宝生流謡曲 大仏供養

●あらすじ
世を忍ぶ姿となった平家の遺臣・悪七兵衛景清は清水参詣の時、東大寺大仏供養に将軍頼朝が参詣することを知る。若草に住む母を見舞うために南都に向かう。久方ぶりの対面に一夜を語り明かし、母に暇乞いをする。大仏供養の当日、警護の厳しい中を春日の宮つ子を装い、箒をもって庭を清める態で頼朝に近づくが、見破られてしまう。仕方なく名乗りを上げ警護の兵と渡り合うが、利あらずと判断し、次の機会を待って身を隠す。

●宝生流謡本     外五巻の二   四番目二番目  (太鼓なし)
    季節=秋 季節=秋   場所=大和国奈良
    素謡(宝生) : 稽古順=平物    素謡時間=35分
    素謡座席順   ツレ=景清の母
              シテ=前・後共悪七兵衛・
              ワキ=頼朝の従者・
              ツレ=頼朝の従者・
              ツレ=源頼朝 

●観能記@
能楽公演 大仏供養  野外能 東大寺大仏開眼1250年記念 ヨリ抜粋
    櫻間眞理、江崎敬三、丸石やすし、杉市和、 飯田清一、大倉正之助他
本年は、天平時代における東大寺大仏の開眼から1250年にあたる節目の年である。それにちなんで、奈良において野外能「大仏供養」を上演する。この曲は、源平合戦の最中に平家の南都焼き討ちにあって焼亡した東大寺大仏殿は、俊乗房重源の勧進活動によって建久年間に再建されたが、この折のことを題材した四番目ものの能である。 重源の勧進活動を援助したのは、源頼朝と鎌倉幕府であった。そのことにより、上洛した源頼朝の主従一行は奈良に赴き、東大寺において大仏供養を盛大に催したのであるが、この時、壇ノ浦で滅んだ平家の残党である悪七兵衛景清は、頼朝の暗殺をくわだてて供養の場に忍び寄る。しかし浄衣の透間から漏れ出た物具の光を怪しまれて、警固の侍と太刀をもって切り結ぶこととなる。幽玄の能とは大きく異なり、きわめて活劇的性格をもった能である。

●観能記A  大仏供養:   悪七兵衛景清の弔い合戦     (壺齋閑話)ヨリ抜粋
能「大仏供養」は平家の武将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていない。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。
 舞台は奈良春日の里なる東大寺。東大寺の大仏殿は源平の合戦の折に消失してしまったものを、頼朝が再興した。それを記念する開眼の儀式にあわせて、景清が頼朝の首を狙おうとする。いわば景清の弔い合戦がこの作品のテーマである。一人で頼朝に立ち向かおうとする景清の姿勢に、勇猛をならした人物像を照らし出そうとしたのだろう。 能は中入りを挟んで前後二段に分かれている。前段は、合戦を控えて、景清が春日の里に住む母親に暇を請う場面、後段は立回りの場面である。
前後二段に分かれているといえ、場面は物語の進行に合わせて連続性をもっている。世阿弥時代の複式無限能とはことなり、あくまで物語の進行に重点を置いているのは、比較的時代の下った作品であることを推測させる。
また前後を通じて景清は直面のままで通すが、これも年代の新しさを推測させる材料である。大仏供養:悪七兵衛景清の弔い合戦 舞台にはまず、景清の母がシズシズと現れ、無言のままワキ座につく。そこへ編み笠をかぶり、旅装姿の景清が現れる。

●観能記B
能楽の淵 " 大仏供養  2009 年 1 月 19 日 月曜日 東大寺大仏殿ヨリ抜粋
聖武天皇が1歳にもならず没した親王(名前不明。基王もしくは某王といわれる)の供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりです。諸国に国分寺の建立の詔が出された際、大和国分寺にして総国分寺とされ、天平17年(745)に大仏造営が開始、以降東大寺と呼ばれます。藤原氏の氏寺である興福寺と並んで、南都を代表する寺として栄えますが、平氏政権時代に平家と対立、治承4年(1180)に平重衝に率いられた軍勢に攻められ、その時の兵火によって大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失します。その際の重衝の自責の念を描いたのが復曲能『重衡』です(初演1987年橋の会)。
 翌年、源平による内戦が収まったのを受けて、俊乗房重源が東大寺造営勧進職に任じられ、東大寺の再建が進められます。能『安宅』で、富樫は弁慶に勧進帳を読み上げよと命じますが、それは義経一行が東大寺再建の寄付を集める勧進聖に変装していたからです。本物ならば重源が発行した勧進帳を持っているはずだ、という理屈。 当然ながら弁慶は持ってないわけですが、白紙をまるで書いてあるかのように読み上げる、それが見せ場となっているのです。
 建久6年(1195)、大仏の再建供養が行われ、将軍・源頼朝が正妻の北条政子とともに参列しています。そこに元平家の侍である悪七兵衛景清が頼朝暗殺を狙って斬り込んで来る、というのが能『大仏供養』です。実際の再建供養の日は雨だったそうですが、大仏殿の周りを頼朝警護の東国武者の精鋭が囲んでいたそうですから、相当物々しい様子であったことが想像できます。
 兵火による焼失から15年で元の大伽藍を復活させてみせた重源の手腕は驚嘆すべきものですが、彼は勧進職に命じられた時点で60歳。しかも東大寺のほかに播磨浄土寺や伊賀新大仏寺などの造営も行っているといいますから、恐るべき「老人パワー」と言えると思います。
 こうして再建された東大寺ですが、戦国時代の永禄10年(1567)に松永久秀によって再び焼失。現在の伽藍は宝永6年(1709)に再建されたものとなっています。

