藤 (ふじ)

●あらすじ
能『藤』は、都の僧が、加賀国から善光寺に参る途中、越中国・多枯の浦で藤の花を眺めていると女がやってきます。僧が女と藤の歌について言葉を交わすうちに、女は自分は藤の花の精だと言って姿を消します。夜になると再び藤の花の精が現れ、藤を賛美しつつ舞い、夜明けとともに消えていきます。『杜若』に似てますね。でも『藤』には業平のような付属はなく、シンプルに藤オンリーです。後シテが、自分を現すシンボルを身につけている様は、未だにけっこう驚かされるのですが、『藤』もかなり衝撃的です。

●宝生流謡本(参考)     外一巻の三   三番目    (太鼓あり)
     季節=春    場所=越中国多枯の浦(富山県)
     素謡(宝生) :  稽古順=入門   素謡時間38分 
     素謡座席順   シテ=前・里女 後・藤の精     
                ワキ=旅僧

●東京金剛会の鑑賞記
加賀の国から善光寺へという道筋は、いつぞや山姥の鑑賞記でも書きましたが、鉄道などの無い時代には主要な道だったのでしょうね。現代なら京都から長野善光寺に行こうとして金沢を回る人はいないと思うのですが・・・ともかくワキの僧、善光寺へ向かおうと加賀の国を立ち氷見へ向かい、藤の名所である田子の浦にやって来ます。この田子の浦、現在では静岡の田子の浦と同じ表記ですが、観世の謡本では「多ゴ:ゴは示偏に古」と表記します。確認したわけでは無いのですがもしかして金剛では「多胡の浦」と書いているのではないかと想像しています。それは後におくとして、さてワキ僧が今を盛りと咲いている藤の花に見とれて「常磐なる松の名たてに、あやなくも、かかれる藤の咲きて散るかな」という古歌を口ずさんでいると、前シテ里の女が呼掛で登場してきます。これ、観世の本では「おのが波に同じ末葉の萎れけり、藤咲く多ゴ(ゴは示偏に古)の恨めし乃身ぞ」と謡うことになっています。流儀によって若干の詞章の違いというのは良くあることですが、引いている歌が全然違うというのは少ないほうですねえ。女は「田子の浦や汀の藤のさきしより、うつろう波ぞ色に出でける」という古歌を謡い、この地は歌に有名な藤の名所なのに、妙な歌を口ずさんでいるのは無粋なことだと非難します。この女のひいた歌、続後拾遺和歌集におさめられた藤原房實の歌だそうですが、観世の本では下の句が「波の花さへ色にいでつつ」となっています。シテ、ワキの掛け合いから地謡へとつなぎながら、さてその古い歌などをひいてこの地の謂われを語る女人は誰なのだという問いに、シテが自らこの藤の花の精であると明かして姿を消してしまいます。ひかれる歌は万葉集の内蔵縄麻呂の歌「多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざしてゆかむ見ぬ人のため」観世ではシテの「かの縄麻呂の歌に」の句に継いで地謡がこの歌を謡いますが、良く聞き取れなかったものの、金剛ではシテの章句にもこの歌が織り込まれているような感じでした。
(後略)

●日本のフジ
迫間のフジは(栃木県足利市)樹齢140年とされ、2008年5月現在、枝は畳1,200枚分の日本最大の面積に広がる。三重県津市の「福祉と環境を融合した花園かざはやの里」の「藤棚」は10種の藤棚「9画3段円柱の藤棚」「扇の藤棚」「階段の藤棚」「通路の藤棚」に1800本以上の藤が咲き乱れる。千葉県成東町・ヤマフジの大群落園芸植物としては、日本では藤棚に仕立てられることが多い。白い品種もある。つる性であるため、樹木の上部を覆って光合成を妨げるほか、幹を変形させ木材の商品価値を損ねる。このため、植林地など手入れの行き届いた人工林では、フジのツルは刈り取られる。これは、逆にいえば、手入れのされていない山林で多く見られるということである。近年、日本の山林でフジの花が咲いている風景が増えてきた要因としては、木材の価格が下落したことによる管理放棄や、藤蔓を使った細工(籠など)を作れる人が減少したことが挙げられる。

