須磨源氏 (すまげんじ)

●あらすじ
日向の国の藤原興範という社官が伊勢参りに出かけようとはるばる旅をして、やがて須磨の浦へとやってくる。 須磨という場所は源氏物語の源氏の大将が住んでいたところということは聞き及んでいた。また、「若木の桜」という名の有名な桜の木があるという。その桜も見てみたいとやってきた。 そこへ芝を担いだ老人がやってくる。老人もまた光源氏が住まいしたこの場所にある桜の木を眺めにやってきたという。興範は老人にこの桜の由来を聞いてみた。老人は芝を下ろすと光源氏の生涯を興範に語り、やがて自分こそが光源氏であるとほのめかし、この場にしばし留まるならもしかしたら「奇特」が拝めるかもしれないと姿を消す。 興範が不思議に思っていると里人がやってくる。興範はもう1度この桜について尋ねてみると、里人は光源氏物語の生まれを語り、「光源氏が須磨に左遷されてきたときに植えられた桜で、数百年経っても花が麗しく咲いているのだよ。」と教えてくれた。 興範がさきほど現れた老人について話すと里人は「それは光源氏が仮の姿で現れたのだろう。」と驚く。もう少し逗留していたらまた不思議なことがあるかもしれないという里人の言葉に興範はしばらく留まることにする。 やがて月が昇ると美しい音楽が聞こえてきて狩衣姿の男が現れる。かつてこの世界にいた時は光源氏と呼ばれたが、今は兜率天に住んでいる。だが時々月の美しい夜には須磨に来て昔を懐かしんでいると語り、昔舞った青海波を優雅に舞い、夜が明けると共にまた天上に帰って行く。

●宝生流謡本      外四巻の五     四五番目    (太鼓あり)
    季節=春   場所=摂津国須磨   作者=世阿弥
    素謡稽古順=入門   素謡時間=35分 
    素謡座席順   シテ=前・老翁  後・光源氏
               ワキ=藤原興範

●観能記 「須磨源氏」   
県民のための能を知る会  2003年6月1日公演 於 鎌倉能楽堂
 「葵上」や「半蔀」のように年に1度はどこかで必ずお目にかかれるものもあれば、数年、数十年単位で「御無沙汰」な演目もある。「須磨源氏」はあまり舞台に登場しない源氏能の1つである。
平成15年6月1日、神奈川県鎌倉市にある鎌倉能楽堂での「夕顔」を観た。今回は「源氏物語と能」という解説が付いたもの。午前と午後の部のうち午後の部(シテ=中森貫太氏)

●能の歴史
六世紀半ば、仏教伝来と共に、中国から「散楽・さんがく」という芸能が伝わりました。これが平安時代初期に、「猿楽・さるがく」と呼ばれるようになり、寺や神社で演じられるようになりました。滑稽を演じた「猿楽」の中に、宗教的な要素が取り込まれ、鎌倉時代になり、宗教的な芸能が盛んになると、宗教的な部分は「能」へ、滑稽な部分は「狂言」へと、次第に分かれて発達していきました。この「猿楽」を芸術性の高い芸能として大成させたのが観阿弥(1333〜1384)と世阿弥(1363〜1442)の父子です。観阿弥は当時、大和猿楽の一座(結崎座)をひきいて大和から京都に進出し、1374年(応安3年)京都今熊野の勧進能で、三大将軍足利義満に認められ、以後、保護を受けて大成することになります。 
観阿弥は、大和猿楽の能に、近江猿楽の歌舞的要素を取り入れ、能を新しい時代の能に仕上げ、観世流の流祖として、今日の能を確立していきました。 江戸時代になりますと、能楽の中心は江戸に移り、1647年(正保4年)、幕府が能を幕府の式楽(儀式芸能)に定めることにより、「古法を守るべき」として、演劇として自由な発展は出来なくなりましたが、かえって古い形式が大切に守られた中で、今日まで、より深い洗練された美を追究していくことになりました。

●光源氏
光源氏(ひかるげんじ)は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公である。京都に生まれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。なお「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称で、本名が「光」というわけではない。

●藤原興範
藤原興範 (ふじわらの-おきのり)844−917 平安時代中期の公卿(くぎょう)。 承和(じょうわ)11年生まれ。式家藤原縄主(ただぬし)の曾孫(そうそん)。大宰大弐(だざいのだいに),式部大輔(しきぶのたいふ)などをへて、延喜(えんぎ)11年参議となる。のち弾正大弼(だんじょうのだいひつ),近江守(おうみのかみ)。「延喜格(きゃく)」の編集に参加した。 延喜17年10月1日死去。 享年74歳。字(あざな)は常生。

