小鍛冶(こかじ)

●あらすじ
「小鍛冶」は祝言性の高い切能の傑作である。わかりやすい筋書きに沿って、動きのある舞が華やかな舞台効果を作り上げる。囃子方と謡も軽快でリズミカルだ。全曲を通じて観客を飽きさせることがなく、現在でも人気曲の一つとなっている。始めて能を見る人でも十分に楽しめ、それだけに上演頻度も高い。作者、典拠は不明であるが、古い能であるらしい。浄瑠璃や歌舞伎にも取り上げられている。稲荷大明神の神徳によって名刀を作るという筋からして、あるいは、刀鍛冶集団と稲荷霊験譚が結びついた古い伝説があったのかもしれない。 筋書きは、一条の院より剣の鋳造を命ぜられた小鍛冶三条宗近が、進退窮って稲荷明神に救いを求め、その神力によって無事名刀小狐丸を打ち上げるという単純なもの。前段では、童子に姿を変えた稲荷明神が、漢家本朝の剣にまつわる伝説を語り、後段では明神自ら手を貸して剣を打つ場面が演じられる。ともに見所、聞き所に富んだ場面である。(なお、小鍛冶とは刀工をさしていう当時の言葉)舞台にはまず、一条の院の勅使が現れ、三条宗近に剣の鋳造を命じる宣旨を伝える。

●宝生流謡本    外二巻の五   四五番目・略脇能 (太鼓なし)
          季節=不定   場所=京都(京都) 作者=  
   現行上演流派  観世・宝生・金春・金剛・喜多
   素謡(宝生)    稽古順=入門   素謡時間=33分
   素謡座席順  ワキツレ=橘 道成
            シテ=前・童子 後・稲荷明神
            ワキ=三条小鍛冶宗近

●解 説
夢のお告げを受けた一条天皇(986〜1011)の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近(さんじょうのこかじむねちか)のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えますが、道成は聞き入れません。進退きわまった宗近は、氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣します。そこで宗近は、不思議な少年に声をかけられます。少年は、剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊(やまとたけるのみこと)の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束して稲荷山に消えていきました。
家に帰った宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がり、礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ、「相鎚を勤める」と告げます。先ほどの少年は、稲荷明神の化身だったのです。明神の相鎚を得た宗近は、無事に剣を鍛え上げました。こうして表には「小鍛冶宗近」の銘、裏にはご神体が弟子を勤めた証の「小狐」の銘という、ふたつの銘が刻まれた名剣「小狐丸」が出来上がったのです。明神は小狐丸を勅使に捧げた後、雲に乗って稲荷の峯に帰っていきました。「小鍛冶」は、一曲の展開が素早く、非常に変化に富み、前半、後半ともに見どころの多い人気の曲です。前半では宗近の前に現れた不思議な少年が、名剣の霊験を語るところ、特に火に囲まれた日本武尊が、草薙の剣を抜いて草をなぎ払い、炎を敵に返して退ける名場面の語りと動きの変化が面白く、後半は相鎚を勤める明神と宗近が剣を鍛えるクライマックスへ向かってどんどん運んでいくところに妙味があります。きびきびした動きと爽快な謡は見る人を飽きさせません。演者の技の切れや謡の力を素直に楽しめる曲で、その娯楽性の高さからでしょうか、歌舞伎や文楽にも採り入れられ、親しまれています。能「小鍛冶 黒頭別習」のみどころは「獅子乱序」の豪快な囃子が導く凄まじいまでの威勢です。小鍛冶は名匠宗近が稲荷明神の助けを借り、無事、剣を打ち上げるという人間の方が師匠となる面白い展開のお話です。前場はなんといってもヤマトタケルが敵に四方を囲まれ火攻めに遭い、剣で草をなぎ払って戦う雄姿を物語る場面が見どころです。

