弱法師 (よろぼし)

●あらすじ
河内の国高安の里に住む左衛門通俊は、ある者の讒言を信じて、わが子の俊徳丸を追放しましたが、それを後悔してある年の二月、功徳のため天王寺で七日間の施行を営みました。彼岸の中日、そこに弱法師と呼ばれる盲目の青年が施行を受けようと、杖にすがり我が身の不運を嘆きながらたどり着きます。通俊は、この若い盲人を見て、汝も施行を受けよと施物を与えましたが、この時散りかかって来た梅の花も弱法師の袖に留まったので、通俊はこれも施行であると言えば、弱法師は乞食の身ながら梅の匂いに気持ちを通わす清純な心の持主で、天王寺の来歴などを語ります。日暮れになると、弱法師は入り日の方角の西方浄土を拝み、難波の浦の美しい景色の数々を心眼に受けとめて悟りきった様子です。通俊はこの弱法師こそが、忘れ得ぬわが子と気づき、父と名乗り、俊徳丸の手をとって故郷へ帰るのでした。           
 (「宝生の能」平成12年2月号より)

●宝生流謡本     外四巻の三   四番目二番目  (太鼓なし)
   季節=春    場所=摂津国天王寺  作者=観世十郎元雅
   素謡(宝生)  : 稽古順=中伝の奥   素謡時間=50分
   素謡座席順   シテ=俊徳丸
              ワキ=高安通俊

●謡蹟めぐり            四天王寺 大阪市天王寺区     (平12・4記高橋春雄)
舞台は大阪の四天王寺で、天王寺とも言われる。曲中に「仏法最初の天王寺の石の鳥居ここなれや・・」と謡われるように、石の鳥居があり、その傍らには「大日本仏法最初四天王寺」と書かれた碑が建っている。また鳥居の中央に高さ1.5m、横1.1mの鋳銅製箕型の扁額があり、「釈迦如来転法綸所当極楽土東門中心」と浮彫風に鋳出している。このように天王寺の西大門は昔から極楽の東門と信ぜられ、昔はこの門前が波打際だったことから夕陽が西の海に入るのを見て浄土を偲ぶ信仰があった。彼岸の中日には太陽が真西(極楽の方角)へ落ちるので、天王寺の西門で落日を拝む風習が中世で盛んだった。これが本曲で言う「日想観」である。また「萬代にすめる亀井の水までも・・」と謡われるように境内には亀池があって、沢山の亀が甲羅を干していた。 四天王寺の石の鳥居に春秋の彼岸の中日には太陽がこの門の真ん中に落ちるので、落日を拝む日想観が行われる。

●弱法師(よろぼし)の解説
能の曲目。「よろぼうし」ともいう。四番目物。五流現行曲。金春(こんぱる)流は明治初期の復曲。他流も元禄(げんろく)(1688〜1704)ころに再興したものとされる。世阿弥(ぜあみ)の長男、観世元雅(かんぜもとまさ)作。ただしクセの部分は世阿弥の作。河内(かわち)国(大阪府)高安の里の高安通俊(みちとし)(ワキ)は、人の讒言(ざんげん)を信じわが子を追放したことを悔い、天王寺で7日間の施しをしている。彼岸会(え)のにぎわいのなかに、盲目となり、乞食(こじき)の身となった俊徳丸(しゅんとくまる)(シテ)が現れ、梅の香にひかれつつ施行(せぎょう)を受け、天王寺の縁起を語る。彼岸中日の落日に極楽を念ずる日想観(じっそうかん)に続き、心眼に映る難波(なにわ)の景色に興奮した俊徳丸は、人々に突き当たり、盲目の境涯を思い知る。わが子と気づいていた父に伴われ、彼は故郷へと帰ってゆく。逆境にありながら、梅の香りのような詩心と、澄んだ諦観(ていかん)を失わぬ少年(青年の風貌(ふうぼう)の能面もある)として演出されるが、創作当時は妻を伴って出る脚本であった。影響を受けた後世の浄瑠璃(じょうるり)に『弱法師』『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』などがある。
  Yahoo!百科事典[執筆者:増田正造]


