春  栄 (しゅんえい)

●あらすじ
増尾の春栄は宇治の合戦の際に囚の身となって伊豆三島の囚人奉行高橋権頭家次の陣屋につながれています。家次は春栄が自分の死んだ息子に似ているので養子にしたいと考えますが既に斬罪の判決が下っていて今は刑の執行を待つばかりです。 そうしたある日、春栄の兄増尾太郎種直が家次の館を訪ね、春栄に面会を申し入れます。春栄は兄の来訪を喜びますが、肉親と知れては同罪になると恐れて、家来の者だと言い張ります。兄は弟と一緒に殺される覚悟で来たので、それでは情けないと言って腹を切ろうとします。ここに至って春栄も翻心し互いに名乗りあいます。委細を見ていた権頭は兄弟愛に涙を催します。そして種直に自分が春栄を貰いうけたい由を話していると、鎌倉から囚人の断罪を命じられ、すわや最期と覚悟していると、再び鎌倉より赦免が伝えられ、
一同は喜び種直は舞を舞い、春栄は家次の養子となって共に鎌倉に立ち出でます。
                 
 (「宝生の能」平成 10年12月号より)

●宝生流謡本     外三巻の二     二番目四番目  (太鼓なし)
   季節=秋   場所=伊豆国三島  作者=
   素謡(宝生)  : 稽古順=入門    素謡時間=50分
   素謡座席順   子方=増尾春栄丸
              ツレ=種直の従者小太郎
              シテ=増尾太郎種直
              ワキ=高橋権頭家次
              ワキヅレ=早打

●演能記
  春栄         藤井雅之(五雲会)   宝生流 宝生能楽堂 2008.12.20
   シテ 藤井雅之、  子方 波吉敏信、 ツレ 山内崇生
   ワキ 宝生欣哉、  アイ 山本則重
   大鼓 大倉正之助、小鼓 住駒幸英   笛 成田寛人
春栄、これは観世流では滅多に出ない曲の一つなのですが、宝生では割と上演されているようです。上掛ということで共通点も多い両流ですが、観世流で滅多に演じられない曲が、宝生流では普通に演じられるというのも不思議な感じがします。
この曲の他にも、呉服、志賀、禅師曽我などもそうですね。さてこの春栄、子方がシテの弟という珍しい設定のためか、子方の技量が求められるところです。
まず囃子無しで子方を先頭にワキ、アイの一行が登場し、子方がワキ座へと進む一方で、ワキとアイは一度鏡板を向いてクツロギます。その後あらためてワキが常座に進み、アイが後ろに控える形で、ワキは「高橋権の頭」と名乗ります。本来であれば名乗り笛で登場するところでしょうけれども、子方が先頭に立つため名乗り笛が吹けず、囃子無しの出となるわけです。
聞いたところでは、昔は、鏡板にクツロイだ後に常座へ出るときに、名宣笛の一部を吹いたとかいう話もあるそうです。
ワキの言葉で、宇治橋の合戦に勝利した際に多数の捕虜を捕らえたが、自分も春栄という幼い人を生け捕りにした。その旨を報告したところ処刑せよと命ぜられたことが示されます。 宇治橋の合戦というと、源三位頼政が平家に敗れて近くの平等院で自害した戦いを思い浮かべますが、このあとで登場するシテが春栄を探して伊豆の国府へ向かうという設定ですので、頼政の話では辻褄が合いません。
ここは、木曾義仲と、鎌倉の頼朝に遣わされた範頼・義経とが戦った宇治川の戦いを想定しているようで、春栄は義仲方、高橋権の頭は鎌倉方の奉行ということでしょうね。