●三条宗近
三条宗近(さんじょうむねちか)は、平安時代の刀工。山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある。永延年間(10世紀)の人物で、国風(藤原/王朝)文化が確立し、摂関貴族・武士階級が出現したこの時代、一連の文化思潮に同調して、「鎬造・湾刀」の日本刀の様式もまた確立し、宗近は、その日本刀確立期である中世初期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。現存する有銘の作刀は極めて少なく「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」。作風は板目肌がよく約み、地沸がつき、小乱れ刃、匂が深く小沸がついて、三日月形の「打のけ」と称される刃文などが見られる。

●三日月宗近
三日月宗近は刃長80cm、反り2.7cmの太刀で、細身で反りが高く、踏ん張りの強い極めて優美な太刀 姿である。この優美な太刀姿であるということが、この太刀の製作年代の古いことを物語るところである。すなわち、「踏ん張りがある」ということは、元幅が広く、先幅が狭く、その差が大きいということを意味し、全体に元幅10に対して、先幅は五乃至五.五といったところが標準で、比率の差は極めて高い。これがいわゆる太刀姿が優美である、という見方とつながり、平安文化の特色と軌を一にするところである。それにこの太刀の最も大きな特色は、地金が綺麗であること、そして刃文は小乱を主調として小沸がよくつき上半は特に二重刃、三重刃となり、ほとんど他に見られない有様を示し、下半には特に刃縁に添って三日月形の「打のけ」と称せられる刃文が随所に見られるのもこの太刀の最も大切な見どころで、三日月という異名はこの焼刃の模様から出たものであろう。打のけという刃文は鎌倉の終り頃の大和物には最もよく見られるところであり、自然、大和物の特色の一つとして考えられているが、誰がこれを説き始めたかはわからないが、それはそれで極めて当然であり、そしてその淵源は、こうして三条の宗近に始まると見ることも出来る。
宗近については、山城国三条に住したことから三条宗近の呼び名があり、一条天皇の永延の頃の人であるといわれているが、これは作刀に年紀のあるものは皆無であり、その他の傍証もないままに、殆ど伝説的に扱われていることは残念なことである。これは申すまでもなく、この時代の職人は身分も低く、歴史にとどめられるようなことは、よほど特別の場合以外には考えられないことであり、刀鍛冶の来歴のわからないことは、当然といえば当然のことでもある。謡曲に「小鍛治」があり、三条の小鍛治宗近が、時の帝の命を蒙って、天下守護の剣を鍛えることになったがこれは神助なくしては、凡人のよくするところではないとして、伏見稲荷に、名刀を鍛え上げられるようにと祈願をかけて、精進の結果、稲荷の神の加護によってめでたく神剣を鍛え得たことを謡っている。
この小鍛治という言葉は、江戸時代には稲荷の加護によるので「狐鍛冶」であるとか、「巧鍛冶」の訛りであるなどという説まで出たが、これは「大鍛冶」に対する「小鍛治」で、大鍛冶とは、山で鉄をつくる・・・・すなわち製鉄業者のことであり、小鍛治とは、大鍛冶のつくった鉄を用いて種々の道具や刀など全てのものを作る人達の総称である。従って宗近に限らず、刀鍛冶はすべて小鍛治であった筈であるが、ひとり宗近のみが三条の小鍛治の名前で呼ばれていることは不思議といえば不思議でもある。もっとも、今一人、因幡の国に景長という刀工が鎌倉末期からニ、三代同名があり、これを「因幡小鍛治」と呼んでいる。景長はもと山城国粟田口派の流れを汲む刀工といわれ、直刃の焼きを得意とするが、これも粟田口派の流れを汲むから小鍛治と呼ぶのであるとなれば、粟田口派の本流は当然皆そう呼ばれてよい筈であり、また直刃を得意とするものを小鍛治と呼ぶとすれば、これまた直刃を得意とする刀工は決して少なくない。しかもいずれも小鍛治とは普通呼ばれていない。

あさかnユーユークラブ 謡曲研究会 平成23年11月18日(金)