●解 説
河内国(大阪府)高安の里の左衛門尉通俊(みちとし)は、さる人の讒言を信じ、その子俊徳丸を追放します。しかし、すぐにそれが偽りであることがわかって、不憫に思い、彼の二世安楽を祈って天王寺で施行を行います。一方、俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、今は弱法師と呼ばれる乞食となっています。彼は杖を頼りに天王寺にやって来て、施行を受けます。折りしも今日は、春の彼岸の中日にあたり、弱法師の袖に梅の花が散りかかります。彼は、仏の慈悲をたたえ、仏法最初の天王寺建立の縁起を物語ります。その姿を見ると、まさしく我が子ですが、通俊は人目をはばかって、夜になって名乗ることにします。そして日想観を拝むようにと勧めます。天王寺の西門は、極楽の東門に向かっているのです。弱法師は入り日を拝み、かつては見慣れていた難波の美しい風景を心に思い浮かべ、心眼に映える光景に恍惚となり、興奮のあまり狂いますが、往来の人に行き当たり、狂いから覚めます。物を見るのは心で見るのだから不自由はないと達観しても、やはり現実の生活はみじめなものです。やがて夜も更け、人影もとだえたので、父は名乗り出ます。親と知った俊徳丸は我が身を恥じて逃げようとしますが、父はその手を取り、連れ立って高安の里に帰ります。

●観能記  不条理劇としての能「弱法師」         石川県立能楽堂で開かれた北国宝生能
今日石川県立能楽堂で開かれた北国宝生能のことを記したいと思います。毎年春秋に開催されるこの能会は、宝生流宗家の宝生英照師をはじめ、東京と地元金沢の宝生流の名手たちが共演する華やかな催しです。狂言「花折」の、今も昔も変わらぬ花見の見物衆の騒々しさと陽気さ、能「千手」における大坪美喜雄師のはかなげな美しい舞姿なども印象的でしたが、とりわけ小生の心に残ったのは、能「弱法師(よろぼし)」です。 「弱法師」は、河内の国、高安の里に住む俊徳丸という少年が、讒言を信じた父に追放され、悲しみのあまり盲目の乞食に成り果て、「弱法師」と呼ばれて天王寺で施行を受けていたところ、たまたま前非を悔いて施行に来ていた父と再会するという物語です。ストーリーから言えば、この曲はハッピーエンドということなのでしょうが、小生にはとてもそうは思えませんでした。というのは、勧められて日想観(じっそうがん:天王寺の西門から夕日を拝んで浄土を見るという信仰)を行ない、美しい風景が弱法師の瞼の裏に浮かび、「見えたり見えたり」「満目青山は心に在り」と、心眼が開けて狂喜したのも束の間、彼は群集に突き飛ばされ、地面にへたり込んでしまうのです。つまり、信仰が現実に裏切られるのです。能では信仰によって救われることが常なのに、信仰が裏切られるストーリーは異例です。そして弱法師は幻想に酔った自分を恥じ、「思へば恥づかしやな」「今は狂ひ候はじ」「今よりは更に狂はじ」と、二度と幻想に狂うまいと言います。この残酷さ、不条理はしばらく小生の頭から離れませんでした。父との再会も、弱法師が隠れたのを無理矢理父親が引っ立てて行ったようにも思え、これからこの父子は高安に帰って幸せに暮らせるのだろうか、などと考えてしまいました。 通常、能は、どんなに重い主題でも最後は救済で終わるため、安らかな或いは晴れやかな長調の曲を聞いたような気分になるものですが、この曲は短調のまま終わったような重苦しい気分でした。こういう悲劇的な不条理劇の趣の能もあるのだということを発見した能会でした。 先に述べた日想観から群集に突き飛ばされるあたり、盲目の人が歩きまわる姿を描くシテの動きは、象徴的でありながら、実に現実味を帯びています。弱法師の面の目を閉じた悲しげな表情が一層惨めさを際立たせます。このあたり、シテの渡辺容之助師の所作はもちろんのこと、地謡や囃子方(特に亀井広忠さんの大鼓)のドラマティックな盛り上げも見事だったと思います。       
平成一六(二〇〇四)年四月四日(日)

(平成21年3月13日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


                   弱 法 師 (よろぼうし)

         季 春      所 摂津国天王寺     素謡時間 50分
  【分類】四番目・二番目物 (修羅物)
  【作者】世阿弥元清 又は 十郎元雅  典拠:不明
  【登場人物】 シテ:俊徳丸 ワキ:高安通俊