●演能記   藤  シテ:榎本 健
□都の僧が善光寺に詣でる途次、越中の国(富山県)氷見の里、多胡の浦に立ち寄ります。折しも藤の花の盛りでした。中にも一際見事な松にまとう藤があります。僧は古歌を思い出します。「常磐なる松の名たてに、あやなくも、かかれる藤の咲きて散るかな」と口ずさみます。向こうから呼び掛ける女があります。この多胡の浦は藤花の名所です。古人が藤花を讃えて多くの歌を詠み伝えているのに「松の名たてに」の歌を口ずさんで藤をいやしく云うのですかと、とがめます。僧は不審に思い、女の身の上をたずねます。女はこの藤の精であると名乗り、松の陰に消え失せます。所の人が盛りの藤を見に来ます。僧は、所の人に由緒ありげなこの藤のことをたずねます。所の人は、昔、越中の守であった大伴の家持がこの藤を賞で花のもとで酒宴を催し、歌を詠み交わしたことなどを話します。やがて夜も更け浮かれ鳥の鳴き交わす中、僧は経を読み旅寝の床につきます。古歌を口遊みながら藤の精がふたたび現れます。妙法華経のお恵みによって成仏することができました。
夜もすがら、賛仏の歌舞をするために現れたのだといい、多胡の浦の美しい四季の移り変わりや、汀の松にかかる藤の花の風趣を歌い舞います。やがて朝日山に朝の光が射し、藤の精は松の梢に消えます。
□ワキが古歌を思い出し、口ずさんでいると、シテが現れ異をとなえる又はワキとシテが草木や花の風流問答をするという曲は、本曲「藤」の他西行桜、黒染桜、六浦、杜若、芭蕉など多くの曲があります。主題への導入手法でしょが古人の草木、花に対するなみなみならぬ愛着が思われます。
これらの曲はいずれもシテが草木の精であり、現代の日本人にとっては童話的な素材ですが、単に擬人化だけではなく「草木国土悉皆成仏」の仏教思想が附加されています。杜若や、芭蕉のように在原の業平や、仏教の哲理を説く、といった、いわゆる本説の確呼とした名曲といわれる曲もありますが、本曲「藤」は花そのものを主題にしています。自然の景観や、花の詩歌を媒体にして一曲にまとめた佳曲です。能は人の心の深層を描く作品が少なくありません。
観能のあとは疲れます。和泉式部を主人公にして王朝の「みやび」を描いた名曲「東北」のように、花の優美さを主題にした本曲「藤」も、観る人に心の負担をかけず、美の世界だけに耽溺できるでしょう。能の持つ又一つの側面でもあります。  (後略)

●藤の説明
豆(まめ)科。 学名 Wisteria floribunda Wisteria : フジ属 floribunda : たくさんの花をつける Wisteria(ウィステリア)は、19世紀の アメリカのフィラデルフィアの有名な解剖学者、 「Wistar 教授」の名前にちなむ。 開花時期は、4月15日頃〜 5月5日頃。
日本原産。紫色の花が、幹の方から先端に向かって 咲き進む。蔓(つる)は他の木などに「右巻き」に巻きつく。(これに似ている「山藤(やまふじ)」は「左巻き」に巻きつきます) 2mぐらいの長さの蔓になることもある。蔓はとても強く、古墳時代の巨大な石棺も、木ぞりに載せてこの藤縄で運んだらしい。(参考)モミ(御柱の運搬) 蔓状に成長するので、藤棚にいけることが多い。夏になると新しい枝先からまた少し花が咲くことがある。

●藤の家紋
藤紋(ふじもん)は日本の家紋の一種。ヤマフジのぶら下がって咲く花と葉を「藤の丸」として図案化したもので、元来は「下り藤」である。家紋として文献に載ったのは、15世紀ごろに書かれた『見聞諸家紋』などである。『吾妻鏡』や『太平記』には登場しないことを根拠として武家の間では14世紀後半の室町時代末期に流行したと考えられており、また江戸時代には武士における使用家が170家におよび[2]、五大紋の一つに数えられている。

あさかのユーユークラブ 謡曲研究会 平成20年9月19日(金)


                             

          (ふじ)  外一巻の三    (太鼓あり)
          季 春      所 越中国多枯の浦  素謡時間 38分
  【分類】三番目 (    )
  【作者】世阿弥元清   典拠:
  【登場人物】前シテ:里の女、後シテ:藤の精    ワキ:旅僧 

          詞 章                       (胡山文庫)
ワキ  次第上 山又山を遥々と。/\。越路の旅に急がん。
       詞「かように候者は都方より出でたる僧にて候。われ此程は北国に下り。
         芦の篠原安宅の松。こゝかしこの名所を一見仕りて候。
         これより善光寺へ参らばやと思ひ候。
    道行上 雪晴るる 白山風も長閑にて。/\。おと高松の波までも。
         治まる道に戸ざしせぬ石動山をすぎむらや。そなたとばかり白雲の。
         遙々行けば暮れそむる。氷見の里にも着きにけり。/\。
      詞 「急ぎ候程に。これははや越中の国くずみの郡氷見の里にも着きにけり。
         あれなる湖は。承り及びたる多枯の浦にてありげに候。
         立寄り見ばやと思い候。
         まことに聞き及びたるよりはひとしおなる湖水の景色にて候。
         又これなる松にまじへる藤の。今を盛りと見えて候。
         常磐なる松の名たてにあやかなる。
       詞 「かかれる藤の咲きて散るやと。古事の思ひ出でられて候。
シテ    詞 「なう/\あれなる旅人に申すべき事の候。
ワキ    詞 「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
シテ    詞 「これは多枯}の浦とて藤の名所なれば。古人の歌をも思ひぞ出づる。
       下 たごの浦や汀の藤の咲きしより。うつろふ波ぞ。色には出でぬる。
         かやうの歌をも詠じ給はで。
      下 松の名たてと口ずさび給ふは。あら心なの旅人やな。
ワキ    上 思ひよらずや人ありとも。知らで吟じし古ることながら。
シテ    上 花を賤しく岩代の。
ワキ    上 松の名たてと詠ぜしは。
シテ    上 心もなしと思い草
ワキ    上 引きてよむべき
シテ    上 敷島の