●謡蹟めぐり  三島大社 静岡県三島市 (元宝生流教授嘱託会本部理事長 高橋春雄氏 平8.8記)
本曲の舞台は伊豆国三島となっている。「謡曲大観」によれば、本曲に登場する「春栄丸」「高橋権頭家次」「増尾太郎種直」などの人物は実在の人ではなく、本曲も架空の物語のようである。しかし、この曲は鎌倉時代を背景としており、鎌倉時代には三島大社に接する一帯に国府があったようである。本曲にも「名にのみ聞きし伊豆の国府、三嶋の里に着きにけり・・」とあり、また高橋権頭家次は三島で囚人の奉行をしていたとあるから、国府の役人であったと思われる。従って本曲の舞台は国府あたりと思われるが、現在国府址を示す遺物は何も残っていないようである。
また、三島大社については、本曲にも「古郷を去って伊豆の国府、南無や三嶋の明神・・」「伊豆の三嶋の神風も吹き治むべき代の始め・・」「三嶋の宮の御利生とふし拝み・・」等と何回も引用されており、本曲の舞台と考えることもできるので掲げてみた。 春栄は宇治橋の合戦で生け捕られたとあるが、曲中に「鎌倉よりの早打なり」などの言葉があるのをみると、この合戦は義仲と範頼・義経の合戦を想定したものと思われる。
 宇治橋に立って川下を見ると、流れも早く水量も豊かな宇治川の中央には橘島を配した素晴らしい景観が拡がり、この川を挟んで昔から何回となく戦いが繰り広げられたなどとても想像できない。しかし、この川の右手にある平等院には頼政が平家に討たれて自刃した跡という「扇の芝」があり、橘島には「宇治川先陣の碑」が建てられていて往時を偲ばせてくれる。この先陣争いでは名馬「するすみ」に乗った梶原景季と、名馬「いけづき」に乗った佐々木高綱が争い、先陣は高綱がとり、義経軍が一斉に渡河して義仲軍を打ち破ったのであるが、本曲の春栄は義仲軍としてこの合戦に参加し、生け捕りになったものであろう。 宇治橋には中央に2メートルほど張り出した所があり、三の間と呼ばれている。古い時代、始めて宇治橋をかけるにあたって、宇治川上流に鎮座していた瀬織津比めの尊を橋上に奉祀したが、それ以来世に橋姫の神と唱えられるに至った。三の間と称するのはその鎮座の跡であるという。後に宇治橋の西詰の地に移し、住吉神社とともに祀られ、橋姫神社として現在に至っている。
今から約400年前、豊臣秀吉が伏見桃山城にいた時、しばしば宇治へ視察に訪れ、橋のたもとにある通円茶屋という所で休息したが、その時差し上げたお茶がことのほか御意にかなった。主人より宇治川の水を使用した由を聞き、早速に千利休に命じ「三の間」より汲み上げるための特別の釣瓶を造らせた。橋守十一代通円をして宇治橋三の間より汲み上げる役を仰せつけられ、秀吉はその水を茶の湯に使われたという。春栄は宇治橋の合戦で生け捕られた。 宇治はまた源氏物語の舞台ともなっている。ことに「宇治十帖」と称される最後の十巻は、随一の主人公光源氏亡きあと、その子薫と孫匂宮という二人の男性に、落魄した八宮の姫君三人がめぐる恋がたり。主なる背景を宇治にすえ、艶やかさにもまして、いっそう哀しい恋のさやあてがしっとりと繰り広げられる。

●解 説  第15回久習會「春栄」
 能「春栄」. 宇治橋での合戦直後、伊豆の三島に捕虜となっている春栄という名の少年 をめぐる物語です。宇治橋ではしばしば合戦が行われ、ここに言うのは、おそらく承久の 合戦(一二二一年)を念頭において作劇されたのだろうかと考えられています。 宇治橋での合戦直後、伊豆の三島に捕虜となっている春栄という名の少年をめぐる物語です。宇治橋ではしばしば合戦が行われ、ここに言うのは、おそらく承久の合戦(一二二一年)を念頭において作劇されたのだろうかと考えられています。 少年、増尾の春栄丸(子方)は捕虜となって、伊豆の三島にて、高橋権頭(ごんのかみ)家次という奉行(ワキ)が預かっており、処刑の時が近づいています。そこに春栄の兄、増尾の太郎種直(シテ)が尋ねて来るのです。夢の中に幽霊が現れるといった夢幻能とは趣の違う作品で、いわゆる時代劇スタイルの能です。こうした能では、シテも能面を用いませんが、これを直面(ひためん)と言って、自身の顔を一種、能面に見立てて演技するのです。謡や囃子による音楽的な要素が重要である点は、他の能と変わりません。

