小袖曾我(こそでそが)

●あらすじ
建久四年[1193年]、源頼朝公が催す富士の巻狩[大勢で追い詰めた獲物を、武士が射る狩のこと]に参加することになった曽我十郎祐成(すけなり)、五郎時致(ときむね)の兄弟は、その場に実父・河津三郎の仇、工藤祐経も来ることを知り、仇討ちを決意します。 仇討ちに出る前に、兄弟は曽我の里にいる母を訪れます。出家せよとの母の言いつけを破り、勘当されていた弟の時致を許してもらい、また母に仇討ちに出る前の、別れを告げるためです。祐成は歓待されますが、時致は重ねて勘当だと言い渡されます。祐成がとりなそうとするならば、母は兄弟ともに勘当すると告げます。 そこで祐成は時致を伴って母の前に出て、仇討ちのことを説明し、時致の勘当を解くよう訴えますが、母は首を縦に振りません。兄弟は、母の頑なな態度に説得を諦め、泣く泣くその場を立ち去ろうとします。母はたまらずふたりを留めて許し、3人は和解の嬉し涙を流します。感極まった祐成を中心に、門出の盃を交わした後、兄弟は共に名残の舞を舞います。そして涙ながらに母に別れを告げ、見事に仇討ちを遂げようと勇んで出かけました。

●宝生流謡本      外二巻の四   二番目物・四番目物   (太鼓なし)
   季節=夏    場所:伊豆国曽我(静岡県)   
   現行上演流派  観世・宝生・金春・金剛・喜多
   素謡稽古順    稽古順=入門     素謡時間=38分
   素謡座席順    ツレ=五郎時致   
             シテ=十郎祐成
             ツレ=母
             ツレ=母の従者の三人 

●能解説 小袖曽我
いわゆる曽我物と呼ばれる「○○曽我」という名を冠する曲のひとつです。曽我物の各曲は、曽我兄弟の仇討ちをめぐる物語を、さまざまな角度から描写しています。悲しい運命に彩られるも、雄々しく華々しい曽我兄弟の物語は、能ばかりでなく、多くの芸能の題材になり、人々に親しまれました。 小袖曽我では、仇討ちを決意した兄弟が母の元を訪れ、弟の五郎時致の勘当を解いてもらい、母に暇乞いをする、というくだりに焦点を当てています。はじめ許されなかった勘当がついに許され、出立の酒宴を催すまでの親子、兄弟の情愛の細かな動きが表されます。仇討ちという殺伐とした内容ながら、いつの時代も変わらない人情に主眼が置かれ、颯爽とした雰囲気が損なわれず、昔から大衆的な人気があったようです。
幽玄が強調される多くの能と違い、兄弟が仲良く同じ型で悲しんだり、凛々しく相舞(あいまい)を見せたりする演出による、見た目の素朴な面白さも見どころのひとつです。ちなみにワキの出てこない点でも、異色の能です。


     宝生流の曽我物語関係謡曲        
                    
              小原隆夫調べ
 コード     曲 目      概        要   場所  季節  謡時間
外02巻の四 小袖曽我 兄弟母ノ勘当解け仇討行   伊豆   夏   38分
外04巻の四 夜討曽我 仇討ちの家来の忠義      駿河   夏   40分
外11巻の五 調伏曽我 曽我五郎仇討ちヲ祈る     箱根   不   26分
外16巻の四 禅師曽我 曽我弟国上禅師ヲ召捕     新潟   夏   27分

●観能記  小袖曽我
曽我十郎と曽我五郎が、父親の仇を討つ前に母親に暇乞いをするという話しです。 しかし、五郎は、出家するようにとの勧めに背いたために勘当されているため、まず十郎が母親に会い、五郎を許すように申し入れますが聞き入れてもらえず、十郎に促されて五郎が母親に会いに行きますが、母親は怒りだし、二人に勘当を申し渡します。が、二人が立ち去ろうとすると、母親は勘当を許すと言い、十郎と五郎は喜び、舞を舞って旅立ちます。このお話の筋書きはちょっと書きづらい感じがします。以前、このページを読んでいただいた方から、上のような書き方では、母親は十郎と五郎といっしょに居たいために勘当を許したことになるのではとの御指摘をいただきました。確かに、その通りで、母親は兄弟が仇を討ちに行くことを知って勘当を許すことになるのだと、今回見ていてわかりましたが、ちょっと私の表現能力を超えているので、やむなく上のような書き方になってしまいました。 役柄なのかお二人の芸風の違いなのか、十郎は能らしく演じていらっしゃったように思いますが、五郎が母親の前で頭を下げている間、時々肩を動かしているところから号泣しているように見え、こういう表現もあるのかと思いました。   (1999年12月1日 宝生能楽堂 )

