夜討曽我(ようちそが)

●あらすじ
曽我十郎・五郎の兄弟は、源頼朝が催した富士の巻狩に乗じて父の敵工藤祐経を討とうと、富士の裾野にやってきます。兄弟は従者の団三郎と鬼王を膝近く呼びよせ、我等はこの好機を逸せずして父の敵を討ち取る覚悟であると打ち明け、二人を故郷の母のところへ形見の品を持たせて帰そうとします。しかし団三郎と鬼王は主君と最後を共にしたい、この敵討ちの日のために年来奉公して来たのだと言い張りますが、それが許されないとわかると、二人は刺し違えて死のうとします。十郎は驚いてこれを押しとどめ、故郷の母への使者は二人しかないのだと説得します。そして兄弟は母に文をしたためて、形見を託し団三郎と鬼王を送り出します。あとに残った十郎・五郎兄弟は首尾よく敵の祐経を討ち果たしましたが、十郎は討たれ、五郎も古屋五郎を斬りますが、御所の五郎丸との格闘の末、生け捕られます。              
(「宝生の能」平11.5月号より)

●宝生流謡本      外四巻の四   四五番目 二番目    (太鼓なし)
    季節=夏   場所=駿河国富士の裾野 
    素謡稽古順=入門   素謡時間=50分(この曲はでワキがなくシテとツレで謡う)
    素謡座席順   ツレ=立衆
              ツレ=鬼王
              シテ=前後とも曽我五郎時致  
               ツレ=曽我十郎祐成
              ツレ=団三郎

●曾我祐成
曾我 祐成(そが すけなり、承安2年(1172年)〜 建久4年5月28日(1193年6月28日))は、鎌倉時代初期の武士。河津祐泰の長男。曾我五郎時致の兄。曾我十郎とも称される。
5歳の時、実父河津祐泰が安元2年(1176年)に一族の工藤祐経に暗殺され、その後母の再嫁先である相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主曾我祐信を養父として育ち、曾我氏を称した。元服後は北条時政の庇護の下にあったという。建久4年(1193年)富士の巻狩りが行われた際、弟時致とともに父の敵工藤祐経を殺害したが、仁田忠常に討たれた。享年22才

●曾我時致
曾我 時致(そが ときむね、承安4年(1174年)〜 建久4年5月29日(1193年6月29日))は、鎌倉時代初期の武士。曾我十郎祐成の弟。曾我五郎とも称される。 3歳の時、実父河津祐泰が安元2年(1176年)に一族の工藤祐経に暗殺され、その後母の再嫁先である相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主曾我祐信を養父として兄祐成とともに養育され、曾我氏を称した。元服後は北条時政の庇護の下にあったという。 建久4年(1193年)富士の巻狩りが行われた際、兄祐成とともに父の敵工藤祐経を殺害し、兄は仁田忠常に討たれ、時致は将軍源頼朝の宿所を襲おうとしたが捕らえられた。翌日、頼朝の取調べを受けた際、仇討ちに至った心情を述べて頼朝は助命を考えたが、祐経の遺児・犬房丸の要望により処刑された。享年20才

●河津祐泰
河津 祐泰(かわづ すけやす)は、平安時代末期の武将。伊豆国の豪族、伊東祐親の嫡男。曾我兄弟の父である。 安元2年(1176年)10月、伊豆国伊東荘を巡る所領争いにより、祐泰は伊豆の奥野の狩場で同族の工藤祐経に矢を射られて落命する。享年31才。 祐泰の妻(横山時重の娘)は5歳の十郎(祐成)、3歳の五郎(時致)2人を連れて曾我祐信と再婚した。

