし』と、聞えたという話になっている。三柱の祭神とは次による。
□天太玉命(白菊大明神) (あめのふとだまのみこと)
 天照大御神が天の岩戸に幽居された時、天太玉命は、天児屋根命、手置帆負命の諸神等を卒い、
 大幣を捧持して祈祷し、大神を和し奉る功績がある。御名を太玉と言うのは、太玉串(大幣)の
 省かれたるによる。
□天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
 伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓し給いて左の御目を洗い給いし時になり
 ませり、と古事記にあり。日本書紀には、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、二神が力を合わせ大八
 州国を経営し給いて、山川草木の霊を生み給うや、相謀りて如何にぞ天下の主を生まざらめやと
 して大御神を生み給うとある。 大御神は我が国家皇室の御祖神で永く伊勢に斎き祀られ給ふ。
□倉稲魂命 (うがのみたまのみこと)
 食物を主宰する神である。日本書紀には、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、二神の御子とあり、古 
 記には、須佐之男命の御子と伝えられている。天太玉命の命により、五穀の種を伏見の里に蒔き、
 耕業を盛んならしめた神徳から金札宮の本殿に祀られる。

●能 金札  (きんさつ)
 平安京を完成した桓武天皇が、伏見にも神社を造ろうと勅使を送ります。伏見に着い平安京を完成した桓武天皇が、伏見にも神社を造ろうと勅使を送ります。伏見に着いた勅使は、参詣している一人の老翁に目を止めます。老翁は伊勢の国阿漕が浦の者だと告げて、王法を尊び、造営にちなんで木尽しの歌を謡います。その時、不思議なことに天から金札が降り、勅使がこれを取って読むと伏見に住むと誓う言葉があります。老翁は、伏見とは日本の総名であると教え、そのいわれなどを説いた後、金札を取ってかき消えますが天に声が残り、我は伊勢大神宮の使いの天津太玉神であると告げます。そこへ里の男が現れ、本社と並べて金札の宮を作れば必ず天下泰平の御守りがあるであろうと勧めます。やがて楽の音に誘われて天津太玉神が現れて、弓矢で武徳を表わし日本国を寿いで神威を示し、君を守り国を治める印の金札を宮に納めて再び姿を消します。  歴史年表 
◆奈良時代、750年、女帝の第46代・孝謙天皇が「金札白菊大明神」の宸翰(しんかん、天皇自筆 
 の文書)を贈り、里人が社殿を造営したという。
◆平安時代、貞観年間(859-876)、また第56代・清和天皇の頃(在位858-876)、官人・橘良基が
 阿波国より天太玉命を勧請したともいう。
 1299年、第93代・後伏見天皇は荘園を寄進し栄えた。
◆室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失している。
◆鎌倉時代、第96代・後醍醐天皇の時(在位1318 - 1339)、代々の社司・金松弥三郎(弥三郎宗
 広北条継貞従族、久米村地侍)が本願寺の存覚に帰依する。性空坊了源と号し、境内に神宮寺の 
 久米寺を建立した。
 1322年、金札宮境内に久米寺を再興し、粂(くめ)神宮寺と呼ばれたという。
 1355年、寺名を西方寺と改める。
◆室町時代、第104代・後柏原天皇の時(在位1501-1526)、社殿の修繕の勅があり社勢を取り戻
 したという。
◆安土・桃山時代、1592年、豊臣秀吉による伏見城築城の際に、文禄年中(1593-1596)、久米村も
 寺も、久米町(現在地の北西)、また御駕篭町(現在地の西方250m)に移されたという。金札宮は守
 護神として伏見城内、鬼門の伏見山艮(うしとら)の方角に移されたという。
 1600年、関ヶ原の戦いで落城後、現在地の北250mに移されたともいう。
◆江戸時代、徳川家康の伏見城時代(1603-1623?、1604とも)、喜運(きうん)による喜運寺(鷹匠町、 
 現在地の北隣)創建に伴い、境内に鎮守社とし金札宮を再興したという。
 1604年、尾張藩邸建設予定地に当たり、金札宮は風呂屋町(現在地の南西)に移されたともいう。
 慶長年間(1596-1615)、洛没により現在地(鷹匠町)に移されたともいう。
 1846年、伏見奉行・内藤豊後守の許可により社殿造営が始まったという。
 1848年に現在の社殿が完成した。
◆近代、神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈により、金札宮は喜運寺より独立した。
◆現代、2010年、恵比須・寶惠駕籠巡行祭が55年ぶりに復活した。
  
●能「金札」伏見金札宮    
(岩波「日本古典文学大系・謡曲集」〈観世流では省略されている〉)
「金札」は、世阿弥の遺著『五音』に「伏見、亡父曲付」あり、観阿弥作の古い脇能である。
桓武天皇の平安奠都の際、伏見の里に社殿造営の勅命を下されたので、勅使が伏見に下向すると、天より金札が降り下り、取り上げると「永く伏見に住んで、この国を守護する」と記されていた。そして虚空より「われは伊勢大神宮の遣わされた天津太玉の神である」との声が聞えた。 そして天津太玉の神が姿を現し、金札と弓矢で悪魔を降伏させ、社殿に入り鎮座なさると、揺るぎない平和な御代になった。    

平成17年7月22日(金) あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


金  札

         金 札(きんさつ)  外八巻の一   (太鼓なし)
         季 春      所 山城国伏見  素謡時間 26分
  【分類】四五番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:天津太玉命   ワキ:勅 使 