◎三条宗近(さんじょうむねちか) [ 日本大百科全書(小学館) ] 生没年不詳。平安時代の刀鍛冶(かじ)。永延(えいえん)(987〜989)ごろの人という。京の三条に住したので三条小鍛冶(こかじ)の呼称があり、伏見の稲荷(いなり)明神の相槌(あいづち)を得て名剣を鍛えたとの伝説は、能『小鍛冶』によりよく知られる。小鍛冶とは鉄資材から鉄製品をつくるものをいい、大鍛冶(砂鉄などから鉄資材をつくるもの)と区別した呼称である。現存する有銘作品はきわめて少なく、「宗近」銘と「三条」銘とがあり、前者は若狭(わかさ)酒井家に伝来する現御物(ぎょぶつ)の太刀(たち)、後者は天下五剣の一つで名物の三日月宗近によって代表される。
宗近の系統を三条派と呼称するが、この派には兼永(かねなが)、国永(くになが)、有成(ありなり)、吉家(よしいえ)、近村(ちかむら)などの弟子がいて、兼永、国永は五条に移住したという。また有成は河内(かわち)国(大阪府)に移ったとも伝えられる。
[ 執筆者:小笠原信夫 ]

        小鍛冶(こかじ)

◎能「小鍛冶」は祝言性の高い切能の傑作である。わかりやすい筋書きに沿って、動きのある舞が華やかな舞台効果を作り上げる。囃子方と謡も軽快でリズミカルだ。全曲を通じて観客を飽きさせることがなく、現在でも人気曲の一つとなっている。始めて能を見る人でも十分に楽しめ、それだけに上演頻度も高い。作者、典拠は不明であるが、古い能であるらしい。浄瑠璃や歌舞伎にも取り上げられている。稲荷大明神の神徳によって名刀を作るという筋からして、あるいは、刀鍛冶集団と稲荷霊験譚が結びついた古い伝説があったのかもしれない。筋書きは、一条の院より剣の鋳造を命ぜられた小鍛冶三条宗近が、進退窮って稲荷明神に救いを求め、その神力によって無事名刀小狐丸を打ち上げるという単純なもの。前段では、童子に姿を変えた稲荷明神が、漢家本朝の剣にまつわる伝説を語り、後段では明神自ら手を貸して剣を打つ場面が演じられる。ともに見所、聞き所に富んだ場面である。(なお、小鍛冶とは刀工をさしていう当時の言葉)

舞台にはまず、一条の院の勅使が現れ、三条宗近に剣の鋳造を命じる宣旨を伝える。
(以下、テキストは「半魚文庫」を活用。)


ワキツレ詞「これは一条の院に仕へ奉る橘の道成にて候。さても今夜帝不思議の御告ましますにより。
      三条の小鍛冶宗近を召し。御剣を打たせらるべきとの勅諚にて候ふ間。
      唯今宗近が私宅へと急ぎ候。いかに此家の内に宗近があるか。
ワキ    「宗近とは誰にてわたり候ふぞ。
ワキツレ  「是は一条の院の勅使にてあるぞとよ。さても帝今夜不思議の御告ましますにより。宗近を召      し御剣を打たせらるべきとの勅諚なり。急いで仕り候へ。
ワキ    「宣旨畏つて承り候。さやうの御剣を仕るべきには。われに劣らぬもの相鎚を仕りてこそ。
      御剣も成就候ふべけれ。これはとかくの御返事を。申しかねたるばかりなり。
ワキツレ 「げに/\汝が申すところは理なれども。帝不思議の御告ましませば。
      頼もしく思ひつゝ。はや/\領承申すべしと。重ねて宣旨ありければ。
ワキ 上歌「此上は。とにもかくにも宗近が。
地     「とにもかくにも宗近が。進退ここに谷まりて。御剣の刃の乱るゝ心なりけり。
      さりながら御政道。直なる今の御代なれば。若しも奇特のありやせん。
      それのみ頼む心かな。それのみ頼む心かな。
ワキ  詞「言語道断。一大事を仰せ出されて候ふものかな。
      かやうの御事は神力を頼み申すならではと存じ候。某が氏の神は稲荷の明神なれば。
      これより直に稲荷に参り。祈誓申さばやと存じ候。