(平成21年1月23日 あさかのユーユークラブ 謡曲研究会)


         春 栄      二番目四番目    (太鼓なし)
 

      春 栄(しゅんえい)外三巻の二   二番目四番目    (太鼓なし)
           季節=秋   場所=伊豆国三島   
           素謡稽古順=入門   素謡時間=五十分 作者=世阿弥
           子方=増尾春栄丸
    素謡座席順  ツレ=種直の従者
           シテ=増尾太郎種直
           ワキ=高橋権頭家次
          ワキヅレ=早打ち  アイ 従者  
    詞 章                (胡山文庫)

 (次第)
ワキ    嗣「是は高橋権の頭家次にて候。さてもこの度宇治橋の合戦に味方打ち勝ち。
         分捕功名数を尽す。某が手にも囚人数多候ふ中にも。
         春栄殿と申す幼き人を生け捕り申して候。此由を申し上げて候へば。
         近き程に誅し申せとの御事にて候ふ間。春栄殿へ此よしを申さばやと存じ候。
シテツレ次第上 散らぬさきにと尋ね行く。/\。花をや風の誘ふらん。
シテ    詞「これは武蔵の国の住人。増尾の太郎種直にて候。
         さても宇治橋の合戦に弓手の肩を射させ。
         其矢を抜かんと少し傍に引き退き候ふ間に。弟にて候ふ春栄深入し。
         やみ/\と生捕られて候。承り候へば。
         生捕何れも近き程に誅せらるゝ由申し候ふ間。
         某も囚人の数に入らばやと存じ。只今春栄がありかへと急ぎ候。
シテツレ  上 住み馴れし。都の空は雲居にて。/\。朝立ち添ふる旅衣。
         日も重なりて行く程に。名にのみ聞きし伊豆の国府。
         三島の里に着きにけり。/\。
シテ    詞「急ぎ候ふほどに。伊豆の三島に着きて候。此処にて囚人の奉行をば。
         高橋とやらん申し候。尋ねて対面申したき由申し候へ。
ツレ    詞「畏つて候。いかに案内申し候。囚人奉行高橋殿と申すは何処に御座候ふぞ。
            シカ/\
狂言「何の御用にて候ふぞ。頼みたる人の事にて候。
ツレ    詞「これは春栄殿のゆかりの者にて候。高橋殿へそと御目に懸りたき事の候ひて。これまで参りて候。其由をよく/\御心得あつて御申し候へ。
            シカ/\
狂言「心得申し候。囚人の縁の人は堅く禁制にて候へども。春栄殿の御事は頼み候ふ人別して痛はり申され候ふ間。其由を申して見候ふべし。暫く御待ち候へ。
トモ「心得申し候。
狂言「いかに申し候。春栄殿のゆかりと申して若き男の来り候ひて。御目に懸りたき由申し候
ふ間。かたく御禁制にて候へども。春栄殿の御事にて候ふ間申し入れて見うずる由申して候。

ワキ    詞「何と春栄殿の縁の人と申して。某に対面ありたき由申すか。
         汝も知る如く。囚人のゆかりに対面は禁制にて候へども。
         春栄殿の御事は別して痛はり候ふ間。そと対面申さうずるにて候。
         さりながら大法の事にて候ふ間。太刀刀を預り候へ。
            シカ/\
狂言「畏つて候。いかに申し候。只今の通を申して候へば。かたく禁制にて候へども。
春栄殿の縁の御事にて候ふ程に。そと御目に懸らうずると申され候。さらば太刀刀を賜はり候へ。