●安積伊東氏
安積伊東氏の祖 安積六郎祐長は、工藤祐経の二男で 源 頼朝より平泉藤原氏の奥州征伐の功績により、建保元年(1213)安積郡を工藤祐経に賜り、それを二男に継がせ伊東氏を名乗った。父の工藤祐経は、伊豆の豪族工藤左衛門尉祐の嫡男で、源 頼朝より信頼厚かった。 分家の河津三郎(曽我兄弟の父)を討ったと言われ、源 頼朝が富士の裾野で行なった巻狩りの折り、曽我兄弟が敵討ちをしたと言われている。              
(平成21年4月14日 小原隆夫記)

初代 安積六郎祐長 祐経ノ二男 建保元年(1213)安積賜る建長6年(1254)没享年62才
二代 薩摩七郎祐能 祐長ノ長男 文永3年(1266)死亡
三代 薩摩四郎祐家 祐能ノ長男
四代 安積新左衛門尉祐宗 祐家ノ嫡男
五代 安積新左衛門尉祐政 祐宗ノ長男
六代 安積摂津守祐朝 祐政ノ養子
七代 安積新左衛門尉祐治 祐朝ノ嫡男 応永13年(1406)6月死亡
八代 安積新左衛門尉祐信 祐治ノ嫡男
九代 安積備前守祐時 祐信ノ長男
十代 安積備前氏祐 祐時ノ嫡男 文明17年(1485)9月死亡
11代 安積摂津宗祐 氏祐ノ嫡男 永正元年(1504)9月死亡
12代 安積新左衛門祐里 宗祐ノ長男 永正 2年(1505)9月討死享年25才
13代 安積紀伊祐重 祐里ノ長男 天文21年(1552) 死亡享年53才
14代 伊東肥前重信 祐重ノ嫡男 天正16年(1588)伊達政宗の郡山合戦で戦死享年**才

鎌倉時代の郡山は奥州合戦で、藤原氏の配下である佐藤氏の支配から、源頼朝対平泉藤原氏の奥州合戦后の報奨として、文治5年(1189)伊豆伊東の住人 工藤祐経の子伊東祐長が安積の地を領有した。以後この子孫が定住し、兵農二本立てで開拓がすすめられ、次第に集落が形成され約400年間つづいた。現在の郡山市古館が館跡(日本化学工場内の祐長神社)と言われている。安積伊東氏は得宗代官となり 三島 箱根 伊豆神社と安達郡・岩瀬郡を領した。しかし子孫は集合分裂が繰り替えされて行き、戦国の時代は中央の影響で、戦いが繰り返され伊東氏の支配は、15世紀後半から16世紀前半には安積郡に葦名氏の勢力が浸透し、安積伊東氏の葦名氏への被官化が確認される。16世紀前半から田村氏による安積郡侵出が始まり、争いと講和に領地は支配が絶えず変わり、天正10年(1582)頃再び葦名領となる。天正16年(1588)郡山合戦で伊達田村方へついた伊東肥前守戦死した。  
翌年天正17年(1589)摺上原の戦いで葦名氏を滅ぼした伊達政宗が会津全土と安積郡を握るが、豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷に支配させる事になる。伊東氏の子孫は伊達氏に従い米沢へ移り後仙台に移り、安積伊東氏の名は消えて行く。       

 
あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成20年11月21日


             小袖曽我 (こそでそが)  (太鼓なし)

         季 夏      所 伊豆国曾我  素謡時間 38分
  【分類】四番目 二番目    
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】 シテ:曽我十郎祐成 ツレ:五郎時致、 ツレ:母 ツレ:母の従者

         詞 章                  (胡山文庫)

