宝生流謡曲 「羅生門」

●あらすじ
丹後の国大江山で鬼神を退治して都へ帰った源頼光は、その時の面々を館に集めて、酒宴を催しいろいろ話し合っていた。この時頼光は一同に向って、近頃都で面白い話はないかと所望すると、先ず保昌の語るところは、近頃羅生門によなよな鬼が出て人を取るという噂があると。側にいた綱がこれを聞いて王城に近い所にさようなことはある筈がないと言い、口論の末、綱は頼光から印をいただいて、その夜ただちに馬にまたがってただ一人、二条の大宮から南に雨の仲を九条表に駒を走らせた。雨はますます烈しく、風も強く吹いて物凄く、駒もおののいて立ちすくみ進まない。綱は馬をおりて羅生門の石段に上がって印を立ておいて帰ろうとすると、俄に化生の者が現れ、後ろから綱の甲をつかんで引き戻すのであった。綱はたちまち太刀を振るって斬ってかかれば、鬼神はますます怒り狂うを、綱は少しも騒がず、遂に鬼神の腕を斬り落とし、恐れをなした鬼神は黒雲に隠れ去り、綱はめでたく武名をあげたのである。            
(宝生流謡本より高橋春雄)

●宝生流謡本     外四巻の二    切能  (太鼓あり)
   季節=春    場所=京都    作者=観世信光作
   素謡(宝生)  : 稽古順=平物   素謡時間=22分
   素謡座席順   立衆=頼光の臣
              ワキヅレ=藤原保昌
              ワキ=渡邊 綱
              ワキヅレ=源 頼光

●謡蹟めぐり
羅生門 、東寺・西寺ほか            
(平12・5記 高橋春雄)
平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通りにあたる)と九条通との交差点にあたり、平安京の正面として羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦ぶき屋上の棟には鴟尾(しび)が金色に輝いていた。この門は平安京の正面玄関であるとともに凱旋門でもあった。しかし平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともにこの門も次第に荒廃し盗賊のすみかとなり数々の奇談を生んだ。その話に取材した芥川龍之介の小説による映画「羅城門」は、この門の名を世界的に有名にしたが、今は礎石もなく、わずかに明治28年建立の「羅城門遺址」の碑が残るのみである。京都文化博物館には、羅生門の模型が陳列されており、往時の羅城門の有様を偲ばせてくれる。
  羅城門址碑 京都市南区 唐橋羅城門町   
(平8.10)
  羅城門模型 京都文化博物館 京都市中京区菱屋町 
(平6.11)
平安遷都の後、羅城門の東には東寺、西には西寺が建立された。東寺は現在もその威容を誇り平安の景観を偲ばせているが、当時同じ規模といわれる西寺は現在「史跡西寺跡」のの石標を残すのみである。 曲中の二条大宮通りは徳川家康が二条城を築いたため消滅してしまった。
また渡辺 綱は、東京の三田綱町が生誕地で、三井クラブ庭内に渡辺 綱産湯の井戸がある。

●羅生門(らしょうもん)解説                 
Yahoo! 百科事典より
能の曲目。五番目物。五流現行曲。観世信光(かんぜのぶみつ)作。春雨の夜、源頼光(よりみつ)(ワキツレ)の館(やかた)では酒宴が開かれている。羅生門に鬼が出るという噂(うわさ)の実否について、平井保昌(やすまさ)(ワキツレ)と渡辺綱(わたなべのつな)(ワキ)は激しく論争する。豪雨の中に実地検証に向かった渡辺綱(後ワキ)の兜(かぶと)を鬼神(シテ)がつかむが、渡辺綱は鬼神の腕を斬(き)り、鬼神は空に逃れ去る。シテが後半だけに登場し、しかも謡(うたい)がまったくないという異色の能であるが、前後の緊迫した対話、後段の闘争の対比が優れている。ワキ方で重く扱われ、上演はまれである。             
 [執筆者:増田正造]