ツレ    詞「心得申し候。尋ね申して候へば。春栄殿の縁ならば。
         高橋別して痛はり申し候ふ間。対面申さうずる由申され候。
         さりながら大法にて候ふ程に。太刀刀禁制の由申し候ふ。
シテ    詞「さらば太刀刀を参らせ候ふべし。
            シカ/\
ワキ    詞「春栄殿の縁と仰せ候ふはいづくに渡り候ふぞ。
シテ    詞「これに候。
ワキ    詞「これは春栄殿の為には何にて渡り候ふぞ。
シテ    詞「さん候春栄が兄に。増尾の太郎種直と申す者にて候。
         今度宇治橋の合戦に弓手の肩を射させ。
         其矢を抜かんと少し傍に引退き候ふ間に。
         弟にて候ふ春栄深入し生捕られて候ふ間。余りに見捨て難く候へば。
         某も一所に誅せられん為に遥遥これまで参りて候。
         春栄に引き合はせられて給はり候へ。
ワキ    詞「委細承り候。これまでの御いで真にゆゝしく候。
         やがて其由を春栄殿へ申し候ふべし。暫く御待ち候へ。
シテ    詞「心得申し候。
ワキ    詞 「いかに春栄殿へ申し候。御身の御舎兄に。増尾の太郎種直と御名のりあつて。
         これまで御出にて候。急いで御対面候へ。
子方    詞「是は真しからず候。兄にて候ふ者は。宇治橋の合戦にて重手負ひ。
         存命不定とこそ承り候ひつれ。
ワキ    詞「あら不思議や。正しく御舎兄と仰せ候ふ物を。
         さりながら物の隙よりそと御覧候へ。
子方    詞「不思議なる事にて候。譜代召し使ひ候ふ家人にて候ふ間。
         急ぎ追つ帰して給はり候へ。
ワキ    詞「さては真に家人にて候ふか。さあらばやがて追つ帰し候ふべし。
         いかに以前の人の渡り候ふか。
シテ    詞「是に候。
ワキ    詞「仰の通を申して候へば。物の隙より御覧候ひて。兄にてはなし。
         譜代召しつかはるゝ家人なれば。急ぎ追つ帰し申せとの御事にて候。
         何とて聊爾なる事をば承り候ふぞ。
シテ    詞「暫く。まづ御心を静めて聞し召され候へ。家人の身として兄と名のり。
         一所に誅せらるゝ事の候ふべきか。いか様にも御沙汰候ひて。
         引き合はせられて給はり候へ。某対面して。
         家人か兄かの勝劣を見せ申し候ふべし。
ワキ    詞「げに/\これは尤にて候。さらば某たばかつて呼びいだし候ふべし。
         其時御袖にすがられて委しく仰せ候へ。
シテ    詞「心得申し候。さらばこれに待ち申し候ふべし。
ワキ    詞「いかに春栄殿に申し候。
         只今かの者をばあら/\と申し追つ帰して候さりながら。
         かの者の心中余りに不便に候ふ間。後姿をそと御覧候へ。此方へ渡り候へ。
シテ    詞「いかに春栄。何とて某をば家人とは申すぞ。
         さても今宇治橋の合戦に弓手の肩を射させ。其矢を抜かんと少し傍に。
         引き退き候隙に。御身は深入りし、生け捕られたり。
         その際の先途をも、見届けざれば。
         家人と言ふ事弟ながらも恥ずかしうこそ候へ、去りながら。
         一所に、誅せられん為に。是まで遙々、来りたるに。
         何とて、左様には申すぞ。
春栄    詞「いかに汝は、三世のよしみを思ひ。是まで遙々来りたる、こころざし。
         返す返すもやさしけれ、去りながら。汝は故郷に帰り母御に、申すべき様は。
         春栄こそ、誅せられ候へ。逆さまなる御弔ひにこそ預かり候べけれと。
         よくよく、申し候へ。
シテ    詞「猶も、家人と申すか。深山木のその梢とは、見えざりし。
         桜は花に、顕れにけり。何と、家人とくたすとも。終には隠れ、よもあらじ。
春栄    上 時を得て早くも育つ夏木立。その木をそれと見るべきか。
         早とく帰れと。叱りけり。
シテ    上 山皆染むる、梢にも。松は変らぬ、習ぞかし。
春栄    上 一千年の色とても。雪にはしばし隠るるなり。
シテ    詞「是を物に、たとふれば。殷のやうかは父を討ち。
春栄    上 秦のかくいは師匠を討つ。
シテ    上 今の増尾の、春栄は。
春栄    上 現在の兄を家人と言ふ。
シテ    上 これは、逆罪たるべきに。
春栄    上 まことは深き孝行なり。
シテ    上 いやとにかくに、命を捨つる迄。種直これにて、腹切らん。
         や。刀は、参らせつ。なふ御芳志に刀を、給り候へ。
春栄    上 なふなふ暫くこはいかに。
地     上 命を助け申さんとてこそ、家人とは申しつれ、忠が不忠になりけるか、
         許させ給へ兄御前、許させ給へ兄御前。