●景清余話    
景清は上総守藤原忠清の三男
身代わり観音
「幸若舞・景清」には、首を刎ねられたはずの景清が生き返り、代わりに清水の観音像の首が落ち血を流していたという話が出てきます。文楽「出世景清」もこの話を取り込んでいます。文楽の初期作品「阿弥陀胸割(あみだのむねわり)」には、両親の供養のために読経と墓石のための費用を自分たちの肉を売って賄おうとした姉弟の話があります。最後、胆を切り取られた姉の身代わりになったのが姉弟が身を寄せていた寺の阿弥陀像で、切り裂かれた胸の傷から夥しい血が流れ出ていたというものです。このような「身代わり」の話は日本の民話の中にも見受けられます。

痣丸(あざまる)
景清が所持していた平家相伝の刀。その後、織田方の武将の手に渡ったが、所持した武将が目を失う。丹羽長秀も所持したがまたも目を煩ったため熱田宮に奉納したら、眼病が治ったという話が「信長公記」出てくるそうです。

座頭と景清
当道という「平家物語」を語る琵琶法師の同業者組織では二流がよく知られています。「平家物語・覚一本」を残した覚一の流れを汲む一方派と八坂(城)方派です。この二流派は幾つかの派に別れていきますが、それ以外に座頭の派として地神派というものがあったようです。そのなかに景清派、蝉丸派の名前が見えます。これらは地神経をよむものとして一段下の扱いを受けていたようです。

(平成24年7月20日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                                   2010/3/1更新
     大仏供養     四・二番目(太鼓なし)  

         ツレ  景清の母                季 秋
          シテ  悪七兵衛景清  
         ワキ  頼朝の従者              所 大和国奈良
         ツレ  頼朝の従者
         ツレ  源頼朝

