俊成忠度 (しゅんぜいただのり)

●あらすじ
 源平の合戦で平忠度を討ちとった岡部六弥太が藤原俊成のもとへ忠度の歌が書かれた短冊を持って来ました。すると俊成の前に忠度の霊が現れ、『千載和歌集』に自分の名前が記されていないことを嘆きます。忠度と俊成は和歌について語り合いますが、修羅の苦しみが忠度を襲います。忠度は修羅道の戦いの様子を見せると、やがて消えて行きました。

●宝生流謡本      外六巻の二     二番目    (太鼓なし)
    季節=春    場所=京都     作者=内藤河内守
    素謡稽古順=平物          素謡時間=35分 
    素謡座席順   ツレ=従者
              ツレ=藤藁俊成
              シテ=平 忠度
              ワキ=岡部六弥田太

●演能記
   俊成忠度   宝生流    
宝生能楽堂 2007.5.19
シテをつとめることになっている五雲会までいよいよ一週間ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返しながら稽古に励んでいます。当日に向け、いろいろ解説的なものを書こうと思いながらなかなか書けずに日がたってしまいましたがとりあえず俊成忠度という曲の話の流れを書いてみます。
     シテ 澤田宏司 ツレ 亀井雄二 辰巳和麿
     ワキ 安田登
     大鼓 佃良太郎、小鼓 鳥山直也 笛 藤田太郎

 岡部六弥太忠澄は、西海の合戦において平忠度を討ち取ったところ、死骸に短尺を見つけたので、忠度と浅からぬ仲であった藤原俊成の御目にかけようと俊成のもとを訪れる。俊成が短尺を受け取り見ると「旅宿の花」という題で「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば花や今宵の 主ならまし」と詠まれていた和歌と武道という文武二道に優れた忠度のあとを惜しんでいると忠度の幽霊が現れる。忠度の霊は、千載集に自分の歌を一首入れてもらったことは嬉しいが「読人知らず」となっているのが心に掛かると訴える俊成は、自らが撰んだ千載集に忠度の「さざ波や 志賀の都は 荒れにしを昔ながらの 山桜かな」という歌を「読人知らず」として入れていたのである俊成は、朝敵であるから仕方のないことであり、歌が載っている限りその名は残ると言って諫める。俊成は忠度に和歌の道を物語るよう促し、忠度は、神代の昔は和歌の文字の数も決まっていなかったが素盞鳴尊(そさのおのみこと)が「八雲立つ 出雲八重垣 つまこめに八重垣つくる その八重垣を」という歌を詠んで以来五、七、五、七、七の三十一字に定まったことを語り柿本人麻呂の死後、和歌の道もすたれてしまったと紀貫之も凡河内躬恒も書いているが実際には長く伝わり、神も喜び、男女の仲を取り持つのも和歌であると語る。
やがて忠度の気色が変わりあたりは現世で戦に明け暮れた者が死後に堕ちるという修羅道の景色となる修羅王が帝釈天に攻め上るがまた修羅道へと落とされ忠度も修羅王の配下として戦う修羅道は、終わりのない戦を繰り返さねばならない世界なのである。しばらくすると、忠度の「さざなみや〜」の歌に帝釈天も感じ入り、修羅道の責めを免れてあたりは暗闇となったやがて白々と夜も明け、忠度の姿も消えてしまった。だいたいこういう話ですちょっと長くなりましたが実際の舞台の進行通りに書いているのでこれを読んでから舞台を見るとだいぶわかりやすくなるのではないかと思います。