  ( 小謡 種直も春栄も ヨリ  濡らしけり マデ )

      上 種直も春栄も。種直も春栄も。
         囚人守護の兵も。互ひの心を思ひやり。
         げに持つべきは兄弟なりとて、共に袂を濡らしけり、共に袂を濡らしけり。
ワキ    詞「言語道断。御兄弟の御心中、察し申し。我らも落涙、仕って候。
         いかに、種直に申し候。春栄殿の御事。別して労り申す事、余の儀にあらず。
         某、子を一人、持ちて候を。今度の合戦に、討たせて候。
         この、春栄殿の面ざし。少しも、違はねば。哀れ御命も、助かり給へかし。
         某、申し請け。一跡を継がせ申し度との、念願にて候。
         「や。何、まことか。荒、何ともなや。
         ただ今申しつる事も皆、いたづら事にて候。又鎌倉より、早打立って。
         箱根を、越さぬ先に。囚人を皆誅し申せとの、御事にて候。
         痛しながら、力なき事。春栄殿は御最期の、御用意候へ。
         又、種直は。急ぎ、故郷へ、御帰り候へ。
シテ    詞「委細承けたまはり候。春栄が事は、幼き者の事にて候間。
         春栄を助け。某を、誅して給り候へ。
ワキ    詞「中々左様には、成るまじく候。
シテ    詞「さては力なき事。某をも一所に、誅して給り候へ。
ワキ    詞「それは、ともかくもにて候。
シテ    詞「いかに春栄。故郷へ、形見を贈り候へ。
         「いかに小太郎。
小太郎   詞「御前に候。
シテ    詞「汝は故郷に帰り。母御に、申すべき様は。
         春栄が最期の有様あまりに、見捨て難く候程に。某も諸共に誅せられ候。
         逆さまなる御弔ひにこそ預かり候べけれとよくよく、申し候へ。
   カカル下 これなる守りは種直が。母御の方より給りたる。守り仏の観世音。
         種直が形見に御覧候へと。よくよく申し候へ。
春栄    下 是なる文は春栄が。最期の文にて候なり。又形見には烏羽玉の。
         我が黒髪のすそを切り。さばかり明け暮れ一筋を。
         千筋と撫でさせ給ひし髪を。春栄が形見に参らする。
シテ    下 あら定めなや去るにても。我こそ残りて御跡を。弔ふべきにさはなくて。
         成人の子をば先立てて。
地     下 歎き給はん母上の御心の内、思ひやられていたはしや。 
    クリ上 げにや生きとし生けるもの、何れか父母を悲しまざる。
         必ず一世に限るべからず。世々以って父母の、数々なり。
シテ  サシ上 それ十二因縁より二十五有の沈淪。生じては死し、死しては生じ。 
地     上 流転にめぐる事、生々の親子皆もって誰かまた自他ならん。 
シテ    下 然れば羊鹿牛車に乗り。 
地     下 火宅の境ひを出ずして。煩悩業苦の三つの綱に。繋がれ来ぬる。はかなさよ。
    クセ下 それ、生死に流転して、人間界に生るれば。八つの苦しみ離れず。
         過去因果経を惟んみよ。刹の報、刹の縁。たとへば車輪の如し。
         われ人を失へば。かれまた我を害す。世々生涯。苦しみの海に浮き沈みて。
         御法の舟橋を、渡りもせぬぞ悲しき。殊更この国は。神国と云ひながら。
         又は仏法流布の時。教への法も盛んなり。ことに所は東がた。
         仏法東漸に有り。有明の月の。わづかなる人界。急いで来迎の夜念仏。
         声清光に弥陀の国の。すずしき道ならば、唯心の浄土なるべし。 

