草紙洗(そうしあらい)
●あらすじ
宮中での御歌合わせの会に、大伴黒主の相手は小野小町と決まりました。詠歌でかなわないと思った黒主は、前夜小町の家に忍び入り、小町が明日吟ずる歌を盗み聞き、それを万葉の草子に書き入れておきます。翌日、清涼殿の御歌会には、帝をはじめ、紀貫之や男女の歌人が居並びます。いよいよ小町の歌が披露されると、黒主は、その歌は万葉の古歌であると抗議し、証拠にと、昨夜書き込みをした草子を示します。小町は帝の御前なので争うことができずに悲しみ、せめて黒主の出した草子を洗わせてほしいと願います。帝の許しを得て洗ってみると、小町の一首だけが消え失せ、黒主の入れ筆であることが露見し、小町の潔白が証明されます。黒主は自害しようとしますが小町の取りなしで帝も許され、めでたい雰囲気となり、小町は勧められて和歌の徳を讃えた舞を舞います。 (「宝生の能」平成11年5月号より)
●(宝生流謡本 外六巻の三 三番目 (太鼓なし)
季節=夏 場所=京都 素謡(宝生)
:稽古順=初序 素謡)時間=50分
素謡座席順 立衆=朝臣
ツレ=紀 貫之
シテ=小野小町
ワキ=大伴黒主
子方=王
●参 考
「草子洗小町」(そうしあらいこまち)は能の演目の一つで、三番目物、現在鬘物、大小物に分類される。歌合を舞台に小野小町が、大伴黒主の姦策を機知によって退ける様を描く。 作者は世阿弥、また観阿弥などともされるが、不明。ただし作品からは、「教養はないが劇作術にたけた」作者像が窺われる。
登場人物(観世流の場合)
前ジテ:小野小町 -
若女または深井、小面/唐織着流女出立(紅入)
後ジテ:小野小町 - 壷折大口女出立(紅入)
子方:天皇 - 初冠狩衣指貫出立
ツレ:紀貫之 - 風折狩衣大口出立
立衆:朝臣 - 風折狩衣大口出立
立衆:官女 -
連面/壷折大口女出立(紅入)[5]
前ワキ:大伴黒主 - 風折長絹大口出立
後ワキ:大伴黒主 - 風折狩衣大口出立
アイ:黒主の従者
●典 拠
作中で催される歌合は架空のものであり、史実には基づかない。特定の典拠となった作品は不明であるが、『続古事談』に見える源師房家での歌合における平棟仲の逸話などから創作されたとも想像される。 小野小町、大伴黒主はともに六歌仙に数えられる歌人であり、『古今和歌集』仮名序で、小町は「いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし」、黒主は「そのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評されたことが良く知られる。また、その評の筆者である紀貫之を初め、河内躬恒、壬生忠岑といった著名な歌人たちが、歌合の参加者として曲中に名を連ねている。
●流派間の差異
観世流と喜多流では「草子洗小町」と称し、宝生流・金春流・金剛流では「草紙洗」いうように「草紙洗小町」とそれぞれ曲名の表記が異なる。また観世・喜多の二流と他の三流とでは、演出にも異なる部分がある。 小書として、観世流では「彩色」、「乱拍子之伝」。宝生流では「乱拍子」があり、後ジテの装束、最後の舞などに違いがある。
●評 価
活躍した時代の異なる歌人たちを同時代の人物として一同に会するなど、史的考証の面では明らかな誤りが多く、また「草紙を洗う」という突飛な展開や、小町が作中で詠む歌など「稚気あふれる作品」と評され、「荒唐無稽」な筋立ての能である。 しかしながら劇作の巧みさにより、「場面転換が多いわりには間然するところがない」優れた舞台作品であり、また内裏歌合の場面の華麗さもあって、「王朝絵巻ふうの、しかもユーモラスな味わいをもった能」と評される。また草紙洗いの場面は詞章・節付ともに流麗であり、特筆に価する。 また、能では小野小町を題材とした能は「小町物」と言われるように多く存在するが、他の曲では小町が落魄した凄惨な老婆の姿で登場するのに対し、本曲は現行曲では唯一若く美しい小町をシテとする曲としても知られる。