         詞章                  (胡山文庫)

ワキ    詞「かやうに候ふ者は。河内の国高安の里に。左衛門の尉通俊と申す者にて候。
         さても某子を一人持ちて候ふを。さる人の讒言により暮に追ひ失ひて候。
         余りに不便に候ふ程に。二世安楽のため天王寺にて。一七日施行を引き候。
         今日も施行を引かばやと存じ候。    狂言シカ%\。
シテ 一セイ上 出入の。月を見ざれば明暮の。夜の境をえぞ知らぬ。難波の海の底ひなく。
         深きおもひを。人や知る。
    サシ上 それ鴛鴦の衾の下には。立ち去る思を悲み。比目の枕の上には波を隔つる愁あり。
         いはんや心あり顔なる人間有為の身となりて。憂き年月の流れては。
         妹背の山の中に落つる。吉野の川のよしや世と思ひもはてぬ心かな。
         あさましや前世に誰をか厭ひけん。今又人の讒言により。不孝の罪に沈む故。
         思の涙かき曇り。盲目とさへなり果てゝ。生をもかへぬ此世より。中有の道に迷ふなり。
      下 本よりも心の闇は有りぬべし。

   (小謡 伝へ聞く ヨリ  立ち寄りて参らん マデ )

      上 伝へ聞く。彼一行の果羅の旅。/\。闇穴道の巷にも。九曜の曼陀羅の光明。
         赫奕として行末を照らし給ひけるとかや。今も末世と言ひながら。
         さすが名に負ふ此寺の。仏法最初の天王寺の石の鳥居こゝなれや。
         立ち寄りてまいらんいざ立ち寄りて参らん。
ワキ カヽル上 頃はきさらぎ時正の日。誠に時も長閑なる。日を得てあまねき貴賎の場に。
         施行をなして勧めけり。
シテ    詞「げにありがたき御利益。法界無辺の御慈悲ぞと。踵をついで群集する。
ワキ カカル上 これに出でたる乞丐人は。いかさま例の弱法師よな。
シテ    詞「うjたてやな又われらに名を付けて。皆弱法師と仰あるぞや。
   カカル上 げにも此身は盲目の。足弱車の片輪ながら。よろめきありけば弱法師と。
     名づけ給ふはことわりなり。
ワキ    詞「げに言ひ捨つる言の葉までも。情ありげに聞ゆるぞや。まづ/\施行を受け給へ。
シテ    詞「受け参らせ候はん。や。花の香の聞え候。いかさま木の花散り方になり候ふな。
ワキ    詞「おうこれなる籬の梅の花が。弱法師が袖に散りかゝるぞとよ。
シテ    詞「憂たてやな難波津の春ならば。唯木の花とこそ仰あるべきに。
   カカル上 今は春辺もなかばぞかし。梅花を折つて頭に挿しはさまざれども。
        二月の雪は衣に落つ。あら面白の花の匂やな。
ワキ    上 げにこの花を袖に受くれば。花もさながら施行ぞよ。
シテ    詞「なか/\の言。草木国土。悉皆御法も施行なれば。
ワキ カカル上 皆成仏の大慈悲に。
シテ    上 漏れじと施行に連なりて。
ワキ    上 手を合せ。
シテ    上 袖を広げて。

   (小謡 花をさへ ヨリ  よも漏れじ マデ )

地     上 花をさへ。受くる施行のいろいろに。/\。匂ひ来にけり梅の花の。
         春なれや。何はの事か法ならぬ。遊び戯れ舞ひ謡ふ。誓ひの網には漏るまじき。
         難波の海ぞ頼もしき。げにや盲亀のわれらまで。見る心地する梅が枝の。
         花の春の長閑けさは。難波の法によも漏れじ/\。
    クリ上 それ仏日西天の雲に隠れ。慈尊の出世遥に。三会の暁未だなり。

   (独吟 然るに此中間に ヨリ  皆成仏の姿なり マデ )