 ( 独吟 所を思ふも ヨリ  咲きぬらん マデ )

シテ    上 所を思ふも頼もしや。 
地     上 ここは東路の。故郷を去って伊豆の国府。南無や三島の明神。
         本地大通智勝仏。過去塵点の如くにて。黄泉中有の旅の空。
         長闇冥の巷までも、我らを照らし給へと。
         深くぞ祈誓申しける、雪の古枝の枯れてだに、再び花や咲きぬらん。
ワキツレ  上 しづまり給へ高橋殿。鎌倉よりの、早打なり。  
ワキ    詞「すは又、早打、来れるは。遅し切れとの、御使いか。
ワキツレ  詞「いや、その儀にてはなし。若宮別当の、御申しにより。
         囚人七人の、免状なり。
ワキ    詞「さて、春栄殿は。
ワキツレ  詞「七人の内。
ワキ    詞「ああ、嬉しし嬉しし先づ読まん。「何々。若宮別当の、御申しにより。
         囚人七人、免状の事。まづ一番に別当の御弟、豊前の前司。
         第二番には、豊後の次郎。
         第三番に増尾の春栄。「残りは先々、読みても無益。
   カカル上 早や助くるぞ春栄と。
地     上 太刀の下より引き立てて。命助かる兄弟は。嬉しさも中々に。
         思はぬ程の心かな。今の心は獣の。雲に吠えけん心地して。千々の情有難き。
         兄弟のよしみこそ、まことに哀れなりけれ。
                シカ/\
〇ワキ    詞「いかに、誰かある。 
                シカ/\
ワキ    詞「種直に御腰の物を参らせ候へ〇
 (ワキはアイを呼び出し、シテに太刀を返させる。)

ワキ    詞「いかに、種直に申し候。最前も、申す如く、春栄殿の御事。
         哀れ御命も、助かり給へかし。申し請け一跡を、継がせ申し度との念願。
         ただ今、叶ひて候。この上はひらに、申し請け候べし。
シテ    詞「げにこの上は、参らせ候べし。

  ( 囃子 今日はことさら ヨリ  参りけれ マデ 
  ( 小謡 高橋が家に伝はる ヨリ  舞ふとかや マデ 

ワキ    詞「今日はことさら最上吉日なれば。
         高橋が家に伝はる、重代の太刀。春栄殿に奉り。
       上 重ねて千秋万歳の。

  ( 囃子 なほ悦びの ヨリ  ヨリ  参りけれ マデ 
  ( 小謡 なほ悦びの ヨリ  ヨリ  舞ふとかや マデ 

地     上 なほ悦びの盃の。影も廻るや朝日影。
         伊豆の三島の神風も、吹き治むべき代の始め、
         いく久しさとも限らじや。嘉辰令月とは此の時を云ふぞ目出度き。

  ( 小謡 なほなほ廻る盃の ヨリ  ヨリ  舞ふとかや マデ 

       上 なほなほ廻る盃の。度重なれば春栄も。お酌に立ちて親と子の。
         定めを祝ふ祝言の。千秋万歳の舞の袖。翻し舞ふとかや。
シテ    上 千代に八千代をさざれ石の。
地     上 祝ふ心は万歳楽。
〇ワキ    詞「いかに種直。目出度き折なれば一さし、御舞ひ候へ。〇
             《男舞(五段)》
シテ  ワカ上 東路の。秩父の山の。松の葉の。
地   ノル上 千代の影添ふ、若緑かな。若緑かな、若緑かな。
シテ    上 老い木も若緑。
地     下 立つや若竹の。
シテ    下 親子の睦み。
地     上 又は兄弟、かれと云ひ是と云ひ、何れも何れも睦ましく。
         親子兄弟と栄ふる事も。
         これ孝行を守り給ふ。三島の宮の御利生と伏し拝み。
         親子兄弟さも睦ましく打ち連れて。鎌倉へこそ参りけれ。
 


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