草 薙 (くさなぎ)
●あらすじ
比叡山に住む恵心の僧都
熱田神社に参詣して最勝王経を講じていると、毎日男女二人の花売りが来るので尋ねると二人は夫婦の者で、男は草薙の神剣を守る神となり、女は命を延べる仙女となった者と言う。七日の満願の夜に姿をみせましょうと言い姿を消します。七日間の満願の時、日本武尊と橘姫の霊が現れ、景行天皇十一年東夷退治の折り熱田の神剣を賜り、駿河の國で敵に囲まれ、火をかけられたが、神剣のために危機を逃れ、ついに敵を滅したことを物語り、その後、四海波穏やかに神剣は当社に治まり、国豊かに民も栄えること、これひとえに最勝王経の徳であると御経の功徳のありがたさをたヽえて終る。 (草薙
神剣の話)
●宝生流謡本
外四巻の一 四五番目略脇能 (太鼓あり)
季節=春 場所=尾張国熱田 作者=
素謡稽古順=平物 素謡時間=26分
素謡座席順
ツレ=前・花売女 後・橘姫
シテ=前・花売男 後・日本武尊
ワキ=恵心僧都
●神話を描いた能の稀曲 - 草薙
日本武尊が敵の計略に陥り枯野に火をまかれた時、剣で草を薙ぎ払って窮地を脱し、この剣を「草薙剣」と名付けた??誰もが聞いたことのあるポピュラーな神話を能に取り入れた「草薙」は、宝生流でしか上演されない、とても珍しい曲。
●観能記 能の花 狂言の花 草薙
辰巳大二郎(五雲会)
宝生流 宝生能楽堂 2011.07.16
シテ 辰巳大二郎、ツレ 辰巳和麿 ワキ 舘田善博、 アイ 内藤連
大鼓 大倉栄太郎、小鼓 住駒匡彦 太鼓 大川典良、 笛 寺井義明
この草薙という曲、宝生流にのみ現存していて「稀曲」と紹介されているのを見かけたこともありますが、上演自体多くはないものの、それでも五雲会ではおよそ二年に一度くらいの割で見かけます。「稀曲」は言い過ぎのように思いますが・・・。この草薙でして、たまたま拝見して以来のファンであります。 四番目と紹介している本もあり、五番目としている本もあるのですが、いわゆる四・五番目物ということで、どちらもあり。また観てみると、内容から言って脇能としても良さそうに思うところで、実際も略脇として扱われるようです。
草薙は、古事記「草薙剣」のお話。間狂言がオロチ退治の話をしてるくだりで、後シテの舞はノリがよくて楽しかったです。重厚な舞という感じでした。お囃子方のノリもよかった。以前からメリハリのきいた大鼓だなーとチェックしてたので、住駒さんと並んでお名前を見つけてから、お囃子楽しみにしていました。大小鼓の、長く引いた掛け声と鼓の息がぴたっ!と合う瞬間は、何度聴いても気持いい。 (中略)
五番立てにさほど拘る意味があるかどうか微妙なところですが、一日何番かの能を観る時は、五番立ての順序に従っていた方が変化があって面白いかなあ、と思っています。 五番立て、初番目から・・・、祝言・・・五番立、神能
、修羅物あれこれ
、鬘物、狂ということ、雑物・・・四番目、切能) およそ各流の会でも、五番立てを全く無視した番組というのはほとんど見かけないように思います。この日の五雲会は能が草薙、歌占、半蔀、土蜘という順でして、本来は草薙が四・五番目、歌占が四番目、半蔀が三番目、土蜘が五番目ですが、草薙が略脇能扱い、歌占は二番目に流用される曲なので、やはり五番立ての順序には従っていることになります。 (後略)
●日本武尊(やまとたけるのみこと) [
日本大百科全書(小学館) ]
12代景行天皇の皇子で、14代仲哀天皇の父。この皇子の像は『古事記』と『日本書紀』で大きな相違があり、われわれが悲劇的皇子の物語として感動を受けるのは前者であるが、後者では天皇支配の体制に適合する姿に修正されている。記では、皇子は臼を人格化した小碓命の名で登場し、兄に食事に出席するように願えとの天皇の命令を取り違えて、兄を惨殺する。この豪勇を恐れた天皇は、熊襲建の討伐に皇子を派遣し、16歳の皇子はおばの倭比売(の衣装で女装して熊襲建に近づき、これを殺す。このとき倭男具那と名のっていた皇子は、熊襲建から日本武尊の名を奉献される。