宝生流謡曲 「吉野静」

 吉野靜に登場する佐藤忠信は、兄継信と共に源 義経の家臣として忠節を尽くすのですが、両名とも奥州信夫の里(福島県飯坂町)の出身です。佐藤継信・忠信ら佐藤一族の菩提寺は福島県飯坂町医王寺に継信・忠信兄弟のお墓があり、父佐藤基治と母乙和のお墓も現存する。母乙和の墓の脇にある椿の木は兄弟の死を痛み花は咲いても実がならぬと言う。医王寺から父佐藤基治一族等の居城「大鳥城址」が遠望できる。叉兄弟の妻達が母乙和に、息子を失った老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたといわれる二人の木像姿が納められている甲冑堂が越河(こすごう)田村神社にある。
 また静(1165年(永万元年) - 1211年(建暦元年))は、平安時代末期・鎌倉時代初期の女性で磯禅師の娘。母の磯禅師は白拍子の祖とされる女性で、静も白拍子となって源義経の愛妾となる。 静は源義経を慕って奥州へ下り安積(郡山市)の地で悲しみのあまり池に身を投じたという伝説がある。
                                                2007/12/10  小原 隆夫記
静御前堂  
奥州落ちした源義経を慕って静がこの地に来ましたが探し会うことができず万策つきてついに「かつぎ」を捨て池に身を投げたと言い伝えられています。「かつぎ」を捨てた所が「かつぎ沼」(大槻町南原地内)、身を投げた池が「美女ケ池」(大槻町太田地内)で現在もこの名の池があります。  静がこの地に没したのを里人があわれに思い、一宇を建てこれを祀りました。なお堂は天明三年(西暦一七八四年)に建てられたもので、釘は一本も使用されておりません。また東下りに際しては、乳母と下僕小六が供をして来ましたが、小六の碑も同所に残っています。小六の碑がある所は、全国静御前堂中でも珍しいと言います。堂の真うしろに古墳時代後期に属する円墳があります。         ((福島県郡山市静町に在る看板の説明書きより抜粋)

 

     吉野静              三番目(太鼓なし)   外二巻の三 
                         素謡時間約二十二分

        シテ 静御前       季 春
        ワキ 佐藤忠信      所 大和国吉野山


ワキ  定めなき世の中々に。定めなき世の中々に憂き事や頼みなるらん。
ワキ  「是は佐藤 忠信にて候。さても我が君 判官殿は。この山に 篭り給ひ候所に。
     叉衆徒の心変り候由 聞し召され。今夜この山を 御開き候間。某に止り防矢仕れとの 
     御事にて。一人この山に止り候。さる間 大講堂において。衆徒の詮議の有る由 承り候程に。
     静御前と 契約し。都道者の 姿となり。詮議を聞かやばやと 存じ候」       
シカシカ
ワキ  「是は都 道者にて候。衆會の御座処とも存ぜず候 御免あらうずるにて候」    
シカシカ
ワキ  「上は 御一体なれば。終には御仲直らせ給ふべき由 申し候」            
シカシカ
ワキ  「十二騎とこそ 承って候へ」                                 
シカシカ
ワキ  「暫く。十二騎と 申すとも。余の勢百騎二百騎にも むかふべし。
     かように申すは 都の者。当山を信じ 参る上は。
     いかにも御寺も 宿坊も。難なく おはしませかしと。
     思へばかやうに 申すなり」    この上はともかくも
地   御はからひの吉野山。御はからひの吉野山。
    よしなき申し事。もれ聞えなば判官も。後の咎めも恐ろしや。お暇申し候はんお暇申し候はん
シテ  さても靜は忠信が。その契約をたがへじと。舞の装束ふき繕い。忠信遅しと待ち居たり。
ワキ  「是は都 道者にて候。静御前の 勝手の御前にて。 新法楽の舞の由 承り。下向道を 忘れて候。
     今少し舞を 御早め候へ」
シテ  何なう都の人と聞けばなつかしや。判官御道狭き事。
     世上の聞こえいかなるぞ。都の人こそ知るべけれ。
ワキ  「終には上は 御一体と。聞くよる都は 先非を悔い」
    皆々恐れ申すなり
シテ  さては嬉しや我が君を。委しく知るか都人
ワキ  「余りに事延び 時移りぬ」
    急がせたまへ舞の袖。
シテ  げになう言葉多き者は品すくなし。かやうに我等理り過ぎば。
    中々人も怪しめて。もしもそれとか三吉野の。勝手しらすな靜かにはやせや。靜が舞
地   衆徒も憤りを。忘れけり。
シテ  神もや納受ましますらん。
地   げにこの御代も。静が舞
シテ  然るに彼の判官は。神道を重んじ朝家を敬い
地   頗る忠勤を抽んでて私の顧みさらになし
シテ  人讒し申すとも
地   神は正直の頭に宿り給ふなれば
シテ  靜が舞の袂に
地   暫くうつりおわしまし。義経を守り給えと。祈るぞ哀れなりけり
 
クセ そもそも景時が。その讒言のみなかみを。思へば渡辺や。流れる水に満ち潮の。
    逆櫓立てんと浮舟の。梶原が申し事。よも順義にては候はじ。されば義経は。
    直ぐに治めし三吉野の。神の誓いのまことあらば。頼朝も聞し召しなほされ義経。
    しっせきの勅をうけ。洛陽の西南はこれ分国となるべし。
    さあらば当山の衆徒悉く参洛し。帰依渇仰の御袖に。
    恵みをいただき給うべしあなかしこ不忠なし給ふな。御科は候はじ。
シテ  ただし衆徒中に。
地   猶憤り深うして。進みて追っかけ給うとも。その名きこゆる人々を。討ちとどめ申さんは。
    片岡増尾鷲の尾さて。忠信はならびなき。精兵ぞよ人々に。防矢射られ給ふなと。
    語ればげには衆徒中に。進む人こそなかりけれ。賎やしづ。       
中ノ舞
シテ  賎やしづ。賎の苧環。繰り返し。
地   昔を今に。なすよしもがな。
地   大方舞の面白さに。時刻を移して進まぬもありけり。
    叉は判官の武勇に恐れてよし義経をば落し申せと。詮議を加ふる衆徒もありけり。
    さるほどに。時うつって。静も今は忠信が。賢きはかりことに難なく君を落し申しつ。
    心しづかに願成就して都へとてこそ。帰りけれ。



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