●俊成と平忠度
 俊成に関する逸話で第一に思い浮かぶのが源平合戦(治承・寿永の乱)の最中の平忠度との最後の対面であろう。この話は『平家物語』『忠度都落』に記されている。 平清盛の末弟・平忠度は武勇も優れていたが、俊成に師事し歌人としても才能に優れていた。1183年(寿永2)7月の平氏一門が都落ちした後、忠度は従者6人と共に都に引き返し、師・藤原俊成の邸を訪れた。「落人が帰って来た!」と動揺する家人達に構わず対面した俊成に忠度は「(源平)争乱のため院宣が沙汰やみとなった事は残念です。争乱が収まれば改めて『勅撰和歌集を作るように』との院宣が出るでしょう。もし、この巻物の中に相応しい歌があるならば勅撰和歌集に私の歌を一首でも入れて下さるとあの世においても嬉しいと思えば、遠いあの世からお守りする者になりましょう」と秀歌と思われる歌・百余首が収められた巻物を俊成に託して立ち去った。翌年に忠度は一ノ谷の戦いで戦死した。その巻物に勅撰和歌集に相応しい秀歌はいくらでも収められていたが、忠度は勅勘の人だったので[3]、俊成は忠度の歌を「詠み人知らず」として一首のみ勅撰和歌集(『千載和歌集』)に載せた。その加護があったのか、既に70近かった俊成は更に20年余り生きた。

●平 忠度  たいら ただのり (1144〜1184)
 平氏一門衆。父・平忠盛。  正四位下。  薩摩守。平忠盛の六男(七男説あり)で、平清盛の末弟。 武将として優れた人物で、平氏の軍事行動には忠度は欠かせない存在であった。 治承4(1180)年の『富士川合戦』では、駿河の橘遠茂らと合流出来ず源氏軍に大敗北を喫するが、総大将・重衡で治承5(1181)年に行われた『墨俣川合戦』では、見事に勝利を収める。 寿永2(1183)年、北陸方面で、源(木曽)義仲による反・平氏の軍事行動が活発化すると、平氏軍は4万で鎮圧に向かい加賀国を平定後に二手に分かれて進軍。忠度は知度(清盛の子)と共に志保山へ展開し、源(新宮)行家の部隊と衝突し優勢に戦況を押し進める。しかし維盛率いる平氏の別部隊を倶利加羅峠で破った義仲が、行家部隊の救援に駆け付けたために敗北。知度は戦死を遂げ忠度は京へ敗走。知度の死は平氏一門最初の戦死者であった。この時に忠度はもはや己の覚悟を決めたのではないだろうか。 同年7月、遂に平氏は西国目指して都落ちすることになるが、忠度は俊成を訪ねてこれまでの御礼を述べ、その上で、戦乱が終わり、平和な世が訪れ俊成の手により勅撰和歌集が選ばれるようなことになれば、自分の歌を選んで欲しいと懇願し俊成に自らの歌集を託した。 元暦元(1184)年、一ノ谷では源氏軍の攻撃が、最も激しいと予想された西方方面の大将軍を務め、平氏軍陣地の防衛を固めた上で源氏軍を待ち構えていたが、源義経の奇襲攻撃の前に平氏軍の戦線は崩壊。 忠度は源氏軍数百騎に取り囲まれたもののこれらを打ち払いつつ海上の友船を目指したが、源氏軍の武将である岡部六弥太忠純の主従に見つかってしまう。たちまちのうちに忠度の従者も皆討ち取られ忠度は唯一人となるが、それでも忠純に立ち向かい忠純を組み伏せ平氏の武将としての意地を見せたものの、忠純の従者たちにより右腕を切り落とされ、ここに頚を差し出した。忠純が名前を尋ねても、決して名乗らず従容として最期を迎えたという。

●岡部六弥太忠澄
岡部 忠澄(おかべ ただずみ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人。武蔵七党の猪俣党の庶流・岡部氏 の当主。 保元の乱、平治の乱では源義朝の家人として、熊谷直実、斎藤実盛、猪俣範綱とともに従軍して活躍した。源義朝の死後は故郷の岡部に戻っていたが、治承4年(1180年)に義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると、それに従うこととなった。木曾義仲追討戦の後、源義経の指揮下に入り、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いでは平忠度と組み討ち、討たれそうになるも郎党の助太刀によって忠度を討ち取った。平家滅亡後は源頼朝に従い、その御家人として奥州合戦や頼朝の上洛にも付き従った。 建久8年(1197年)没。