●能について
能は、舞(まい)、謡(うたい)、囃子(はやし)の三要素からなる歌舞劇です。 江戸時代に、大和猿楽の流れを持つ四座、観世流 ・ 宝生流 ・ 金春(こんぱる)流 ・ 金剛流に、喜多流を加えた五流派が、徳川幕府の保護のもとで伝襲されるようになり、現在の能が確立されました。
各座は、主人公を演じるシテ方の家元を座頭として、シテ方(ツレ・地謡) ・ ワキ方(その相手役) ・ 囃子方 ・ 狂言方 を座員としています。 お囃子は、笛 ・ 小太鼓 ・ 太鼓 ・ 大鼓 で構成され、今日では一曲を演じるのに平均1時間半を要しますが、江戸時代には一日十番以上演じていたそうです。 能の詞章を謡といい、題材は源氏物語や平家物語などの古典からとられることが多く、その物語や宗教的な心情などが興味深く述べられることから、一般の庶民にも普及するようになります。 舞台と橋がかりで演ぜられる能は、まず最初の登場人物が自らを名乗り、シテの心情などが謡で述べられます。すなわちその演目を、謡の詞章で進めていく訳です。
現在、上演可能な謡曲は235番あります。(宝生流では、翁・蘭曲・仕舞謡を除き180曲)
これらは「五番立て」で、その上演順序によって以下のように分けられています。
     脇能物     (初番物 〜さわやかな曲)
     修羅場     (二番目物〜厳しく勇壮な曲)
     蔓(かずら)物 (三番目物〜優美でしっとりした曲)
     雑物      (四番目物〜変化にとんだ面白い曲)
     切能      (五番目物〜話の変化の早い曲)


        源氏物語関係謡曲 7曲
                                      小原隆夫調べ
 コード    曲 目      概         説       場 所  季節  素謡  習順
内04巻3 玉   葛 初瀬寺ニ参詣僧ガ玉葛ノ妄執ヲ供養  奈良   秋   40分  入門
内05巻4 葵   上 葵ノ上ニ六条ノ御息所生霊トナリ嫉妬   京都   不   37分  初奥
内13巻3 半   蔀 雲林院で光源氏と夕顔の霊夢     京都   秋   30分  入門
内14巻5 源氏供養 源氏物語54帖ノ紫式部ヲ供養      滋賀   春   46分  入門
内20巻3 野   宮 葵ノ上ノ後日物語ヲ旅僧ニ語る      京都   秋   55分  中序
外04巻5 須磨源氏 源氏物語の光源氏桐壷         兵庫   春   35分  入門
外09巻3 胡   蝶 一条大宮ニ旅僧仮寝シテ胡蝶ノ精舞う 京都   春   35分  平物

平成24年5月18日(金) あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


             須磨源氏

         須磨源氏(すまげんじ)  外四巻の五  (太鼓あり)
          季 春      所 摂津国須磨  素謡時間 35分
  【分類】四五番目 (    )
  【作者】        典拠:
  【登場人物】前シテ:老翁、後シテ:光源氏    ワキ:藤原興範

         詞 章                    (胡山文庫)

ワキ  次第上 八重の潮路の旅の空。/\。九重いづくなるらん。
ワキ     詞「抑これは日向の国宮崎の社官。藤原の興範とは我が事なり。
         われ未だ伊勢大神宮へ参らず候ふ程に。此度思ひ立ち伊勢参宮と志して候。
    道行上 旅衣。思ひ立ちぬる朝霞。/\。弥生の空も半にて日影長閑に行く舟の。
         浦々過ぎて遥遥と。波の淡路をよそに見て。須磨の浦にも着きにけり/\。
シテ 一セイ上 憂世の業にこりずまの。猶こり果てぬ。塩木かな。
    サシ上 これは須磨の浦に釣を垂れ。焼かぬ間は塩木を運び。
         憂世をわたる者にて候ふなり。
       詞 「又この須磨の山陰に一木の花の候。
   カカル上 名におふ若木の桜なるべし。いにしへ光る源氏の御旧跡も。
         この処にてありげに候。
     下歌 われは賎しき身なれどもありし雨夜の物語。
     上歌 聞くにも袖を湿ほして。/\。山の薪の重きにも。思ひ樒を折りそへて。
         かの古墳ぞと木綿花の。手向の梢をり/\に。心をはこぶばかりなり。
       詞 「しばらく花をも眺めばやと思ひ候。
ワキ    詞 「いかに翁。其身は賎しき山賎なれども。
         此花に眺め入り家路を忘れたる気色なり。もし此花は故ある木にて候ふか。
シテ    詞 「賎しき山賎と承り候へども。恐れながらそなたをこそ。鄙人とは見奉れ。
         さすがに須磨の若木の桜を。名木かとのお尋は。事新らしき仰せかな。
ワキ カカル上 げに/\須磨の山桜。名におふ若木の花ぞとて。はる%\こゝに分け入りて。
シテ    上 わざと眺の御志。
ワキ    上 日もはや暮れて須磨の浦の。
シテ    上 さらばに里にもお泊なくて。
ワキ    上 野を分け山に。
シテ    上 来り給ふは。