シテ  サシ上 然るに此中間に於て。なにと心を延ばめまし。
地     下 こゝによつて上宮太子。国家を改め万民を教へ。仏法流布の世となして。
         普く恵を弘め給ふ。
シテ    下 然れば当寺を御建立あつて。
地     下 始めて僧尼の姿を顕し。四天王寺と名づけ給ふ。
    クセ下 金堂の御本尊は。如意輪の仏像。救世観音とも申すとか。太子の御前生。
         震旦国の思禅師にて。渡らせ給ふゆゑなり。出離の仏像に応じつゝ。
         いま日域に至るまで。仏法最初の御本尊と。あらはれ給ふ御威光の。
         真なるかなや。末世相応の御誓。然るに当寺の仏閣の。
         御作の品々も。赤栴檀の霊木にて。塔婆の金宝にいたるまで。閻浮檀金なるとかや。
シテ    上 万代に。澄める亀井の水までも。
地     上 水上清き西天の。無熱池の。池水を受けつぎて。流久しき世世までも。
         五濁の人間を導きて。済度の舟をも寄するなる。難波の寺の鐘の声。
         異浦々に響き来て。普き誓満潮の。おし照る海山も。皆成仏の姿なり。
ワキ    詞「あら不思議や。これなる者をよくよく見候へば。
         某が追ひ失ひし子にて候ふはいかに。思のあまりに盲目となりて候。
         あら不便と衰へて候ふものかな。人目もさすがに候へば。
         夜に入りて某と名のり。高安へ連れて帰らばやと存じ候。
         やあ如何に日想観を拝み候へ。
シテ    詞「げにげに日想観の時節なるべし。盲目なればそなたとばかり。
   カカル上 心あてなる日に向ひて。東門を拝み南無阿弥陀仏。
ワキ    詞「何東門とはいはれなや。こゝは西門石の鳥居よ。
シテ    詞「あら愚や天王寺の。西門を出でて極楽の。東門に向ふは僻事か。
ワキ    上 げにげにさぞと難波の寺の。西門を出づる石の鳥居。
シテ    上 阿字門に入つて。
ワキ    上 阿字門を出づる。
シテ    上 弥陀の御国も。
ワキ    上 極楽の。
シテ    上 東門に。向ふ難波の西の海。
地     上 入日の影も舞ふとかや。

   (独吟 あら面白や ヨリ  今よりは更に狂はじ マデ )

シテ    詞「あら面白やわれ盲目とならざりし前は。弱法師が常に見馴れし境界なれば。
   カカル上 何疑も難波江に。江月照らし松風吹き。永夜の清宵なんのなすところぞや。
    ワカ上 住吉の。松の隙よりながむれば。
地     下 月落ちかゝる淡路島山と。
シテ    下 眺めしは月影の。
地     下 眺めしは月影の。今は入日や落ちかるらん。日想観なれば曇も波の。
         淡路絵島須磨明石。紀の海までも。見えたり見えたり。満目青山は。心にあり。
シテ    上 あう。見るぞとよ/\。
地      上 さて難波の浦の。致景の数々。

   (仕舞 住吉の松影 ヨリ  今よりは更に狂はじ マデ )

シテ    上 南はさこそと夕波の。住吉の松影。
地     上 東の方は時を得て。
シテ    上 春の緑の草香山。
地     上 北は何処。
シテ    下 難波なる。
地     下 長柄の橋の徒らにかなた。こなたとありく程に。盲目の悲しさは。
          貴賎の人に行き合ひの。転び漂よひ難波江の。足もとはよろ/\と。
          げにも真の弱法師とて。人は笑ひ給ふぞや。
          思へば恥かしやな今は狂ひ候はじ今よりは更に狂はじ。
地  ロンギ上 今ははや。夜も更け人も静まりぬ。いかなる人の果やらん。
         その名を名のり給へや。
シテ    上 思ひよらずや誰なれば。我がいにしへを問ひ給ふ。高安の里なりし。
         俊徳丸が果なり。
地     上 さては嬉しやわれこそは。父高安の通俊よ。
シテ    上 そも通俊は我が父の。その御声と聞くよりも。
地     上 胸うち騒ぎあきれつゝ。
シテ    上 こは夢かとて。俊徳は。
地     下 親ながら恥かしとてあらぬ方へ逃げ行けば。父は追ひ付き手を取りて。
         何をかつゝむ難波寺の鐘の声も夜まぎれに。
         明けぬ先にと誘ひて高安の里に帰りけり/\。


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