平成16年11月19日(金)あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


                 俊成忠度 (しゆんぜいただのり)

         季 春      所 京都     素謡時間 30分
  【分類】二番目物 
  【作者】世阿弥元清とも内藤右衛門   典拠:平家物語
  【登場人物】 シテ:平 忠度、ツレ:藤原俊成 ツレ:俊成従者  ワキ:岡部六弥太

         詞  章                  (胡山文庫)

ワキ    詞「かように候ふ者は。武蔵の国の住人。岡部の六弥太忠澄と申す者にて候。
         さても今度西海の合戦に。薩摩の守忠度をば某が手にかけ失ひ申して候。
         御最期の後尻籠を見奉れば。短冊の御座候。又承り候へば。俊成卿とは。
         浅からぬ和歌の御知遇の由承り候間。此短冊を持ちて参り。
         俊成卿の御目に書けばやと存じ候。いかに案内申し候。
ツレ    詞「誰にて渡り候ふぞ。
ワキ    詞「源氏の侍岡部の六弥太忠澄が参りたる由御申し候へ。
ツレ    詞「心得申し候。いかに申し上げ候。源氏の侍岡部の六弥太忠澄の伺候申されて候。
俊成    詞「こなたへと申し候へ。
ツレ    詞「畏つて候。こなたへ御参り候へ。
ワキ    詞「心得申し候。
俊成    詞「いかに忠澄。唯今は何の為に来り給ひて候ふぞ。
ワキ    詞「さん候今度西海の合戦に。薩摩の守忠度を。某が手にかけ失ひ申して候。
         御最期の後尻籠{しこ}を見候へば。短冊の御座候。承り候へば。俊成の郷と忠度とは。
         浅からぬ和歌の御値遇の由承り候ふ間。御目にかけもうさんと存じ。
         唯今持ちて参りて候。
俊成    詞「こなたへ賜り候へ。げにや東の武士を。今見る事の不思議さよ
   カカル下 げにや弓馬の道ならねど。いつしか世に名を残し痛はしさよ。
      詞「なに/\旅宿の花と云ふ題にて。
   カカル下 行き暮れて木の下蔭を宿とせば。花や今宵の主ならまし。

    (小謡 痛はしや忠度は ヨリ  うてなに至り給へや マデ )

地     上 痛はしや忠度は。/\。破戒無慙の罪を恐れ。
         仁儀礼智信五つの道も正しくて。歌道に達者たり弓矢に。名を揚げ給へば。
         文武二道の忠度の。船をえて彼の岸の。うてなに至り給へや/\。
シテ サシ上 前途{ぜんと}程{ほど}遠し。思を雁山の夕の雲に馳す。八重の潮路に沈みし身なれども。
         猶九重の春にひかれ。共にながめし花の色。我が面影や見えつらん。
         命たゞ心にかなふものならば。何か別の。物憂かるべき。
       詞「いかに俊成卿。忠度こそこれまで参りて候へ。
俊成 カカル上 不思議や夢現とも分かざるに。薩摩の守の御姿。現れ給ふ不思議さよ。
シテ    詞「さても千載集に。一首の歌を入れさせ給ふ。御志は嬉しけれども。
         読み人知らずと書かれしこと。心にかゝり候へ。
俊成    上 尤もそれはさることなれども。
      詞「朝敵の御名を現さんは世のはゞかりなり。よしや此歌あるならば。
         御名{おんな}は隠れもあらじ。
   カカル上 御心安{おんこゝろやす}く思しめせ。
シテ    上 われもさこそとしら雪の。古き世までも歌あらば。
俊成    上 其名もさすが武蔵鐙{むさしあぶみ}。
シテ    上 隠{かくれ}はあらじわれ人の。
俊成    上 情の末も深見草{ふかみぐさ}。
シテ    上 引くや詠歌{えいか}も心ある。
俊成    上 故郷{こきやう}の花と
シテ    上 いふ題にて。

    (小謡 さざ波や志賀の都は ヨリ  われ疑はせ給ふな マデ )