   ( 小謡 関よりも ヨリ  給ひそよ マデ )

地     上 関よりも。花にとまるか須磨の浦。/\。近き後の山里の。
         柴といふものまで名をとり%\の業なるに。
         たゞ心なき住まひとて人な賎しめ給ひそよ人な賎しめ給ひそよ。
ワキ    詞「いかに翁。いにしへこの処は光る源氏の御旧跡と承り候へば。
         源氏の御事懇ろに御物語り候へ。
地   クリ上 忘れて過ぎし古を。語らば袂やしをれなん。
         われ空蝉の虚しき世を案ずるに。桐壺の夕の煙。堪えぬ思の涙をそへ。
シテ  サシ上 いとどしく虫の音繁き浅茅生の。
地     上 露けき宿に明け暮らし。小萩が本の寂しさまで。はごくみ給ひし御めぐみ。
         いとも畏き勅をうけ。十二にて初冠。高麗国の相人の。
         つけたりし始より光る源氏と名を呼ばる。箒木の巻を始め。
         紅葉の賀の巻に正三位に叙せられ。花の宴の春の頃。
         行くへも知らで入る月の。朧けならぬ契故。年廿五と申せしに。
         津の国須磨の浦。あま人の歎を身に積みて。次の春。播磨の明石の浦伝ひ。
         問はず語の夢をさへ現に語る人もなし。さるほどに天下に。
         奇特の告ありしかば。また都に召し返され。数の外の官を経て。
シテ    上 其後うち続き。
地     上 澪標に内大臣少女の巻に。太政大臣藤の裏葉に。
         太上天皇かく楽を極めて光君とは申すなり。
   ロンギ上 さてや源氏の旧跡の。/\。分きていづくの程やらん委しく教へ給へや。
シテ    上 いづくともいさ白波のこゝもとは。皆其跡と夕暮の。
         月の夜を待ち給ふべしもしや奇特を御覧ぜん。
地     上 そもや奇特を見んぞとは。何をか待たん月影の。
シテ    上 光源氏の御すみか。
地     上 昔は須磨。
シテ    上 今は兜率の。
地     上 天に住み給へば月宮のかげに天降りこの海に影向あるべし。
         かやうに申す翁も。其品々の物語。
         源氏の巻の名なれや雲隠してぞ失せにける。雲隠して失せにけり。
                 中入り
ワキ    詞「さては源氏の大将かりに現れ。いざや今宵はこゝに居て。なほも奇特を拝まんと。

   ( 囃子 須磨の浦 ヨリ  明けぬらん マデ )

    待謡上 須磨の浦。野山の月に旅寝して。/\。心をすます磯枕。
         波にたぐへて音楽の。聞ゆる声ぞありがたき聞ゆる声ぞありがたき。
                 出羽
後シテ サシ上 あら面白の海原やな。われ娑婆にありし時は。光源氏といはれ。
         今は兜率に帰り。天上の住まひなれども。月に詠じて閻浮にくだり。
         処も須磨の浦なれば。青海波の遊舞楽に。引かれて月の夜汐の波。
         返すなる。波の花散る白衣の袖。
地     上 玉の笛の音声澄みて。
シテ    上 笙笛琴箜篌孤雲のひゞき。
地     上 天もうつるや須磨の浦の。青海の波風しんしんたり。
                 早舞
地  ロンギ上 雲となり雨となり。夢現とも分かざるに。天より光さす。
         御影の中にあらたなる。童男来り給ふぞや。さては名にしおふ。
         光源氏にてあるやらん。
シテ    上 その名もよそに白波の。こゝもとは我がすみか。猶も他生を助けんと。
         兜率天より。二たびこゝに天降る。
地     上 あらありがたの御事や。処は須磨の浦なれば。
シテ    上 四方の嵐も吹き落ちて。
地     上 薄雲かゝる。
シテ    上 春の空。
地     上 焚釈四王のにんでんに。降り給ふかと覚えたり。処から山賎へきらといはれし。
         ゆるし色のきらなるに。青鈍の狩衣たをやかに召されて。須磨の嵐に翻へし。
         袂も青き海の波颯々と鈴も駅路の。
         夜は山よりや明けぬらん夜は山よりや明けぬらん。


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