●工藤祐経
工藤 祐経(くどう すけつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の伊豆国の武将。 工藤滝口祐継の嫡男。 藤原南家の流れを汲む工藤氏の一族。鎌倉幕府御家人で、 幼少期に伊東氏の家督であった父の祐継が早世すると、父の遺言により義理の叔父である伊東祐親が後見人となる。
元服ののち、祐経は祐親の娘・万劫御前を娶り、祐親に伴われて上洛し平重盛に仕える。 歌舞音曲に通じており、「工藤一臈」と呼ばれた。 工藤祐経が在京している間に伊東祐親は祐経が継いだ伊東荘を押領してしまい、妻の万劫御前まで奪って土肥遠平に嫁がせてしまう。
押領に気付いた祐経は都で訴訟を繰り返すが、伊東祐親の根回しにより失敗に終わる。 所領と妻をも奪われた工藤祐経は祐親を深く怨み、伊東祐親父子の殺害を図って安元2年(1176年)10月、郎党に命じ、伊豆奥野の狩り場から帰る道中の伊東祐親の嫡男・河津祐泰を射殺する。
治承4年(1180年)8月の源頼朝挙兵後、平家方として頼朝と敵対した伊東祐親は、10月の富士川の戦い後に頼朝方に捕らえられて自害した。工藤祐経の弟とされる宇佐美祐茂が頼朝の挙兵当初から従い、富士川の戦いの戦功で本領を安堵されており、工藤祐経は京から鎌倉へ下って頼朝に臣従した。宇佐美祐茂を通して伊東父子亡き後の伊東荘を取り戻したと考えられる。工藤祐経の子祐時は伊東を名乗り伊東氏を継承する。安積伊東氏は工藤祐経の次男。
『吾妻鏡』における工藤祐経初見の記事は、元暦元年(1184年)4月の一ノ谷の戦いで捕虜となり、鎌倉へ護送された平重衡を慰める宴席に呼ばれ、鼓を打って今様を歌った記録がある。祐経は平家の家人であった事から、重衡に同情を寄せていたという。同年6月に一条忠頼の謀殺に加わるが、顔色を変えて役目を果たせず、戦闘にも加わっていない。同年8月、源範頼率いる平氏討伐軍に加わり、山陽道を遠征し豊後国へ渡る。 文治2年(1186年)4月に静御前が鶴岡八幡宮で舞を舞った際に鼓を打っている。 建久元年(1190年)11月の頼朝の上洛では武装した随兵とは異なり、水干や布衣を着して頼朝の側近くに従っている。 建久3年(1192年)7月、頼朝の征夷大将軍就任の辞令をもたらした勅使に引き出物の馬を渡す名誉な役を担った。祐経は武功を立てた記録はなく、都に仕えた経験と能力によって頼朝に重用された。  

●曾我兄弟の仇討ち
河津祐泰の、妻と子の一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)の兄弟が残され、妻は子を連れて曾我祐信に再嫁した。兄弟は後に曾我兄弟として世に知られる事になる。 建久4年(1193年)5月源 頼朝は富士の裾野で大規模な巻狩りを行い、工藤祐経も参加する。巻狩りの最終日の5月28日深夜、遊女らと共に宿舎で休んでいた所を、曾我祐成・時致兄弟が押し入り、祐経は兄弟の父河津祐泰の仇として討たれた。祐経が仲介して御家人となっていた備前国吉備津神社の神官・王藤内も一緒に討たれている。 騒動の後、詮議を行った頼朝は曾我時致の助命を考えたが、工藤祐経の子の犬房丸(のちの伊東祐時)が泣いて訴えたため、時致の身柄は引き渡され、梟首された。


        (曽我兄弟関係謡曲 04曲)
                                                   小原隆夫調べ
 コード    曲 目       概          説      場 所  季節  素謡   習順
外02巻4 小袖曽我  母ノ勘当解け富士ノ裾野ニ仇討ニ行ク  静岡   夏   38分  入門
外04巻4 夜討曽我  仇討ちの家来の忠義          静岡   夏   40分  入門
外11巻5 調伏曽我  曽我五郎仇討ちヲ祈る          神奈川  不   26分  入門
外16巻4 禅師曽我  曽我兄弟ノ弟国上禅師ヲ召捕ラレル   新潟   夏   27分  入門

 
平成24年5月18日(金) あさかのユーユークラブ 謡曲研究会


                夜討曽我   (ようちそが)

         季 夏      所 駿河国富士の裾野     素謡時間 40分
  【分類】四五番目・二番目物 
  【作者】宮 増   典拠:吾妻鏡、曾我物語、
  【登場人物】 シテ:曽我五郎時致  ツレ:曾我十郎祐成
              ツレ:鬼王  ツレ:団三郎  ツレ:立衆  
         詞 章                          (胡山文庫)