宣旨を賜った宗近は、自分一人の力ではとても出来るものではないと思い、氏神たる稲荷明神のもとに救いを求めてやってくる。すると一人の童子が現れ、悩める宗近に声をかける。

シテ 呼掛「なう/\あれなるは三条の小鍛冶宗近にて御入り候ふか。
ワキ    「不思議やななべてならざる御事の。我が名をさして宣ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ    「雲の上なる帝より。剣を打ちて参らせよと。汝に仰せありしよなう。
ワキ    「さればこそそれにつけても猶々不思議の御事かな。剣の勅も唯今なるを。
      早くも知し召さるる事。返す%\も不審なり。
シテ    「げにげに不審はさる事なれども。われのみ知ればよそ人までも。
ワキ    「天に声あり。
シテ    「地に響く。
地  上歌「壁に耳。岩の物いふ世の中に。岩の物いふ世の中に。隠はあらじ殊になほ。
      雲の上人の御剣の。光は何か闇からん。唯頼めこの君の。
      恵によらば御剣もなどか心に適はざる。などかは適はざるべき。

      不思議がる宗近に対して、童子は君の恵みがあれば、必ず願いが適うといい、漢家本朝における剣の功徳について語り始める。

話の内容は、主に日本尊と草薙の剣についてである。ここは三段グセと呼ばれ、この曲前半の見せ場ともなっている。

    クリ「それ漢王三尺の剣。居ながら秦の乱を治め。又煬帝がけいの剣。周室の光を奪へり。
シテ    「その後玄宗皇帝の鍾馗大臣も。
地     「剣の徳に魂魄は。君辺に仕へ奉り。
シテ    「魍魎鬼神に至るまで。
地     「剣の刃の光に恐れて其寇をなす事を得ず。
シテ    「漢家本朝に於て剣の威徳。
地     「申すに及ばぬ奇特とかや。
    クセ「また我が朝のそのはじめ。人皇十二代。景行天皇。
      みことのりの御名をば日本武と申しゝが。東夷を。退治の勅を受け。
      関の東も遥なる。東の旅の道すがら。
      伊勢や尾張の海面に立つ波までも。帰る事よと羨み。いつかわれも帰る波の。
      衣手にあらめやと。思ひつゞけて行くほどに。
シテ   「こゝやかしこの戦に。
地    「人馬巌窟に身を砕き。血は?鹿の川となつて。
      紅波盾流し数度に及べる夷も兜を脱いで矛を伏せ。皆降参を申しけり。
      尊の御宇より御狩場を始め給へり。頃は神無月。二十日余りの事なれば。
      四方の紅葉も冬枯の。遠山にかゝる薄雪を。眺めさせ給ひしに。
シテ   「夷四方を囲みつゝ。
地    「枯野の草に火をかけ。余炎しきりに燃え上がり。
      かたき攻鼓を打ちかけて。火炎を放ちてかゝりければ。

「血は?鹿の川となつて」といい、「余炎しきりに燃え上がり」といい、次第に興奮が高まってくるうち、シテは扇を大きくかざして剣を抜く仕草を見せ、「忽ちこゝにて失せてんげり」のところに来て、身振り大きく足を動かし、敵を蹴散らす様子を演ずる。

シテ   「尊は剣を抜いて。
地    「尊は剣を抜いて。あたりを払ひ。忽ちに。炎も立ち退けと。四方の草を。薙ぎ払へば。
      剣の精霊嵐となつて。炎も草も。吹き返されて。天にかゞやき地に充ち/\て。
      猛火は却つて敵を焼けば。数万騎の夷どもは。忽ちこゝにて失せてんげり。
      其後。四海治まりて人家戸ざしを忘れしも。その草薙の故とかや。唯今。
      汝が打つべき其の瑞相の御剣も。いかでそれには劣るべき。
      伝ふる家の宗近よ。心安く思ひて下向し給へ。