地     上 さざ波や志賀の都は荒れにしを。志賀の都は荒れにしを。昔ながらの。
         山桜{やまざくら}かなと。詠みしも永き世の。ほまれをのこす詠歌かな。
         げにや憂世は電光胡蝶の夢の戯{たはぶれ}に。謡へや舞へや津の国の。
         なにはの事も忠度なり。疑はせ給ふなわれ疑はせ給ふな。
ワキ    詞「忠度にてましまさば。和歌の道御物語り候へ

    (独吟 およそ歌には ヨリ  此歌の情なるべし マデ )
    (囃子 およそ歌には ヨリ  失せにけり マデ )

シテ  サシ上 およそ歌には六義あり。これ六道の巷に詠じ。
地     上 千早振{ちはやぶる}神代の歌は。文字の数も定{さだめ}なし。
シテ    下 其後{そののち}天照大神{あまてるおほんがみ}の御このかみ。
地     下 素盞鳴尊{そさのをのみこと}よりぞ三十一字{みそひともじ}に定め置きて。
        末世末代{まつせまつだい}の。ためしとかや。

    (仕舞 其ゆゑは ヨリ  此歌の情なるべし マデ )

    クセ下 其ゆゑは。素盞鳴尊の。女と住み給はんとて。出雲の国に居まして。
         大宮作{おほみやづくり}せし所に。八色雲{やいろぐも}の立つをご覧じて尊の。
         一首の御詠{ごえい}かくばかり。八雲{やくも}立つ出雲八重垣妻ごめに。
         八重垣つくる。その八重垣をと。神詠もかたじけなや今の世のためしなるべし。
         さてもわれ須磨の浦に。旅寝{たびね}して眺めやる。明石の浦の朝霧と。
         詠みしも思ひ知られたり。
シテ    上 人丸{ひとまる}世に亡くなりて。
地     上 歌の事とゞまりぬと。紀の貫之{つらゆき}も躬恒{みつね}もかくこそ。
         書き置きしかども。松の葉の散り失せず。
         真折{まさき}のかづら永く伝{つた}はり鳥の跡あらん其ほどは。
         よも尽{つき}せじな敷島の。歌には神も納受の。
         男女夫婦の媒{なかだち}とも此歌の情なるべし。
      上 あら名残惜しの。夜すがらやな。
俊成    上 不思議や見れば忠度の。けしき変りて気疎き有様。こはそもいかなる事やらん。

    (仕舞 あれ御覧ぜよ ヨリ  失せにけり マデ )

シテ    詞「あれ御覧ぜよ修羅王の。梵天に攻め上るを。帝釈出で逢ひ修羅王{しゆらわう}を。
          もとの下界に追つ下す。
地     上 すは敵陣{てきぢん}は乱れ合ひ。/\。喚{をめ}き叫べば忠度も。
         嗔恚の焔は荒磯の。波の打物抜いて。切つてかゝれば敵人は。
         矛{ほこ}を揃へてかゝり給へば。忠度相向つて打ち払へば其まゝ見えず。
         敵を失ひあきれて立てば。天よりは。火車降りかゝり。
         地より鉄刀足を貫き立つも立たれず居るも居られぬ。修羅王{しゆらわう}の責{せめ}。
         こはいかにあさましや。
シテ    下 やゝあつてさゝ波や。
地     下 やゝあつてさゝ波や。志賀{しが}の都はあれにしを。昔ながらの。山桜かなと。
         梵天{ぼんでん}感じ給ひしより。剣{つるぎ}の責を免{まぬか}れて。
         暗やみとなりしかば。灯火{ともしび}を背{そむ}けては。共に憐む深夜の月。
         花を踏んでは同じく惜しむ。少年の春の夜も。はや白々{しら/\}と明けわたれば。
         ありつる姿は消え/\と。ありつる・姿{すがた}は・鶏籠{けいろう}の山。
         木隠{こがく}れて失せにけりあと木隠{こがく}れて失せにけり。


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