   次第
シテ時立衆上 命をしかの隠れ家の。/\富士の裾野を狩らうよ。
シテ    詞 「これは曽我の十郎祐成にて候。さても頼朝富士の御狩に御出で候ふ間。
         我等も人並みに罷り出で候。またこれなる時致は。
         母にて候ふ者の勘当にて候ふ程に。申し直し連れて御狩に罷り出でばやと存じ候。
シテ時致立衆上 時しもころは建久四年。五月半の富士の雪。五月雨雲に降り交ぜて。
         鹿の子まだらや村山の。裾野の鹿の星月夜。鎌倉殿の御狩の御遊。
         げにたぐひなき御事かな。
シテ    上 東八箇国の兵ども。皆御供に参るなれば。
シテ時致立衆下 定めて敵の祐経も。御供申さぬ事あらじ。たとひ討つまでの。
         事は夏野の鹿なりとも。ねらひて見ばやと大丈夫の。
         狩人にまぎれ打ち出づる。
     下歌 人知れぬ大内山の山もりも。
     上歌 木がくれて。それとは見えじ梓弓。
時致立衆  上 木がくれて。それとは見えじ梓弓
シテ時致立衆上 矢頃にならば鹿よりも。祐経を射とゞめて名を富士の嶺に揚げばやと。
         思ひ立ちぬる狩衣。たとへば君の御咎。よしそれとても数ならぬ。
         身にはなか/\。恐なし身にはなか/\おそれなし。
シテ    詞「これに暫く御待ち候へ。某まゐりて案内を申さうずるにて候。如何に案内申し候。
ツレ    詞「誰にて御座候ふぞ。や。祐成の御参にて候。
シテ    詞「某が参りたるよし申し候へ。
ツレ    詞「畏つて候。大方殿よりの御諚には。祐成の御参ならば申せ。
         時致の御参ならばな申しそと仰せいだされて候。
シテ    詞「たゞ某がまゐりたると申し候へ。
ツレ    詞「いかに申し上げ候。祐成の御参にて候。
母     詞「あら珍しや十郎殿。いづくへの序ぞや。母がために態とはよも。
シテ    詞「さん候久しく参らず候程に向顔のため。又は富士の御狩仰せ出だされて候程に。
母  カカル上 さればこそ思ひしことよ君がため。御狩に出づる序ぞや。
シテ    上 いつしか親子の御戯。珍し顔に羨ましやと。
時致    上 思ひながらも時致は。不孝の身なれば物の隙より。
地     上 高間の山の峯の雲。よそにのみ見てや止みなん。
         同じ子に同じはゝそのもり乳母。/\。隔なくこそ育てしに。
         さも引きかへて祐成にはいろ/\の御もてなし御祝ごとの御盃。
         たとへば時致は。後に生れしばかりなり。正しく同じ子の身にて。
         御おぼえあし垣の隔あるこそ悲しけれ。
シテ    詞「日本一の御機嫌にて候。あれへ御参あつて。春日の局をもつて申され候へ。 
時致    詞「いや某が事は御機嫌いかゞはかりがたく候ふ間。先々参り候ふまじ。
シテ    詞「唯某に御まかせあつて。急いで御参り候へ。
時致 詞「如何に春日の局の渡り候か。。時致が参りたる由それ/\申し候へ。
   カカル上 いつしか守乳母まで。心変りし春日野の。飛火の野守出でてだに見候はぬぞや。
       詞「時致が参りたる由それ/\申し候へ。
母     詞「あら不思議や。祐成は唯今来りぬ。九上の禅寺は寺にあり。
         それならで子はなきに。時致といふは誰そ。や。今思ひいだしたり。
         箱根の寺にありし箱王と云ひしえせ者か。
         それならば母が出家になれと申しゝを聞かざりしほどに勘当せしに。
         押してこれまで来れるは。なほかさねての勘当とや。
         伊豆箱根富士権現も御覧ぜよ。なほこの後も勘当と。
時致 カカル上 御誓言に蔀遣戸を。
地     上 立て添へられて茫然と。やるかたもなきこの身かなうたてやせめて今一目。
         御簾几帳も下りたりあら。情なの御事や。
シテ    上 祐成はかくとも知らで時致が。時移りたり事よきかと。
         中門を見やりつゝ早こなたへと招けば。