童子の語ることをますます不思議に感じた宗近は、その正体を確かめようとするが、童子は名を名乗らず、ただ剣を打つ準備をせよと言い残して去る。

ワキ  詞「漢家本朝に於て剣の威徳。時に取つての祝言なり。さて/\御身は如何なる人ぞ。
シテ   「よし誰とてもたゞ頼め。まづ/\勅の御剣を。
      打つべき壇を飾りつつ。その時我を待ち給はゞ。
地    「通力の身を変じ。通力の身を変じて。必ずその時節にまゐり会ひて御力を。
      つけ申すべし待ち給へと。夕雲の稲荷山。
      行くへも知らず失せにけり。行くへも知らず失せにけり。

(中入)間狂言では、宗近の下人が出てきて、これまでの事情を復唱したうえで、童子の言葉に従って壇を設えるべき趣旨を述べる。その言葉に従って、舞台には壇が設けられる。

後シテは稲荷明神そのものである。小飛出という狐に似た獣様の面を被り、冠には狐の像を戴いている。

ワキノツト「宗近勅に随つて。即ち壇にあがりつつ。不浄を隔つる七重の注連。
      四方に本尊をかけ奉り。幣帛を捧げ。仰ぎ願はくは。宗近時に至つて。
      人皇六十代。一条の院の御宇に。其職の誉を蒙る事。これ私の力にあらず。
      伊弉諾伊弉冉の。天の浮橋を踏みわたり。豊芦原を探り給ひし御矛より始まれり。
      その後南瞻僧伽陀国。波斯弥陀尊者より此方。
      天国ひつきの子孫に伝へて今に至れり。願はくは。
地    「願はくは。宗近私の功名にあらず。普天卒土の勅命によれり。
      さあらば十方恒沙の諸神。唯今の宗近に力を合はせてたび給へとて。
      幣帛を捧げつゝ。天に仰ぎ頭を地に付け。
      骨髄の丹誠聞き入れ納受。せしめ給へや。
ワキ   「謹上再拝。
  (早笛)
地    「いかにや宗近勅の剣。いかにや宗近勅の剣。
      打つべき時節は虚空に知れり。頼めや頼め唯たのめ。

曲は終末に向かっていよいよ高まりを見せ、勢いのよい囃子にのってシテの舞がある。そして、稲荷明神、宗近ともに壇上に上がり、互いに呼吸を合わせて剣を打つ仕草を演ずる。クライマックスに相応しい、迫力ある場面である。

  (舞働)
後シテ  「童男壇の。上にあがり。
地    「童男壇の。上にあがつて。宗近に三拝の膝を屈し。扨御剣の。
      鉄はと問へば。宗近も恐悦の心をさきとして。鉄取り出し。教の鎚をはつたと打てば。
シテ   「ちやうと打つ。
地    「ちやう/\/\と打ち重ねたる鎚の音。天地に響きて。おびたゝしや。
ワキ  詞「かくて御剣を打ち奉り。表に小鍛冶宗近と打つ。
シテ   「神体時の弟子なれば。小狐と裏にあざやかに。
地    「打ち奉る御剣の。刃は雲を乱したれば。天の叢雲ともこれなれや。
シテ   「天下第一の。
地    「天下第一の。二つの銘の御剣にて。四海を治め給へば。
      五穀成就も此時なれや。即ち汝が氏の神。稲荷の神体小狐丸を。
      勅使に捧げ申し。これまでなりと言ひ捨てゝ。又群雲に飛び乗り。又群雲に。
      飛びのりて東山稲荷の峯にぞ帰りける。


稲荷明神自ら、稲荷の神体小狐丸を勅使に捧げて、一曲は終わる。この結末から見ても、この曲は刀鍛冶の職能集団と深いかかわりのあったことを伺わせる。

さて、京都の三条通り沿いに、三条宗近の旧居跡と題する碑石が、謡蹟として立てられている。宗近の実像については、あまりわかってはいないようだが、平安時代に生きた刀工(小鍛冶)であったことは間違いないらしい。三条の銘のある刀剣「三日月三条」が国宝に指定され、天下の五名剣に含められている。

また、祇園祭の長刀鉾の鉾頭の長刀も宗近の作と伝えられている。


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