         詞 章                  (胡山文庫)

ワキ  次第上 風も静かに楢の葉の。/\。鳴さぬ枝ぞ長閑けき。
ワキ     詞「抑これは桓武天皇に仕へ奉る臣下なり。さても山城の国愛宕郡に。
         平の都を立て置き給ひ。国土安全のみぎんなり。同じく当国伏見の里に。
         大宮造あるべきとの勅諚を蒙り。唯今伏見に下向の仕り候。
ワキ  サシ上 それ久方の神代より。天地ひらけし国の起り。天の瓊矛の直なるや。
         名も二柱の神こゝに。八洲の国を作り置き。皇代なれや大君の。
         御影のどけき時とかや。

  ( 小謡 青丹よし ヨリ  光や磨くらん マデ )

    道行上 青丹よし楢の葉守の神心。/\。末暗からぬ都路の。
         直なるべきか菅原や伏見の里の宮造り。大内山の陰高き。雲の上なる玉殿の。
         月も光や磨くらん/\。
シテ  サシ上 あら貴の御造や。聞くも名高き雲の垣。霞の軒も玉簾。
          かゝる時代に逢ふ事よと。命うれしき長生の。あつぱれ老の思出や。
ワキ     詞「不思議やな参詣の人々多き中に。けしたる宜禰御幸の先に進むぞや。
         そも御身はいづくより参詣の人ぞ。
シテ    詞「これは伊勢の国あこぎが浦に住む者なるが。当社伏見の大宮造り。
         天も納受し地もうるほふ。王法を尊み来りたり。
ワキ カカル上 そも王法を尊むとは。いかなる望のあるやらん。
シテ    詞「そもかゝる身の望とは。
       下 そら恐しや此年まで。命すなほに愁もなく。上直なれば下までも。
         豊に治まるこの国の。
地     下 千代をこめたる竹の杖伏見はこれか宮所。
         参りて拝むこそ朝恩を知れる心なれ。
地     上 春は花山の木を伐れば。/\。袂にかゝる白雪。深き井桁を切るなるは。
         欄井の釣瓶縄。又泰山の山下水その巌石を切石。

  ( 連吟 車を造る ヨリ  恐あり伐るまじ マデ )

   ロンギ上 車を造る椎の木。/\。
シテ    上 船を作する揚柳。
地     下 木の間になさん槻の木。
シテ    下 それは秋立つ桐の木。
地     上 君に齢をゆづり葉や。
シテ    上 千年の松は伐るまじ。
地     上 名は春の木の枝ながら。花はなど榊葉。これは神の宿木。恐あり伐るまじ。
シテ    詞「あら不思議や。天より金札の降り下りて候。
         すなはち金色の文字すわれり読み上げ給へ。
ワキ    詞「げに/\天より金札の降り下りて候ふぞや。取りあげ読みて見れば何々。
      上 そも/\我が国は。真如法身の玉垣の。内に住めるや御裳濯川の。
         流絶えせず守らんために。伏見に住まんと誓をなす。
シテ    詞「さてこの伏見とは。何とか知し召されて候ふぞ。
ワキ カカル上 事も愚や伏見の宮居。この御社の事なるべし。
シテ    詞「あら愚や伏見とは。総じて日本の名なり。
       下 伊奘諾伊奘册の尊。天の磐座の苔筵に。臥して見出したりし国なれば。
         伏見とはこの秋津洲の名なるべし。
地     下 人知らぬ事なりこの国も伏見里の名も。伏し見る夢とも現とも。
         分かぬ光の中よりも。金の札をおつ取つて。かき消すやうに失せけるが。
         しばし虚空に声ありて。
シテ    上 これは伊勢大神宮の御つかはしめ。天津太玉の神なり。
       詞「なほしも我を拝まんと思はゞ。重ねて宮居を作り崇むべしと。
地     上 迦陵頻伽の声ばかり。虚空に残り。雲となり雨となるや雷の。
         光の中に入りにけり/\。
                来序 中入り 出羽
地     上 楽に引かれて古鳥その。舞の袖こそ。ゆるくなれ。
後シテ   上 守るべし。我が国なれば皇の。万代いつと。限らまし。
地     上 限らじな限らじな。栄ゆく御代を守りのしるし。
シテ    上 ただ重くせよ。神と君。
地     上 重くすべしや重くすべしや扉も金の御札の神体光もあらたに。見え給ふ。
地   ノル上 四海を治めし御姿。/\。
シテ    上 あらたに見よや君守る。
地     上 八百万代のしるしなれや。悪魔降伏の真如のつき弓さて又次にはさばへなす。
         荒ふる神も祓のひもろぎその神託は数々に。左も右も神力の。
         悪魔を射払ひ清をなすも。金胎両部の。形なり。働

  ( 独吟・仕舞 とても治まる ヨリ  御代とぞなりにける マデ )

シテ  ノル下 とても治まる国なれば。
地     下 とても治まる国なれば。中々なれや君は船、
         臣は瑞穂の国も豊に治まる代なれば東夷西戎。
         南蛮北狄の恐なければ弓をはづし。剣を収め。
         君もすなほに民を守りの御札は宮に。納まり給へば影さしおろす玉簾。
         影さしおろす玉簾の。ゆるがぬ御代とぞなりにける。


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