    次第
シテツレ三人上 其名も高き富士の嶺の。/\。御狩にいざや出でうよ。
十郎    詞「是は曽我の十郎祐成にて候。偖も我が君東八個国の諸侍を集め。
         富士の巻狩をさせられ候ふ間。我等兄弟も人なみにまかりいで。
         唯今富士の裾野へと急ぎ候。
  サシ四人上 今日出でていつ帰るべき故郷と。思へば猶もいとどしく。
    道行上 名残を残す我が宿の。
    三人上 名残を残す我が宿の。
    四人上 垣根の雪は卯の花の咲き散る花の名残ぞと。我が足柄や遠かりし。
         富士の裾野に着きにけり。/\。
十郎    詞「急ぎ候ふ程に。これははや富士の裾野にて候。いかに時致。
シテ    詞「御前に候
十郎    詞「然るべき処に幕を御打たせ候へ。
シテ    詞「畏つて候。
十郎    詞「いかに時致。今に始めぬ御事なれども。
         我が君の御威光のめでたさは候。打ちならべたる幕の内。
         目を驚かしたる有様にて候。かほどに多き人の中に。
         我等兄弟が幕の内程物さびたるは候ふまじ。
シテ    詞「さん候我等が幕の内程物さびたるはあるまじく候。さて彼のあらましは候。
十郎    詞「あらましとは何事にて候ふぞ。
シテ    詞「あら御情なや。我等は片時も忘るゝ事はなく候。彼の祐経が事候ふよ。
十郎    詞「げに/\某も忘るゝ事はなく候。偖いつをいつまでながらへ候ふべき。
         ともかくも然るべきやうに御定め候へ。
シテ    詞「仰せの如くいつをいつとか定め候ふべき。今夜夜討がけに彼の者を討たうずるにて候。
十郎    詞「さらばそれに御定め候へ。や。思ひ出したる事の候。我等故郷を出でし時。
         母にかくとも申さず候ふ程に。御嘆あるべき事。これのみ心にかゝり候ふ間。
         鬼王か団三郎か。兄弟に一人形見の物を持たせ。故郷に帰さうずるにて候。
シテ    詞「仰せはさる事にて候へども。一人帰れと申し候はゞ。定めてとかく申し候ふべし。
         たゞ二人ともに御かへしあれかしと存じ候。
十郎    詞「さらば二人ともに此方へ参れと御申し候へ。
シテ    詞「畏つて候。いかに団三郎。鬼王此方へ参り候へ。
団三郎   詞「畏つて候。
シテ    詞「団三郎兄弟これへ参りて候。
十郎    詞「いかに団三郎。鬼王もたしかに聞け。汝兄弟に申すべき事を承引すべきか。
         又承引すまじきか真直に申し候へ。
団三郎   詞「これは今めかしき御諚にて候。何事にても候へ御意を背く事はあるまじく候。
十郎    詞「あらうれしやさらば方って聞かせ候べし。さても我等が親の敵の事。
         彼の祐経を今夜夜討ちがけに討つべきなり。兄弟空しくならば。
         故郷の母嘆き給はんこと。余りに痛はしく候程に。形見の品々を持ち手。
         二人ながら故郷へかへり候へ。
団三郎   詞「これは思もよらぬ御諚にて候ふものかな。御意も御意にこそより候へ。
         此年月奉公申し候ふも。此御大事に真先かけて討死仕るべき為にてこそ候へ。
         何と御諚候ふとも。此儀においては罷り帰るまじく候。鬼王さやうにてはなきか。
鬼王    詞「なか/\の事尤にて候。まかり帰ることはあるまじく候。
十郎    詞「汝等は不思議なる事を申すものかな。偖こそ以前に言葉を固めて申し候に。
         ふつつと帰るまじきか。
団三郎   詞「ふつつとまかり帰るまじく候。
十郎    詞「なう五郎殿あれを御帰し候へ。
シテ    詞「畏つて候。やあ何とてまかり帰るまじとは申すぞ。
         さやうに申さうずると思し召してこそ。始より詞を固めて仰せられ候ふに。
         さてはしかと帰るまじきか。
鬼王    詞「まづ畏つたると御申し候へ。
団三郎   詞「畏つて候。
シテ    詞「しかと帰らうずるか。
団三郎   詞「まかり帰らうずるにて候。
シテ    詞「兄弟の者罷り帰らうずると申し候。
団三郎   詞「いかに鬼王。さて何と仕り候ふべき。まかり帰れば本意に非ず。
         又帰らねば御意に背く。とかく進退こゝに窮つて候。
鬼王    詞「仰の如くまかり帰れば本意に非ず。又帰らねば御意に背く。
         我等も是非を弁へず候。但し急度案じ出したる事の候。
         いづくにても命を捨つるこそ肝要にて。
         恐れながら団三郎殿とこれにて刺し違へ候ふべし。
団三郎   詞「げに/\いづくにても命をすつるこそ肝要なれ。いざさらば刺しちがへう。
鬼王    詞「尤にて候ふ。
シテ    詞「あゝ暫く。これは何としたることを仕ろぞ。
十郎    詞「やあ兄弟の者帰すまじきぞ帰すまじきぞ。まづ/\心を静めて聞き候へ。
         今夜此処にて祐経を討ち。兄弟空しくならば。
         故郷にまします母には誰か斯くと申すべきぞ。
       下 敬ふ者に従ふは。君臣の礼と申すなり。
シテ十郎 下 之を聞かずは生々世々。永き世までの勘当と。
地     上 かきくどき宣へば。/\。鬼王団三郎。さらば形見を賜はらんと。
         いふ声の下よりも。不覚の涙せきあへず。
地   クリ上 夫れ人の形見をおくりし例には。彼の唐土のはんかいが。
         母の衣を着替へしは。永き世までの例かや。十郎サシ「今当代の弓取の。
         母衣とはこれを名づけたり。
地     下 然れば我等が賎しき身を。譬ふべきにはあらねども。
         恩愛の契のあはれさは。我等を隔てぬ習なり。
    クセ下 さる程に兄弟。文こま%\と書きをさめ。
         これは祐成がいまはの時に書く文の。文字消えて薄くとも。
         形見に御覧候へ。皆人の形見には。手跡に勝る物あらじ。
         水茎の跡をば心にかけて問い弔ひ給へ。老少不定と聞く時は。
         若き命も頼まれず老いたるも残る世の習。飛花落葉の理と思し召されよ。
         其時時致も。膚の守を取り出し。これは時致が。形見に御覧候へ。
         形見は人のなき跡の。思の種と申せども。せめて慰む習なれば。
         時致は母上に添ひ申したると思し召せ。今までは其主を。守仏の観世音。
         此世の縁なくと来世をば助け給へや。