  ( 小謡 多枯の浦 ヨリ  ことわりや マデ )

地     上 多枯の浦。底さへ匂ふ藤波を。/\。かざして行かん。
         見ぬ人のためと詠み置きし。此花を心なく。詠じ給ふはうらめしや。
         げにや思へば君ならで。誰にか見せん梅の花。
         色をも香をも知る人の知ると詠みしもことわりや知ると詠みしもことわりや。

  ( 独吟 げに理りと ヨリ  失せにけりや マデ )

地  ロンギ上 げに理りとしら糸の。くるれば露のふる事を語れる人は誰やらん。
シテ    上 われを誰とか思い寐の。夢か現か幻の。花人と思し召せ。
地     上 身を花人と思へとは。さては疑い波になく。
シテ    上 かへさの雁のいる雲の。
地     上 松にかかれる
シテ    上 花の花の
地     下 精なりといふ千鳥。立ちさり行くやたこの浦。
         汀に靡く松の本に 寄ると見えて失せにけりや/\。
              中入り
ワキ  待謡上 霞む夜の 月は出でてもうば玉の。/\。
          よるべ定めぬ浮れ鳥鳴く音も法の声添へて。花の跡訪ふ春の風の。
          声物凄き波枕。仮寝の夢や覚すらん/\。
後シテ   下 いつわりか。虚しき空に。散る花の。あだなる色に。迷ひそめけん。
ワキ カカル上 不思議やな夜も更け過ぎて月うつる。水さへ匂う藤の陰より。
         まみえ給ひし顔ばせは。花の精にてあるやらん。
シテ    上 中々藤の花なるが。妙なる佛果の御法の雨に。開くる花の菩薩となりて。
        これまで現れ出でたるなり。
ワキ    上 あらありがたやさりながら。二度言葉をかはす事。何の故にてあるやらん。
シテ    上 意性化身をうけ衣の。かさねてきたり夜もすがら。歌舞をなさんと参りたり。
ワキ    上 げにやもとより狂言綺語も。
シテ    上 讃仏乗の因縁は。
ワキ    上 隔はあらじ。
シテ    上 法の身の。
地     上 うるほひは 木により藤の如くなり。/\。教の外なる法までも。
         悟りをえの藤の開くる。心の花なれや。苫の刈る藻の草も木も。
        成仏こゝにありそ礒深きや法の道ならん/\。
    クリ上 げにや春を送るに。舟車を動かす事を用ひず。たゞ残鴬と落花とに。
         別たれたり。

( 囃子 紫藤露の底に ヨリ  残るらん マデ )

シテ サシ上 紫藤露の底に残る花の色。
地     上 翠竹苑のうちに暮れ。鳥の声げに面白や水の面に。かすめる月の春もはや。
         くれない匂ふ花かずらかゝる致景は又世にも。
シテ    下 奈古の浦回も。程近き。
地     下 眺につゞく。景色かな。

( 独吟・仕舞 沖つ風 ヨリ  匂う袂かな マデ )

    クセ下 沖つ風。吹きこす磯の松が枝に。余りてかかるたこの浦。
         藤波の夜昼わかで徒らに。送り迎ふる年月の。
         春の花散りふる雪深緑夏はたちばなに袖ふれにし匂ひまで。
         聞けば昔を忍ぶ草。一葉散り手は秋なりと。夕べの月を湖の。
         浦吹く風に小夜更けて。暁と白浪立ちて鳴く千鳥。友よぶ声も霜雪に。
         冬の気色の知らるらん。
シテ    上 ことわりながらことに藤は。咲きて程なく散る花を惜しむ人しも波の上。
         唯朝霞みたなびく色のみ春のかたみぞと。知られてしらねて有明の。
         月にひるがえす舞の袖紫匂う袂かな。  
        下 咲く藤の
                序の舞
シテ  ワカ上 咲く花の。花のかづらや。左保姫の
地   ノル上 袖の緑の 松にかかれる/\。

( 仕舞・小謡 かかれる松に ヨリ  残るらん マデ )

シテ    下 かかれる松にうす花の
地     下 かかれる松にうす花の
      上 色紫の。蜘の刃袖をかへす舞姫。歌へや歌へ折る柳落つる梅あるひは花の。
         鶯の囀りの。声の匂いも深みどり。英遠の浜風たこの浦波。
         打ちちらし吹き払い花も飛び行く胡蝶の夢の。
         春のみじか夜明くる横雲に 光影さす朝日山の。/\。
         梢に青葉や。残るらん


あさかのユーユークラブindexページに戻る

郡山の宝生流謡会のページに戻る

このページのトップに戻る

謡曲名寄せに戻る