  (次第)
シテ   「わすれは草の名に聞きて。わすれは草の名に聞きて。忍ぶや我が身なるらん。
    詞「これは平家の侍悪七兵衛景清にて候。われ此間は西国の方に候ひしが。
      宿願の子細あるにより。此程まかり上り清水に一七日参篭申して候。又承り候へば。
      南都大仏供養の由申し候。某も若草辺に母を一人持ちて候ふ程に。
      かやうの折節貴賎に紛れ。向顔のため唯今南都へと急ぎ候。
   サシ「あはれやげに古は。さしも栄えし花紅葉の。寿永の秋のいかなれば。
      思はぬ風に誘はれて。さしも馴れにし都の空。引きかへ鄙の憂きすまひ。
   下歌「繋がぬ船のかひもなく。弓矢の家に生まれ来て。
   上歌「三笠の森のかげ頼む。三笠の森のかげ頼む。其はゝきゞのながらへて。
      未だ此世の御すまひ。神も教の牡鹿鳴く。春日の里に着きにけり。
      春日の里に着きにけり。
    詞「急ぎ候ふ程に。南都若草辺に着きて候。
      此あたりにて御ゆくへそ尋ねばやと存じ候。
ツレ   「偖も我が子の景清は。此程いづくに在るやらん。南無や三世の諸仏。
      我が子の景清に。二たび逢はせて賜び給へ。
シテ詞  「いかに案内申し候。
ツレ    「我が子の声と聞くよりも。覚えず枢に立ち出でて。景清なるかと悦べば。
シテ   「暫く。あたりに人もや候ふらん。某が名をば仰せられまじいにて候。
ツレ   「まづこなたへ渡り候へ。さて此程はいづくに候ひつるぞ。
シテ   「さん候西国の方に候ひしが。宿願の子細有るにより。
      都に上り清水に参篭申し候ふ処に。大仏供養の由承り候ふ程に。
      かやうのをりふし貴賎に紛れ。御音信の為に参りて候。
ツレ    「偖は嬉しくも来り給ひて候。又尋ね申すべき事の候つゝまず申すべきか。
シテ   「是は今めかしき仰かな。何事にても候ヘ申し上げうずるにて候。
ツレ   「真や人の申すは。頼朝をねらひ申すと聞き及びて候ふが真にて候ふか。
シテ    「是はおもひもよらぬ仰にて候さりながら。西海にて亡び給ひし御一門の。
      御弔にもなるべきかと。思へばねらひ申すなり。
ツレ   「申す処はさる事なれども。明日をも知らぬ老の身の。果をも見届け給へかし。
シテ   「風に漂ふ浮舟の。教経の御供申さずして。
ツレ   「物を思へば。
シテ   「起きもせず。
地    「寝もせで夜半を明かしかね。此身を隠すかひもなく。
      景清が心のうち母も哀と思し召せ。
    上歌「一門の船のうち。一門の船のうちに肩を比べ膝をくみて。処狭く澄む月の。
      景清は誰よりも御座船になくて。適ふまじ。一類その以下武略さまざまに多けれど。
      名をとり楫の船に乗せ。主従隔なかりしは。さも羨まれたりし身の。
      麒麟も老いぬれば駑馬におとるが如くなり。
シテ詞  「早夜の明けて候ふ程に御暇申し候。
ツレ「   かまへて御身をよく/\慎みて。重ねて来り給ふべし。
シテ   「げにありがたき母の慈悲。御詞の末も頼もしき。
地  上歌「柞の森の雨露の。柞の森の雨露の。梢も濡らす我が袖を。
      しほりかねたる涙かな。涙と共に別れけりいつしか親心。かなしむ母の門送り。
      景清も跡を見返りて涙と共に別れけり。
                    中入
立衆一セイ「世に隠れなき大伽藍。仏の供養急ぐなり。
子方サシ 「抑これは源家の官軍。右大将頼朝とは我が事なり。
立衆    「忝くも此御寺は。聖武皇帝の御建立。大仏殿にておはします。
ワキ    「又この君の御威光。今此寺にあひにあふ。
立衆 上歌「大伽藍の御供養。大伽藍の御供養。光かゞやく春の日の。三笠の山に影高き。
       法の御声の様々に。供養をなすぞ有難き。供養をなすぞ有難き。
シテサシ 「面白や奈良の都の時めきて。いろいろ飾る物詣。
       我はそれには引きかへて。敵を討たん謀を。思ふ心は己が名の。
       悪七兵衛景清と。
     詞「よそにもそれと人やもし。白張浄衣に立烏帽子。げにわれながら思はざる。
    上歌「姿に今は楢の葉の。時雨降り置く天が下に。身を隠すべき便なき。
       憂き身の果ぞあはれなる。宮人の。姿を暫し狩衣。
地     「今日ばかりこそ翁さび。
シテ    「人なとがめそ神だにも。
地     「塵に交はる宮寺の。供養の場に立ち出づる。
ワキ詞   「こは何者なれば御前まぢかく参るぞそこ退き候へ。
シテ    「これは春日の御奴なるが。けふの仏の御供養。場を清めの役人なるを。
       何しにとがめ給ふらん。
ワキ    「春日祭にあらばこそ。
     詞「これは仏の御供養。
シテ    「なう水波の隔と聞く時は。仏も神も同一体。其上貴賎の事なるに。
       何とて簡び給ふべき。
ワキ    「包むとすれど神は猶。君を守りの御威光。
シテ    「あらはれけるが白張の。
ワキ    「脇より見ゆる具足の金物。
シテ    「光をはなつ。
ワキ    「打物の。
地     「鞘つまりたる詞の末。名のれ/\と責めければ。現れたりと思ひつゝ。
       さらぬやうに立ち帰り。又人影に隠れけり。
ワキ詞  「言語道断の事。唯今の者をいかなる者ぞと存じて候へば。
       平家の侍悪七兵衛景清にて候。正しく我が君をねらひ申すと存じ候ふ程に。
       警固の者に申付け討ち取らせばやと存じ候。
       いかにやいかに警固の兵たしかに聞け。唯今見えししれ者を。
       はや打つ取つて参らせよと。さも高声に下知すれば。
地     「畏つて候ふとて。かねて用意の警固の兵。皆一同に立ち騒ぐ。
シテ詞  「其時景清又立ち出でて思ふやう。ここ立ち退きては弓矢の恥辱となるべきなれば。
      今一太刀は打ちあひて。重ねて時節を待つべしと。大音上げて呼ばはりけり。
      「抑これは平家の侍悪七兵衛景清と。
地     「名のりもあへずあざ丸を。名のりもあへずあざ丸を。するりと抜き持ち立ち向ひ。
      大勢にわつて入ればさしも固めし警固なれども四方へばつとぞ遁げにける中に
      若武者進み出で。
      走り懸つてちやうと切れば。ひらりと飛んで。手もとにより。
      忽ち勝負を見せにけり
シテ   「今は景清是までなりと。
地    「今は景清是までなりと。少し祈念を致しつゝ。かのあざ丸をさしかざせば。
      霧立ち隠すや春日山。茂みに飛び入り落ちけるが。
      又こそ時節を待つべけれと。虚空に声して失せにけり。


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