小野小町関係の謡曲
小原隆夫調べ
コード 曲 目 概
説 場所
習順 季節 時間
内02卷4 卒都婆小町
老女小町が卒都婆と僧に昔を語る 京都
奥伝 不 62分
内11卷3 鸚鵡小町
老女小町鸚鵡返しで゙和歌を返歌 滋賀
奥伝 春 60分
内16卷4 通 小 町
深草少將恋い人もとに99夜通う
京都 初奥 秋 35分
内17卷3 関寺小町
老衰の小町ヲ関寺に招き慰める 滋賀
三老女 夏
外06卷3 草 紙 洗
小野小町と大伴黒主の和歌くらべ゙ 京都
奥序 夏 50分
●謡蹟めぐり 草紙洗(そうしあらい)
小野小町関連の謡蹟 (平16・2高橋春雄記)
小野小町に関連する私が訪ねた謡蹟については「通小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」の項にも掲げているので参照願いたいが、「草紙洗」に関係深いものや、その後訪ねたものを掲げてみる。
京都御所 京都市上京区
本曲後段の舞台は内裏すなわち御所の清涼殿である。延暦13年(794)、桓武天皇による平安遷都から明治2年(1869)の東京奠都まで、1075年の長い間、京都は皇城の地であった。平安京の大内裏に、紫宸殿を正殿とする内裏があり、焼亡と再建を繰り返しつつ、造営が成るまでの一時的な皇居として里内裏が幾つかできてきた。現在の京都御所は里内裏の一つであった土御門東洞院殿が、これも焼失と再建の間に発展的に拡張されてきたもので、平安京の内裏よりは東に2キロ近く離れた所に位置する。元弘元年(1331)、光厳天皇が土御門東洞院殿で即位され、以来この里内裏は皇居として定着した。おおまかな言い方をすれば平安京の歴史の後半500数十年は現在の京都御所が皇居であった。この曲は平安朝における御歌合わせであるから、本当の場所は現在の京都御所とは関係ない。しかし現在の京都御所にも清涼殿があり、御溝水(みかわみず)もあり、往時を想像することはできる。ただし、御溝水は「みかは水の清き流れを掬びあげ・・」と謡われるように清いものではなく、コンクリートで固められた堀に水がたまっている程度でとても草紙を洗えるようなものではない。小野小町草紙洗水遺跡は京都市上京区に平安時代の御所があったと見られる、上京区一条戻橋東方の町角に「小野小町草紙洗水遺跡」と刻まれた小さな石の標識がある。戻橋東方の町角だけを頼りに自転車であちこち走り廻ったがなかなか見つからない。土地の人にも4、5人尋ねたが皆知らないという。幸いお年寄りの方が通りかかったので、尋ねるとあの町角の工事をしている所だという。早速近づいてみると工事中の標識の蔭に隠れているのが見つかった。
(平成21年7月17日 あさかのユーユークラブ
謡曲研究会)
草子洗
草子洗 (そうしあらい) 外六巻の三 (太鼓なし)
季 夏 所 前:京都 素謡時間 50分
【分類】三番目 ( )
【作者】 典拠:
【登場人物】 シテ:小野小町 ツレ:朝臣
紀貫之 ワキ:大伴黒主
子方:王
立衆:朝臣 河内躬恒
詞 章 (胡山文庫)
ワキ 詞
「これは大伴の黒主にて候。さても明日内裏にて御歌合あるべしとて。
黒主があひてには小野の小町を御定め候。小町と申すは歌の上手にて。
更にあひてにはかなひがたく候ふ程に。あすの歌を定めて吟ぜぬ事は候ふまじ。
かの私宅へ忍び入り。歌を聞かばやと存じ候。
シテ
サシ上 それ歌の源を尋ぬるに。聖徳太子は救世の大仙。
片岡山の製をろせいに弘め給ふ。
詞
「さても明日内裏にて御歌合あるべきとて。小町があひてに黒主を御定め候ひて。
水辺の草といふ題を賜はりたり。面白や水辺の草といふ題に浮みて候ふはいかに。