地     上 招かれて山のかせき。泣く/\来りたり。打たれても親の杖。
         なつかしければ去りやらず/\。
シテ    詞「さて御機嫌は何と御座候ふぞ。
時致    詞「以ての外の御機嫌にて。猶かさねての御勘当と仰せ出されて候。
母     詞「如何に誰かある。
ツレ    詞「御前に候。
母     詞「時致が事を申さば祐成ともに勘当と申し候へ。
ツレ    詞「畏つて候。いかにも申し候。時致の御事を御申しあらば。
         祐成ともに御勘当と仰せいだされて候。
シテ    詞「まづ畏つたると申し候へ。某存ずる子細の候ふ間。
         此度は同心にて申さうずるにて候
時致    詞「いや/\某はまゐり候ふまじ。
シテ     詞「唯某に御任せあつて。急いで御参り候へ。いかに申し候。我等が親の敵の事。
         世に隠なく候ふ所に。余りに便なく候ふ間。時致が事を申し直し。
         連れて御狩に出づべき所に。時致が事を申さば。祐成共に御勘当と候ふや。
         よくよくこれを案じ見るに。
     クリ上 総じて祐成をも真は思ひ給はぬぞや。
地     上 たとひ時致出家の暇を申すとも。兄祐成に郎等もなし。しかも身に思あり。
         おのれらさへに見捨つるかと。却つて御叱り候ひてこそ。慈悲の母とも。
       下 申すべけれ。
シテ サシ上 それに時致を法師にならぬとの御勘当。
地     上 たとひ仰に従ひ。出家仕り候とも。我等がことは世に隠なし。
         あれ見よ河津が子供こそ。敵を逃れんとの出家。正しく求法のためならずと。
         同宿も思ひ賤しまば。心も染まぬ墨衣の浦島が子の。箱根寺にて。
         明け暮くやしと思ふならば。中々俗には劣るべし。
    クセ下 時致は。箱根にありししるしに。法華経一部読み覚え。常に読誦し母上の。
         現世安穏後生善所と祈念する。又は毎日に。六万遍の念仏父河津殿に廻向する。
         かほどに他念なき身を。此三年不孝蒙る。恩顔を拝せねば。
         御恋しさも一つ又は。狩場への門出御暇ごひしさ一方ならぬ望なり。
         大かたをさまる御代なれども。狩場や漁に。不慮のあらそひ有るものを。
シテ    上 その上我等は。
地     上 狩場において例悪しし。昔を思ひ伊豆の奥の。赤澤山のかりくらにて。
         父も失せさせ給はずや今とても。狩場とあらばなどしも。御心にも懸けざると。
         恨顔にも兄弟は。泣く泣く立つて出でければ。
母     上 母は声をあげ。あれ留め給へ人々よ。
地     上 不孝をも勘当をもゆるすぞ/\時致とて泣く/\出でさせ給へば。
シテ時致 下 兄弟は嬉泣に伏しまろべばや。
地     下 見る人も思ひやりて泣き居たりや。
母     詞「祐成申すによつて。時致が勘当ゆるすにてあるぞ。
         近うきたりて狩場への門出祝ひて御入り候へ。
シテ    詞「如何に時致近う参りて。この年月の御物語申し候へさるにても。
地     上 このほど時致が。尽くす心に引き替へて。いまはいつしか思子の母の情有難や。
         あまりの嬉しさに祐成御酌に立ちてとり%\時致と共に祝言の。歌ふ声。
シテ時致 上 高き名を。雲居にあげて富士の根の。
地     上 雪をめぐらす。舞のかざし。
              男舞シテ時致二人合舞
地     上 舞のかざしのその隙に。/\。兄弟目をひきこれやかぎりの親子の契と
         思へば涙も尽きせぬ名残。牡鹿の狩場に遅参やあらんと。
         暇申して帰る山の富士野の御狩の折をえて。年来の敵。本望を遂げんと。
         互に思ふ瞋恚の焔。胸の煙を富士おろしに。晴らして月を清見が関に。
         終にはその名を留めなば兄弟親孝行の。例にならん。嬉しさよ。


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