●羅生門(らしょうもん)参考
平安京の大門羅城門の後世の当て字。「らせいもん」とも読む。 羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多かった。 (能) 羅生門は、 観世信光作の謡曲。 羅生門に巣くう鬼と戦った渡辺綱の武勇伝を謡曲化したもの。五番目物の鬼退治物。
小説では、芥川龍之介の短編小説羅生門 がある。 『今昔物語集』の羅城門の老婆の話に基づくと言われている。 映画では、羅生門 (1911年の映画) - 1911年の日本映画。尾上松之助主演や、羅生門 (1941年の映画) - 吉田信三監督による1941年の日本映画と 黒澤明監督による1950年の日本映画等がある。これらは芥川龍之介の短編小説『藪の中』に基づくと言う。
鍾乳洞では、羅生門岡山県新見市草間にある国指定天然記念物で貴重な古い鍾乳洞の痕跡。

●渡辺 綱 
平安時代中期の武将。天暦7年〜万寿2年(953〜1025)嵯峨源氏の源融の子孫で、通称は渡辺源次、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。頼光四天王の筆頭と言われ、武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛の子。 摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺 綱(わたなべ の つな)、あるいは渡辺 源次綱(わたなべ の げんじ つな)、源次 綱(げんじ つな)と称し、渡辺氏の祖となる。
大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で羅生門の鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話で有名。 その子孫は渡辺党と呼ばれ、内裏警護に従事する滝口武者として、また摂津国の武士団として住吉(住之江)の海(大阪湾)を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄し、源平の争乱から南北朝にかけて活躍した。
九州の水軍松浦党の祖の松浦久もまた渡辺氏の出である。先祖の源 融は『源氏物語』の主人公の光源氏の実在モデルとされたが、綱も美男子として有名。その直系長男が勤務医として京都府に在住している。 兵庫県川西市西畦野の小童寺の境内に綱の霊廟がある。

●源 頼光(948〜1021)の四天王
源頼光と共に活躍した以下の4人の家臣のこと。渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時(さかたのきんとき)・卜部季武(うらべのすえたけ)・碓井貞光(うすいのさだみつ)。大江山の酒呑童子を退治したことなどで知られている。

●羅生門の鬼伝説によるのかわかりませんが、昔から農家の萱屋根に、渡辺・渡部姓の家は煙出しを付けていません。(福島県会津地方)


     源 頼光関係謡曲 4曲
                                                     小原隆夫調べ  
 コード    曲 目      概          説          場 所  季節  素謡  習順
内07巻2    鵺    京都御所のぬえ退治源 頼光(948-1021) 兵庫   秋   37分  入門
外04巻2  羅 生 門  源 頼光家来羅生門の鬼退治        京都   春   22分  平物
外14巻2  土   蜘  源 頼光(948-1021) の家来土蜘蛛退治  京都   夏   23分  平物
外15巻5  大 江 山  源 頼光大江山ノ鬼退治            京都   夏   35分  入門


(平成21年3月13日 あさぁのユーユークラブ 謡曲研究会)


◎この謡曲は能楽では、「切能」もので囃子は太鼓があります。素謡ではシテの謡はありませんが約22分かかる曲です。源 頼光は大江山の鬼退治が終り、四天王はじめ家臣達とくつろいでいる様子と、酒盛りの最中羅生門に鬼がでる話に、渡辺の綱が鬼退治する有様が謡われています。
福島県の関係地名について、10頁3行目から「陸奥の安達が原にあらねども・・・・・・」文言があります。