下 蒔かなくに何を種とて浮草の。波のうね/\生ひ茂るらん。
詞 此歌をやがて短冊にうつし候はん。
シテ中入 ワキ狂言
(ワキ「いかにたゞ今の歌を聞いてあるか。
(狂言「さん候承つて候。
(ワキ「何と聞いてあるぞ。
(狂言「蒔かなくに何を種とて瓜蔓の。畠のうねをまろびあるくらん。
(ワキ「いやさやうにてはなきぞ。道の道たるは常の道にはあらず。知れるを以て道とす。
得心なることにて候へども。唯今の歌を万葉の草子にうつし。帝へ古歌と訴へ申し。
明日の御歌合に勝たばやと存じ候。
後シテ、貫之、黒主、立衆、一同
次第上 めでたき御代の歌合。/\。詠じて君を仰がん。
立衆
サシ上 時しも頃は卯月半。清涼殿の御会なれば。花やかにこそ見えたりけれ。
貫之 上 かくて人丸赤人の御詠を懸け。
立衆 上 各々よみたる短冊を。われもわれもと取り出し。御詠の前にぞ置きたりける。
貫之 上 さて御前の人々には。
立衆 上 小町を始め河内の躬恒紀の貫之。
貫之 上 右衛門の府生壬生の忠岑。
立衆 上 ひだりみぎりに着座して。
貫之 上 既に詠をぞ
立衆 上 始めける。
立衆 上 ほの%\と明石の浦の朝霧に。島隠れ行く舟をしぞ思ふ。
地
上 げに島隠れ入る月の。/\。淡路の絵島国なれや。
はじめて歌の遊こそ心和ぐ道となれ。その歌人の名所も。皆庭上に並み居つゝ。
君の宣旨を待ち居たり。/\。
王 詞「いかに貫之。
貫之 詞 「御前に候。
王 詞
「始より小町が相手には黒主を定めたり。まづまづ小町が歌を読み上げ候へ。
貫之 詞 「畏つて候。水辺の草。
カカル上 蒔かなくに。何を種とて浮草の。波のうね/\生ひ茂るらん。
王 詞
「面白とよみたる歌や。此歌に優るはよもあらじ。皆々詠じ候へ。
ワキ 詞 「暫く。これは古歌にて候。
王 詞
「いかに小町。何と古歌と申すか。
シテ カカル上 恥かしの勅諚やな。先代の昔はそも知らず。
詞
「既に衣通姫此道のすたらん事を歎き。
下 和歌の浦曲に跡を垂れ。玉津島の明神より此方。皆此道をたしなむなり。
それに今の歌を古歌と仰せ候ふは。古今万葉の勅撰にて候ふか。
又は家の集にてあるやらん。作者は誰にてましますぞ。委しく仰せ候へ。
ワキ 詞「仰の如く其証歌分明ならではいかで候べき。草子は万葉題は夏。
水辺の草とはとかきたれども。作者は誰とも存ぜぬなり。
シテ 詞「それ万葉は奈良の天子の御宇。撰者は橘の諸兄。歌の数は七千首に及んで。
皆わらはが知らぬ歌はさむらはず。
万葉といふ草子に数多の本の候ふかおぼつかなうこそ候へ。
ワキ 詞「げに/\それはさる事なれどもさりながら。御身は衣通姫の流なれば。
憐む歌にて強からねば。古歌を盗むは道理なり。
シテ 詞「さては御事は古の猿丸太夫のながれ。それは猿猴の名をもつて。
我が名をよそに立てんとや。正しくそれは古歌ならず。
ワキ 詞「花の蔭行く山賎の。
シテ 詞「その様賎しき身ならねば。何とて古歌とは見るべきぞ。
ワキ 詞
「さて詞をたゞさで誤りしは。富士のなるさの大将や。四病八病三代八部同じ文字。
シテ 詞 「もじもかほどの誤は。
ワキ 上 昔も今も。
シテ 上 ありぬべし。
地 上 不思議や上古も末代も。三十一字のそのうちに。一字もかはらで詠みたる歌。
これ万葉の歌ならば和歌の不思議と思ふべし。
さらば証歌をいだせとの。宣旨度々下りしかば。初は立春の題なれば。
花も尽きぬと引き開く。夏は涼しき浮草の。これこそ今の歌なりとて。
既によ読まんとさし上ぐれば。我が身に当らぬ歌人さへ。胸に苦しき手を置けり。
ましてや小町が心のうち唯轟きの橋うち渡りて危き心は隙もなし。
シテ 上 恨めしや此道の。大祖柿の本のまうちぎみも。小町をば捨てはて給ふか恨めしやな。
下 此歌古歌なりとて。左右の大臣其外の。局々の女房たちも。小町ひとりを見給へば。
夢に夢見る心地して。さだかならざる心かな。此草子を取り上げ見れば。