そしてその帰途、出雲建を偽刀の計で倒し、山、川、海峡の神を服属させて帰還する。しかし帰京後まもなく今度は東征を命ぜられ、「天皇は私に早く死ねと思っておられるのか」と嘆きつつ伊勢(いせ)神宮に奉仕する倭比売を訪ね、剣と袋をもらって出発する。 東征では多くの困難が起こった。まず相模国造(さがみのくにのみやつこ)にだまされて野火の難にあい、また浦賀水道の神に航行を阻まれる。皇子は野火の難を倭比売から賜った剣で草を薙(な)ぎ、袋の中の火打石(ひうちいし)でこれに火をつけて逃れ、浦賀水道では愛する弟橘媛の入水により死を免れる。だが東征の帰途、熱田の宮簀姫のもとに伊勢の神剣を預け、素手で伊吹山の神に立ち向かった皇子は、神の正体を誤認したために大氷雨(おおひさめ)に打たれて深手を負い、伊勢の能煩野にたどり着いて死ぬ。物語はこのあたりから歌を交え、生と死の悲劇性を高めていくが、とくに、死後白鳥となって翔)り行く皇子を后(や御子)たちが追う終章は、この物語の白眉である。皇子がいくつかの名をもつことから理解されるように、この物語は多くの話がまとまって成立した東西平定の物語である。それは『古事記』のなかで、崇神朝の国家体制の確立を受け、神功皇后の朝鮮半島征服へと展開させる意味をもつが、われわれに与えるこの物語の感動は、父である天皇に遠ざけられて異域で死なねばならなかった皇子の死が語りかける、一人の人間の悲劇的生涯である。 [ 執筆者:吉井 巖
]
天皇家(朝廷)関係謡曲 16曲
小原隆夫調べ
コード 曲 目 概
説
場所 季節
素謡 習順
外10巻1 岩 船 11代垂仁天皇ノ御代高麗唐土ヨリ宝物キタル
兵庫 秋 25分 入門
外04巻1 草 薙 12代景行天皇の子
最勝王経と草薙の剣 愛知 春 25分
平物
内02巻1 難 波 16代仁徳天皇の代を百済の王仁が祝う 大阪
春 35分 入門
内14巻4 花 筺 23代継体天皇に昔の恋人狂女花篭で逢う
福井 秋 55分 初奥
外12巻4 綾 鼓 37代斎明帝の時庭掃の老人高貴の方に恋
福岡 秋 40分 奥伝
外01巻5 国 栖 40代天武帝が天智帝に吉野山に追れ鮎占
奈良 春 35分 入門
内05巻3 釆 女 45代聖武帝の代に采女と葛城王の話 奈良
春 53分 初序
外08巻1 金 札 50代桓武天皇ノ伏見遷都シ伊勢大神宮ヨリ祝 京都
春 26分 平物
内12巻4 蝉 丸 59代宇多帝ノ皇子蝉丸ガ捨テラレ
姉宮ニ再会 滋賀 春 65分 初序
外06巻3 草 紙洗 60代醍醐帝ニ小野小町ト大伴黒主ノ和歌クラベ
京都 夏 50分 初序
外08巻5 鷺 60代醍醐帝の時神泉苑ノ鷺ニ五位ノ位 京都
夏 18分 初序
外12巻5 絃 上 62代村上天皇ニ琵琶ノ名手師長入唐ヲ留メタ
兵庫 秋 50分 初序
外02巻5 小 鍛 冶 66代一条ノ院ニ三條宗近氏神ニ助ケラレ剣ヲ打ツ
京都 不 33分 入門
外11巻3 小 督 80代高倉帝ノ命ニヨリ仲国
小督ノ局ヲ迎ニ行ク 京都 秋 45分
入門
内07巻3 大原御幸 81代安徳天皇ノ母ガ助ラレタ寂シク暮ラスヲ見舞ウ
京都 春 70分 奥伝
内19巻1 氷 室 90代亀山の院若狭路氷室山ノ由来
京都 夏 42分 入門
平成24年5月18日(金)
あさかのユーユークラブ 謡曲研究会
草 薙
草 薙(くさなぎ) 外四巻の一 (太鼓なし)
季 春 所 尾張国熱田 素謡時間 26分
【分類】四五番目 ( 略脇能 )
【作者】 典拠:
【登場人物】前シテ:花売男、 後シテ:日本武尊 ワキ:惠心僧都
前ツレ;花売女 後ツレ;橘 姫
詞 章 (胡山文庫)
ワキ 詞「是は比叡山に住む恵心の僧都にて候。我此の程尾張の国熱田に参り。
一七日参籠申し。最勝王経を講じ奉り候。又ここにいづくも知らず男女の候が。
草花を持ちて来り候。今日も来りて候はば。如何なる者ぞと名を尋ねばやと思い候。
シテツレ一セイ上 郭公。花橘の香をとめて。鳴くや五月の。あやめ草。
シテ サシ上 是は上野に見ゆる彼の岡ニ草を刈り。売り手命の露をつぐ。荒村の野人にて候なり。