        羅生門

       切 能(太鼓あり)  外四巻の二
                      季 春
                      所 京都
 
       立衆  頼光の家臣・貞光・季武・金時
        ワキヅレ 藤原保昌  
        ワキ    渡部 綱   
        ワキヅレ 源 頼光


ワキ・頼光・保昌・立衆・全員 次第上
     治まる花の都とて。治まる花の都とて風も音せぬ春べかな。
頼光  「是は源の頼光とは我が事なり。さても丹州大江山の鬼神を従へしよりこのかた。
     貞光・季武・綱・金時。此の人々を集め。朝暮参会仕り候。
     殊更今日はつれづれなれば。酒をずずめばやと存じ候」
     有難や四海の安危はたなごころの内に照らし。百王の理乱は心乃中に懸けたり。
ワキ・頼光・保昌・立衆
     曇りなき君の御影は久方の。
頼光・保昌・立衆
     曇りなき君の御影は久方の。
ワキ・頼光・保昌・立衆
      空ものどけき春雨の。音も静かに都路の七つの道も末すぐに。
      八州の浪も音せぬ九重の春ぞ久しき九重の春ぞ久しき
頼光   「いかに面々。さしたる興なけれども。この春雨のきのふ今日。晴れ間も見えぬつれづれに」
      今日も暮れぬと告げ渡る。声もさびしき入相の鐘
地     つくづくと春のながめの寂しきは。
      つくづくと春のながめの寂しきは。忍ぶに伝ふ。軒の玉水音すごす。独眺むる夕まぐれ。
      伴い語らふ諸人に。御酒をすすめて盃を。とりどりなれや梓弓。やたけ心のひとつなる。 
      つはもののまじはり頼みあろ中乃酒宴かな
      思う心の底いなく。唯打ち解けてつれづれと。降り暮したる宵の雨。これぞあま夜の物語。
ワキ    しなじな言葉の花も咲き
地     匂いも深き紅に面をめでて人心。隔てぬ中の戯れは。面白やもろともに。近く居よりて語らん。
頼光   「いかに面々。此の程都に珍しき事はなきか」
保昌   「さん候九条の羅生門に鬼神の住んで。暮るれば人の通らぬ由を申し候」
ワキ   「ああ暫く。御前にて左様の事をば申さぬ事にて候。流石に彼の羅生門は。
      王城の南門ならずや。土も木も我が大君の国なれば。いづくか鬼の宿と定めんと聞く時は。
      たとへ鬼神の住めばとて住ませて置くべきか。かかる聊爾なる事を承り候ぞ」
保昌   「なにと某御前にて聊爾を申すと候や。まこと不審に思し召さば。
      今夜にてもあれ彼の羅生門へ行きて御覧候へ」 
ワキ   「さては某行くまじき者と。思し召さば。標を立てて帰るべしと。さもあらけなく申しけれは」
立衆   満座の輩一同に。これは無益とささえけり
ワキ   「いや。保昌に対し遺恨はなけれれども。一つは君の御為なれば。標をたべと申しけり」
頼光   「げにげに綱が申す如く。一つは君の御為なれば。標を立てて帰るべしと」
      札を取り出でたびければ。
ワキ   綱は標を賜りて。
地     綱は標を賜りて。御前を立って出でけるが。立ち帰り方々は。人の心を陸奥の。
      安達ヶ原にあらねども。籠もれる鬼を従へずは。二度また人に。面を向くる事あらじ。
      これまでなりとゆふ汐の。引きはかへさじものふの。
      やたけ心ぞ恐ろしき やたけ心ぞ恐ろしき         (中入り)
後ワキ (一セイ) 
      さても渡辺の綱は。唯かりそめの口論により。鬼神の姿を見んために。物の具取って肩にかけ。
      同じ毛の兜の緒をしめ。重代の太刀を佩き。
地     たけなる馬に打ち乗って。舎人をも連れず誰一騎。宿所を出でて二条大宮を。
      南がしらにあゆませけり
地    春雨の音も頻りに更くる夜の。春雨の音も頻りに更くる夜の。
      鐘も聞ゆる暁に。東寺の前をうち過ぎ。
      九条おもてにうって出で。羅生門を見渡せば。物すさまじく雨落ちて。
      俄かに吹き来る風の音に。駒も進まず高嘶きし。身振ひしてこそ立つたりけれ。
地     その時馬を乗りはなし。その時馬を乗りはなし。羅生門の石段にあがり。
      標の札を取り出だし。段上に立て置き帰らんとするに。
      後より兜の錣を掴んで引き留めけれは。
      すはや鬼神と太刀抜き持って。斬らんとするに。取りたる兜の緒をひきちぎって。
      おぼえず段より飛び降りたり。
地    かくて鬼神は怒りをなして。かくて鬼神は怒りをなして。
      持ちたる兜をかっぱと投げ捨てその丈皐門の軒にひとしく両眼月日の如くにて。
      綱をにらんで。立つたりけり。
ワキ   綱は騒がず太刀さしかざし
地     綱は騒がず太刀さしかざし。汝知らずや王威をおかす。其の天罰は。
      遁るまじとてかかりければ。鉄杖を振り上げえいやと打つを
      飛び違いちようどきる斬らて組み付くを。
      払う剣に腕打ち落とされひるむと見えしがわきつじにのぼり。
      虚空をさしてあがりけるを。したい行けども黒雲おほい。
      時節をまちて又取るべしと。
      呼ばはる声もかすかに聞ゆる鬼神よりも恐ろしかりし。
      綱は名をこそ。あげにけれ。


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