  ( 独吟 既に此日も入相の ヨリ  とどまる哀れさ マテ )

シテ十郎 上 既に此日も入相の。
地     上 鐘もはや声々に。諸行無常と告げ渡る。さらばよ急げ/\使。
         涙を文に巻きこめて其のまゝやる。文の干ぬ間にと。詠ぜし人の心まで。
         今更思ひ白雲の。かゝるや富士の裾野より。
         曽我に帰れば兄弟すご/\と跡を見送りて泣きて留まる。
         あはれさよ泣きてとどまる哀れれさよ。
              早鼓  中入
立衆一セイ上 寄せかけて。打つ白波の音たかく。鬨を作つて騒ぎけり。
              早笛
後シテ   詞「あらおびたゝしの軍兵やな。我等兄弟うたんとて。多くの勢は騒ぎあひて。
         こゝを先途と見えたるぞや。十郎殿/\。何とて御返事はなきぞ十郎殿。
         宵に新田の四郎と戦ひ給ひしが。さては早討たれ給ひたるよな。
         口惜しや死なば骸を一所とこそ思ひしに。
       上 物思ふ春の花ざかり。散り%\になつてこゝかしこに。屍をさらさん無念やな。
地     上 味方の勢はこれを見て。/\。打物の。鍔元くつろげ時致を目がけてかゝりけり。
シテ    上 あら物々しやおのれ等よ。
地     上 あら物々しやおのれらよ。先に手並みは知るらんものをと太刀取りなほし。
         立つたるけしき誉めぬ人こそなかりけれ。かゝりける所に。/\。
         御内方の古屋五郎。はんかいが怒りをなし張良が秘術を尽しつつ。
         五郎が面に。切つてかゝる。時致も。古屋五郎が抜いたる太刀の。
         鎬を削り。しばしが程は戦ひしが。
         何とか切りけん古屋五郎は二つになつてぞ見えたりける。
         かゝりける処に/\。御所の五郎丸御前に入れたてかなはじものをと。
         肌には鎧の。袖を解き。草摺軽げに。ざつくと投げかけ上には薄衣引きかづき。
         唐戸の脇にぞ待ちかけたる。
               イロヘ
シテ    下 今は時致も運槻弓の。
地     下 今は時致も運槻弓の。力も落ちて。まことの女ぞと油断して通るを。
         やり過し押しならべむんずと組めば。
シテ    上 おのれは何者ぞ。
地     上 御所の五郎丸あらもの/\しとわだがみつかんでえいや/\と組みころんで。
         時致上になりける所を。下よりえいやと又押し返し。其時大勢おり重なつて。
         千筋の縄をかけまくも。かたじけなくも。君の御前に。
         引つ立て行くこそめでたけれ。


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