ツレ 上
これも立ちそふ夏衣。重ねの袖は碓氷山。隔てし中を忘れねば。
実さへ花さへ常磐に売る。橘の貧女にて候。
シテ 上 それ人間の容貌は。朝に覚え夕べに衰え。電光石火の光の陰。時人を待たぬ芦の屋の。
シテツレ
下歌 入るより早く明け暮れて限りや涙なるらん。
上歌 月は見ん月はは見えじながらへて。
ツレ 上 月は見ん月はは見えじながらへて。
シテツレ
上 浮世を廻る。影も恥ずかしの森の下草咲きにけり花ながら刈りて売らうよ。
日頃経て。待つ日は聞かず時鳥。匂い求めて尋ね来る。花橘や召さるる。/\。
ワキ 詞「いかに申すべき事の候。方々の持ち給いたる草花の名を承り度う候。
ツレ 詞「なう此の橘召され候へ。
シテ 詞「此の橘召され候へ。
上 色々の。
地
上 色々の。草木の数は白露の。枝に霜は置くとも猶常磐なれや橘の。
目覚まし草の戯れ。お僧の身には何事もつつむとしはなくとも。
説き置く法の古へを。忍ぶ草を召されよ。
ワキ 詞「草花の数は承り候。さて/\御身は如何なる人ぞ名を御名のり候へ。
シテ 詞「まづかやうに承り候。御身は如何なる人にて御座候ぞ。
ワキ 詞「さん候これは比叡山に住む惠心の僧都にて候が。当社に参り一七日最勝王経を講じ奉り候
ツレ 上 さては有賀や我等が望む御経なり。
シテ 詞「我久しく当社の権扉を押し開き。長へに国家を守る。
シテツレ
上 然りといへども猶五穀を成就せしめ。人寿円長なる事を求むるに。
只此経の徳ならずや。
シテ 詞「又我等二人は夫婦の者。或いは草薙の神剣うぃ守る神となる。
ツレ 上 又は蓬が島とかや。常世の木の実の名をとめて。齢をのぶる仙女となる。
シテ 上 七日のお経結願の夜。
地 上 灯火の影に立ち添いて。姿をまみえ申すべしと。語れば白鳥の。
峯の薄雲立ち渡り。風すさじく雨落ちて。暮れ行く空は薄墨のかき消すやうに失せにけり。
中入り
ワキ 待謡上 御殿忽ち鳴動し。/\。日月光雲晴れて。山の端出づる如くにて。
あらはれ給ふふしぎさよ/\。
出羽
後シテ
上 あら有難の御経やな。灯の影に姿をまみえん。五睡の眼を無上正覚の月にさまし。
衆生等も同じく。息災延命なる事を守るなり。
後ツレ 上 我は熱田の源太夫が娘。橘姫の霊魂なり。
シテ 上 我はこれ景行天皇第三の皇子。日本武の尊。
地 上 神剣を守る神となる。これ素戔嗚の神霊なり。
地
サシ上 抑人皇十二代。景行天皇十一年。東夷頻りに起りしかば。依って関の東穏やかならず。
第三の皇子日本武の尊を下し奉る。
シテ 下 其の御伊勢皇大神宮へ申させ給ひて。
地 下 熱田の神剣をも下し奉り給ふ。
シテ 詞「かくた東夷を平らげんと発向するところに。出雲の国にて素戔嗚の尊に切られし大蛇。
件の剣をたぶらかさんと。大山となつて道を塞ぐ。
されども事ともせず駆け破って通りしより。今の二村山となる。
其の後駿河の国まで攻め下るに。イテキ十万餘騎。兜を脱ぎ鉾を伏せて降参し。
頻りに御狩の御遊をすすむ。頃は神無月十日余りの事なれば。
冬野の景の面白さに。何心なく打ち出でたりしに。夷四方の囲みをなし。
上 枯れ野の草に火をかくれば。
地 上 余焔頻りに燃え来たり。/\。遁れ出づべき方もなく。
敵攻め鼓を打ちかけて火炎を放してかかりけるに。
シテ 下 尊剣を抜いて。
地 下 尊剣を抜いて。あたりを払ひ忽ちに、焔も立ち退けと。四方の草を薙ぎ払へば。
剣の精霊嵐となつて。焔も草も吹きかへされて。天にかかやき地にみちみちて。
夷の陣に吹き暗がつて。猛火はかへつて敵を焼けば。数万の夷ども。
皆焼け死にて其の跡の。熾きは積つて山の如し。
それより名付けつつここを興津とゆふ汐の。御剣も納まり尊もつつがなましまさず。
代を治め給いし草薙の剣はこれなり。
キリ下 其の後四海穏やかに。/\。国に飛ぶ火の名を聞かず。当社ふりぬる御剣の。
久しき代々に末を経神道も栄え国も富み。人も息災なる事は。
唯此経の徳とかや/\。
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