行の次第もしどろにて。文字の墨つき違ひたり。
詞「いかさま小町ひとり詠ぜしを黒主立ち聞きし。
カカル上 此万葉に入筆したるとおぼえたり。余りに恥かしうさむらへば。
みかは水の清き流を掬び上げ。
下二 此草子を洗はゞやと思ひ候。
貫之 詞「小町はさやうに申せども。もし又さなき物ならば。青丹衣の風情たるべし。
シテ 下 とに角に思ひ廻せども。やるかたもなき悲しさに。
地 下 泣く/\立つてすご/\と。帰る道すがら。人目さがなや恥かしや。
貫之 詞「小町暫く御待ち候へ。其由奏聞申さうずるにて候。如何に奏聞申し候。
小町申し候ふは。唯今の万葉の草子をよく/\見候へば。
行の次第もしどろにて。文字の墨付も違ひて候ふ程に。
草子を洗ひて見たき由申し候。
王
詞「げにげに小町が申す如く。さらば洗ひて見よと申し候へ。
貫之 詞「畏つて候。如何に小町勅諚にてあるぞ。急いで草子を洗ひ候へ。
立衆 カカル上 その時御前の人々は。金の半蔵に水を入れ。吟の盥取りでし。
御前にこそ置きたりけれ。
シテ 上 綸言なればうれしくて。落つる涙の玉だすき結んで肩にうちかけて。
既に草子を洗はんと。
地
次第上 和歌の浦曲の藻汐草。/\。波寄せかけて洗はん。
シテ 一声上 天の川瀬に洗ひしは。
地 上 秋の七日の衣なり。
シテ 上 花色衣の袂には。
地 上 梅のにほひや。まじるらん。
地 上 かりがねの。翅は文字の数なれど跡さだめねばあらはれず。頴川に耳を洗ひしは。
シテ 下 濁れる世をすましけり。
地 上 旧台の鬚を洗ひしは。
シテ 上 川原に解くる薄氷。
地 上 春の歌を洗ひては霞の袖を解かうよ。
シテ 下 冬の歌を洗へば/\。
地 上 袂も寒き水鳥の。上毛の霜に洗はん/\。
シテ 上 恋の歌の文字なれば。忍ぐさの墨消え。
地 下 涙は袖に降りくれて。忍ぶ草も乱るゝ。忘れ草も乱るゝ。
シテ 上 釈教の歌の数々は。
地 上 蓮の糸ぞ乱るる。
シテ 上 神祇の歌は榊葉の。
地 下 庭火に袖ぞ乾ける。
シテ 上 時雨にぬれて洗ひしは。
地 上 紅葉の錦なりけり。
シテ 上 住吉の。
地 下 住吉の。久しき松を洗ひては岸に寄する白波をさつとかけて洗はん。
洗ひ/\て取り上げて。見れば不思議やこはいかに。数々の其歌の。
作者も題も文字の形も。少しも乱るゝ事もなく。入筆なれば浮草の。
文字は一字も。残らで消えにけり。ありがたや/\。出雲住吉玉津島。
人丸赤人の御恵かと伏し拝み。喜びて龍顔に差上げたりや。
ワキ 詞
「よく/\物を案ずるに。かほどの恥辱よもあらじ。自害をせんとまかり立つ。
シテ カカル上 なう/\暫く。此身皆以て其名ひとりに残るならば。
何かは和歌の友ならん。道を嗜む志。誰もかうこそあるべけれ。
王 詞 「いかに黒主。
ワキ 詞 「御前に候。
王 詞
「道を嗜む者は誰もかうこそあるべけれ。苦しからぬ事座敷へ直り候へ。
ワキ 詞
「これ又時の面目なれば。宣旨をいかで背くべき。
黒主立衆 上 げに有難きみぎんかな。小町黒主遺恨なく。小町に舞を奏させよ。
おの/\立ちより花の打衣。風折烏帽子をきせ申し。
笏拍子をうち座敷を静め。
シテ 上 春来つては。遍くこれ桃花の水。
地 上 石に障りて遅く来れり。
シテ 下 手まづさへぎる花の一枝。
地 下 もゝ色の絹や。重ぬらん。
シテ 下 霞たつ。
中ノ舞、
シテ ワカ上 霞たてば。遠山になる。朝ぼらけ。
地 上 日影に見ゆる。松は千代まで松は千代まで四海の波も。
四方の国々も民の戸ざしも。さゝぬ御代こそ。尭舜の嘉例なれ大和歌の起りは。
あらがねの土にして。素盞鳴尊の。守り給へる神国なれば。
花の都の春も長閑に。/\。和歌の道こそ。めでたけれ。
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